「キリト……!」
声を上げて近づいてきたのは、彼女だった。
彼女は安堵の感情を顔に浮かべ無防備にもこちらに突っ込んでくる。
広々とした草原ではその姿が遠くからでもはっきり見えた。先のエリアと打って変わって解放感のある空の下、俺と彼女は出会ったのだ。
その時、俺は覚えた感情は果たして何と呼ぶのが正しかっただろうか。
分からない。
先のメールのときだって、呆然とする俺の中にもひどく冷めた俺が居たと言うのに。
今の俺は完全に思考を拒否してしまっていた。
そう、拒否感だ。
敢えて名を付けるのならば、恐らくそれが正しい。
「キリト!」
俺がそんな目眩のような感覚に囚われているのを余所に、彼女は勢いよく駆け寄ってきた。
途中息が上がりそうになりながらも、その顔に浮かぶ安堵の笑みは――懐かしい、記憶にあるそれだ。
「良かった……会えて」
俺の下までやってきた彼女は息を整えた後、手を取り俺を見上げた。
黒い髪が揺れ、潤んだ瞳が陽の光を反射して煌めく。手と手で触れ合った瞬間、暖かい感触が溶け込むように広がっていった。
そのどれもが記憶にしまい込んだ筈の彼女そのもので、俺は思わずうめき声を漏らしていた。
「……キリト?」
俺の様子に気付いたのか、彼女は怪訝な様子でそう問いかけてきた。
俺はしばらくなにも言えず、凍るような沈黙を経ても、
「――サチ」
そう、彼女の名を呼ぶのが限界だった。
震えてはいなかったと思う。
声というよりは、吐息のような、消え入りそうな呼びかけで、俺は彼女をサチと認めたのだ。
サチ。
かつてアインクラッドで一度はギルドを共にし、親しくし、そして俺が喪った人。
ギルド『月夜の黒猫団』の隆盛と壊滅、そしてその後の一縷の望みを掛けたクリスマスのイベントまで含めて、俺の中で決して癒えない傷となった。
二度と戻らない筈だった。だからこれはあり得ない。しかしそのあり得ないことが、こうして現実となっている。
呼びかけに含まれた複雑な思いを理解した訳ではないだろう。
しかし、サチは何かを察し、俺から手を離した。そしておずおずと後ずさりしていく。
結果数歩の距離が、俺とサチの間にはできていた。
再び静寂が訪れた。
俺も、サチも、そして隣で事情を把握できずにいるシルバー・クロウも、皆何も言うことができなかった。
「やあ」
それを破ったのは、一人の男性の声だった。
「こうも上手く会えるとはな。運がいい。サチから話は聞いていたよ」
その男は腕に巻きついた異様な拘束具を引きずり、悠然と俺たちの下にやってきた。
青い髪をした長身の男性アバター。サングラス越しに見せた視線は穏やかなものであったが、しかし突き離すような冷たさも同時に湛えている。
彼は俺と対峙するサチに寄り添うように立ち、
「本当に会えて良かったよ――キリト」
そう告げて、俺に手を差し伸べてきた。
俺は彼のことを知らない。
しかし、直観的に似ている、と思っていた。
かつての強大な壁であり、そして俺に世界の種を託し去っていた、あの男に。
◇
オーヴァン。
そうその男は名乗った。
「本当に運が良かった。もう少し遅ければすれ違っていただろうからね」
そう言ってオーヴァンは微笑む。確かにその言葉通りだった。
ファンタジーエリアにやってきた俺とシルバー・クロウは日本エリアを目指し西進していた訳だが、話によれば彼らは今まで遺跡を探索していたらしい。
一通り探索を終えた後、次なる目的地としてここから少し南に位置する大聖堂を目指していたという。
となると、少しでもタイミングがズレていれば二つのパーティがこうして相対することはなかったことになる。
だから恐らく幸運なのだろう。これは。
「オーヴァンさんは大聖堂を知っているんですか?」
「ああ、ちょっと大聖堂という場所に心当たりがあってね。もしかして知っているところじゃないか、そう思った訳だよ。
仮にそうなら是非とも調べてみたい場所でもあるんだ」
シルバー・クロウとオーヴァンが言葉を交わしている。
先の接触を経て、俺たちと彼らは共に行くことにしていた。
当然だがサチも、そしてその同行者であったオーヴァンもまたデスゲームに乗る気はないらしい。
ならば同行を拒否する意味はない。ましてや俺とサチは顔見知りであるのだから。
「そうなんですか。じゃあとりあえず聖堂に行って、それから日本エリアに、という感じですかね」
「そうしてくれると助かる。すまないね、君たちの予定を狂わせてしまって」
「い、いやいや、僕たちこそ一緒に来てくれて助かります。ね、ねぇキリト」
シルバー・クロウの言葉に俺は「ああ」と短く答えた。
もう少し何か言うべきだったのかもしれないが、今の俺にそんな余裕はなかった。
先程から喋っているのはシルバー・クロウとオーヴァンばかりだ。
シルバー・クロウが何とか会話を取り継ごうと話題を出し、それをオーヴァンがフォローするように答える。大体そんな流れだ。
そんなことになっているのは、言うまでもなく俺とサチのせいだろう。
「…………」
サチは出会って以来ずっと黙っている。オーヴァンの影に隠れ、不安そうに俺を見ている。
今しがたの再会で、俺の様子がおかしいことに気付いたのだろう。
それが彼女を不安にさせている。そんなことは言うまでもなく分かっていた。
しかし、俺は未だに何もサチに言えていない。
どんな言葉を掛ければいいのか、俺はどうするべきなのか、全く見えなかったからだ。
しばらくすると、ぎこちなかった会話も途切れた。各人何も言わず、ただ黙々と歩いている。
シルバー・クロウも話を続けることを断念したのか、少し肩を落とし後ろを歩いている。少し無理をさせてしまった。
そんな気まずい沈黙はどれほど続いただろうか。感覚としてそれほど長くなかったようにも思う。
「見えたな」
その沈黙を破ったのは、やはりオーヴァンだった。
見上げると、そこには巨大な橋の上に築かれた巨大な建築物があった。
その荘厳な造りはなるほど確かに大聖堂、と呼ぶに相応しい。
そしてネットスラムの時と同じく、その聖堂はふっと湧いたように感じられた。やはり遠近エフェクトが強まっているのだろうか。
「グリーマ・レーヴ大聖堂。やはり……」
隣りでオーヴァンがぼそりと呟いた。
グリーマ・レーヴ大聖堂。それがこの施設の名のようだ。
「ところで調査の方だが二手に別れるというのはどうだろうか」
大聖堂に近付き、橋の上までやってきたところでオーヴァンが不意にそう提案した。
その言葉は、まるで耳元で囁かれるようにすっと頭に入ってきた。
「聖堂の中と外、パーティを分割して調査する、という訳だ。恐らくそちらの方が効率が良いだろうな。
どうだろう? 外の調査はキリトとサチにお願いしたいのだがね」
言われた途端、俺は身を固くし、そして同時にサチが肩をビクリと上げたのが見えた。
◇
「さっきの提案ってやっぱり……」
「ああ、キリトとサチの間に会話の場を設けた方が良いと思ってね」
ハルユキはオーヴァンと共に大聖堂におずおずと足を踏み入れていた。
そうして訪れた施設を見渡してみる。
ステンドグラス越しに淡く滲む光、がらんと広がる天井、そして奥に佇む誰も居ない台座。
大聖堂、の名の通りそこは静謐で神聖な雰囲気が広がっていた。
(何ていうか、雰囲気あるなぁ)
如何にもRPGに出てきそうな「聖なる場所」だ。聖なる剣を抜いたり、死者を蘇生したりするような感じの。
ポリゴンのクオリティは正直加速世界のそれと比べると物足りないが、それでも写実的な美しさとはまた別の独特の雰囲気がある。
(それに……三十年前でこのグラフィックは凄いよな)
ハルユキはそう思った後で、ちょっと偉そうかな、と自分の考えに苦笑した。
まさか自分がこんな「未来人」的なことを考えることになるとは。
(時間移動って、やっぱり本当なんだよな。キリトだけでなく、オーヴァンさんも……)
これまでの接触で分かったことを、ハルユキは彼なりに脳内で纏めてみる。
キリト。彼はA.D.2026年からの人間らしかった。それもあの「ソードアート・オンライン事件」に深く関わった人間だと言う。
彼とはこのデスゲームに来る前、一度奇妙なデュエルをしたことがある。キリトが言うにはそれは量子コンピュータの偶然の作用かもしれないとのことだった。
平行世界とか、時間流とか、よく分からないので何ともいえない。しかしこうして直に会えてしまっているのだから、信じるしかないのかもしれない。
このエリアで出会ったサチという少女アバターは、キリトと旧知の仲らしい。らしいが、どうやら複雑な関係があるらしく、キリトもサチも様子がおかしかった。
そのことを尋ねるのは、ハルユキにはできなかった。軽々と触れてはいけないような気がしたのだ。
そしてオーヴァン。
彼はA.D.2017年の人間……らしかったが、しかしどうやら事はそう単純な訳でもないようだ。
(バルムンクさんも言っていたThe World……本当の意味で別の世界ってことか)
キリトの語る過去はハルユキにとっても違和感のないものだった。
無論知らないこともあったが、しかしそれは自分の無知と納得できるようなものばかりだった。
しかしオーヴァンの語った過去の話――プルート・キスやネットワーククライシスといったネット社会を揺るがすような事件を、ハルユキは全く知らなかったのだ。
キリトもそれは同様のようで、ここに到って事態は単純な時間移動という訳でないことが分かってきた。
自分を包む世界レベルの話。正直、ハルユキの理解を越えているような感じがある。
(……でも、こんなことは許しておけない。それは変わらない)
何をするかは分かっている。仲間を募ってこのデスゲームを打倒すること。それだけだ。
なら、迷うことはない筈だ。
その為にも、オーヴァンたちと出会えたのは本当に幸運だった。
二人だったパーティが、四人に増えた。この調子で仲間を増やしていくことができるのならば、ゲーム打倒も難しくないのかもしれない。
ハルユキはそんな希望を持っていた。
フォルテの戦いで、キリトの同行者――レンさんというらしい――を助けられなかった、ということへの負い目は正直未だにある。
今思い返しても胸が痛むし、キリトに申し訳ないと思ってしまう。
しかし、他でもない彼自身にその気持ちを否定され、そして短い間とはいえ一息吐けたことで幾分冷静になれていた。
つらい。が、しかし全てを背負い込んで前に進めなくのは、駄目だ。
(キリトとサチさんは上手く話を付けられるといいけど……)
共に戦う為にも、あの二人の間にあるわだかまりを解消して欲しい。
オーヴァンもそう思ったからこそ、こんな計らいをしたのだろう。
見たところキリトもサチも敵意がある訳ではない。寧ろ互いに好意を持っている。
そのあたりの機微は未だに上手く掴めないハルユキだが、それでもそれくらいは分かった。
ならば、話せば分かる筈だ。かつての親友との一件を思い出す。確執はあった。しかしそれを乗りこえ、自分たちは再び親友として絆を深めることができたのだ。
「なるほど……ここはこちらのThe Worldのものか。となると……」
オーヴァンの呟きに、ハルユキはハッとして顔を上げた。
ぼうっとしていたハルユキを尻目に、オーヴァンは大聖堂の奥で何かを調べている。
ただサボっている訳にも行かない。ハルユキは急いで彼の下へ走った。コツンコツン、と足音が広く響き渡る。
奥まで行くと、オーヴァンが誰も居ない台座をじっと見つめていた。
正確には、その台座に刻まれた奇妙な三筋の爪痕を。
「何ですか? これ」
その異様な様子にハルユキがそう疑問を呈すると、オーヴァンはゆっくりと振り向いて、
「爪痕(サイン)だよ」
「え?」
「この現象の名前だ。The Worldで幾つかのフィールドにあったグラフィック異常だ。
何なのかはよく分からない。しかし、これを名付けた人はこう思ったそうだ」
これは前兆だ、と。
オーヴァンはそう告げた。
ただならぬ様子にハルユキはごくん、と息を呑みそのサインとやらを見つめた。世界を抉り取ったようなその傷は、時節鈍く明滅しており不気味だった。
確かに何か、何か良くないことが起きそうな、そんな気にさせる爪痕だった。
「前兆……」
「そう前兆……まぁただのバグかもしれないがね。
――それよりシルバー・クロウ」
オーヴァンはそこでハルユキに問いかける。
「教えて欲しい。先ほど君が言っていたネットスラムの少女のことを。
彼女が花を残したのは本当かい? 彼岸花……リコリスの花を」
と。
◇
聖堂を周りを取り囲むようにぽっかりと空いた穴――オーヴァンによれば地底湖の名残らしい――を歩き回りながら、俺は一人煩悶した。
視界の隅ではサチがこちらを伺っているのが見える。共に意識している。しているのだが、会話はなかった。
オーヴァンの提案により、サチと共に聖堂の調査をすることになった俺たちだが、相変らず気まずい沈黙が二人の間には横たわっていた。
何とかして声を掛けようと思うのだが、言葉が出ない。
無論オーヴァンの意図は分かっている。調査だの何だのは所詮口実で、とにかく俺とサチが何かしら決着を付けることを期待してるのだろう。
とはいえ、俺は未だに答えを出せずにいる。
もう喪ってしまった筈の少女、死者であるサチと、今になってこうして遭い見えたことに。
「……キリト」
沈黙に耐えかねたように、サチが口を開いた。
その顔には不安が滲んでいる。そのことに胸が痛むが、同時にきっと俺も似たような顔をしている、そう思った。
「……何だ、サチ」
それでも俺は無理やり笑ってみせてそう答えた。
するとサチもぎこちない笑みを浮かべた。
だが二人の間には距離があった。数歩程度の、しかし決して触れ合えない程の距離を置いて、俺とサチは話している。
「会えて……良かったね。いきなりこんなことに巻き込まれて、本当、困っちゃったよ」
「ああ、そうだな。俺も本当、理解ができなかった」
「うん。まぁでも……アインクラッドに閉じ込められるようになった時も、こんな感じだったよね」
拙いながらも何とか会話を続けつつ、俺はある種確信した。
今ここに居るサチは、俺の記憶の中に居る、あのサチだと。
もしかしたら俺は期待していたのだろうか。実はこのサチは、あの時のアバターを使い彼女を騙る偽物であることを。
そしてもう一つ分かったことがある。
このサチは、まだ死を知らない。話の中から見える情報を総合すると、彼女にとっての黒猫団はまだ壊滅しておらず、俺もまたそのメンバーに入ったままだ。
そんな「時間」から連れてこられたのだろう。
シルバー・クロウの一件がなければとてもじゃないが、こんなにもすんなりと時間移動を連想できなかっただろう。
逆にいえば、彼と出会いその存在を認めた以上、このサチが俺の知るサチでないと否定する根拠はなくなった、ということになる。
そこまで俺は気付いた。
何で今更――、そんなことを考えている自分に。
「ねぇキリト」
不意にサチが改まって呼びかけてきた。
ぎこちない笑みを消し、不安に揺れる瞳で俺を見据え、
「どうしたの? 何か、変だよ。様子」
その問い掛けに俺は言葉を詰まらせた。
このサチにしてみれば、確かに俺の態度は変としか言いようがないだろう。
恐らく彼女の主観では「今」はアインクラッドに囚われて半年程度経ったところの筈だ。
だが俺の主観では「今」はA.D.2026年6月だ。およそ四年のズレがあることになる。
そのズレを俺はまだこうして認識できるが、サチは全く予想付いていないだろう。
これがリアルならまだ身体的特徴の差が現れているだろうが、今の俺の身体はSAOアバター――あの時と何ら変わっていないのだ。
だがそれは表面的な事柄だけだ。
俺はこの四年で色々なことを経験した。
その差が、ズレが、こうしてサチとの隔絶を生んでいる。
「……何でもない」
俺は苦しんだ末、そんな歯切れの悪い言葉を漏らした。
嘘だ。そんなことはサチも言うまでもなく分かっていただろう。
だが、彼女は何も言わなかった。ただ切なそうに顔を俯かせただけだ。
「ごめん」
俺は力なくそう謝った。サチは「ううん」と首を振るが、その様子がより俺の胸を痛めた。
本当は何もかも言うべきなのかもしれない。このまま彼女を苦しませるくらいなら、俺が今抱えている隔絶を全てぶちまけてしまった方が良い。
そう思いはするが、しかし俺は何も言えなかった。
俺が見た四年。彼女が見れなかった四年。そのことを告げれば、きっと俺自身が持たない。
ただでさえ仲間の死を告げられたところなのだ。正直、事は俺のキャパシティを当に越してしまっている。
本音を言えば全てを投げ出してしまいとさえ思った。
「サチ」
しかし、同時にそれだけは駄目だとも思う。
俺はこうして生きている。ならば、目の前に広がる現実を見ていくしかないのだ。
そう思ったからこそ言った。待ってくれ、と。
「少し時間が欲しい。少しでいいんだ。整理する時間が欲しい」
「…………」
「必ず、説明する。だから待っていて欲しんだ。俺が、その、答えを出すのに」
その言葉にサチは沈黙の末こくん、と頷いた。
きっとまだ納得は行っていないだろう。顔をみれば、未だに彼女が不安を抱えているのが分かる。
それでも今の俺にはこれが精一杯だった。
「……行こう。クロウたちと話したい」
「うん……そうだね」
再びぎこちない笑みを浮かべつつも、俺たちは聖堂――グリーマ・レーヴだったかに向かっていく。
「なぁところであのオーヴァンっての、どんな奴なんだ。何か謎めいた感じだったけど」
「オーヴァンさんは良い人だよ。最初に私を見つけて、それからレアなアイテムをトレードしてくれて……」
途中、何とか話題を探して会話を続ける。
可能な限り昔のように――思えばあの頃も俺は隠し事をしていたのか――と思っても不自然さは残った。
しかしそれでも何とかして笑い、他愛ないことも交えて話していく。
二人の間にはまだ距離があった。俺は何とかそれを埋めたい。
できる筈だ。今は駄目でも。時間を掛ければ、きっと。
そうして大聖堂の前までやってきた。
オーヴァンはここで何かを調べたいといっていたが、一体何があるのだろうか。
ふとそれを尋ねるのを忘れていたことに気付いた。いや、もしかしたら聞いたのかもしれないが、先程の道中はサチのことで頭が一杯で、ほとんど会話を聞いて居なかった。
まぁ改めて聞けばいいか。そう思っていた時、サチが聖堂の扉を開け放った。
そして、
「え?」
◇
ハルユキは今後の展開に希望が見えてきたことで、心躍る気分であった。
今現在彼が持っている何かしら希望となりそうな要素――ネットスラムで出会ったあの少女をことを、何とオーヴァンは知っているというのだ。
「お前の言う少女があのデータであるのなら、そうだな、もしかしたら脱出に繋がるかもしれない」
「ほ、本当ですか?」
「ああ、The Worldにまします女神……その影のようなものだ。
システムを超越する力の破片。それがGMすら管理できないようなデータであるのならば、あるいはキー・オブザトワイライトとなり得るか」
聞けばオーヴァンはネットワークを統括する調査機関のような場所に籍を置いていたらしく、この手の現象に知識もあるらしい。
そんな彼とこうして出会い、情報を共有することで新たな展望が見えた。
喪ったものもあった。けれど、着実に前に進んでいる、そんな感覚がある。
「じゃあ、このクエスト上手くやれば、GMを倒せるかもしれないってことですね」
「ああ……その可能性はある」
オーヴァンの言葉には不思議な力強さがあった。
その強さは聞く者を惹きつける。不思議な魅力がある、というべきか。
レギオンの<王>たちと似通った雰囲気がオーヴァンにはあった。
彼も元のゲームではギルドマスターをやっていたというし、トップに立つ者特有の風格、とでも言うのだろうか。
(先輩……大丈夫です。脱出の道が見えてきました)
黒雪姫。彼女もまたこのデスゲームのどこかに居る筈だ。
先程のメールにその名はなかった。なら、まだ脱落していない。
キリトと違って、脱落者リストに知った名はなかった。いやバルムンクの名はあったが、それは既に分かっていたことだ。
彼の死はどうしようもなく辛かったが、同時に黒雪姫の名がなかったことへの安堵があった。
無論黒雪姫――ブラック・ロータスはハルユキよりずっと強い。
だから大丈夫だと信じている。
自分がこうして仲間に恵まれたように、彼女も仲間を募ってGM打倒の道を進んでいるに違いない。
(だから、生き残りましょうね、先輩)
この場に居ない彼女に、ハルユキは言葉を送った。
この願いはきっと届く。そう信じて。
それを――
「しかしnoitnetni、intention……意思、か」
それを遮ったのはオーヴァンの呟きだった。
「全く因果なものを求めるな。女神の出来こそない、その残滓は。
時を越えてまでそんな役割を与えられるとは、本当に哀れなものだ。当の昔に擦り切れているだろうに」
「オーヴァンさん……?」
「なぁ、シルバー・クロウ」
オーヴァンは微笑みを浮かべ、ハルユキに近づいてきた。
その靴音が聖堂内に不気味なまでに響き渡った。
そして、ハルユキに向き合い、
「お前は真実をどう思う?」
「え……?」
「終わりを見たい……彼岸花の少女にお前はそう答えたのだろう?
それがたとえどんなものでも、どんな真実がそこに待っていようと、終わりを求めると」
ハルユキは何も言えなかった。
オーヴァンの真意が掴めなず、ただその異様な雰囲気に気圧されていた。
「真実まで辿り着いたのなら、恐らくそこには終わりはある」
オーヴァンの言葉は続く。
その奥で前兆たる爪痕(サイン)が不気味に蠢いた。
「だから、この爪痕の付け方を教えてやろう、シルバー・クロウ。
それがお前の求めた――」
からん、と何かが外れる音がした。
それが、オーヴァンの腕を包み込む拘束具が外れる音だと気付いた時、ハルユキは、
「終わり、だ」
一つの真実を知った。
◇
「え?」
サチが短い声を漏らした。
開いた聖堂の扉――その奥に彼女は何かを見たのだ。
「あ、え……そんな……!」
震える手でサチは口元を抑えた。そして、俺の方を振り向き、驚愕を滲ませた顔を向けた。
信じられない、その時のサチの顔にはそんな思いが宿っていた。
そして、
「いや――!」
叫び声を上げ、サチは猛然と走り出した。
俺を取り残し、聖堂とは逆の方へ走っていく。すれ違いざまにサチは俺を見なかった。
ただ一人で、どこかへ逃げようとしている。
「何だ、何があったって」
呆気に取られていた俺は、急いで聖堂の中を見た。
サチは一体何を見たと言うんだ。
開けっ放しにされた扉の先。そこにあった光景は、俺の想像を絶するものだった。
「何だよ、これ……」
そこには散乱するオーヴァンのものと思しきアイテムと――
「何だっていうんだ……!」
――その身に三筋の爪痕を刻まれた、シルバー・クロウの倒れ伏す姿だった。
俺は急いでシルバー・クロウの下へ近寄った。とにかく急いでその身を抱え、叫ぶように呼びかけた。
そして気付いてしまった。
シルバー・クロウのメタリックなボディが、不自然なまでに軽いということに。
その身体がまるで蒸発するように薄れていくことに。
彼がもう話すこともできないということに。
それが意味することは、ただ一つ。
「何で……何で、こんな……」
俺は愕然とシルバー・クロウの身を抱えた。
何度も呼びかける。こんな筈がない。こんなことはあり得ない。そう思う為に。
しかし、シルバー・クロウの身体はどんどん軽くなっていく。
見れば足下から彼のデータが霧散していた。
「ははっ……どういうことだよ、これ」
乾いた笑い声が漏れた。
目の前で見せつけられたレンの死、無慈悲に告げられたリーファやクラインの死、そして死んだ筈のサチとのあり得ない再会。
様々な理不尽を、ここまで俺はこのゲームで見てきた。
その極めつけが、これだというのか。
俺の手の中のシルバー・クロウはどんどん軽くなっていく。
存在が消えてゆくのだ。
絶望的な面持ちでそれを眺めていると、最期に彼は何かを言った。
――先輩。
その言葉を言った瞬間、彼のアバターは光となって消え失せた。
後に残ったのは、彼の身からドロップした幾多のアイテムと、生々しく残った三筋の爪痕だけだった。
それを見た時、「あ……」とそんな声が俺の喉から漏れた。
しばらく俺は放心状態でその場に座り込んでいた。
今度こそ、理解を越えた。そう思ったからだ。
もう全てを投げ出してしまいたい。全てから逃げ出し、このあり得ない現実を――
「サチ」
そこで俺はハッとした。
投げ出してはならないことを。逃げ出してはならないことを。
聖堂の入り口を振り返った。遠くに広がる草原と森が垣間見えた。
サチ。彼女は、どこに行った。
「駄目だ、サチ」
闇雲に逃げ出したサチのことを思い出し、俺は立ち上がった。
彼女は逃げたのだ。俺と同じく、目の前の現実から逃げ出したくて、衝動的に全てを放り投げようとして。
そしてその「現実」の中には、俺も入っているだろう。
少なからず頼りにしていた俺が見せた不自然な態度、煮え切らない態度、それも含めサチは逃げようとした。
だから、サチはあの時俺を見なかったのだ――
「危ない。そっちは」
そのことを理解し、俺はサチの後を追うべく大聖堂を後にした。
このままでは彼女の身が危ない。衝動的に逃げ出して一人になったところを、フォルテのようなレッドプレイヤーに遭遇すれば、どうなるかは日の目を見るより明らかだった。
何なんだ、この状況は。
走りながら俺は今自分の見た光景に反芻した。
倒れ伏すシルバー・クロウ。散乱するアイテム。刻まれた三筋の爪痕。
あれが意味することは一体何だ。大聖堂の中で何があったというのだ。
まさか――大聖堂の中でオーヴァンもシルバー・クロウも討たれたというのか。
俺は何とか思考を纏めようとするが、駄目だった。
思考全てに靄が掛かったようで、何一つクリアにならない。俺は今焦りに支配され、冷静さを失っている。
時間が、時間が欲しい。そう心の底から思った。
しかし事態は無慈悲に進行していく。
俺は一先ず全ての考えを保留にし、サチを追うことだけに専念することにした。
何一つ分からない事態の連続だが、もう二度とサチを失ってはならない。
それだけは確かだ。確かの筈だ。
その一念の下、俺はサチを追って全速力で走り続ける。
草原の向こうには、不気味に広がる森が見えた。
【シルバー・クロウ@アクセル・ワールド Delete】
【D-6/ファンタジーエリア/1日目・朝】
【サチ@ソードアート・オンライン】
[ステータス]:HP100%
[装備]:剣(出展不明)
[アイテム]:基本支給品一式、AIDAの種子@.hack//G.U.
[思考]
基本:死にたくない
1:―――――――
[備考]
※第2巻にて、キリトを頼りにするようになってからの参戦です
※オーヴァンからThe Worldに関する情報を得ました
【キリト@ソードアート・オンライン】
[ステータス]:HP45%、MP95%(+50)、疲労(大)、SAOアバター
[装備]:虚空ノ幻@.hack//G.U.、蒸気式征闘衣@.hack//G.U.、小悪魔のベルト@Fate/EXTRA
[アイテム]:基本支給品一式、不明支給品0~1個(水系武器なし)
[思考・状況]
基本:絶対に生き残る。デスゲームには乗らない。
0:――――――――。
1:とにかくサチを追う。それ以外のことは――
[備考]
※参戦時期は、《アンダーワールド》で目覚める直前です。
※使用アバターに応じてスキル・アビリティ等の使用が制限されています。使用するためには該当アバターへ変更してください。
- SAOアバター>ソードスキル(無属性)及びユニークスキル《二刀流》が使用可能。
- ALOアバター>ソードスキル(有属性)及び魔法スキル、妖精の翅による飛行能力が使用可能。
- GGOアバター>《着弾予測円(バレット・サークル)》及び《弾道予測線(バレット・ライン)》が視認可能。
※MPはALOアバターの時のみ表示されます(装備による上昇分を除く)。またMPの消費及び回復効果も、表示されている状態でのみ有効です。
再び静寂が訪れた大聖堂の中、ゆっくりと動き出す人間が居た。
からんからん、と金属がこすれ合う音が響く。がらんとした大聖堂をそれだけが支配していた。
オーヴァン。
皆が去ってしまった大聖堂に、彼だけが残っていた。
「種は撒いた」
彼はぼそりと呟き、開け放たれた扉をじっと見据えた。
その向こう側のどこかに去っていた二人が居る。キリトとサチ、彼らは種だ。
新たな争いを生む種。彼らの存在はきっとゲームを加速させる。
それをばら撒いたのは、他でもない自分だ。
サチは元より不安定な素振りを見せていた。
そんな彼女は自分に庇護されることにより一応の安定を見せていたが、ふとした拍子に崩れてしまいそうな、そんな危うさが垣間見えていたのだ。
自分に依存していた、といってもいい。
先の仕様外エリアへの侵入の件についても、サチはオーヴァンに対し深くは聞いてこなかった。自分の知るゲームの裏技を試してみた、という自分の言葉をそのまま信じているようだった。
問題はそれを何時「種」とするかだったが、その契機は幸運にも向こうからやってきてくれた。
(キリト――お前に会えたのは本当に幸運だった)
ウラインターネットからやってきたという二人組。
彼らとの接触はオーヴァンにとって非常に有意義なものであった。
シルバー・クロウがネットスラムで見たリコリス――アウラの失敗作の存在、それが求める「意思」のプログラム、そして異なる時間と世界の概念。
どの情報もこのデスゲームの裏側を埋める欠かせない欠片だった。
先のGMとの接触と併せて、早い段階でそれらを察知できたのは、幸運だったとしか言いようがない。
(いや、あるいは不運でもあるのか)
もう一つの欠片。それがサチが求めていた一人のプレイヤー、キリトだ。
最初は彼との合流はサチを安定させるかと思った。しかしそうではなかった。サチを見たキリトは明らかに動揺していた。
知った仲だというのに、彼は喜びでなく驚愕の表情を浮かべていたのだ。
それを見た時、オーヴァンは悟った。
サチが先の未来で辿る筈の未来を。そしてキリトが抱える隔絶を。
(死に繋がる未来……それは新たな種だった)
このデスゲームに時間の捻じれが生じていることは、転移門の仕様や脱落者リストに連ねていた一つの名から予想が付いていた。
信じがたい話ではある。しかし如何なるプロセスを経ているにせよ、何かしらズレがあると仮定すると、様々な疑問が氷解するのだ。
ならば認めるべきだ。認めて、状況を利用する術を探らなくてはならない。
その結果がこれだ。
サチの種を芽吹かせるのに、キリトの抱えた隔絶は絶好の契機となった。
見るに、サチはキリトに対し精神的に少なからず依存している。
それはアインクラッドという極限状況下故のことだったのだろうが、このデスゲームではそれは更に顕著になっているようだった。
そこでキリトが見せた拒絶の意は、彼女にしてみれば多大なショックを与えただろう。
一度は落ち着かせていた不安がぶり返す。精神の均衡が崩れる。彼女は再び不安定な状態になった。
とはいえ、それも一時的なことの筈だ。
時間さえあればキリトも歩みよることができただろう。そして告げられる真実が如何に残酷であれ、近しい仲に戻れたことは容易に想像が付く。
焦ることなく、ゆっくりと話す機会さえあれば。
だが、それでは駄目なのだ。
種は芽吹かない。争いを加速させることを当面の目標にしている以上、そのままにしておく訳にはいかない。
だから、オーヴァンは彼らに時間を与えなかった。
間を置かず新たな痛みを用意する。
情報を聞き出したシルバー・クロウをPKし、同時に自分も死んだように偽装する。
それで、彼らの種は芽吹く。元より爆発寸前だったのだ。彼らは己の理解を越えた事態に逃避する。
特にサチは、キリトという精神的支柱を見失い、加えてオーヴァンという庇護者の喪失という事態が起これば、間違いなく暴走するだろう。
既に彼女にはウイルスコアとのトレードという形でAIDAの種子を仕込んでいる。困った時に使えるもの、という言葉を添えて。
後の結果は日の目を見るより明らかだ。
キリトの方もかなり精神的にまいっているようだった。
現に今の彼は、物陰に隠れているだけだった自分の存在に全く気付く様子がなかった。ならば彼も争いの種となり得る。
何とか冷静になろうとしているようだが、無理をしているのはすぐに分かった。
時間があれば自分を取り戻すかもしれないが――果たしてそれがあるかどうか。
「これで満足か……榊」
言いつつ、彼は散らかしたアイテムを拾っていく。
元から持っていたものと、シルバー・クロウが遺したもの、そのどちらも、だ。
シルバー・クロウ。
揺るぎない強さを持っていた、彼にはここで死んでもらうことになった。
皮肉な話だ。ここに集った者の中で最も安定していた彼は、逆にそのことで死の原因を作ってしまった。
せめて彼が希望以外の負の感情を見せていれば別だった。しかし、彼は負の思いを既に克服した様子だった。
争いの種として、彼は不適格だったのだ。
「……彼が最期に見せた光、あれは……」
彼は間違いなく強かった。
オーヴァンがAIDAを解放し、一撃を喰らった後も、シルバー・クロウは決して諦めはしなかったのだ。
どころか何かを悟ったようにその手に光を灯した。その過剰光は明らかに異質だった。あれは恐らくAIDAのような、システムを超越したものの類だ。
それで彼は自分に立ち向かってきた
その光に込められたものが憎しみであったのならば、あるいは種と成りえたかもしれない。
しかし、シルバー・クロウの光に宿っていたのは、そのような感情ではなかった。
もっと眩いもの。憎しみでなく、救いの意志がそこにはあった。
まるでオーヴァンに巣食うAIDAを浄化しようとでもいうように、シルバー・クロウはその過剰光を向けてきたのだ。
それを自分は踏みにじった。
元よりHPが危険域だったシルバー・クロウを屠るのは、そう難しいことではなかった。
それともあの光を受け入れていれば自分は救われたのだろうか、オーヴァンの頭にそんな仮定がもたげる。
が、すぐに打ち消した。救いなど、もはや自分は求めていない。
一瞬とはいえ戦闘したことで、オーヴァンは僅かながらダメージを追っている。
イリーガルスキル【復元の隣人】でそれを回復しつつ、オーヴァンは今後の方針を練った。
種は撒いた。彼らはもう放っておいてもいいが、もう少し様子を見るべきか。
それともシルバー・クロウから聞いたリコリスの調査に乗り出すべきか。
どちらにせよ、しばらくは忙しくなりそうだ。
GMとの関係を維持する為にも、継続して争いの種を撒いて行かなくてはならない。
同時に彼らに対抗できるような情報も適宜探っていく。時間に余裕はなかった。
一通りアイテムを回収した後、オーヴァンはグリーマ・レーヴ大聖堂を後にした。
志乃やハセヲが争いの渦に叩き込まれたように、この場は再び惨劇の舞台となった。
The Worldの女神はもうここには居ない。加護を失ったこの聖堂は、よほど災厄に好かれているらしい。
(ワイズマン……いや、八咫。ここのお前は果たして何時のお前だった)
そんな聖堂を去りながら思うのは、かつての友人のことだ。
女神と世界を誰よりも愛しながら、その一方で彼らからの愛には満足できなかった哀れな少年。
さようなら八咫坊ちゃん。この場で命を落としたという彼に、オーヴァンは一人別れを告げた。
そうしてオーヴァンは一人道を行く。
たった一人で。その道が真実に繋がると信じて。
【D-6/ファンタジーエリア・大聖堂/1日目・朝】
【オーヴァン@.hack//G.U.】
[ステータス]: HP90%(回復中)
[装備]:銃剣・白浪
[アイテム]:不明支給品0~2、基本支給品一式 DG-Y(8/8発)@.hack//G.U.、ウイルスコア(T)@.hack//、サフラン・アーマー@アクセル・ワールド、付近をマッピングしたメモ、{マグナム2[B]、バリアブルソード[B]、ムラマサブレード[M]}@ロックマンエグゼ3
[思考]
基本:ひとまずはGMの意向に従いゲームを加速させる。並行して空間についての情報を集める。
1:利用できるものは全て利用する。
2:AIDAの種子はひとまず保留。ここぞという時のために取っておく
3:茅場晶彦の存在に興味。
4:トワイスを警戒。
5:今後の方針を検討。
[備考]
※Vol.3にて、ハセヲとの決戦(2回目)直前からの参戦です
※サチからSAOに関する情報を得ました
※榊の背後に、自分と同等かそれ以上の力を持つ黒幕がいると考えています。
また、それが茅場晶彦である可能性も、僅かながらに考えています
※ただしAIDAが関わっている場合は、裏に居るのは人間ではなくAIDAそのものだと考えています
※ウイルスの存在そのものを疑っています
最終更新:2014年02月20日 16:50