ゆっくりと目蓋を開けると、見覚えのある黒い空白が視界を覆ってきた。
焦点の定まらない目でそれを眺めていると、不意に俺はハッとして飛び起きた。
急いでウィンドウを開く。メニュー画面が示す時刻――04:33というのを確認した後、俺は思わず息を吐いた。
「一時間強ってところか……」
ぼそりと呟く。眠ってしまっていた時間のことだ。
俺はうすぼんやりした頭を強引に覚醒させ、記憶を思い起こす。
俺は今VRバトルロワイアルというデスゲームの只中にある。ここに囚われた俺の開始地点はここウラインターネット、そこでレンさんと出会い、ネットスラムを目指した。
フォルテと遭遇し、途中でまさかの再会を果たしたシルバー・クロウの助力もあり、何とかこれを撃退。そしてその最中――
「あ、起きましたか?」
飛び起きた俺に声が掛けられた。
振り向けばそこにはエリアの闇の中に在って尚照り光る純銀のアバター――シルバー・クロウが居た。
彼の言葉に俺は頷き返し、そして周りを見た。視界の端に引っかかるようにネットスラムの光が見える。
大体の目算に強めに掛けられた遠近エフェクトを加味して、今自分たちが居る場を予想する。恐らくここはネットスラムからそう離れていない位置だ。
「すいません、気絶していたキリトさんを無理に動かすのも問題かと思いまして……」
俺の視線をどう受け取ったのか、シルバー・クロウが何故か弁明にするように言った。
「いや、いい。謝るのはこっちの方だ。随分時間を食わせてしまったな」
あの戦いの後、自分は気を失ってしまった。
その後シルバー・クロウがここまで連れてきてくれたのだろうが、自分をかついで動くのは負担だっただろう。
加えて彼は寝ている自分を一時間以上守ってくれたのだ。彼自身も疲れているだろうに。
「まだ休んだ方がいいなら、それでも……」
「俺なら大丈夫だ。それより、ちょっと急いだ方がいいかもな」
俺は伸びをしながら、すぐにでも移動できることをアピールする。
実際、少しばかり時間を掛け過ぎた。榊の言葉が真実ならば、最初のタイムリミットは一日目終了時……脱出の為に掛けられる時間に余裕はない。
それをこうして浪費してしまったことは痛い。その間俺は何もできてはいないのだから。
「分かりました。じゃあ先ず……ショップとか、ですか?」
その旨を告げると、シルバー・クロウはおずおずと提案してきた。
俺が眠っていた間にも彼は今後の方針について考えていたようで、彼の案は先ず近くのショップに行き、その後知った場所である梅郷中学校に行く、というものだった。
「本当はそこでキリトさんを休ませようとしたんですけど……どうも地図の見た目ほど近い位置にはないみたいで」
このウラインターネットは迷宮のような、それこそゲームのダンジョンのような構造している。
俺がネットスラムを探すのに手間取ったように、直線距離は大したことなくとも、実際に行くとなると予想以上に時間が掛かることもある。
それでもシルバー・クロウならば飛行スキルを使って多くの道をショートカットできただろうが、それはあまりにも目立ちすぎる。
安全に休める場所を探すのにそのような手段を使っては本末転倒だ。故にシルバー・クロウはショップの探索を見送り、一先ずここで俺を休ませてくれていたらしい。
「ショップか。そうだな、ちょっと見ておきたい場所ではある」
エリアのあちこちに配置された施設だ。
どのようなものなのか、ゲーム全体の把握と言う点でも一度寄っておいた方がいい場所だろう。
俺はシルバー・クロウの提案に同意し、ショップ探索に乗り出すことにした。
ALOアバターによる飛行でエリアを一気に横断してしまうというのも考えたが、その結果ゲームに乗り気な連中に見つかってしまっては面倒なことになる。
故に今まで通りマッピングを交えて歩いていくことにした。
俺もそうだが、シルバー・クロウもこの手の作業には慣れたもので、動き出してからはスムーズに行動することができた。
二十分足らずでショップに繋がるポータルを見つけ出し、俺とシルバー・クロウは目的地に着いていた。
「確かにちょっと面倒な場所だったな」
ショップ自体はエリアの中でも独立したパネルの上にあり、ポータルを通してではないとこれないような構造になっていた。
直接地図上の位置を目指しても無駄という訳だ。何ともいやらしい。
しかしまぁ落ち着いてエリア探索をすることができれば、見つけにくいという訳でもない。
俺やシルバー・クロウのようなゲーマーならば尚のことだ。
そうして辿り着いたショップだが、しかしそこで俺たちは何もすることがなかった。
「まぁ、予想してしかるべき事態ではあったな」
「そうですね……」
理由は簡単だ。金がない。
ショップというだけあって、そこでは売人(面相の悪いロボット型のアバター)が幾つかアイテムを売っている場所だった。
しかし俺もシルバー・クロウも、このゲーム内での通貨というものを持っていない。そもそもどうやって稼ぐのかも分からない。
これが普通のRPGならばモンスターを倒せば勝手に溜まっていくのだろうが、このVRバトルロワイアルに雑魚モンスターというのは配置されていないようだった。
「考えられるとしたらアリーナか……それかPKボーナスってとこか」
その辺りのことは現状GMからのアナウンスを待つしかない。
とにかく今の自分たちではショップで何もすることができない、という訳だ。
俺たちは売人から「ヒヤかしはカエりな」と罵られつつ、ショップを後にすることとなった。
しかし全く無駄足という訳でもない。
売られているアイテム一覧にはシルバー・クロウの持っていた「バトルチップ」を始めとして中々興味深いものがあり、その説明を見るだけでも情報収集にはなった。
その手の情報が手に入ったことも、今後何かしら得になるだろう。
「……で、次の行先だが」
ショップを後にした後、俺は口を開いた。
「梅郷中学校に行くのは構わないが、その前にファンタジーエリアに行かないか?
一番大きく、そして中央にあるエリア。恐らくここが一番人も多い」
歩きながら考えていたプランを俺はシルバー・クロウに提示する。
シルバー・クロウは梅郷中学校に行く、と言っていたが、どうやら彼自身も特に当てがある訳でもないらしく、ただ知った場所であるから、という訳だそうだ。
確かに何時かは行かなくてはならない場所ではあるだろうが、しかし急務と言うことではない。
ならば人と情報の集まりそうなファンタジーエリアを経由するというのも悪くない筈だ。
それにファンタジーエリアへの転移門のあるB-9を探索すれば、ウラインターネットのほぼ全域をマッピングしたことになる。
今後またここに来ることがあっても、その情報は非常に有益だろう。
「成程、それもそうですね」
言われたシルバー・クロウは頷き、俺のプランを承諾した。
そうして次の目的地が定まると、俺たちは再び移動することになった。
先と同じくマッピングしながら進む。警戒しつつも、今度はところどころ飛行も交えてみたが、他の参加者と出会うこともなかった。
その途中、俺も幾らか戦いの熱が引いてきた。
思えばこれまでの道中、俺たちは意図的にある部分に触れてこなかったように思う。
不思議なほどに互いに何も聞かなかったし、言わなかった。問題を先送りにしていたといっても。
だがしかし、死闘の後の興奮も、残り時間に焦る思いも消え去った時、代わりに――今まで目を背けていた喪失感が来た。
「…………っ!」
今思い出しても胸の奥に悔恨の念が走る。
レンさん。フォルテとの戦い、その最中で落とした少女。
目の前で彼女が消えゆくさまを為すすべもなく見ていることしかできなかった。
その正体がAIであることなど、何の意味も持たない。自分の隣に居た少女が死んだ。
ただそれだけが現実だ。
「あの……キリト、さん」
弱々しく呼びかけられた声に、俺ははっと振り返る。
「ちょっと言う機会逃してましたけど……やっぱり言います。
その、ごめんさない。アイツ、フォルテとの戦いに間に合わなくて」
シルバー・クロウはそう言って頭を下げた。
「アイツがAI……と言っていた。それってキリトさんの同行者のことなんでしょう?
僕が、僕が……もう少し速ければ――」
「違う」
俺は顔を抑えて言った。
そして尚も平謝りするシルバー・クロウに言う。それは違うんだ、と。
「あれは……お前のせいじゃないんだ。あの場で、あの人を……レンさんを助けることができたとすれば、それは俺だった」
「でも……」
「お前の気持ちは分かる。でも、それは違う。全部が全部自分の責任だと考えるのは、駄目だ」
シルバー・クロウはただ俺を助けただけだ。それを褒めこそすれ誰も責めはしない。
にも関わらず、謝ろうとするその姿に、かつての俺が重なる。
あの時――あのアインクラッド最初のクリスマスの時の俺と同じだ。
今ならクラインの言葉が分かる。全て背負おうとしても駄目なのだ。
「……そう、ですか」
俺の言葉にシルバー・クロウは弱々しく答え、俺たちは再び移動を開始した。
心なしかそのペースは下がっている。道中に会話もない。俺が何か言うべきだったのだろうが、しかし何も言えなかった。
シルバー・クロウ。俺を守ってくれていた彼だが、やはりこの状況に堪えているのだろう。
話によれば彼はあのフォルテとこの短い間に連戦したという。しかも彼もまた俺と同様同行者を失っている。
勇ましく戦っていた頃は怒りに任せ忘れることができても、戦いの熱が引いた後になってその事実を噛みしめ再度愕然とする。
何度も見た光景だった。他でもないあの浮遊城アインクラッドで。
「…………」
あの城のことを思い出し、俺の胸に苦いものが溢れてくる。
あるいはあの頃の自分ならもっと機敏に動けたかもしれない。そんなことを考えてしまったからだ。
確かに仮に当時の俺がこの場に居たのなら、レンの死をより早く乗り越えることができただろう。
死というものにある種慣れを感じていた。そうでなくては死んでいた。そんな時期の俺だったならば間を置かず迅速な行動が取れた筈だ。
しかしそれはただ麻痺しているだけだ。死というものに麻痺していた。
当時のアインクラッドの現実ではそれが正しかったのだろうが、俺が帰ってきたあの現実ではそれは間違いだ。
少なくとも俺はそう思う。だからレンの死に即座に割り切るということができなかったのだ。
「着いたな」
不意に見えてきた明かりに、俺はぼそりと呟いた。
その明かりは地面に埋め込まれた薄紅色の円球が光源になっていた。
B-10でも似たようなものを見た。転移門――エリアとエリアを繋ぐポータルだ。
俺とシルバー・クロウは互いに目を合わせ、よしと頷いた。
マッピングが正しければ、このポータルはB-9の、ファンタジーエリアへ繋がるものの筈だ。
「シルバー・クロウ。少しここで休んだらどうだ?」
「え?」
「俺は十分休んだけど、その間お前はずっと辺りを警戒していたんだろう?
なら今度はお前の番だ。俺が見張りをやるからさ」
「でも……僕なら大丈夫ですよ。時間もないですし」
俺は開いたウィンドウの時刻をちら、と見る。5:31。
「時間がないって言っても焦っても何ができるって訳じゃないしさ。大丈夫だ」
そう言って俺はニッ、と歯を見せ笑う。
シルバー・クロウは迷っていたようだが、やはり疲れていたのか、俺の言葉を承諾し、腰を落ち着けた。
それでいい、と俺は胸中で彼に言う。休めば、少し頭が冷える。俺のように。
見張り役として俺は辺りを窺った。
このポータルまで至る道は一本しかなくレッドプレイヤーの存在の察知も容易だ。
割合警戒もしやすいといえるだろう。これならあまり集中力を使わなくても済みそうだ。
「……あの、キリトさん」
そうして休憩時間を取っていると、不意にシルバー・クロウが口を開いた。
「ちょっと聞いてもいいですか? 貴方のこと、貴方自身のこと……」
その言葉に俺は意を決して頷いた。
そのことか。今まで互いに気にはなっていた筈だ。目前の危機や焦りもあり保留にしていたが、二人ともこうして落ち着いた今なら話すべきなのかもしれない。
「ああ、俺も聞きたい、シルバー・クロウ」
シルバー・クロウがごくり、と息を呑んだ。
そうして俺たちは語り合っていく。自分自身について、自分がどのような人間であるかについて。
その結果浮かび上がってきたのは、あまりにも突飛な現象だった。
――時間移動。
俺とシルバー・クロウの話を総合した結果、そんな現象が起こっていることが分かってきたのだ。
眉唾だよなぁ、と俺は胸中でぼやく。
かつて比嘉タケル氏が話していた『第四世代型フルダイヴ実験機』に関するオカルトを思い出す。
量子コンピュータには平行世界に同期する可能性があり、結果として他の時間流やパラレルワールドに存在するコンピュータに干渉してしまう……というような話だった筈だ。
俺も最初に聞いたときはそのあまりの現実味のなさに一笑に付したことを覚えている。
正直今でも信じるに値するとは思えない話だが、しかし俺は既に「そうでなくては説明できないこと」を見てしまっている。というか目の前に居る。
俺はシルバー・クロウを見た。
この純銀のアバターは間違いなく、あの「シルバー・クロウ」だ。
比嘉タケルの実験に付き合った結果として一度デュエルし、そして何の因果かこうして再び巡り合い、共に戦うことになったプレイヤー。
他人に話しても「ありえない」としか言われなかった存在だった彼だが、しかしこうして確かに存在している以上、その存在を疑うことはできない。
そしてシルバー・クロウの話によれば、彼は何とA.D.2046年の人間であると言う。俺から見て二十年後の人間だ。
まさか、と思った俺は色々な質問をぶつけたが、その受け答えに嘘があるようには見えず、少なくともシルバー・クロウがそう思っていることは事実だった。
二十年後の人間とデュエルし、あまつさえ共にデスゲームに叩き込まれるようになるとは。時間移動なるものをまさか自分が経験するとは思わなかった。
その事実に俺は驚愕するというよりは困惑し、またシルバー・クロウも同じような心境だったようで、とりあえずこの件に関しては保留、ということにしたのだ。
事態を把握するにはあまりに手に余るように思えた。量子、平行世界、時間流、興味があるといえばある単語群であったが、その手の研究者でもない俺では精々怪しげな仮説を打ち立てる程度が限界だろう。
とはいえ、全く考えない訳にはいかない。というかどうしても考えが行ってしまう。
時間移動や平行世界といった分野について持てる限りの理論を思い返して見る。アインシュタインの相対性理論であったり、ライプニッツの可能世界論であったり、しかし齧った程度の知識でまともな推論を組める訳もなく、やはり途中で思考を放り投げることになった。
が、その最中に俺は一つの現実的な仮説を思い付くに至った。割と説得力があり、そしてあまり信じたくない類の。
フラクトライト。
ここ最近、俺がアルバイトをしていた「ラース」という企業で聞かされた話だ。
旧来のVRマシンとは一線を画する理論に裏打ちされる、新たなVRマシン。
何度か体験したあの世界は、それこそ現実と寸分たがわない、もう一つの現実を形成していた。
あの技術がこのデスゲームに使われている可能性は十分にあるが、しかし俺が考えたのはまた別のことだ。
フラクトライトとは人がどう思考するかを決定づける光子の集合体であり、ざっくばらんにいえば「魂かもしれないもの」だ。
それをデジタルデータで表現する技術を俺は身を以て知っている。
そしてデータである以上、コピーすることができるのだ。コピーしておいたデータを保存しておくことも勿論できる。
ならばここに居る『キリト』はその保存してあったフラクトライトから再生されたものであるという考えはできないだろうか。
このデスゲームの「外」は実はA.D.2046か、それより先の未来であり、もしかして俺もシルバー・クロウも時間を置いて再生されたデータ上の存在でしかない可能性。
その場合このデスゲームはAI同士を殺し合わせる悪趣味な催しということになる。
反吐が出る発想ではあるが、しかし時間移動や平行世界といった可能性よりはずっとあり得そうでもあった。
「……何にせよ、変わらないか」
俺はそこで思考を中断し、厭な考えを振り払った。
シルバー・クロウとの出会いが本当に時間移動によるものなのか、はたまた共にデータベース上の存在でしかないが故のことだとしても、俺は間違いなく生きているし、今ここにある世界は現実だ。
ならば俺がこのゲームに乗ることなく脱出することに変りはない。
今はそれだけ分かっていればいい筈だ。
ふとそこでヒースクリフ――茅場晶彦のことが脳裏を過った。
紛れもない天才研究者である彼がこの場に居たら、どのような考えを示すのだろうか。
そんなことを、考えてしまった。
◇
休憩の終わりを告げたのは、一通のメールの着信だった。
時刻にして6:00。俺、そしてシルバー・クロウは突如開かれたウィンドウに弾けるように反応した。
GMからのメール、俺は背中に冷たい汗が走るのを感じつつもメールを開いた。
そしてそこに記された情報を読み取った後、
「――脱落者」
そう、声が漏れた。
ウィンドウを見上げる。外から見れば何もない虚空を、しかし俺には見えるその情報の羅列を俺はただ呆然と見ていた。
【クライン】【リーファ】【レン】。
自分の知る三つの名が、そこにはあった。
その名をなぞるように指を這わせ、そして何かを言おうとしたが、しかし結局喉奥から何も言葉が出て来ることはなかった。代わりに溜息とも笑いとも付かない奇妙な吐息が絞り出た。
メールの着信音の他に音はなかった。静寂だ。元よりこのエリアは静かなのだ。
自分以外の全てがずっと遠くに行ってしまったかのような感覚に囚われる。そんな中、胸奥に走る熱がずっと強く感じられた。
しばらく何もせずにウィンドウを放置していると、ウィンドウが勝手に閉じた。そうして虚空は本当の意味で虚空となった。
「……あ、あの」
声が聞こえた。
シルバー・クロウだ。彼は言葉を選ぶような間を置いた後、婉曲な言い回しで事情を尋ねてきた。
誰か知った名があったのか、と。
「……ああ、三つあった。一つはレンさん、あとは……」
俺は顔を俯かせ目を合わすことなく答えた。シルバー・クロウはそれ以上何も言わなかった。
たまたま名前が一致しただけだ。静寂の中で、ふとそんな考えが脳裏を過る。
羅列されたのはアバター名だけだ。それが俺の知る彼らであるという保証はどこにもない。
だからまだ分からない。本当に彼らが彼らなのか。
立ち尽くす俺がひねり出したそんな可能性を打ち消したのは、もう一人のどこか冷めた俺で、仮に一つだけならばまだその可能性もあるかもしれないが、二つとも無関係、というのは先ずないだろう、とその俺は囁いたのだ。
加えて俺はこのデスゲームがある程度知り合いが集めれていると予想していた。
それは開幕の場で似たようなアバターを持つ参加者が多く確認できたことに加え、レンにとってのジロー、俺にとってシルバー・クロウといった既知の存在が確認できたことから恐らく正しい。
ならば、やはりこの名前は自分の知る彼らなのだろう。
【クライン】はSAOログイン以来の付き合いであった壺井遼太郎であり、【リーファ】は他でもない妹、桐ケ谷直葉である。
そうでない可能性も無論あるが、しかし覚悟はしておくべきだ。
では本当に俺は彼らを失ったのか――
未だ実感が湧かない。当たり前だ。この前まで普通に会って笑って、共にゲームをしていた彼らが、こんな、こんなにもあっさりと死ぬなど。
アインクラッドに囚われていた頃の俺ならば、すぐに事実と受け入れていたのだろうか。
この喪失を。
「行けるか?」
どれだけの時間が経っただろうか。長い沈黙を経て俺は視線を上げた。
その先にはポータル――ファンタジーエリアへの入り口がある。それに近づきつつ、俺はシルバー・クロウを促した。
「……キリトさん」
「シルバー・クロウ。そろそろ移動しても大丈夫か?」
「僕は大丈夫ですけど……でも、」
俺は半ば強引に笑みを浮かべ「大丈夫だ」と再び言った。
無論、それは本心からではない。死を割り切ることなどできはしなかったし、する気もなかった。
しかし立ち止まる訳にいかない。それもまた事実だった。
幾ら悔いても死を取り戻すことはできない。
そのことは、あのアインクラッドで思い知った筈だ。
だから歩かなくてはならないのだ。
死を受け止め、途中で倒れそうになっても、前へ進む。
そうでなくては散った者たちの死に意味が――いや、これはただの感傷か、俺は無理矢理に死に意味を見出そうとしている。
しかしそうでなくては俺が今まで見てきた死者たちが――
「なら、行こう」
纏まらない思考を振り払うように俺は言う。
とにかく死はもう取り返すことができない。レンも、クラインも、リーファも、決して。
ならば進むしかない。それだけは確かな筈だ。
「あの……」
俺の様子を見かねてか、シルバー・クロウが口を開いた。
「僕には正直、今のキリトさんの気持ちは分からないと思います。
だから、何も言えません。言ってもたぶん薄っぺらいことにしかなないでしょうし……」
でも、と力強く言って彼は俺をまっすぐと見据えた。
「せめて僕を信じてください。頼りならないかもれないけど、精一杯頑張りますから、何かやるべきことがあれば僕に言って下さい」
シルバー・クロウの言葉には不器用な優しさが滲んでいて、そのせめてもの礼として俺は笑ってみせた。
同時に、隣に居てくれてたのが、彼のような人間であったことに感謝する。
付き合いは短い。しかし既に俺とシルバー・クロウの間には奇妙なシンパシーが存在しているようだった。
「ああ、分かった。よろしく頼むぜ、シルバー・クロウ。俺がヤバイ時は助けてくれ」
「はい……、キリトさん。その、僕でよければ」
「丁寧語止めないか? さっきの戦いの時みたいにキリトって呼んでくれた方が良い」
「あ、え、でもキリトさんの方が年上ですし」
「ネットゲームでそんなん関係ないって。ほら、行こうぜ、クロウ」
「え、えーと、分かった、キリト」
そうして俺はシルバー・クロウと共にポータルを潜った。
正直まだ考えは纏まらない。しかし、シルバー・クロウと一緒ならば歩ける筈だ。
そう思い、俺はファンタジーエリアへ跳んだ。
その先に待つものが何であるのか、全く知らないままに。
◇
思えば、この時の俺はやはり混乱していたのだろう。
もう少し頭が回っていれば、自分の思考の矛盾に気づくことができたというのに。
死は決して取り戻せない。そう考えておきながら、時間移動という形でシルバー・クロウの存在を許容した。
明らかに矛盾している。いや、二つの考え自体は共に正しい。ただ正しいが故に、もう少し先まで考えることができていたら、と思わざるを得ない。
何故ならこの先に待っていたものは――
最終更新:2013年10月18日 18:53