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夜の帳は真実を映す鏡。
身につけた者の心が醜ければ、
その姿引き裂かれ、
永遠に元に戻ることはない。
1◆
慎二と彼に付いていったアーチャー、そしてヒースクリフこと茅場晶彦と別れてから、三十分ほどが経った。
痛みの森はすでに抜け、現在は右手に山が見える草原を歩いている。位置的には【D~E-4~5】という、非常に曖昧な地点となるだろう。
ここから月見原学園に向かうには、右手に見える山を越えるか、まっすぐ進んで山を迂回する必要がある。
あるいは、迂回するルートからマク・アヌへと向かい、ゲートからアリーナ経由で寄り道するのもいいかもしれない。
「奏者よ、余はアリーナに行ってみたい。この世界における闘技場(コロッセオ)が気になるぞ」
「私は断然山ですね。ムーンセルは海がベースとなっていましたので、久方振りに山を登ってみたくあります」
「なるほどな。キャス狐は狐らしく野山を駆け回りたいというワケか。人の姿をしていても、所詮は獣ということよな」
「あら、そう言うセイバーさんこそ、アリーナに向かいたいだなんて野蛮ですこと。さすが頭の中までSTR(筋肉)なだけありますね」
早速始まる赤青二人の言い争い。
険悪な雰囲気こそないものの、ケンカくらいならいつ始まってもおかしくなさそうなその様子に、もう胃が痛くなりそうになる。
………ああ、アーチャー。別行動を取ってからそう時間は経ってないけど、早くも君が恋しいよ。
「まあもっとも、それもmaterialが発売された(新情報が判明した)ことで覆りましたけど。
ホント驚きです。セイバーさんの本来の筋力値が、まさか脳筋どころか平均(アーチャーさん)以下のDランクだなんて。
それでよくライオンの裸締めなんてできましたね。俊敏Eの最速のサーヴァント(黒い方のランサーさん)の例があるとはいえ、最優と謳われるセイバークラスのステータスだなんてとても信じられません。魂の改竄の凄さ素晴らしさを、つくづく実感できました」
「うむ、もっと褒めるがよい」
「いえ、別に褒めてませんけど」
そう赤い背中を偲んでいる内に、二人の話が横道に逸れた。
どうやらケンカは回避されたようで、ひとまず安心して胸を撫で下ろす。
「それで、ハクノさん自身はどこに向かいたいんですか?
あ、私はどこでも構いませんよ。リアルの感覚は新鮮ですので、全部に興味がありますから」
ユイはそう言うと、胸ポケットから抜け出し、少女の姿となって草原の上をくるくる踊る。
仮想世界のAIであった彼女にしてみれば、現実世界に等しい感覚というのは、いわば赤ん坊が生まれた時に感じる外界に対する感触に近いのだろう。
要するに、どれだけ高性能なAIであろうと、今のユイは見た目通りの子供、という訳だ。
それは
カイトも同じはずだが、外見からは相変わらず何を考えているかわからない。けれど、今彼が和んでいることはなんとなく感じ取れた。
「? どうしたんですか、ハクノさん」
自分の様子が気になったのか、ユイがはしゃぐのを止めて声をかけてきた。
それに、なんでもない、と小さく首を振って答える。
ともかく、ここからどこに向かうべきか。
セイバーは街を希望し、キャスターは山を希望している。
アーチャーなら無駄な危険は避けるべきだと、迂回するルートを薦めるだろう。
自分は――――
>山を越える
山を迂回する
マク・アヌに向かう
山を超えよう。
街も気にならないわけではないが、今は月見原学園に向かうことを優先したい。
かと言って山を迂回するルートでは、当初の目的である道中での情報収集の効率も悪そうだ。
比べて山越えルートなら、直線距離ではこちらが一番近いし、道中に洞窟や崖といった地形もある。
載せる必要のなさそうなこれらの場所が、わざわざマップに載せられている理由も気になる。
そしてなにより、海をベースにしたSE.RA.PHにはなかった『山』というものを経験してみたい。
―――つまり要約すると、そこに山があるからだ。
「やったー! ありがとうございますご主人様」
「ぐぬぬ……奏者がそう言うのであれば仕方あるまい。
だが、学園に着いた後の次の目的地はアリーナにするのだぞ! 絶対だからな!」
ピョンピョンと飛び跳ねて喜ぶキャスターに対し、セイバーは悔しそうな顔をしている。
そんな彼女に対し、わかった、次はアリーナに向かおうと約束をし、それからユイとカイトへと声をかける。
「出発ですね、了解しました」
「……………………」
ユイが妖精の姿になってポケットに入り、カイトも頷いて定位置に付いたのを確認する。
出来ればセイバーたちには霊体化してもらいたいが、それに関してはもう諦めた。
そうして移動の準備が整ったところで、目的地となる山へと向けて歩き出した。
―――現状、一つ懸念があるとすれば、月見原学園に到着した後の事だ。
その後にアリーナに向かうと約束はしたが、モラトリアムが開始された以上、学園には多くの参加者たちが集まってくるだろう。
そんな参加者たちが一堂に会した時、果たして何が起こるのか………。
セイバーには悪いが、アリーナへ向かうのはもうしばらく後になりそうな予感がした。
2◆◆
「ハァ―――、ハァ―――」
――――走る。
ただ闇雲に走り続ける。
息を切らし、足を取られながらも、森の中を走っていく。
ここがどこであるか、どのような危険があるかなど、もはや欠片も思い至らない。
少女はただ、心の内にあるたった一つの感情に従って、死に物狂いで走り続けていた。
「ハァ―――、ハ………ッ、ハ―――ァ」
死にたくない。
頭にあるのはそれだけだ。それだけを胸に、少女は走り続けている。
恐怖に囚われた彼女には、自身がどうなっているかにさえ気づけない。
もはやその瞳には、自身に迫る死の恐怖しか映っていなかった。
……いや、もはや恐怖さえ映ってはいない。
死の恐怖から逃れるために、少女の意識は現実から目を逸らし、思考さえ閉ざしている。
現実を拒絶した少女がなおも走り続けているのは、恐怖から逃れるための防衛本能のようなものだった。
「ッハ、ッ―――い、いやだ………」
(………死にたくない――――!!)
頭にあるのはそれだけだ。
少女はただ、死にたくないがために、己も気づかぬ間に死の森を走り続けていた。
息を切らし、足を取られながら、ここがどこであるか、どのような死地であるかも解らぬままに。
(イヤ……嫌だよ………、こんなの、嫌だ――――!)
――――死にたくない。
死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。
死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死
たくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にた
い死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない
にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死に
ない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない誰かたすけて死にたくない死にたくない死にたくな
くない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたく
「ァ――――、…………ッッッ!!!!!!」
不意に何かに足を取られ、地面へと勢いよく倒れ込む。
受け身を取ることもできず体を打ち付け、激しい痛みによって僅かに我に返る。
足元を見れば、そこには割れた板のような何かがあった。どうやらこれに躓いたらしい。
辺りを見渡せば、そこは薄暗い、不安を煽る様な深い森。痛覚とダメージを倍増させる、死を招く罪界。
「いやだ………死にたくない、死にたくない、死にたくない、死にたくない………っ!」
自分がいる場所を理解しても、いや、理解したからこそ、少女は立ち上がる気力さえ失い、その場で蹲って恐怖に震える。
その感情に反応するかのように、少女の周囲にある黒い点のようなものが脈動する。
それは次第に数を増やし始め、徐々に少女の体を覆っていく。
「答えろ。お前は何者だ」
「――――――――――」
そこに、二つの足音が少女へと近づいてきた。
その呼びかけに反応し、少女は虚ろな瞳をその人影へと向けた。
†
――――不意に、森の奥から足音が聞こえた。
数は一人分。ずいぶん慌てているらしく、何度も足を取られているのが聞いて取れる。
「ブルース」
「プレイヤーか?」
「うん。人数は一人で、ずいぶん慌ててるみたい」
「そうか」
ピンクの言葉に、ブルースは頷いて立ち上がる。
その人物がいかなる理由で慌てているかは知らない。
急いで森を抜けようとしているのかもしれないが、だとし関係はない。
重要なのは、その人物が『悪』であるか否かだけだ。そして―――『悪』であれば、討つだけだ。
「行くぞ、ピンク。案内してくれ」
「わかったわ。ついて来て」
そう言って歩き始めたピンクの後を、その誓いを胸にブルースはついていった。
そうしてそう間もなく、二人は目的の人物の近くまでやってきていた。
ピンクの感知した情報によれば、躓いて倒れた後は蹲り、死にたくない、と繰り返しているらしい。
その報告を聞いてブルースは感心した。
ピンクから聞いてはいたが、彼女の情報収集能力は非常に優れている。
話によれば、疑似的な未来予測さえも可能とするらしいから、その精度は推して知るべしだろう。
本人によると彼女はヒーローらしく、現実の身体能力もただの人間以上らしい。
しかし現在はネットのアバターであるため、それを発揮することはできないらしいが。
――それはつまり、彼女がいつもの感覚で動けば、必ずその動作に遅れが生じるということだ。
その遅れは、とっさの判断を要する場面においては致命的な遅延になりかねないだろう。
「ピンク。相手が一人で、無力な人間のように見えたとしても、決して油断はするな。
相手が一手で状況を逆転させ得るチップを持っている可能性もある」
「わかってるわよ、そんなこと。二度と同じ手には掛からないんだから」
「……ならいいが」
気を引き締めるためにブルースが忠告するが、理解しているのかいないのか、ピンクは憤りを胸に、戦意を激しく燃やしていた。
よほど先ほど騙されたことが腹に据えかねているらしい。
強く意気込むのは構わないが、スタンドプレーに奔らないか不安でもある。
そう言葉を交わしている内に、ブルースは目的の人物を視認する。
蹲っていて顔は見えないが、おそらくは中から高校生くらいの少女。
自分たちの接近に気付いていないのか、彼女は蹲ったまま、死にたくないと繰り返している。
ピンクの報告通りだ。
彼女に何があったかは知らないが、尋常な様子ではない。
言葉通り本当に死にたくないのなら、こんな所で蹲ってないで、早々に立ち去るべきだろう。
被ダメージが倍増しているこの森でそんな隙を見せていれば、殺してくれと言っているようなものだ。
あるいはそれ自体が罠で、近づいてきたものを殺そうとしているのか、………もしくはそんな事にさえ思い至らないほどに錯乱しているのか。
ブルースはピンクに目配せをし、彼女が頷いたのを確認して少女に近づく。
そして遠すぎず近すぎない距離で足を止め、少女へと鋭く声をかけた。
「答えろ。お前は何者だ」
「――――――――――」
答えはない。
だが少女は顔を上げ、虚ろな瞳でこちらを視認する。
―――――同時に少女の周囲に、無数の黒い点が浮かび上がる。
「ッ――――!!」
「な、何あれ!?」
一気に警戒レベルを引き上げる。
正体のわからない、バグのような無数の黒点。
それは主催者である榊と、最初に遭遇した『悪』の女と同じものだ。
「貴様……榊の仲間か」
「――――――――」
「答えろ。さもなくば、―――斬る」
「――――――――」
ブルースの詰問に、少女は答えない。
いや、その虚ろな瞳からは、彼女が自分たちを正しく認識しているのかさえ判別できない。
少女が『悪』であるか以前の問題だ。その様子からは、彼女が何を仕出かすかさえ予想できない。
………『悪』ではないかもしれないが、非常に『危険』だ。
「………そうか」
ブルースはそう静かに嘆息し、右腕にソードを展開して構える。
警告はした。その上で沈黙通すのであれば、宣告通り斬るだけだ。
……ただし、デリートはしない。反撃できぬよう、腕を落とすだけだ。
なぜなら、『危険』ではあっても『悪』であるか判別できない以上、それはまだ討つべき者ではないからだ。
「……………………」
「――――――――」
少女の前に立ち、右腕のソードを振り上げる。
だが少女は、その光景を目の前にしてなお、虚ろな視線だけを向けるだけだ。
その様子に若干の憐れみを覚えながらも、ブルースは躊躇なく、少女へと向けてその刃を振り下ろした――――。
3◆◆◆
周囲を注意深く見渡しながら、木々の間を飛び抜ける。
少女を追っていったキリトの姿は見当たらない。すでに森の深くへと進んでいるようだ。
出来るだけ急いで追いかけたつもりだが、一人だけである分、彼の方が速いらしい。
「すいません……足手纏いになってしまって」
そんな事を考えていると、カオルがそう謝ってきた。
自分のせいでユウキが全力で飛べないことに、自責の念を覚えているらしい。
だがそれを、ユウキは首を振って否定する。
「気にしなくていいよ。もともとキリトの事は見失っていたし、闇雲に探しても多分見つけられないから。
それよりは少し遅くなっても、二人で確実に探した方がいいでしょ?」
「ユウキさん………ありがとうございます」
「気にしなくていいって。
それより、もっとしっかり掴まって。急いだ方がいいのは確かだから、少し速度を上げるよ」
そう言ってユウキは、より速度を出そうと肩甲骨へ意識を向けた。
―――その瞬間。
「――――ッ!!」
前方の木々が唐突に燃え上がり、炎の壁へと変化した。
「カオルッ!」
「キャッ!?」
ユウキはそれを視認すると同時に、一瞬で出せる最高速度まで加速した後、カオルを庇うように抱え込んで体を丸めた。
より加速しようとしていた矢先。無理に停止しようとするよりは、一気に潜り抜ける方が安全だと判断したのだ。
「ヅッ……!」
炎の壁へと背中から突っ込み、体を炎に炙られる激しい痛みに苦痛の声を上げる。
だがそれも一瞬のこと。
ユウキの身体は炎の壁を難なく突破し、地面へと危なげなく着地する。
「カオル、大丈夫?」
「はい、私は大丈夫です。ユウキさんは?」
「私も大丈夫。それより―――」
言って、カオルを地面へと下ろし、右手を剣へと添えて立ち上がる。
その視線は鋭く、炎の壁の発生源へと向けられている。
炎によって照らし出された木の陰にいる、宵闇色のロボットへと。
「どういうつもりかな。いきなり森を燃やすなんで、危ないじゃないか」
「いえ、すみません。貴方方に止まってもらうには、こうした方が手っ取り早かったものですから」
ユウキの投げかけた詰問に、闇色のロボットはそう答える。
言葉こそ一応謝ってはいるが、その声からは反省の色が全く見えない。
このロボットは、自分の仕出かした事を悪いとまったく思っていないのだ。
「……それじゃあ聞くけど、何の用? ボク達、今急いでるんだけど」
「いえ、簡単なことですよ。貴方が了承してくれればすぐに済みますから。
僕はただ、貴方の持つあるものが欲しいだけなんです」
「欲しいもの?」
「ええ」
そう言うとロボットは、左手の人差し指をゆっくりとユウキへと差し向けた。
「貴方の背にある、その羽を頂きたいと思いまして」
「ボクの、翅を?」
ロボットのその言葉を、ユウキは僅かに訝しがる。
ユウキのアバターが持つ翅は、ALOの妖精であれば誰もが持つ基本的な機能だ。
あげたり貰ったりするものではないし、そもそもそういう事ができるものでもない。
「それは無理だよ。この翅はそういった事ができるものじゃないんだ」
「貴方の意志など関係ありませんよ。重要なのは、僕が欲しいと思ったこと、ただそれだけです」
「……………………」
その自分勝手な言葉に、ユウキは思わず眉を顰める。
この分ではおそらく、システム的にできないんだと懇切丁寧に教えたところで、このロボットは聞き入れないだろう。
「どうしますか? その羽を、僕に渡すのか、それとも渡さないのか。どちらを選んだとしても、結局は同じことですけどね」
「……あのさぁ。さっきも言ったけど、この翅はこのアバターの付属機能で、トレードはできないの。
それにこれも言ったけど、ボク達は急いでるんだ。子供みたいな我が儘で邪魔するなら―――斬るよ?」
「なるほど、交渉決裂ですか。なら話は簡単です。多少手間がかかりますが、無理やり奪わせていただきます」
ユウキがランベントライトに手を添えて警告すると、ロボットはそう言って両手を輝かせ始めた。
太い棒のようだった右腕は、ペンチの様な大型カッターに。人の形をしていた左腕は、イソギンチャクのような長い触手に。
それはもはや、どう見てもテレビの特撮ヒーロー物に出てくる悪の怪人のようなデザインだった。
「――――――――」
そんなロボットの姿を横目に、ちらりと背中の翅へと目を向ける。
いつもなら止めどなく漂っている翅の燐光が、今はほんの少ししか見えない。
おそらくはこのデスゲームにおける制限。昔のALOにあったという、『対空制限』とやらが掛けられているのだろう。
あとどれだけの間飛んでいられるかは判らないが、あのロボットを振り切るには多分足りない。
次いでHPゲージへと視線を移す。
残り約八割。あの炎で一割ほど削られている。
ほとんど一瞬で潜り抜けたと思ったが、痛みの森の影響もあってか、思ったよりもダメージを受けている。
だがあのロボットと戦う分には、まだ十分残っていると思われる。
「カオル、下がってて」
カオルにそう声をかけ、ランベントライトを抜き構える。
その視線はより鋭く、ロボットの一挙一等足を見逃すまいと強く睨み付ける。
あのロボットのステータスがどれほどかはわからないが、おそらく実力自体はそう高くないだろう。
何故ならあのロボットからは、キリトの様な本当の強者が持つ気迫のようなものを感じられないからだ。
いや、むしろその逆。ロボットから感じ取れるのは、アバターの高いステータスに頼った、中途半端な実力者のそれだ。
故に、ロボットの技量自体はさして脅威には感じていない。むしろ警戒すべきは、痛みの森のフィールドエフェクトだ。
――――被ダメージおよび痛覚の倍増。
痛みには慣れているためまだ問題ない。問題なのは、被ダメージの倍増だ。
それによって、相手のステータス次第では一気に窮地に追い込まれる可能性もある。
だが――――。
「ユウキさん、気を付けてくださいね」
「うん。わかってる。心配はいらないよ。
カオルこそ、危なくなったらすぐ逃げてよね」
「はい。もちろんです」
カオルの気遣いにそう答えつつ、ユウキは油断なくロボットを見据える。
攻撃を受けるのが危険ならば、受けなければいいだけの事だ。
戦法は回避と防御を重視。相手の攻撃を受けないことを最優先にする。
重要なのは相手を倒すことではなく、退けること。キリトの事が心配ではあるが、焦って自分を危険に晒しては意味がない。
「さあ。その剣も、その羽も。貴方の全てを、奪い尽くして差し上げます………!」
ロボットがその言葉とともに、異形の両腕を広げ迫り来る。
「悪いけど、あんたにあげるモノなんて何にもないよ―――!」
対するユウキもそれに応戦し、その手の細剣を閃かせた――――。
4◆◆◆◆
「――――サチ」
――――走る。
ただ一人の少女を探して走り続ける。
無理やりに息を整え、足を取られないよう注意しながらも、キリトは森の中を駆け回る。
この場所は危険だ。開始されたイベントによって、通常以上に『死にやすい』場所となっている。
一刻も早くサチを見つけないと、また目の前で、彼女が死んでしまうかもしれない。
「ッ…………!」
そんなのは嫌だ。
また彼女が死ぬのは嫌だ。
手が届いたはずなのに、目の前で死なれるのは嫌だ。
大切な人が死んでしまうことだけは、どんな理由であっても、絶対に嫌だった。
「サチ、どこにいるんだッ――!!」
木々の間を全速力で駆け抜けながら、素早く視界を巡らせる。
同時に声を張り上げ、森のどこかにいるはずの少女へと呼びかける。
………だが、答えは返ってこない。少女の姿も見当たらない。
その事実に、焦りばかりが募っていく。
「サチィ―――ッ!!」
当てもなく、ただひたすらに走り続ける。
サチは一体、どこにいるのか。
身を焦がす焦りに、もしかしたら彼女の事は、もう二度と見つけられないのではないか? とさえ考えてしまう。
それの意味することは、つまり――――とそこで思考を停止させ、必死にその考えを否定する。
見つけられないなんてことは絶対にない。彼女を見つけられるまで、いつまでも探し続ける。
――――だから、無事でいてくれ、サチ……!
………今のキリトには、サチを見つけてどうするのかという考えはない。
いやそれ以前に、そもそも少女は、彼の呼び声から逃げているのではないか、ということにさえ思い至らない。
何故なら――少年もまた、ある意味においては少女と同じく、現実から目を逸らしていたからだ。
―――だから、キリトがサチを発見できたのは、純然たる幸運によってのものだった。
しかしそれは、果たして本当に彼のための幸運だったのだろうか――――。
「ッ……!!」
視界の淵に映る木々の間に、ほんの一瞬赤い人影が映る。
それに思わず足を止め、そちらの方へと注視する。
一体何をしているのか。赤い人影――男は、光剣のような右腕を振り上げている。
その足元には、今朝に自分が捜している少女の姿が――――
「サ、――――ッ!!!」
考えるより早く駆け出し、同時に魔剣を構え渾身の一撃を放つ。
ライトエフェクトを纏った魔剣が、ジェットエンジンのような効果音を放つ。
彼我の距離は一瞬で詰められ、魔剣の切っ先が赤い男を捉える。
ソードスキル、ヴォーパルストライク。
両手重槍スキル並の威力を持つ単発重攻撃を、相手を確実に仕留めるつもりで繰り出す。
だが――――。
「ブルース、危ない!」
その一撃が届くより早く、もう一つの人影が男へと警鐘する。
それと同時か、やや遅れて男は反応し、その左腕を盾へと変化させる。
…………関係ない。その盾ごと、ブチ破るッ……!
「ウオオォアアアア―――――ッッ!!!」
魔剣の切っ先が盾と接触すると同時に、最後の踏み足に渾身の力を込める。
直後。ドゴンと激しい音を立てて男の体が弾き飛ばされる。
しかし、手応えはない。事実赤い男は、危なげなく着地して即座に体勢を立て直していた
見ればその盾は、中央からややズレた位置に大きな亀裂が奔っているだけで砕けてはいない。
「ブルース、大丈夫!?」
「問題ない。だが次からはもう少し早めに警告してくれ」
「ゴメン。割と近くの方で戦闘が始まったから、そっちに気を取られてた」
男たちが何かを喋っている。一体何の話だろうか。
―――いや、そんな事はどうでもいい。重要なのは、サチが無事かどうかだけだ。
「サチ、大丈夫か! ッ……!?」
目の前の男達を警戒しながら、背後に庇ったサチへと振り返り、彼女の状態に目を疑った。
地面に座り込むサチの姿は、異様の一言に尽きた。
こちらを呆然と見つめる彼女の瞳は虚ろで、意思の光と呼べるものが見当たらない。
―――それはいい。問題ではあるが、SAOの始まりの街にいた、デスゲームに絶望したプレイヤーにも見られた状態だ。
だから異様なのはそれ以外の事。
一体サチに何があったのか。彼女の身体(アバター)は黒いナニカに覆われ、その周囲には黒い孔の様な点が、出現と消失を繰り返しながら漂っていた。
「サチ……?」
呼びかける声に、反応はない。サチはただ、呆然と視線を向けてくるだけだ。
――――まるで目の前の現実を、正しく認識できていないかのように。
「ッ……。お前たち、サチに何をした……!」
歯を噛み砕けそうなほどに食い縛り、赤い男達へと詰問する。
最後にサチを見た時、彼女にこんな状態になる兆候は全く見受けられなかった。
ならばサチがこうなった原因は、目の前の男たち以外には考えられない。
「何も。俺がその女を見つけた時には、すでにその状態だった。
それよりも、お前はその女の仲間か?」
「嘘を吐くな! サチと逸れてから、そんなに時間は経っていない。お前たち以外に、サチに何か出来るわけないだろ!」
「嘘ではない。お前たちに何があったのかは知らんが、無意味な勘違いで誤解をするな」
「ッ! あくまで白を切る気か。だったら……力尽くでも聞き出してやるッ!」
魔剣を後ろ手に構え、赤い男を睨み付ける。
そんな俺に舌打ちをして、男も右腕の剣を構える。
「チッ。聞く耳持たず、か。
ピンク、構えろ。止むを得んが、戦闘を開始する」
「わかったわ」
こいつらは一体何者なのか。
―――どうでもいい。
一体何が目的で、何のためにサチをこんな状態にしたのか。
―――どうでもいい。
戦力の解らない敵二人を相手に、果たして勝つことができるのか。
―――そんなコトは、本当にどうでもいい。
「オオオオオオアアアア――――――ッッッ!!!!!」
猛り狂う激情のままに、男へと向け突進し、魔剣を振るう。
痛みの森のイベントの事も、相手を殺してしまう可能性さえも頭にない。
目の前の敵を倒し、サチを救う術を聞き出す。それだけが、今のキリトの行動原理だった。
5◆◆◆◆◆
岸波白野と別れた後、間桐慎二はアーチャーを引き連れて森の中を歩いていた。
奪われた自身のサーヴァント・ライダーを取り戻すには、何よりまず“アイツ”を見つけ出す必要がある。
あれからそれほど時間は経っていない。アイツはまだこの森のどこかか、あるいは森を抜けたばかりのはずだ。
急げばきっと追いつけるはずだが――――。
「慎二、焦る気持ちは理解できるが少し落ち着け。それでは見つけられるものも見つけられんぞ」
「ッ、うるさいなぁ。だったらお前には見つけられるのかよ」
「忘れたか? 私のクラスはアーチャーだ。多少制限を掛けられてはいるが、千里眼スキルも保有している。平原に出てしまえば補足は容易い」
「あ、ああ、そう言えばそうだったね」
「だが逆に、この森の中でそれを活かすことは難しい。目的の人物を見つけるのであれば、その者がどちらへと向かったかを探るべきだ」
「アイツがどっちへ向かったか、ね」
そう言われて、慎二は思考を巡らせる。
アーチャーのセリフは、腹立たしくはあるが正論だ。
あのロボットがすでに森を出ているのなら、どの方角から出て行ったのかを知る必要があるし、まだ森に潜んでいるのなら奇襲を警戒するべきだ。
同じ手を二度も食らって、借り物である岸波のサーヴァントまで奪われる訳にはいかないのだから。
「なぁおまえ、この森から飛び上がって周囲を見渡すっていう事、出来るか?」
「可能ではあるが、推奨はできないな。逆にこちらが発見される可能性もあるし、そのロボットが移動しているのならともかく、森に潜んでいる場合、発見できる保証はない」
「ならこの手はナシだね」
プレイヤーに見つかること自体は構わない。だがそいつと接触して、しかし何の情報も得られなかった、という事態は避けたい。
第一ソイツがPKだとしたら、その場で戦闘になる可能性もあるのだ。
そのせいで体力を無駄に消費して、アイツと遭遇した時には疲労困憊、なんてことになったら目も当てられない。
故にそんな無駄は冒せない。今はほんの少しの時間も体力も惜しいのだ。
「………そう言えばおまえと岸波って、……あんまり認めたくないけど……、僕と戦って勝ったんだろ? 本当は強い英霊なのか?」
慎二のその疑問は、戦闘を想定したことで浮かび上がってきた疑問だった。
実際のところはさておき、彼自身は己が優れたマスターだと自認している。
故に自分のサーヴァントであるライダーもまた、相応に強力な英霊だという自信があった。
だが岸波白野は、そんな自分たちを倒して第二回戦へと進んだらしい。
なら彼のサーヴァントであるアーチャーは、自分のライダーよりも強力な英霊なのかと思ったのだ。
「ふむ、そうだな。現時点においては、幸運を除いた全ステータスがワンランク下がっている。君の魔力供給が乏しいのが原因だろうな」
「おい! それは僕がマスターとしてアイツに劣っているってことか!?」
「そんなことはない。魔力供給さえ十全に行えれば、君のマスターとしての能力は私のマスター以上だ。安心していい。
……なにしろ聖杯戦争の初期、つまり君と戦った時は、ほぼ全てのステータスがEランクと、俺のマスターの未熟っぷりはこの上なかったからな」
「はあ? なにそれ。そんなんでよくこの僕を倒せたよね」
「主に君の油断・慢心が勝因だな。君が最初から本気で私たちを倒す気でいれば、もう少し厳しい戦いになっただろう」
「………っ。またそれかよ………。
……いや、強い奴が負ける時って、大抵そんなのが理由だっけ………」
アーチャーの言葉に、慎二は目に見えて気落ちする。
ヒースクリフとの戦いで負けた時や、ライダーを奪われた時の事を思い出したのだ。
あの時、最初から本気で戦ってさえいれば、あんなミスはしなかったのに、と。
「くそっ、なんだよそれ。負け犬みたいな考え方じゃないか……カッコ悪い」
「……………………」
あの時ああしていれば、なんて負け惜しみは敗者のものだ。その時その瞬間に結果を出さなければ意味がないのだ。
……大方、岸波に負けた時も、自分は無様に喚き散らしたのだろう。自分の事だ、それくらいはわかる。
「慎二、そう気に病むな。今が恰好悪いと思うのであれば、これから格好良くなればいいだけの事だ。
君はアジア圏のゲームチャンプであるということに誇りを持っているようだが、己を縛るようなプライドなど犬にでも食わせてしまえばいい」
「……それって要するに、ゲームチャンプの座に拘るなってことか?」
「そうだとも言えるし、違うとも言える。誇りを持つのは構わないが、それを驕りにするなと言っているのだ。
慎二。君にとって重要なのは、輝かしいだけの見せ掛けの栄光と泥臭いが確かな事実、どちらなのだ?」
「そ、そんなの、決まってるじゃん。言うまでもないだろ………」
慎二はどもりながらもそう口にするが、ほとんど答えにはなっていない。
……答えられるわけがなかった。
もともと自分の名前を記録に残したくて聖杯戦争に参加したのだ。輝かしい栄光を得られなければ意味がない。
だがその栄光が剥ぎ取られてしまえば、後に残るのは本当の、こうして無様を晒している自分だけだ。
そして、そんな無様な自分は、認められない。自分がアジア圏のゲームチャンプの座は、間違いなく実力で勝ち取ったものなのだから。
栄光は欲しい。けど、実力も認められたい。
どっちも重要で、だからこそどちらかだけを選ぶことはできなかった。
……だからか、ふと思ってしまった。
自分がライダーを取り戻したいのは、過去の栄光に縋り付いているからなんじゃないか、と。
「――慎二、雑談はここまでだ」
「へ?」
アーチャーの唐突な声に、思わず足を止める。
いきなりどうしたのかとアーチャーの方を向けば、彼は鋭い眼差しで遠くを見つめていた。
「おいアーチャー、いきなりなんなんだよ」
「微かにだが、戦闘音が聞こえた」
「戦闘音って、もしかしてあいつか!」
「それは判らん。だがそう遠くはなさそうだ。
……どうする、そこへ向かってみるか?」
その問いかけに、慎二は少し考える。
現状、“アイツ”に関する手掛かりはまるでない。このまま闇雲に捜したところで、発見できる可能性は低いだろう。
……なら少しでも情報を得るために、ここはその場所に向かってみるべきかもしれない。
もともと森上空からの捜索を行わなかったのは、発見できなかった場合のデメリットが大きかったからだ。
しかしこちらならばそのデメリットは小さく、また運が良ければその場所でアイツを見つけられるかもしれない。
「………よし、行くぞアーチャー。案内しろ」
「了解した」
アーチャーを先頭にし、戦闘が聞こえたという場所へと向けて走り出す。
栄光と事実、そのどちらを選ぶのかは決められない。
けどそれでも、ライダーは絶対に取り戻してみせると、慎二はそう強く思った。
最終更新:2014年04月19日 19:01