薄暗い闇の下、緑のマントがゆらりと舞う。
闇の中にふっと光が見えた。その明滅の正体こそ刃、彼女の首を刈らんとする敵意である。
黒雪姫は刃を己が腕で弾き返す。甲高い金属、伝わる衝撃、緑衣の敵の息遣い。全て同一フレームの中で知覚する。
そして次の瞬間には攻守が入れ替わり、待ち構えていた彼女がカウンターとして剣を振るっていた。

「おっと怖い怖い」

敵――緑衣のアーチャーはあくまで軽い口調で言い、後ろへパッと下がることで刃をかわして見せた。
黒雪姫は追撃の手を弱めることなく、漆黒の剣を振るう。その腕/剣はエリアの闇の中にあってもなお黒く、時節刀身の艶が見せる白い光沢が際立っていた。
その一閃一閃をアーチャーは俊敏な動きで避けていく。ゆらゆらと舞うマントが彼女の視界を鬱陶しく邪魔をする。
剣と弓による攻防、兵刃交える音がエリアに静かに響いた。

「ふう、速いし正確だし随分とおっかない剣だ。
 全く姫様には見えねえ。完全に騎士様の領分だろ、それ。
 ま、あのちんまい皇帝様も似たようなもんだったか」
「黙れ弓兵」

幾度かの打ち合いを経て二人の間には距離ができている。
踏み込むには遠く、下がるには近い――丁度この戦いが始まった時と同じ間合いだ。
これまで黒雪姫もアーチャーもダメージを追っていない。無傷だった。

何度目かの仕切り直し。二人は再び対峙し、次なる一手を読み合った。
互いに有効打を打てていない。しかし一手誤ればすぐにでも戦況は一方に傾くであろう。そんな緊張感がそこにはあった。

(アーチャー、出会ったばかりの私とブラックローズを襲った敵……その正体)

黒雪姫/ブラックロータスはその相貌で敵の姿を見据えた。
暗がりの中で窺えたアーチャーの顔には薄らと笑みが浮かんでおり、戦いの最中だと言うのに飄々とした物言いを止める素振りもなかった。
だが彼女には分かった。彼のその軽薄な仮面の下に潜む暗く冷たい殺意が。

(倒さねば、彼女を守れない)

目の前の男の危険性を知っているのは恐らくあの集団で自分だけ。
ブラックローズは勿論、マスターであるというダン・ブラックモアもまた彼に欺かれている。
ならば唯一正体を知る自分が彼を打ち倒すしかない。そう思ったが故の行動だ。

――分かっている。本来ならば自分の仮面/黒雪姫を脱ぎ捨て本性/《黒》の王、ブラック・ロータスを晒し出すべきだと。
そうすればこんな回りくどい手を使わなくともアーチャーを糾弾することができただろう。
だが自分にはできなかった。その理由を幾ら述べても言い訳だろう。結局のところ自分の弱さに他ならない。

だからせめて他の者に被害が及ばぬよう、一人でこの敵を討ち果たさねばならない。

「行くぞ」

そして彼女は決然と弓兵へと向かった。
何度目かの攻防が幕を上げる。再び振るわれる剣、今度は後手に回ったアーチャーが「おっと」と小さく声を上げた。

「敏捷も筋力も俺より明らかに上……こりゃ勝ち目ないわ」

黒雪姫の剣戟を手に持った弓でいなしつつ、アーチャーがぼそりと呟いた。
だがその笑みは消えていない、以前として口元を釣り上げ皮肉気な笑みを浮かべている。
彼は後ろへ高く跳び上がり、マントをはためかせた。
次の瞬間、

「……っ!?」

黒雪姫のの視界からその姿が消え失せた。
一瞬の戸惑いを経て事態を把握する。
この距離でエリアの闇に呑まれた訳もない。あるとすれば答えは一つ、必殺技/スキルだ。

「接近戦ならな」

どこかからか声が聞こえ、次の瞬間矢が彼女を貫いた。






【顔のない王/ノーフェイス・メイキング】
古代ケルトにおいて、春の到来を祝うとされる森の精霊にして自然の化身。
ジャッコザグリーンともグリーン・マンとも呼ばれるこの精霊は、ケルトにおいて明確な神話を持っていない。
自然への信仰、アニミズムの名残であるとか、出自を辿ればローマ神話に行きつくとか、様々な説があるが、共通するのは森に深く馴染みのある存在だということである。
そして場合によってはとある人物と同一視されることもあった。

その人物こそ彼、ロビンフッドである。

(外見からして奴はインファイター。
 さっきの攻防でも近い間合いの技ばかりだったしな)

アーチャーはこれまでの戦いから黒雪姫/ブラック・ロータスの戦闘スタイルを冷静に分析していた。
両の手と一体化した剣を振るう強力な騎士。その剣は決して敵を寄せ付けないだろう。

(なら近づかなきゃいいってね)

敵は既にイチイの毒を見ている。今更アレを使った所でかく乱にもならない。
そこで使ったのがアーチャーの宝具【顔のない王】だ。マントに包んだ物を透明化するという効果を利用して彼は一気に間合いを取った。
さしもの敵も急に自分の姿が掻き消えたことには反応できなかったようで、むざむざと自分を逃がしてしまった。

(見えないとこから一方的に撃つ、なんてのは騎士道に反するだろうがな。
 正々堂々決闘なんてやってもどうせ俺はこんなやり方に行きつくのさ。
 そのことを別に恥じたりはしないぜ。何たって俺はアーチャー……弓を使ってなんぼってハナシだ、面と向かって斬り合う方がどうかしてる)

闇に隠れたアーチャーは無慈悲に狙撃を放っていく。一発一発と矢がブラックロータスの黒いボディを捉えた。
低く構えた態勢から弓を引き、ぴんと張った弦をじりじりと抑え、深く静かな集中の下、射る。
残心。
その工程に一切無駄はない。血のにじむような鍛錬と潜り抜けてきた凄烈で孤独な戦いを経て獲得した技術だった。

敵も何とか躱そうとしているが、アーチャーは動きを先読みし正確に狙撃する。
こと狙撃に関して彼の横に出る者は居ない。努力と経験に裏打ちされた技術を持ってして彼は圧倒的な物量差を覆してきたのだ。

(さあて、姫様。このまま終わらせてもらう、と)

アーチャーのの眼下では黒雪姫/ブラックロータスが身を捩っている。
如何に敵がタフであろうとも、撃たれ続けて立っていられる筈もない。

(じゃあな、ま、あの黒薔薇ちゃんもすぐにそっちに行くさ……ん?)

その時、敵がこちらを見た。
矢に撃たれながらも、凛とした姿勢を崩すことなくアーチャーの方を真直ぐに見据えている。
無論こちらが見えている訳ではないだろう。恐らく今まで矢が来た方向からアーチャーの居る位置を割り出したのだ。
だがそれが分かったところで攻撃できなければ意味はない。恐らくこの敵はそういった攻撃手段は持ち合わせていない筈――

「《オーバードライブ》! 《モード・レッド》!」

そう思った矢先、敵が高らかに声を上げた。
途端にその身体に紅い光が灯る。過剰なまでに眩いその光を受け、装甲の各所に鮮やかな線が浮かび上がる。
二対の刃が交差し、そしてアーチャーへ向けられた剣が槍へと形を変えていく。
槍の穂先に過剰光が収束していくのを見た時、アーチャーはぞくり、と本能的な恐怖を覚えた。

「《奪命撃/ヴォ―パル・ストライク》!」

その宣言と共に、真紅の巨大な槍が轟音を立て顕現した。
眩い光がエリアの闇を照らし全てを貫く――






アーチャーの見立ては正しかった。
黒雪姫/ブラック・ロータスはショートレンジに特化したデュエルアバターであり、事実彼女が身に付けている必殺技の大半は接近戦用のものだ。
やや長射程の《デス・バイ・ピアーシング》でも精々5メートルが良い所であり、アーチャーの間合いに届かせるには全く足りていない。

だがそれはあくまで正規のスペックだ。
本来存在しない筈の、システム外のスキルを使えばその限りではない。
事象をオーバーライドする最強の力《心意/インカーネイト》システム。

その一撃こそ先の《奪命撃》だ。
理をオーバーライドしてしまえば、チャージこそ要するが、本来彼女が使えない筈の《赤》系――長距離射程の技が使用可能になる。
加速世界では乱用を禁じられているこの力だが、既にこのデスゲームではその縛りの意味はないと黒雪姫は判断していた。
実際の命が掛かっている。そんな場所で、友を守ることに力を使うことを躊躇う訳には行かない。

「だから弓兵……容赦はしないぞ」

自分が齎した破壊の跡を見上げ、彼女は言い放った。
これで終わっていればいい。いいが――

次の瞬間、何かが黒雪姫へ飛来した。
背後よりやってきたそれを彼女は跳ね除ける。
《モード・レッド》が終了し、剣へと戻った腕が弾いたのは、見覚えのある矢だった。

「あーくそ、良い感じに油断してくれてると思ったんだがな」
「やはりこれだけでは落とせないか」
「無傷、て訳じゃないけどな。ま、俺も伊達に修羅場潜ってきてねえってことだよ、姫様」

相も変わらず飄々と現れたアーチャーは、やれやれと首を振った。
二本の足でしっかりと立っているが、ところどころに煤が付いている。
こちらの攻撃に瞬時に反応したのだろう。完全でないにしろ彼は《奪命撃》を避けて見せたのだ。
その力量に内心舌を巻きつつ、再び彼と向き直った。間合いは先と同じ、近くも遠くもない、読み合いのレンジだ。

「こっちもダメージは追っているさ。貴様の鬱陶しい矢のお蔭でな」
「は、どっちが先に倒れるか勝負ってか。俺はそう言うのはゴメンなんですけどね。
 そういうのはセイバーとかランサーにやらせるべきだろ。きっと元気満々喜色満面でやってくれるさ。立派立派。
 三騎士クラスとか言ってもさ、俺みたいな外れサーヴァントからしたら一緒くたにされていい迷惑なんだよ。
 それとも何だ、もしかして俺もアサシンとして呼ばれてたら文句は出なかったってか」

アーチャーは悪態を吐きつつ、再び矢を構える。
先と同じ構図。違うのは両人の負ったダメージだけ。
そうして何ターン目かも分からない攻防が幕を上げ――






――る直前にアーチャーの視界は転移していた。

「は?」

思わず呆けたような声を漏らす。が、次の瞬間にやってきた閃光を受け彼は瞬時に状況を理解した。
彼はマントをはためかせその場に転がる少女――ブラックローズを抱え、パッと地を蹴った。
空に跳ね飛ぶ最中、その身を破壊の光が掠めていく。緑衣の端が粉々になって消えていくのが見えた。

「新手か……ふん」

つまらなさそうに呟く死神――ボロボロのローブを羽織りその手に鎌を持つマシンがそこには居た。
状況と状況を頭の中でつなぎ合わせ、アーチャーは次の手を考える――前に追撃が来た。
死神はその手を広げ閃光を連射した。今しがたの一撃よりはずっとこぶりな、しかし途切れることない弾幕が彼を襲う。

アーチャーは舌打ちし、必死にそれらを避けていく。
黒雪姫との戦いから一転、突然放り込まれたのはまたしても全く油断できぬ戦い。
大体の状況は聞くまでもなく分かっている。要するにあの死神が敵な訳だ。

「おい! 褐色の騎士さんよ、ダンナはどこだ」
「……ダンさんなら、あそこに」

抱えたブラックローズにアーチャーは問いかけると、彼女は苦しそうに胸を抑えながらも顔である方向を示した。
そちらを見れば死神を前にして膝を着いている彼のマスターの姿があった。

「何を呼んだところで意味はないぞ、人間」
「ふっ……それは、わからんぞ」

その光景にアーチャーは「ダンナ!」と叫びを上げた。
するとダンはちらりと彼を見て、あろうことか小さく笑って見せた。

「馬鹿野郎! 何笑ってんだ。余裕噛ましてる場合じゃ――」

言い切る前にダンの身体が吹き飛ばされた。
死神だ。奴が無慈悲にも閃光をダンに喰らわせたのだ。彼の身体はどこか彼方へと吹き飛んでいく。
言わんこっちゃない。そう声高に叫びたいのをぐっとこらえ、彼は抱えたブラックローズに呼びかけた。

「おい、黒薔薇さんよ」
「何!」
「確認しとくが、あれは敵だな。んでもって俺はあいつをどうにかする為に呼ばれたんだな?」
「そうよ! でもそれよりダンさんが――」
「いいから聞け! 奴は俺がどうにかする。だからお前がダンナのとこまで行ってくれ」

叫ぶようにそう言うと、アーチャーはブラックローズを解放した。
言われた彼女も一瞬戸惑ったような顔をしたが、しかし力強く頷き走っていく。
彼女に務まる役目かどうかは分からなかったが、とにかくあの死神を誰かが抑えないことには撤退もままならない。

「くそっ、本当何だってこんな――」

アーチャーは胸にはぶつけようのない苛立ちが湧いて出ていた。
この状況は誰に聞くまでもなく単純だ。俺と別行動したダンとブラックローズが強大な敵に遭遇、仕方なく令呪を使って俺を呼んだ、以上。
それだけのことだ。それだけのことだからこそ、苛立ちが収まらない。

アーチャーは悪態を吐きつつ弓を放った。三連射。
しかし目標の死神はそれを一歩も動くことなく弾き飛ばしてみせた。
ただぎろり、と凶悪な眼光をこちらに向ける。その押し潰されるような威圧感をアーチャーは見上げる形で受け止めた。

「また人間か」
「……来な、お前の相手は俺だってよ。面倒だがこれもマスターの命令なんでな」
「ふん、順番がどうなろうと同じことだ。
 今度こそ、全員デリートするだけのこと」

会話はそれ切りだった。死神が無警告に巨大な光をアーチャーへと放ってきた。
その際に見せた僅かな溜めの間に彼は即座に身を投げる。後ろを振り返る余裕はなかった。
爆音と共にアーチャーの視界が真っ白に塗り固められる。マントでそれを受けつつ、不安定な態勢から彼は射撃で応戦した。

「無駄だ」

その言葉通り矢が死神へ届くことはなかった。
敵は鎌を振ることすらなく、矢を虚空で受け止めた。それを見たアーチャーは舌打ちをする。
どういう仕組かは分からないが、この敵は何やら結界のようなものを張っているらしい。

(だが、倒すつもりは端からねえ。というか無理だろこんなん絶対。
 かく乱さえできればそれでいい。ダンナが逃げる時間さえ稼げば……)

アーチャーは「こっちだ!」と挑発するように言った。
とにかくこちらに注意を惹きつけなければならない。
憎悪の籠った視線がこちらを見た。瞬間、アーチャーは【顔のない王】でその身を隠す。
そのまま身を潜め矢を射ようとするが、

「インビジブルか。小賢しい」

死神はそう言うなり腕を広げた。
そして次の瞬間、三百六十度あらゆる方向へ閃光を放つ。
エリアに破壊の光が氾濫し、空間を埋め尽くさんとする。
アーチャーは「いっ」と思わず声を漏らす。次の瞬間、彼は光に吹き飛ばされ地に転がった。
同時に【顔のない王】は剥がされ再びその痩躯が露わになる。

(クソッ……一瞬で弱点を突いてきやがったか)

アーチャーの【顔のない王】は包んだものを透明にしてしまい、空間から消え失せたように見せかける宝具だ。
あくまで見せかけているだで、実体が消えた訳ではない。おおまかな位置に範囲攻撃を叩き込まれては回避することもできない。

ならば次の手だ。
アーチャーは矢を折り、エリアに一本の樹木を植える。
またたく間に育ったそれは、かつてアメリカエリアで植えたものと同じく強烈な毒をまき散らす。
だが、

「今度は毒か……ふん」

死神は一言そう言うと、光を放ち毒の樹木を吹き飛ばした。
それを見たアーチャーは舌打ちをする。やはりこの宝具は面と向かって使うものではない。
こと一対一では機動力ある敵に一瞬で破壊されてしまう。

(時間稼ぎにもならねえか……どうするっと)

次の策を考える暇もなくアーチャーを光が襲った。
雨あられとふり注ぐ光の最中、アーチャーは必死で思考を働かせる。

「終わりだ」

それを遮るかのように、死神が無慈悲に告げた。
アーチャーが見上げた先には、振りかぶり巨大な光を集束させる死神の姿がある。

――アースブレイカ―







突如としてアーチャーが消え失せた時、黒雪姫/ブラック・ロータスは最初彼がまたあのスキルを使ったのだと判断した。
が、何時まで経っても攻撃は来ず、代わりどこか遠いところから爆音と光が漏れてきた。
まさか。脳裏を過った一つの可能性に、彼女は一転身を翻しなりふり構わずエリアを駆けた。
ブラックローズらとの合流ポイント。その近くまで。

そして彼女は見た。
ブラックローズに支えられ、胸を押さえ苦しそうに呻くダンを。
彼らの姿を見つけ駆け寄ろうとした黒雪姫だったが、直前で思い留まりウィンドウを開いた。
何やらメールが届いていたが、無視した。それどころではない。
設定画面よりアバターの設定をデュエルアバターから通常アバターへと無言で切り替えると、今度こそ彼らに駆け寄っていった。

「何があったのだ……?」
「黒雪姫!大丈夫だった?」

自分の声を聞いた瞬間、ブラックローズはぱっと顔を上げた。
ダンも顔を俯かせたままこちらを案ずるような言葉を漏らしている。
それらを黒雪姫は針に刺されるような心地で聞いた。

「ごめん、黒雪姫。アタシ戻らなきゃ」

ダンを慎重にパネルに下ろすと、ブラックローズは開口一番そう言った。
呆気に取られた黒雪姫が事情を尋ねると、彼女は早口で事のあらましを語って見せた。

曰く、彼らはエリア探索の途中で死神のようなPKに遭遇した。
曰く、その力の強大さ故にダンがアーチャーを呼んだ。
曰く、ダンが戦いの最中被弾し、ブラックローズが何とかここまで抱えてきた。
曰く、今はアーチャーが一人で敵を押さえている。

黒雪姫は剣でなくなった己の手の平をぐっと握りしめた。
爪が己の肌に食い込み痛みが走る。それが僅かに救いとなった。

「アイツはまだ戦ってると思う。
 信用できない奴だったけど……ダンさんを助けようとする思いだけはたぶん信じてもいい。
 だから一人にさせる訳にはいかないでしょ。だから、ちょっとここでダンさんを見てて欲しい」

ブラックローズはそう決然と言い、大剣を構えて去って行った。
その背中に何も言うことができなかった。言う権利など、自分にはないと思ったのだ。

ブラックローズが走り去った後の空白と静寂が黒雪姫を苛んだ。
己の黒いドレスがエリアの闇の中にあって尚沈んでいるような、そんな風な感覚が視界に浮かび上がった。

「……黒雪姫。一つ話を聞いてほしい」

その時、不意にダンが口を開いた。
急いで彼の身に駆け寄る。老人は己の胸を抑えながらも、何かを告げようと口を開いた。

「卿、今は口を開いては――」
「いや、今しかない……告げる相手ももはや君しかいないだろう」

彼はそう言って喉から絞り出すように笑い、そしてその腕を見せた。
途端、黒雪姫は思わず口元を抑えた。
見せられたダンの腕、肌の色が張られる筈のテクスチャが消え去り、代わりにどす黒い色素で埋め尽くされている。
その黒は端から崩さっており、ゆっくりと分解されているようでもあった。

「それは」
「ふっ……聞くまでもなかろう……死、だ。
 老人が年甲斐もなく無理をした……その結果だな」

決して早くはなかったが、黒は徐々に全身に広がっていた。
それを見た黒雪姫は彼の身に起きている状態を悟る。
自分やブラックローズのものと違い、恐らく彼の身体/アバターにはHPというものが明確な数値として設定されていない。
それは元々の仮想空間の仕様を持ってきた結果の差異だろう。ゲームのアバターであった自分らのものは、HPが尽きれば一瞬でその身を消滅させる。
逆にいえばそうでない限り死ぬことはなく、いくらダメージを負おうがHPが1でも残っていれば生存できる訳だが、しかし、より現実に近い仕様のアバターであるダンの身体は違う。
たとえその場を生き延びようとも、時間を置いて死ぬこともある。現実と同じように。

つまり、間に合わなかったということか。

黒雪姫は押し寄せる無力感で膝に着きそうになるのを懸命に堪え、ダンへ向き直った。
今はただ、彼の話を聞く。それしかない。

「私はかつて軍人だった。自分で言うのも何だが、優秀だったと思う。
 任務の為なら人間性を殺すこともできる、如何なる汚い手段を使うことにも良しとする、大局の為に個を否定する。そんな男だった。
 そのことに疑問はない。軍人とは……そうであるべきだ。
 だが……私は結局、後悔していたのだろう。
 人間性を殺した、畜生となったことに。自分の生に誇りというものを持ててはいなかった。
 だからなのだろう……聖杯戦争からここに到るまで、騎士道などというものを掲げたのは。
 もはや軍人ではないのだから、恐らくは最期の戦いなのだから、妻に誇れる戦いを……せめて一度くらいはしてみたかったのだ」
「……卿、それは」
「何も言うな……愚かな老人が晩節を取り繕おうと悪あがきをした……ただそれだけのことなのだ。
 分かっていたことだ。私はきっと妻を取り戻そうなどと思っていた訳ではないのだろう。
 ただ……一人の人間として、かつては持っていた何かを掴もうとしただけなのだ。
 ……そんなことを望んでいた時点で、私は既に死人だった」

アーチャーに告げて欲しい、とダンは穏やかに言った。

「私とお前は……似ていたところもあっただろう。
 ムーンセルがどのような思惑でお前を私に宛がったのかは知らんが、森の守り人よ、お前と私は確かに結局似た者であったのだ。
 故に私はお前を信じることが出来た。サーヴァントとして、一人の騎士として。
 しかし、同時にお前と私には決定的に異なった点もあった。それは……後悔だ。
 誇りなどない。口ではそう言おうと、お前は後悔だけはしていなかった。その結末が決して良いものではなかっただろうが、しかし否定することはしなかった」

彼のアバターは既に半身が黒く崩れていた。
彼が今まで培ってきた思いが、経験が、願いが、全てが黒く霧散していく。
黒雪姫は己の腕の中に横たわる老人の言葉を、無言で受け止めた。

「私の愚かな選択に付き合わせて済まなかった。
 お前は、後悔などしていなかっただろうに――そう告げてくれ」

そう言い終わった時、ダンはゆっくりと目を閉じた。
既にその顔も半分は黒く崩れている。その中で浮ぶ表情を満足気、と形容することはできないだろう。
事実彼は満足などしていない筈だ。己の中にあった後悔に、最後の最後で気付いたのだから。

しかし、同時にそれを受け入れてもいる。
その後悔の中に、己の人生の一つの終わりを見出してもいる。
そんな顔に見えた。

「……少しだけ、時間が残ってしまったな。やれやれ……上手くは行かないものだ」

消えゆくダンは自分に残された僅かな猶予に気付き、ふっと笑みを浮かべ、そして徐に彼女の手を取った。

「最後に……本当に最後に、年寄りの戯言を聞いてほしい。
 黒雪姫よ、君が何を隠しているのかは知らん。君の想いも本心も、死人である私には分かる筈のないことなのだろう。
 だがそれがブラックローズへ友情に起因するものだということくらいは……分かる。
 信じることは難しい。信じ合うことはより厳しいだろう。特に、君たち若者には。
 ただ――それでも前に進むことだけは忘れないでくれ。それが、先に行く者が残す者へ託す唯一の望みだ」
「…………」
「出来る筈だ。歩みを止めることさえなければ、きっと、何かを掴むこともできるだろう。
 その何かが決して喜ばしいものでなくとも、認められないものだとしても、君たちならばそれを受け入れ前に進むことが出来る筈だ。
 だから進め。たとえ行きつく先が後悔であろうとも、未来、ある限り――」

その言葉を言い終わるより早く終わりが来た。
ダンの掌が最期に光を放ったかと思うと、その身体がふっと掻き消えデータの海へと還っていく。
すぅ、と己の腕から去っていくダンの幻影を、黒雪姫はただ一人受け止めていた。



【ダン・ブラックモア@Fate/EXTRA Delete】







アーチャーは膝を着き、己の死を覚悟した。
目の前に佇む死神は未だ無傷。奴は悠然とその身を浮かべている。
できることは何でもやった筈だった。罠を巻き、かく乱し、時には言葉で惑わそうとさえした。
しかし無理だった。
一矢報いることすらいできない。結局自分は面と向かっての殴り合いなどできないのだ。

(クソッ……俺がもうちょい真っ当な英霊だったら、こうはならなかっただろうに)

肩で息をしつつも、アーチャーはキッと空を仰いだ。
死神は憎悪に満ちた威圧感を場に振りまいている。一体何が彼をそこまで駆り立てるのか、アーチャーは知らないし、知ろうとも思わなかった。

「終わりだ、人間」
「人間、ね。俺は人間じゃなくてサーヴァントなんだが、だからといって見逃してくれる……訳ねえわな。
 ったく、ダンナも無理難題押し付けやがる。こんな化け物を一人で押さえろってんだから。
 ま、俺を犠牲にして前に進もうって腹なら別にいいんですがね。俺に奇襲を封じるよか、よっぽどまともな令呪の使い方だ。
 いいさ捨て駒は捨て駒らしく、精々派手に散ってやるか。何なら格好いいポーズでも決めてやってもいい気分だ」

満身創痍の身に鞭を討ち、アーチャーは立ち上がった。その際に軽口を叩くことも忘れない。
そして効かないと分かっている弓を構える。既に時間は十分に稼いだだろう。とりあえずの目標は果たした訳だ。

「さて行きま――」
「アーチャー! 助けに来たわよ」
「――すか。って、は?」

ニヒルに決めようとしたところを、不意に耳を疑うような言葉が飛んできた。
まさかと思って振り返ると、そこには逃がした筈の褐色の剣士――ブラックローズが居た。

「馬鹿か! お前何で戻ってくるんだよ。
 折角ダンナのついでに逃がしてやってたのに、わざわざ来るとか何考えてんだ」
「何よ! アタシの助けが要らないっての? そんなボロボロの癖に」
「ボロボロだから言うんだよ! 俺のこれまでの努力はどうなる。
 あーもうったく……どうしてこうなんのかな」

のこのことやってきたブラックローズに頭を抱えたい気分になったアーチャーだったが、もうどうしようもないことだと割り切ることにした。
別に自分はコイツの為に戦っていた訳ではない。コイツが死んだところで、何か思う奴が居るとすればそれは俺じゃなく黒雪姫の方だ。
ならばいっそ万々歳ではないか。自分はつい先ほどまでその黒雪姫と殺し合っていた仲なのだから。

「おい黒薔薇さんよ。最後だと思うから言っておくぜ」
「何よ一体」
「合流したばっかの時にお前らを狙撃したのは俺だよ、俺。
 ダンナを優勝させる為に眼を忍んで狙撃してたって訳だ。
 仲間を助けようなんて思いから来たんなら残念だな。俺はこんな奴なんだよ」

言われたブラックローズは一瞬きょとんとしたが、すぐにムッとした表情を見せ、

「んなこと言われなくても知ってたっちゅーの!
 アンタが信用できない奴だってことくらそらもうビンビンに伝わってたわよ」
「はぁ? だったら何で来たんだよ。邪魔な奴が消えて万々歳だろ?」
「アンタなんかどうでもいい。アタシが困るの」
「何でだよ」
「それは何というか……守るとか守られるとか、本当の自分とか……あーもう面倒臭い。
 とにかくね! やることはやらないと、私が……アタシがブラックローズで居られないの」

癇癪を起したように叫ぶブラックローズを前に、アーチャーは溜息を吐いた。
何だかよく分からない。が、とにかく彼女も彼女なりに悩みを抱え、それ故にここに来たらしい。
知ったことではない。ないが、それなりに覚悟があってきたということは分かった。

(んなことをなりふり構わず告げてくるくらいには逼迫した状況って訳だが)

アーチャーは気を取り直して死神の方を向いた。
突然かき回された舞台で、奴はつまらなさそうにこちらを見下ろし、

「茶番は終わったか?」

そう問いかけると同時に光を収束させ始めた。
息つく暇もない。再び巻き起こる破壊の嵐から、アーチャーもブラックローズも必死に逃れようとする。
そうして再開された戦いだが、勝敗は日の目を見るより明らかだった。

(横槍は入ったが、結局終わりか)

自分と同様に死神に迫られているブラックローズを尻目に、アーチャーは諦観を滲ませた笑みを浮かべた。

(あの姫様もこの騎士様をあんなに守ろうとしていたのになぁ。
 騎士様も姫様もすれ違っちゃってまぁ……何というか、やっぱ騎士道なんて掲げてる奴らは大変だわ。
 中々上手く進まねえもんだ、現実って奴は)

そうこうしている内にブラックローズが吹き飛ばされるのが見えた。
まだ死に至ってはいないようだが、時間の問題だろう。こっちの攻撃が通らないのだからそもそも勝負になっていない。

「他愛ないな、人間共。所詮はそんなものか。『絆』などこうもたやすく破壊できる」

その言葉と共に死神が光を集める――

「待て」

最中、目の前に躍り出る一筋の声があった。
漆黒のドレス、ふわりと揺れる闇色の羽根、それらと対称的に純白の肌。
その足取りは破壊の閃光の中にあって尚止まることはない。

「黒雪姫……」
「何だよ、結局アンタも来たのか。ったく人の苦労を何だと……」

《黒》の王、黒雪姫/ブラック・ロータスはそうして戦いの場に現れた。

「進まねばならない、どのような結果になろうとも……私たちは受け入れ前に進む」

戦いの最中、彼女は決然と一歩を踏み出した。
ブラックローズの前に守る様に立ち、声高に言う。

「たとえ行きつく先が後悔であろうとも――だ」


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最終更新:2013年11月09日 01:26