10◇
息を切らして路地裏を駆け回る。
大地を揺るがす衝撃音から、既に五分以上経過した。
なのに、いまだに路地裏の出口は見えてこない。どうやら完全に迷っていた。
「クソッ、これ以上は迷っていられないか……!」
湧き上がる焦りを押さえつけ、足を止めて空を見上げる。
フォルテと戦闘になる可能性がある以上、可能な限り必殺技ゲージを温存しておきたかったが、これ以上時間が掛かるかもしれないとなれば、もう決断しなければならない。
そもそもこうやって走っていたのだって、あの一撃を食らえばもう助からないだろうというネガティブさと、あの一撃に対応できるなら少しの間は耐えられるはずというポジティブさを合わせた考えからなのだ。
だからここがボーダーライン。誰かを見捨てて力を温存するか、誰かを助けて余力を削るかの境界線。
そしてその答えなど考えるまでもなく、シルバー・クロウは背中から金属フィンを展開した。
一息で空へと飛び出し、ネットスラムの街並みを見渡す。
だが廃ビルが遮蔽物となって、完全に見渡す事が出来ない。
ゆえに今度は、耳を澄ませる。一音も聞き逃すまいと、精神を集中させる。
そうして、ほんの微かに、誰かの叫び声が聞こえた気がした。
「――――! そっちか!」
即座にその方角を予測し、一気に加速する。
ほんの少ししかない必殺技ゲージが一気に減少する。
残り飛行時間は、五秒となかった。
だがゲージが完全にゼロとなった瞬間、ようやくその姿を捉えた。
ボロのローブを纏った黒い影と、見覚えのある剣を持った黒衣の剣士。
黒い影は左手を男へと突き付け、その手の平にエネルギーを集め、
剣士はふらつきながらも、剣を手に黒い影へと立ち向かっている。
それがどういう状況なのか、考えるまでもない。
ましてや黒い影の方は、見間違えようもなく、あの死神だったのだから。
必殺技ゲージは既に尽き、今は慣性で飛んでいるのだ。これ以上の加速はできない。
死神との距離は遠く、“剣”ではもちろん、“槍”でも届かない。使うなら“投槍”だ。
そう一瞬で判断し、左腕を前に構えて右腕を肩の上で引き絞ぼり、死神へと狙いを定める。
死神の左腕が一層強く輝き、剣士が剣を構えて突撃した。
しかし剣士は間に合わない。このままでは無残に、消し飛ばされるだけだ。
「させるかァアア――――ッッ!!!」
肩まで銀光に包まれた右腕を全力で突き出し、即座に引き戻す。
右腕から放たれた光の槍は一瞬で限界まで伸び、そこから更に伸長する。
その瞬間、左手の小さな光の剣で槍の根元を切断し、光の槍を射出させた。
猛烈なスピードで飛翔する光の槍が、僅かに狙いを逸れ死神の左腕を貫く。
直後解き放たれたエネルギーが、再び大地を震わす衝撃を放った。
だが黒衣の剣士は……無事だ。その事に一先ず安堵する。
ダメージを与えた事で溜まった必殺技ゲージを消費し、死神から庇うように、二人の間に立ち塞がる。
「………キサマ」
フォルテが左腕を庇いながら、こちらを睨んでくる。
〈光線投槍(レーザー・ジャベリン)〉を受けた左腕は、攻撃が貫通した為か、思ったよりもダメージが少ない。
それに先程から、妙な疲労感が襲って来ている。一体どういう事かと考えていると、
「シルバー……クロウ……」
不意に背後から、自分の名前を呼ばれた。
通常デュエルアバターの名は、同じバーストリンカーしか知りえない。
そしてこのデスゲームでは、バルムンク以外に名乗った覚えはない。
その事を不思議に思い振り返って、驚きに目を見開いた。
「キリト……なのか……?」
その名を口にして、改めて剣士の姿を確かめる。
髪と瞳の色は漆黒。装いは黒革のロングコートに、指抜きのグローブとブーツを身に付けている。
彼を象徴した二本の剣こそないが、もう疑い様がなかった。
そいつは間違いなく、一ヶ月ほど前の春に戦った奇妙なバーストリンカー、キリトだ。
だが同時に、キリトの持つ剣もしっかりと視認する。
見覚えのあったその剣は、バルムンクの持っていた剣に間違いがなかった。
なぜキリトがその剣を持っているのか、という疑問が浮かぶが、大体の予想は付く。
それを確かめるために、改めて死神へと向き直り、まっすぐに睨みつけた。
「お前……バルムンクさんをどうした」
「バルムンク? ああ、あいつか。あいつなら、破壊した」
死神は、何でもない事の様にそう口にした。
ギリッ、とヘルメットの下で歯軋りをする。拳を軋むほどに握り締める。
今にも爆発しそうな怒りを押さえつける。感情的になっては、アイツには勝てない。
冷静に。……冷静に。頭は冷たく、しかし心は熱く。赤く猛り狂う怒りを、青く燃え盛る闘志に変換する。
「……じゃあやっぱり、彼の剣は」
「オレがヤツから奪ったものだ。……もっとも、見ての通りそいつに奪われたが」
「そうか」
よかった。やはりキリトが奪ったわけではなかった。これで背後を心配する必要は完全になくなった。
その事に安心し、意識を死神にのみ集中させる。キリトとは話したい事が沢山あるが、今はそんな場合ではない。
両手の指を剣の様に揃え、ピタリと前に構える。
「ほう……オレと戦う気か?」
「………………」
「出来るのか? お前一人で。オレのオーラを破る事が」
「やってみなくちゃわからないだろ」
「ハッ! なら、やってみろ……!」
死神の顔が歪み、凶悪な笑みを浮かべる。
右手に持つ武器を、威嚇する様に振り上げる。
その黒い月魄の大鎌は、アイツの印象をより死神めかせていた。
「………オレはシルバー・クロウだ。お前は?」
バーストリンカーとしての、最後の礼義。
オレ達はお互いの名を知らない。それゆえの名乗り。
この行為を以って、オレとアイツは、本当の対戦相手となる。
「フォルテ」
死神が名乗り返す。
それが、あの死神の名前。
その名を心に刻み、地面を強く踏み締める。
ここから先は、いつも通りのデュエルじゃない。
……いや、それはこのデスゲームが始まった時からそうだった。
その覚悟が、今定まっただけ。
この戦いは………正真正銘、お互いの命を賭けた、殺し合いだ―――!!!
「ハアア―――ッ」
踏み込む。様子見なんて余分はいらない。
フォルテへと全力で迫り、渾身のストレートパンチを放つ。
「ふん」
対するフォルテは不動。防御も回避もせず、こちらの右ストレートを待ち構える。
それも当然。アイツにはオーラという、鉄壁の守りがある。それを破らない限り、こちらの攻撃はなに一つ通らない。
事実、シルバー・クロウの放った渾身の一撃は、不可視の障壁によって遮られている。
……否、すでに不可視ではない。攻撃の衝撃によってか、黄色いエネルギーがフォルテを中心に渦巻いている様子が視認できる。
最後まで視認できなかった先の戦いと違い、もう隠す必要がなくなった、という事だろう。
「つまらん」
そう吐き捨て、フォルテは大鎌を振りかぶる。
……ホント、酷い防御スキルだと思う。
こっちの攻撃のほとんどが無効化されるのに、あっちは攻撃し放題だなんて。
………けれど、これは
ルール無用の殺し合い。そしてそれを始めたのはアイツが先。
反則(チート)を躊躇う理由は、とっくの昔になくなっている。
「レーザー・ソード―――!」
その技名とともに、残った片腕を全力で打ち抜く。
銀色の光に包まれた左手が、閃光となって突き出される。
そうして放たれた〈光線剣〉は、フォルテのオーラを容易く貫通した。
「ッ………!」
フォルテの顔に、驚愕の表情が浮かぶ。
咄嗟に攻撃を中断し、大きく仰け反って回避する。
しかし完全には躱せず、光の剣はフォルテの体を浅く切り裂いた。
――瞬間、発動する〈エアリアルコンボ〉。
背中の銀翼が振動し、慣性を無視した動きで高速のハイキックを放つ。
「な……っ!」
……が、その不可避の一撃は、またもフォルテのオーラに阻まれた。
その隙を突いて、フォルテの大鎌が振り抜かれる。
フィンを振動させ緊急回避するが、今度はこっちが躱し切れずに傷を負う。
「キサマ……何をした」
「………………」
フォルテの問い掛けに、沈黙で答える。
教える義理はないし、それにこっちだって戸惑っているのだ。答える余裕なんかない。
――〈光線剣〉は、間違いなくオーラを貫いた。
それはアイツの体に残る傷跡が証明している。
だが、オーラを破壊する事は出来ていない。
………それはなぜか。
その答えにはすぐに思い至った。即ち、“システムの衝突(コンフリクト)”だ。
先の戦いで予測したオーラの分類。HP型。ダメージ軽減型。無効化型。そのいずれにも共通するのは、ある一定値以下のダメージは通らないという事だ。
対して、〈光線剣〉は“射程距離拡張系”に分類される心意技だ。
確かに心意技は“事象を上書き(オーバーライド)”し、相手の防御を無視する。だがその実、“射程距離拡張系”では、“攻撃力自体は変わらない”のだ。
つまり〈光線剣〉では、フォルテのオーラを貫通する事は出来ても、破壊する条件を満たせなかったという事だ。
……これが〈蒼刃剣(シアンブレード)〉のような、“攻撃威力拡張系”の心意技なら、実際のダメージ値に関係なくオーラを破壊出来ていただろう。
だがシルバー・クロウに“攻撃威力拡張系”の心意技は使えず、通常スキルによる高威力の攻撃は、どちらも攻撃時の隙が大き過ぎる。
つまりフォルテにダメージを与えるには、心意技だけで戦うしかないという事だ。
「いいさ……やってやる!」
両手に光の剣を作り出す。
重ねるイメージはブラック・ロータスの姿、その戦い方。
打撃技や掴み技が使えない以上、〈光線剣〉の二刀流で戦うしかない。
「いくぞ!」
〈光線剣〉を構え、フォルテへと振りかぶる。
心意技を使えないアイツには、シルバー・クロウの攻撃を防ぐ術はない。
故にフォルテの行動は回避か、遠距離攻撃による迎撃に限定されるはずで、
――――それ故に、その驚愕は先程以上だった。
「な………ッ!!」
フォルテの獲った行動は、迎撃。
ただし、その手に持つ大鎌による近接攻撃だった。
つまり通常であれば、フォルテの大鎌は切断され、そのままアイツへと攻撃が通る。
だというのにフォルテの大鎌は、〈光線剣〉の一撃をしっかりと受け止め、あまつさえ弾き返したのだ。
あり得ない。そんな考えが、脳裏を占める。
これが心意技によって強化されていた一撃なら解る。
だがアイツの大鎌には、その証となる過剰光(オーバーレイ)は、ほんの微かにもなかった。
「ハアッ!」
気合の声とともに、フォルテの大鎌が翻る。
咄嗟に〈光線剣〉を交差し、その一撃を受け止める。
心意技と激突しながらも、やはり大鎌は破壊されず、〈光線剣〉と鍔競り合う。
……光の剣から伝わるこの感覚は、そう、まるで帝城を守護する四神、朱雀を攻撃した時の様な――――
―――そしてその感覚こそが、もっとも正解に近い答えだった。
【死ヲ刻ム影】――それがフォルテの振るう、ロストウェポンと呼ばれる大鎌の銘だ。
ロストウェポンとは、『The World』に存在する“イリーガルな力”の一つ、八相と呼ばれる存在の欠片だ。
そして基盤となるシステムこそ違えど、“システム外の力”という点において、八相の力と心意の力は同じ階梯にある。
故に、同じ“システム外の力”の断片であるロストウェポンは、心意技による“事象の上書き(オーバーライド)”を受け付けないのだ。
もしロストウェポンが心意の影響を受けるとしたらそれは、大本である八相の影響も同時に受けた時だけだろう。
……だが、二人がその事を知るはずもなく、
そして今重要なのは、フォルテの【死ヲ刻ム影】は、シルバー・クロウの〈光線剣〉を防げるという一点のみだ。
「セアァ……ッ!!」
「グ、ウア……ッ!」
光の剣が両腕ごと、フォルテの大鎌に弾き飛ばされる。
即座に背中の銀翼を振動させ、大鎌の攻撃範囲から退避する。
その直後、大先ほどまでシルバー・クロウが居た空間を大鎌が薙ぎ払った。
その暴威に恐れず、再びフォルテへと挑みかかる。
あの大鎌を破壊できない理由はどうでもいい。フォルテの力と合わせて考えれば、心意攻撃と思って大差ない。
要は、まともに食らえば大ダメージを受ける。その事だけ肝に命じておけばいい。
「シッ……!」
右の〈光線剣〉を振り抜く。
フォルテはその牽制を、大鎌の柄を盾にして受ける。
そこに左の〈光線剣〉を突き出すが、同時に大鎌が片腕で薙ぎ払われる。
大鎌の形状を利用した、刃が背後に回り込む様な一撃。
このままではまずいと、即座に攻撃を中断し、銀翼を振動させる。
後退はできない。そちらには既に、大鎌の刃が回り込んでいる。
故に回避方向はシルバー・クロウから見て左。フォルテを中心とした右旋回。
大鎌の一撃に沿う様に飛翔回避し、そのまま背後へと回り込む。
ギシリと、フォルテの大鎌が右腕の稼働領域限界まで振るわれる。
しかし刃は届かない。
ガラ空きとなった背中へと向けて、今度こそと手刀の形で右の〈光線剣〉を振り下ろす。
対してフォルテは体を左回転させる。
振り切られた大鎌は重心が先端に寄るため、その回転についてこない。
だがフォルテの左腕が変形し、〈光線剣〉と似た光剣を作り出された。
そしてそのまま、シルバー・クロウの〈光線剣〉と打ち合う様に、左腕の光剣が振り抜かれる。
……しかし、心意技は、心意技でしか防げない。
ノーマルな機能、システムによって作り出された光剣は、〈光線剣〉に接触すると同時にガラスの様にあっさりと破砕した。
「な……ッ!? ヒートブレードが!」
驚愕に目を見開きつつ、フォルテは咄嗟に体を仰け反らせる。
光剣を破砕した〈光線剣〉は、フォルテの頬を浅く切り裂いて空振った。
そこに遅れて、大鎌が振り抜かれる。
遠心力を限界まで加えられた大鎌は、先程とは逆に、同じ理由ですぐに止まる事はない。
しかし緊急回避によってその狙いは乱れ、地面を抉りながら上へと振り上げられる。
それを右と左の〈光線剣〉を交差して受け止め、〈受け返し(ガードリバーサル)〉による反撃を試みる。
………だが。
「グ、ヅッ………!」
結果は失敗。逆に大鎌の一撃、その衝撃をまともに受け、大きく弾き飛ばされた。
それはなぜか。――答えは単純。シルバー・クロウが、フォルテの攻撃を“拒絶した”からだ。
〈受け返し〉の源流となる〈柔法〉、その極意は、相手の攻撃を受け止め、受け入れ、導く事にある。
しかし今のシルバー・クロウには、その為の心の余裕が欠如していた。
そう。バルムンクを殺された事による、フォルテへの怒りがその余裕を奪っていたのだ。
それに加えて――――
「、ッハァ……ハァ……、ハ――ッ」
息が乱れる。
フォルテと打ち合えば打ち合う程に、理由のわからない疲労が全身に襲ってくる。
このままではまずい。今はまだ平気だが、これでは時間が経てば経つほどこっちが不利になる。
理由は何だ。この疲労感の原因は。それを見つけなければ、アイツには勝てない。
「その光の剣……やはりただのアビリティではないな」
光剣の破壊された左腕を通常の物に戻しながら、フォルテはそう口にした。
その言葉にふと何かが思い当たり、両手の〈光線剣〉を見る。
二本の〈光線剣〉は、乱れた息と連動するように、小さく明滅していた。
……そういうことか。
それで疲労感の原因を理解した。つまりこれは、心意技に掛けられた制限なのだ。
事象を上書き(オーバーライド)する心意技は、極論すればどんなシステム的制約さえ無視できる。
無論、そこまでのイメージを持てるのか、という問題はあるが、通常プレイにおいても圧倒的有利な事に変わりはない。
つまりは、ゲームバランスの問題だ。
心意使いによるワンサイドゲームにしない為の制限。
強力な心意技を使用すれば、それだけ大きな、精神的な疲労が発生するのだ。
……にしてはフォルテのオーラや、心意技で破壊できない大鎌など、はたしてバランスが取れているのか微妙なところだが。
「だが、この武器で対処できる以上、問題ではない。
キサマの二刀流スキルも、そこの人間程ではないしな」
そう言ってフォルテは、大鎌でキリトを指し示す。
確かに彼がこうしている以上、キリトはフォルテに負けたという事なのだろう。
しかもアイツの言葉から察するに、あの卓越した二刀流を使ってだ。
おそらくはフォルテのオーラに阻まれての敗北だろうが、それでも脅威である事に変わりはない。
「……ふむ、そうだな。キサマに面白い物を見せてやろう」
そう口にすると同時に、フォルテはローブをはためかせる。
その下から舞い散る……白い、羽根。その背中から現れる、純白の双翼。
「まさか……その翼は!」
今までとは比べものにならない驚愕が、シルバー・クロウの心中を埋め尽くす。
見間違えようなどない。フォルテのソレは、紛れもなくバルムンクの双翼だった。
「なんで……なんでお前がそれを!」
「当然、殺して奪った」
「ッ…………! お前ッ……!」
凶悪な笑みを浮かべるフォルテに、あるデュエルアバターの姿が重なる。
そいつに翼を奪われた時の感情がぶり返し、頭を更に白熱させる。
ダスク・テイカー――他者の能力を奪う必殺技を持つアイツと同じ力を、フォルテは持っているというのか。
「さあ……これで最後だ。
キサマのそのアビリティも、オレが全て奪いつくしてやる」
純白の双翼を羽ばたかせ、フォルテが空へと舞い上がる。
――同時にバルムンクの物だった翼が変質し始めた。
一度羽ばたく度に羽根が抜け落ち、黒く染まり、その形を変えていく。
フォルテのアバターに、最適化されているのだ。
「ぁ…………」
そうして間もなく、最適化が終わった。
あの美しかった白翼は、悪魔の如き黒翼へと変貌した。
漆黒の双翼を背に空へと舞い上がるフォルテの姿は、もはや死神そのものと言っても過言ではない。
………その様が、あまりにも彼を……バルムンクを貶めているように思えて――――
「ッ………! フォルテェエエ――――ッッ!!!」
残り四割に迫ったHPも、必殺技ゲージの残量も忘れて、フォルテへと向け、ただ激情のままに空へと飛び上がった。
†
その戦いを目の前にして、なに一つ出来ない自分にキリトは歯がみした。
いかなる理由からか、シルバー・クロウの光剣はフォルテのバリアを貫通できるらしい。
だが破壊は出来ず、結果、シルバー・クロウは光剣のみによる戦いを強いられている。
それではフォルテに対して勝ち目は薄い。ヤツはまだ、遠距離攻撃を二つも持っている。
近接戦闘しかできないシルバー・クロウでは、その二つの攻撃に対処しきれない。
……対して、自分はどうか。
それこそ話にもならない。剣士キリトの技では、ヤツのバリアを突破できない。
これまでの戦いから鑑みるに、フォルテのバリアは一定値以下の威力の攻撃を無効化するタイプ。
バリアを突破できる可能性のあるソードスキルがないわけではないが、それに繋げるためのスキルが一切通用しない。
「くそっ! 一体どうすれば……!」
あのバリアを破壊しない限り、フォルテの優位は変わらない。
どうにかして、ヤツのバリアを破壊する方法を――――
「……そうだ。あれなら!」
背後の地面へと振り返る。
そこには少女の残した、三つのアイテムがある。
即座にそれらのアイテムへと駆け寄り、まとめて手に取る。
そしてメニューを操作して、急いで必要な設定を変えていく。
「間にあってくれよ……」
戦いは既に、空へと移行している。
空はシルバー・クロウの領域だが、フォルテ相手ではそれも何処までもつか。
そうして全ての設定を終え、決定を押すと、再びアバターが光に包まれる。
「行っけええぇぇぇ――――ッッ!!!」
同時に地面へと屈み込んで力を溜め、空へと向け一気に跳躍する。
その重力に逆らい体は地面に落ちる事なく、銀翼の鴉の戦う空へと昇って行った。
†
シルバー・クロウの光の剣と、フォルテの大鎌がお互いを弾き合う。
だが両者とも即座に翻り、更なる一撃を放つ。
しかし大鎌の一撃を相殺できず、大きく弾き飛ばされる。
力では敵わない。力は必要ない。必要なのは速さだ。光の速さをイメージしろ。
「ハアアアア―――ッ!」
気合とともに、右の光剣で貫手を放つ。
フォルテはそれを容易く躱すが、その程度は想定している。
左の光剣を、フォルテの避けた先へと突き穿つ。
大鎌で弾かれるが、構わず右の光剣を袈裟掛けに振り下ろす。
だがフォルテは、軽く旋回するだけでその一撃を回避する。
「このっ………!」
袈裟切りを回避したフォルテは、そのまま上空へと上昇する。
それを追ってシルバー・クロウも加速しつつ、フォルテの後ろ姿を睨みつける。
「セアア―――ッ!」
目前に迫ったフォルテへと向け、右の光剣を薙ぎ払う。
飛行速度はフォルテよりもシルバー・クロウの方が速い。追い付くこと自体は簡単だ。
だが速さだけでフォルテを倒すことはできない。アイツに勝つには、一撃を確実に叩き込む“技”が必要だ。
「フンッ!」
背後から振われた光剣を、フォルテは振り向きざまに大鎌で弾き飛ばす。
同時に振り下ろされたもう一方の光剣を半身になる事で躱し、シルバー・クロウへと大鎌を振り抜く。
それを一瞬後退する事で回避し、即座にフォルテへと接近する。
だがフォルテは、体ごと大鎌を一回転させ、もう一撃振り抜いて来た。
「グ……ッ!」
光剣を交差し受け止めるが、その威力に大きく弾き飛ばされる。
銀翼を振動させ体勢を立て直し、即座にフォルテへと向け飛翔する。
だがその瞬間、フォルテの左腕がバスターへと変形し、シルバー・クロウへと向けて無数の光弾を放ってくる。
だがシルバー・クロウにとって、その程度の遠距離攻撃離れたものだ。
放たれた光弾をバレルロールで回避し、射線を掻い潜る様にフォルテへと再接近する。
そして再び、フォルテへと向けて二本の〈光線剣〉を振り抜き、振るわれた大鎌と凌ぎを削る。
“くそっ……! 思う様に、戦えない……!”
どうにも上手く乗らない調子に、シルバー・クロウは内心で歯噛みする。
フォルテに空中戦を可能とさせているのは、その背に生えた黒翼……変貌したバルムンクの双翼だ。
だからこそ、アイツにだけは決して負けるわけにはいかないのに、どうにも攻めきることが出来ないでいた。
……その理由は、シルバー・クロウの戦闘経験にあった。
シルバー・クロウは加速世界唯一の飛行型アバターでありながら、その実、まともな空中戦闘はこれが初めてだった。
なぜなら彼のこれまでの対戦経歴は、そのほとんどが地対空のデュエルだったからだ。
加えて数少ない例外である朱雀戦は撤退戦で、もう一つのダスク・テイカー戦も厳密には空中戦とは言い難かった。
なぜなら飛行アビリティを奪ったダスク・テイカーに対し、シルバー・クロウがとった戦法は、飽く迄もゲイルスラスターによる“跳躍”だ。
そう。加速世界唯一の飛行能力者であるからこそ、シルバー・クロウは空を自在に跳び回る者同士の戦いを経験できなかったのだ。
その経験不足が、シルバー・クロウを徐々に追い込んでいく。
力の緩急のつけどころが分からず、戦いのペース配分が乱れる。
怒りに白熱した頭ではそれに気付かず、消耗だけが加速していく。
「ッハ―――、ハ―――」
襲い来る疲労に息が乱れる。
―――集中しろ。
徐々に体が、意識について行かなくなる。
―――もっと集中しろ。
残り一割を切った必殺技ゲージに、だんだんと焦りが募っていく。
―――集中するんだ。
〈光速翼(ライト・スピード)〉は使えない。それを使えば、もう体力の後がなくなる。
―――集中………
「ガァ……ッ!」
大鎌の一撃に、一際強く弾き飛ばされる。
即座に体勢を立て直すが、フォルテからの追撃はない。
見ればフォルテは、余裕の表情でシルバー・クロウを睥睨していた。
「どうした、もう終りか? オレを倒すんじゃなかったのか?」
「うるさい……ッ!」
フォルテの言葉に、怒鳴る様に言い返す。
集中できない。疲労と怒りに、心が掻き乱される。
勝算はある。力では敵わなくても、速さではこちらが上だ。
なのに攻めきれない。シルバー・クロウの力を、最大限に生かせない。
負けられないのに……勝たなければいけないのに……! それなのに………
「くそっ……!」
両手の〈光線剣〉が、先ほどよりも激しく明滅している。
単純なイメージを維持するだけの集中力さえ途切れてきたのだ。
だから攻撃が単調になって、相手に簡単に対処されるのだ。
……それが分かっているのに、冷静さを取り戻せない。
だってアイツは、バルムンクさんを殺した。
こんなデスゲームに乗って、人を殺したんだ。
許せない。許しちゃいけない。許せるわけがない。
だからアイツを、倒さなくちゃいけない、のに……!
「くそぉ………ッ!」
必殺技ゲージも、もうなくなる。
高速の〈エアリアルコンボ〉も、相手にダメージを与えられなければ持続できない。
……勝てない。どんなに頑張っても、たった一人では、フォルテには勝てない。
「レーザー………ラァァ―――ンスッッ!!!」
シルバー・クロウは右腕を肩の上で引き絞り、銀色の閃光を伴って突き出す。
残った気力を込めた心意の槍が、フォルテへと向けて放たれる。
その、全身全霊の最期の一撃は、
「これで―――、終わりだッ!」
数秒の拮抗の後に、フォルテの振るった大鎌に打ち消された。
フォルテはすぐさま自分へと迫り来て、その右手に握る凶刃を振り上げる。
目前に迫る死を刻む影。それを退ける力はもう、シルバー・クロウには残されていなかった。
“……すみません、バルムンクさん。あなたの仇を、取れませんでした。
……ごめんなさい、黒雪姫先輩。僕はここで、死ぬみたいです”
シルバー・クロウの脳裏を、そんな諦めの言葉が占めていく。
目前に迫った死に、心が理不尽な敗北を受け入れていく。
金属が冷えて固まる様に、肩だが重く、冷たくなっていく。
―――それを押し留める様に、シルバー・クロウの耳に一つの声が届いた。
「コードキャスト、〈vanish_add(b)〉―――!」
それは何かのスキル名なのか、その声の直後、フォルテの体をモザイク状のエフェクトが覆った。
そのエフェクトが何を意味するのか理解するよりも速く、心よりも先に体の方が行動した。
咄嗟に今にも消えそうな左手の〈光線剣〉を盾にして、右手で左腕を支えて大鎌の一撃を受け止める。
――――同時に地上から飛んできた人影が、オーラで守られているはずのフォルテを切り裂いた。
「な―――!」
「に……ッ!」
予想外の攻撃を受けたフォルテが、これまでにない隙を晒す。
見れば、フォルテの体を覆っていた黄色いオーラは、きれいさっぱり姿を消していた。
………理由を考えている時間はない。即座に残された最後の必殺技ゲージを消費して、渾身の回し蹴りを放つ。
果たしてその一撃は――フォルテの胴体を、確かな手応え、いや足応えとともに蹴り穿った。
「グ………ッ!」
フォルテの体が蹴り飛ばされる。
同時に必殺技ゲージが、再び一割ほどチャージされる。
即座にフォルテから距離を取って滞空し、謎のスキルを放った人影を見上げる。
そいつは、あまりにも見覚えのある剣士だった。
髪は逆立ち、耳は尖り、衣服の意匠も変わっている。
何より違うのは、その背中から黒い翅が生えている事だろう。
だがその手に握られた剣と、その漆黒の双眸だけは見間違えようがない。
「キリト……お前、その姿は……」
「ALOアバター、って言えば分かるか?」
「あ」
理解した。
デスゲームの開始時に、自分が学内アバターからデュエルアバターに設定を変更したように、キリトも複数のアバターを持っていた、という事だろう。
それがその姿の理由。彼は二刀流の剣士キリトから、黒い翅をもつ妖精の剣士キリトへと変わったのだ。
……だがもう一つの疑問。フォルテのオーラを消したスキルについては、まだ解明されていない。
その疑問を、フォルテが怒りと共に問い掛けた。
「人間……キサマ、一体何をした」
「消した。あんたを守ってたバリアは、これでもう無意味だ。
……ついでに言うとな。このスキルを持つアイテムは、レンさんが持っていたものだ」
そう答えたキリトの腰には、鋲の沢山ついたベルトが巻かれていた。
それが【小悪魔のベルト】という名の、レンの残したアイテムの一つだった。
――コードキャスト〈vanish_add(b)〉。
それが【小悪魔のベルト】を装備する事で使用できる、相手に掛かっているバフをランダムに一つ解除する効果のスキルだ。
キリトはこのスキルによって、フォルテのオーラを消し去ったのだ。
更にこのベルトには、装備したプレイヤーのMPを上昇させる効果もあり、たとえMPの概念のないアバターでも、問題なくスキルを使用できるという訳だ。
加えてベルトを装備しアバターをALOのものに変えた瞬間から、自分が元々装備していた防具のアビリティが発揮されていることも、キリトは実感していた。
キリトの装備していた防具の名は、【蒸気式征闘衣】。この防具は〈SPイーター〉と〈第七感〉の、二つのアビリティを持つ。
〈SPイーター〉はSPを消費する代わりに全パラメータをアップさせ、〈第七感〉はそれにより消費されたSPを回復させる。
つまり消費と回復の均衡がとれた、ノーリスクで攻撃力防御力共に上昇させる効果を持つ防具だ。
ついでに言えば、アビリティがSPではなくMPを消費して発揮されていることから、どうやらこのデスゲームではSPとMPには互換性があるらしい。
「チッ、あのAIか。完全に消し飛ばしておくべきだったな」
「ッ………………!」
フォルテのその言葉に、シルバー・クロウは自分が間に合っていなかった事を悟った。
だが、今は後悔に塞ぎ込んでいる場合じゃない。戦いはまだ続いている。ここで戦意を喪失すれば、次に死ぬのは自分とキリトだ。
それが罰だというのなら、自分だけが殺されるのはいい。だがキリトが殺される事を、認める事は出来ないと、自分を奮起させる。
「なあ、シルバー・クロウ」
そんなシルバー・クロウへと、キリトが声を掛ける。
「あんた、銃は使えるか?」
そう言ってキリトが取り出したのは、二つのアイテム。内訳は、銃と鎧。
それを見たシルバー・クロウは、自身を持ってこう答えた。
「FPSなら得意分野だ」
「ならこいつを使え。今ならフォルテにも通用するだろうし、あんたの方が俺より使いこなせるはずだ」
手渡されたそれらのアイテムを、迷うことなくストレージに移し、装備する。
一度シルバー・クロウと対戦したキリトは、ブレインバーストの対戦仕様を知っている。
そのキリトが、シルバー・クロウの方が使いこなせるといったアイテムだ。疑問を懐く必要はない。
システムアシストに従い、両手を後ろ手に構えてその武器――【DG-Y】を取り出す。
具現化した二丁一対の拳銃には、銃身にやや大振りな半月状の刃が備えられていた。
だが動きを阻害するほどではない。これならば十分、近接格闘も可能だろう。
「――話は終ったか?」
こちらの準備が整った事を見て取り、フォルテがそう訊いて来る。
アイツから攻撃してこなかったのは、キリトが警戒していた為か。
「悪いな、待ってもらって」
「ふん」
その言葉にキリトは、特に気負いしていない口調で応じる。
フォルテはそれを鼻で笑うが、その表情に今までの様な余裕は見えない。
分かっているのだろう。ここから先の戦いは、アイツにとっても命を賭けた戦いである事に。
フォルテの優位を支えていたオーラは無効化された。
こっちはお互いに大きく消耗しているとはいえ、二人掛かり。
アイツの攻撃力なら一撃まともに食らっただけでやられる可能性はあるが、それでも十分勝機はある。
「、は――――――」
そこまで考えて、自分の単純さに笑ってしまった。
ほんの一瞬前までほとんど完全に諦めてたくせに、たった一つ勝機が、共に闘う仲間が出来ただけでもう立ち直っている。
けど、その単純さが、今はこの上なく心地いい。
まだ動ける。まだ戦える。まだやれる。そのことが、ただひたすらに楽しい。
「行くぜ、シルバー・クロウ。タッグデュエルだ」
キリトが黒い翅を広げ、フォルテへと向け剣を構える。
残りHPは五割を切っている。全身を襲う疲労も、そろそろ限界だ。
武器は魔剣が一振りだけ。あのフォルテとやり合うには少々心許ない。しかし―――
「いいぜ、キリト。お前となら、どこまでだってやれる気がする」
シルバー・クロウもそれに応じて、より大きく金属フィンを展開する。
残り一割の必殺技ゲージを惜しげもなく消費し、銀翼を激しく振動させる。
最初から全力。ほんの僅かにでも出し渋れば、フォルテには敵わない。けれど―――
この黒の剣士と一緒なら、
この白銀の鴉と一緒なら、
どんなラスボス相手だって、負ける気がしない―――!
「………………」
そんな二人を見て、フォルテは一層苛立ちをつのらせる。
友情。信頼。絆。かつて得られず、そして自ら切り捨てたモノ。それを力に、あの二人は挑んでくる。
………ならばその力を、胸に燃え盛る復讐の炎で焼き尽くしてやろう。
今までの様な遊びはない。強者二人の連携の強さは垣間見たばかりだ。
そしてあの二人を相手に油断すれば、逆に己が倒されるとも理解している。
故にここで、確実に破壊する。そしてその力を喰らい、さらなる“強さ”の高みへと至る!
「「勝負だ、フォルテ!」」
キリトとシルバー・クロウが揃って叫ぶ。
飛翔も同時。二人は並んで、フォルテへと突進する。
「来い……!」
対するフォルテは黒翼を広げ、待ち構えるように大鎌を振り上げる。
そうしてついに、黒の剣士と白銀の鴉の二人と、黒き死神との戦いは佳境を迎えた。
最終更新:2014年01月12日 11:30