6◆◆◆◆◆◆


「シッ―――」

 ランベントライトの刃を閃かせ、ユウキは迫りくる無数の触手を切り捨てる。
 しかし触手は再生能力を有しているのか、切られた端から再生し、再びユウキを拘束しようと襲い来る。
 だがユウキは気にも留めず、蠢く触手を次々に切り裂きながら闇色のロボット――ダスク・テイカーへと接近する。

「チィ……ッ」

 対するテイカーは、ユウキの予想以上の剣技に舌打ちし、接近されまいと後退する。
 だが距離を取ったところで、パイロディーラーでユウキを攻撃することはできない。なぜなら現在のこの森では、被ダメージは倍加されるからだ。
 そして周囲の森まで燃やしてしまうパイロディーラーでは、森林火災という地形効果による継続ダメージで、勢い余って殺してしまう可能性がある。
 そんな失敗は容認できない。その羽を奪うまでは、彼女に生きていてもらう必要があるのだ。

「セアッ――!」
「このッ……!」

 無数の触手――シー・スターによる猛攻を切り抜けたユウキが、細剣による鋭い一撃を放つ。
 それをテイカーは右腕の大型カッター――プライヤー・アームで防ぐ。
 細剣とカッターが激突し、金属音とともに激しく火花を散らす。
 それも一度や二度ではない。ユウキの細剣は高速で閃き、一瞬で五度も金属音を響かせる。

「しつ、こい……ッ!」
 更なる追撃が入るより早く、テイカーは左腕の触手を薙ぎ払いユウキを後退させる。
 まともに反撃する余裕などない。ユウキの剣の技量は、間違いなく黛拓武以上だ。
 翅を奪うことに固執したままでは、接近戦に持ち込まれ負けると、否応なく理解させられた。
 そんな焦りを表に出すことなく、テイカーは相手を侮った口調で余裕を見せる。

「………いやあ、油断しました。貴方、思ったよりもやりますね」
「そう言う君は、そうでもないね。思った通り、ステータスに頼るだけの半端者だ。本物には遠く及ばない」
「っ……! なんですって?」
「少し戦っただけですぐ解る。そのカッターも触手も確かに強力そうだけど、君は全然使いこなせていない。
 この分だと、さっきの火炎放射も同じなんじゃないかな?」
「……言ってくれますね」
「事実だよ。だって君、どっちの腕も振り回しているだけで、“技”を全然使ってこないじゃん。
 単純なんだよ、君の攻撃は。それってつまり、腕を使うだけで精一杯ってことでしょ?」

 ユウキのそんな言葉に、テイカーは激しい怒りを覚える。
 本物には遠く及ばない? 腕を使うだけで精一杯? そんな筈はない。そんな事はあり得ない!
 僕はこの力を誰よりも上手く使えるし、もし“技”がないというのなら、その“技”を奪えばいいだけの事だ!

「まったく……ずいぶん舐めた事を言ってくれるじゃないですか。
 そう言う貴方はどうなんですか? 先ほどから僕に一度も攻撃が届いていませんけど」
「うん。だって、さすがに殺しちゃうのは後味が悪いからね」
「……なんですって」
「だから、殺さずに倒せるなら、その方が断然いいでしょう?」
「……………………」

 そしてその怒りは続いて放たれた言葉によってあっさりと限界を超えた。
 殺しちゃうのは後味が悪い? それはつまり、殺さずに勝てる自信があるということか?
 本当に、ずいぶん余裕を見せてくれる。そこまで言うのなら、手加減するのはここまでだ!

「そうですが。では、お遊びはここまでですね」
「――――――」
 その言葉に、ユウキはテイカーへの警戒を強める。
 しかしその警戒に意味はない。何故なら、本当に注意すべきはテイカーではなく。

「やれ、ライダー!」
「砲撃用ー意!」
 テイカーが誰かに命令すると同時に、一人の女性が突如として出現する。
 その背には四門の大砲。砲口は全てユウキへと向けられている。
 そう。警戒すべきはテイカーではなく、第三者の介入だったのだ。

「ッ―――!?」
「藻屑と消えな!」
 ユウキがそれに気づくと同時に、砲撃が放たれる。
 撃ち出された砲弾は木々を容易く破壊し、ユウキの立つ地面を粉砕する。
 だがユウキは、間一髪のところでそれを回避し地面を転がる。

「鈍亀ェ!」
 そこへ砲撃を放った女性――ライダーが、クラシックな二丁拳銃による銃撃を行う。
 ユウキは咄嗟に近くの立木を盾にし、銃撃から逃れるが、容赦なく木の幹を削り飛ばす銃弾に肝を冷やす。
 これで状況は二対一。しかも女性の方はその気配から察するに、ロボットとは違って確かな実力者のようだ。
 そんな人物が自分より格下のロボットに従っている理由は分からないが、これで状況は一気に不利となった。
 どうやらカオルに気を使って殺さないように気を付けたつもりが、いつの間にか油断していたらしい。
 こうなる前に、ダメージを気にせずロボットの四肢を切り落としておくべきだったか、と。
 そんな今更な考えをしつつ、ユウキはテイカーへと声をかける。

「まさか仲間がいたとはね。確かにそれなら、君の実力はあまり関係がないや」
「はっ、この状況でまだそんな減らず口を叩けるとは。そこまで行くとある意味感心しますよ。
 けど、一つ大事なことを忘れてはいませんか?」
「へぇ、何を?」
「僕の強化外装が、もう一つあるということをですよ! 《パイロディーラー》装備!」

 テイカーがボイスコマンドを口にすると同時に、その右肩に大きなタンクが、右腕に大きな四角い筒が装着される。
 それを見て瞬時にユウキは思い至った。自分たちを襲った炎の壁は、あの機械装置から放たれたものなのだと。

「ッ……!」
 そして同時に、盾にしていた木の影から飛び出す。
 すぐにライダーの放つ銃弾の雨にさらされるが、気にしている余裕はない。
 何故なら先ほどまで盾にしていた木は、テイカーが放った火炎放射によって一瞬で消し炭にされていたからだ。
 あと少しでも判断が遅れていれば、その炭の中に自分の身体が混ざったことだろう。

「くははは……! そうです、そうやって逃げ回っていればいいんですよ!」
 ユウキへとそのまま火炎を放ちながら、テイカーはそう嗤い声を上げる。
 先ほどまで余裕を見せていた相手が、逃げ惑うしかない事が楽しいのだろう。

(さて、ここからどう反撃しようかな……)
 その声を聴き流しながらも、ユウキはこの二人にどう対処するかを考えていた。
 単純に相手を倒すだけならば、ライダーよりはテイカーの方が相手をしやすい。だがそれは相手も理解しているだろう。そうやすやすと近づかせてはくれまい。
 そして無駄に手間をかければ、テイカーへの攻撃の最中にライダーの銃撃が飛んでくることになる。さすがにあの銃撃を防ぎながら、テイカーを素早く倒せる自信はない。
 となると、残る選択肢は一つだけだ。

「ほう? あたしとやる気かい?」
 ユウキの視線からその意図を読み取ったライダーが、好戦的な笑みを浮かべる。
 そう、残る選択肢は一つだけ。まず先に、ライダーの方を倒すという手だけだ。
 ライダーはテイカー以上の強敵だ。それは間違いない。
 だがテイカーが使用する火炎放射器は、その性質上ライダーさえも巻き込みかねない。
 テイカーの触手に気を付ける必要はあるが、接近戦にさえ持ち込めば、実質的には一対一の状況となるはずだ。
 そしてもし仮にテイカーが加勢するために、右腕を大型カッターへと戻し近づいてくればそれこそ好都合だ。
 その瞬間に逆にテイカーへと接近し、反撃する間もなく倒してやる。

「よし、行くよ――」
 そう覚悟を決め、ライダーへと接近するために足に力を込めた――――その瞬間。

「おっと。余計な事はしないでくださいね。彼女がどうなっても知りませんよ」

 テイカーの放ったその声に、思わず足を止める。
 見ればその左腕の触手には、いつの間にかカオルが捕らえられていた。

「カオル!? どうして! 危なくなったら逃げてって言ったじゃん!」
「ごめんなさい、ユウキさん。気が付いた時には脚を絡め捕られてしまいまして」
 カオルは本当に申し訳なさそうに、ユウキへとそう謝る。
 テイカーの触手はカオルの身体にしっかりと巻き付いている。
 あの状態ではゲイル・スラスターを使用したところで、テイカーも一緒に連れていくことになってしまうだろう。

「くッ……!」
「おやおや、ケツに火が付いちまったみたいだね。
 どうする? 降参するかい? 今なら身ぐるみ寄こせば、見逃してくれるかもしれないよ?」
「ああ、それもいいですね。貴方の全てを僕に渡して、その上で服従を誓うというのであれば、考えないでもありません」
「おや。身ぐるみを引っぺがすだけじゃなく、首輪まで付けるのかい? アンタもたいがい悪党だねぇ」
「この世の根本原理は『争奪』なんですよ、ライダー。敗者は全てを失うのが当然の結末です」
「へぇ。いいこと言うじゃないか、ノウミ」

 テイカーとライダーのやり取りを聞きながらも、ユウキは一歩も動けないでいた。
 カオルが囚われている以上、逃げることはもちろん、攻撃することもできない。下手に動けば、その累はカオルに及ぶことになるのだ。
 無論、カオルを見捨てれば自由に動けるが、そんな選択は問題外だ。

「さぁ、今度は貴方の番ですよ。抵抗はしてもかまいませんが、反撃は禁止します。精々無様に逃げ回ってください。
 やれ、ライダー!」
「あいよ!」
 テイカーの命令に従い、ライダーがユウキへと銃口を向けながら突撃してくる。
 どうやらテイカー自身は、手を出す気はないようだ。あくまでもカオルが逃げ惑う様を眺めているつもりなのだろう。

「カオル。少しの間だけ、我慢してね……!」
 小さくそう口にしながら、ライダーへと向けてランベントライトを構える。
 これからは反撃の許されぬ、戦いとも呼べぬ一方的な戦闘だ。
 その窮地の中で勝機を見出すために、ユウキは自分の命を賭ける覚悟を決めた。


     7◆◆◆◆◆◆◆


 一合、二合と魔剣と光剣が激突し、相手を打倒さんと鎬を削る。
 翻る刃は相手の身体を断ち切らんと鋭く閃き、それを防がんと打ち弾く。
 高速でぶつかり合う二つの刃は、相手の体を浅く切り裂きながらも、決定的な一撃には至らない。
 その攻防立ち替わる激しい剣戟は、戦いが始まってから一度として途切れることなく続いている。

「アアアァアッッ―――!」
「クッ……、セアッ――!」

 黒の剣士キリトと、オフィシャルナビのブルース。
 この二人の戦いは、自身を顧みずに戦うキリトが優勢に進めていた。
 無論、戦うという点においては、ブルースとて手加減はしていない。
 ならばなぜ戦いはブルースに不利となっているのか。
 それは主に、彼の心理的な要因があった。

 確かに純粋な剣の技量においてはキリトの方が上だ。
 だがブルースとて、オフィシャルナビとして多くのウイルスやナビを倒してきた。単純な総合力においては、キリトにも劣っていない。
 しかし、激情に駆られているとはいえ、キリトはサチを助けるために戦っている。
 誰かのために戦う『悪』ではない者を、自分の身を守るためとはいえデリートしてしまうかもしれない可能性に攻めあぐねていたのだ。

「ハ――ッ、アア………ッ」

 対するキリトに、そんな躊躇は微塵もない。
 サチを助ける。その一点しか思考にない今の彼には、相手の命はもちろん、自分の命さえも無価値だ。
 キリトがまだ命を懸けていないのは、自分が死んだところで、サチが助かる保証がないからだ。
 もし自分の命を差し出すことで彼女を救えるのなら、彼は何の躊躇いもなくその命を差し出すだろう。
 その自己を投げ打った無鉄砲さもまた、ブルースが攻めあぐねる要因の一つとなっていた。


「何やってんのよブルース! そんなヤツ、早くやっつけちゃいなさいよ!」
 自分たちが不利となっている現在の状況に、焦れたピンクが檄を飛ばす。

 言われなくとも解っている。
 如何に相手が『悪』でないとしても、ただ倒されるつもりはブルースにもない。
 必要とあらばキリトの動きを抑え込み、ピンクのインフィニティによる一撃で決着をつけるつもりだ。
 無論。そう言うほど容易い相手ではないが、そこはオフィシャルとしての力の見せ所だろう。
 だがそれは最後の手段だ。まだ余裕の残っているこの状況において取るべき選択ではない。

「いい加減、少しは落ち着け……! 俺たちを倒したところで、何の解決にもならないとなぜ気付かない!」
「……うるせぇよ。だったらサチを、彼女を元に戻せって言ってるだろうが―――ッ!!」

 ブルースが静止を呼びかけるが、キリトは全く聞く耳を持たない。
 それどころか、むしろますます激高し、ブルースへとその魔剣を叩き付けてくる。

「チィッ……!」
 そのあまりの分らず屋っぷりに、ブルースは堪らず舌打ちをする。
 どうやらキリトを止めるには、彼女からあの黒いバクを取り除く手段を提示する必要があるらしい。
 ……だがそんな事は不可能だ。自分たちとあの黒いバグは無関係だし、対処法など知っているはずがない。

「ピンク!」
「ゴメン、わかんない。プログラム関係は弄ったことないの」
 わずかな可能性に賭けピンクへと声をかけるが、やはり無理だと首を振られる。
 いかなピンクの情報収集能力でも、五感から獲得できないデータ情報の取得や、ましてやその解析などは不可能らしい。
 となるともはや、手段は二つしか残されてはいない。すなわち、力尽くで彼を取り押さえるか、あるいはデリートするかだ。

「やるしか、ないようだな……」
 ブルースは小さくそう呟いて、一際強くキリトを弾き飛ばし、戦闘を仕切り直すために距離を取る。
 キリトの技量は決して侮れるものではない。どちらを選ぶにしても、全力を尽くす必要があるだろう。
 ならばその結果として、キリトをデリートしてしまう可能性も、ブルースは覚悟の内にいれた。

「ハァ、ハァ、ハァ………」
 対するキリトは、弾き飛ばされると同時にサチを背中に庇い、乱れた息を整えつつ少女の様子を見る。
 しかし彼女は、この剣戟を前にしてさえ変わらず虚ろな瞳を彷徨わせるだけだ。

 ―――どうして、こんな事になってしまったのか。
 ………決まっている。自分が、彼女を一瞬でも拒絶したからだ。
    だからサチは何もかもが信じられなくなり、何もかもから逃げ出したのだ。

「ッ…………!」
 そんな今更な後悔に、キリトは堪らずほぞを噛む。
 ……だけどまだ手遅れじゃない。アイツらを倒せば、きっとサチは助けられる。
 …………だから。

「サチ、君は絶対に死なせない。必ず、俺が助けるから――――だから」

 だから、俺を信じてくれ。と、サチへと向けて言外に懇願する。
 そしてブルース達へと向き直り、一層強く睨み付ける。
 こいつらのせいで……こんなヤツ等さえいなければ、サチはこんな目に合わずに済んだはずなのに。
 ………赦せない。絶対に、後悔させてやる―――!

 キリトはそんな激しい憎悪を燃やし、ブルース達へと魔剣を構え、感情のままに突撃する。
 ――――その、直前。

 ズプリと、キリトの腹部から、血のように赤いライトエフェクトをまき散らしながら、剣の刀身が飛び出した。

「――――――――、え?」
 その光景に理解が及ばず、痛みを認識するより先に、そんな声が漏れた。
 ……ブルース達の仕業ではない。彼らもまた、何かに驚いた表情を見せている。
 ならば、この剣は一体何なのか。

「グッ、づぁっ……ッ!」
 遅れてきた激しい痛みに、堪らず呻き声を出す。
 だがそんな事はどうでもいい。今重要なのは、この攻撃が何なのかということだけだ。

 正面からの攻撃ではない。剣の切っ先が見えている。ならば背後からの一撃ということになる。
 ………けどそれはおかしい。
 背後にはサチしかいなかった。剣での一撃である以上、近接攻撃であるはずだ。近づこうとすれば、彼女が邪魔になる。
 だから、完全に不意を突かれて後ろから刺されるなんてことは、あり得ないはず……なのに――――。

「ぁ…………、なん………で……?」
 理解が及ばない。現実を認識することを、心が拒絶している。
 けど、振り向いた先に見えたのは確かな現実で、だからそれが信じられない。

 なぜ、彼女がそこにいるのか。
 なぜ、彼女はそんな顔をしているのか。
 ―――そしてなぜ、彼女が自分に突き刺さる剣の柄を握り締めているのか。

「サ……チ…………?」
 目の前の光景が信じられないと、キリトは呆然と声を漏らす。
 その背中には、彼に剣を突き刺しながらも驚愕の表情を浮かべる、彼が懸命に助けようとしていた少女がいた。

     †

 ――――気が付けば、とても広く深い海の中にいた。
 けど、不思議と息苦しさはなかった。むしろ、どこか安心感のようなものさえある。
 半透明の魚のようなものが泳ぎ、無数の大きな気泡が海の深くから浮かび上がってくるその光景は、どこか幻想的にさえ思えた。

「ここ……は……?」
 茫然とした頭で、微睡むように口にする。
 この海は一体何なのか、なぜ自分がここにいるのか、まったく理解が及ばない。
 確か自分は、何かから懸命に逃げて、どこかの森を彷徨っていたはずなのに………。

          ――我等、月夜の黒猫団に乾杯!――

 不意に触れた気泡が弾け、そんな声が聞こえた。
 それは確か……キリトがギルドに入った時のお祝いで、リーダーのケイタが取った音頭だっただろうか。
 なぜあの時の言葉が聞こえたのだろうと不思議に思い、恐る恐る別の気泡に触れてみる。

               ――俺たちが、聖竜連合や血盟騎士団の仲間入りってか?――
     ――なんだよ。目標は高く持とうぜ。まずは全員レベル三十な――

 それは、いつか交わしたギルドのみんなとの会話だった。
 ならこの海に浮かぶいくつもの気泡は、もしかして私の記憶なのだろうか。
 そう思って、もう一度別の気泡に触れてみれば、やはりどこかで聞いた会話が聞こえてくる。
 その中には、リアルにいる家族や友達との会話も含まれていた。

 ―――その声に、どうしようもない懐かしさが込み上げてくる。
 ああ、そうか。ソードアート・オンラインに閉じ込められてから、もう半年も経っていたんだっけ。
 それを思い出して、また家族と、友達と、みんなに会いたいと、そう強く思った。

 ――                !――

 不意に、また声が聞こえた。
 けど今度は、気泡には触れていない。それに、声もよく聞こえなかった。

 ――                !――

 また聞こえた。
 けど、やっぱりよく聞こえない。ただ、とても緊迫していることだけは分かった。
 声は、海の上の方から聞こえてきた。もう少し上に行けば、よく聞こえるだろうか。

 ………けど、そちらには行きたくないと、どうしてか思った。
 それは、この海の居心地が良いからだろうか。……何か、違う理由があった気もするけど、よく思い出せない。

「ぁ…………」
 けれど、海の上を意識したからだろうか。体が徐々に、上へと浮き上がり始めた。
 そっちは嫌な感じがするけど、行きたくない理由もよく解らないので、浮かび上がるに任せる。
 そうして体は海から引き上げられ、視界は一瞬、眩しい光のようなものに白く染められた。



 ――――ノイズが奔る。
 今いる場所は、たぶん森。けどよく判別できない。
 視界が激しいノイズに覆われていて、そこらかしこで黒い点が点滅している。

 ギイン――と、ノイズに紛れて、金属音のようなものが聞こえた。
 まるで、剣と剣がぶつかるような音。視界を彷徨わせれば、赤と黒の人影が戦っていた。
 先ほどの眩しい光は、彼らが剣をぶつけ合って飛んだ火花の光だったのだろうか。
 彼らは、なんで戦っているのだろう。二人の顔は………だめだ。ノイズのせいで、よく見えない。

 ガキン――と、一際強くぶつかり合って、彼らは一度距離を取った。
 赤い人影は向こう側へ。黒い人影は、私のすぐ近くに。
 ……ノイズは相当酷いらしい。手が触れられそうなこの距離でも、彼の顔はちゃんと判別できない。

「サチ、君は絶対に死なせない。必ず、俺が助けるから――――だから」

 ふと、どこからか、ノイズに紛れてキリトの声が聞こえた。
 どこにいるのだろうと視界を巡らせても、彼の姿はどこにも見えない。
 ならきっと、あの気泡がまた弾けたのだろう。

 ―――絶対に死なせない。俺が助ける。
 ………そうだ。彼はいつもそう言って、私を安心させてくれた。
 死の恐怖で眠れなかった私は、彼のおかげでまた眠れるようになったのだ。
 ……ああ、でも、再会した時の彼は、なぜか私に怯えるような顔をして。

 ………そうだ、思い出した。
 ここはSAOじゃない。何か別の、よくわからないデスゲームの中だった。
 だとしたら彼らは、きっと殺し合っていたのだろう。…………何の意味があって?

 ………いや、意味なんてきっとない。
 彼らはただ、自分が生き残るために、他の誰かを殺そうとしているのだ。
 そしてその誰かには、私さえ含まれているだろう。

 …………嫌だ。死にたくない。
 まだ死にたくなんかない。またリアルで、家族と、友達と会いたいみんなと一緒に笑っていたい。
 ……死にたくない。こんなところで死ぬのは嫌だ。こんな所で殺されるなんて、絶対に嫌だ。
 ……そうだ。どうせ殺されるくらいなら、いっそ私が先に殺して――――――。

「――――――――、え?」

 ――気が付けば、剣で何かを貫いた感触と、そんな声が聞こえてきた。
 いつの間にか私は、目の前にいた人影へと攻撃していたらしい。
 不思議な感覚だった。まるでこの身体(アバター)を、自分以外の誰かが操作したかのよう。

「ぁ…………、なん………で……?」

 また、とても聞き覚えのある声が聞こえた。
 その声は、どうやら目の前の人が、口にしているらしい。
 ……そうだ。この距離なら、このノイズのなかでも顔を判別できるだろうか、と思った。
 だからその人の顔を見ようと、視線を上へと上げて――――そのあまりにもよく知る顔に、堪らず目を見開いた。

「サ……チ…………?」
 キリトが、呆然と私の名前を口にする。
 その声に私は、一歩、二歩と、ふらつく様に後退りする。
 それで彼の身体から剣が抜け、彼は苦痛に声を漏らす。

 頭が真っ白になって、何も考えられない。
 視界を覆っていたノイズは、いつの間にか消えていた。なのに、目の前の光景を正しく理解できない。
 なんで? どうして私は、キリトに剣を突き刺したのだろう。
 わからない。わからない。わからない。わかりたくない。

 ……ああ、それよりも、早く彼のHPを回復しないと。
 確か彼のHPは半分を切っていて……
 それにここは………ダメージが倍になる、痛みの森で…………
 彼が傷を負った箇所は、確か………大ダメージを受ける…………急所で…………
 だから…………半分しかなかった、彼のHPが…………残っているはずは、きっとなくて……………

「あ、………あ……あ…………ア――――――」
 キリトが、縋るように手を伸ばしてくる。
 それから逃げるように、さらに数歩後退った。

 だって、キリトが死ぬ瞬間なんて見たくなかった。
 私が彼を殺したなんて現実は、認めたくなかった。
 ………だから私は、もう何もかもが嫌になって、現実の全てを拒絶した。

「イヤァァアアアアア―――――ッッッ!!!!」

 ―――その瞬間。
    私の視界は唐突に、無数の黒い点に埋め尽くされた。


     8◆◆◆◆◆◆◆◆


 ――――そうして十数分後。

 初めての山登りの感想は、とにかく疲れた、というものだった。
 何の問題もなく洞窟の入り口へと辿り着きこそしたが、整地されていない山の足場を確保することに苦労したのだ。
 肉体的な疲労はないが、精神的に疲れた。キャスターは平然と登っていたが、セイバーの方は早々に飽きて霊体化したほどだ。
 ただ、一つ気になる事があるとすれば、

 ―――……カイト。君、浮いてるね。
 と、背後にいたカイトへと振り向き、その足元を見つめながらそう口にする。
 そう。カイトは地面から五~十センチほど浮遊しながら、苦労して山を登る自分に平然とついてきていたのだ……!

「……………………?」
 しかし、カイトはそれがどうかしたのか、といった風に首を傾げている。
 どうやら彼にとってそれは、ごく当たり前の機能らしい。
 それを若干恨めしく思いながらも、はあ、とため息を吐いて諦める。
 そもそも彼はゲームのシステムAI。ベースとなる世界観が自分とは違うのだから。

 それに、とカイトから視線を外し、その向こうに広がる景色を眺める。
 そこには広大な草原が広がり、左手には森が、右手には街が見える。
 この光景を思えば、苦労して上った甲斐もあるというものだろう。

「うむ、実に良い眺めだ。登山というのも、存外悪くないものだな」
「ええー? 霊体化して楽した人に言われてもぉ、ありがた味が全然ないんですけどぉ」

 実体化しセイバーの感想に、キャスターがそう不平不満の籠った突っ込みを入れる。
 まったくの同意である。

「あ、あの、申し訳ありません。楽させてもらっちゃって」
 と、ポケットに入りっぱなしだったユイがそう謝ってきた。

 いや、ユイが謝る必要はないだろう。
 霊体化して楽をしたくせに、さも苦労して上ったかのような事を言ったセイバーが問題なのだ。
 第一、子供に山道を歩け、というのも酷というものだ。それに対した重さでもなかったし、気にする必要はない。
 ……まあ、妖精アバターならユイも空を飛べるので、そちらの事を謝っているのかもしれないが。

 それよりも、と改めて洞窟の入り口へと振り返る。
 山も登ってみたかったが、こちらも重要な目的の一つだ。等閑にはできない。
 少しだけ中へと踏み込んで覗き込んでみるが、どうやら中は相当に暗いらしい。入り口からはでは奥を見通せない。
 本格時に調べるなら、洞窟の中へと立ち入る必要があるだろう。

「洞窟内部および付近にプレイヤーの反応はありません。危険はないと思われます」
 ポケットから飛び立ったユイが、周辺エリアをサーチしてそう告げる。
 洞窟の暗さに若干の不安を覚えていたが、少なくとも奇襲の心配はいらないようだ。
 その事に安心し、ついでにユイに道案内を頼む。

 妖精アバターの彼女の翅は小さく燐光を纏っていて、彼女の姿は暗い洞窟内部でも視認できる。
 またマップをサーチできる彼女なら、この洞窟が複雑な構造をしていたとしても迷うことはない。
 加えて内部へと入ってしまえば、洞窟の輪郭ぐらいは視認できる。彼女を目印に、壁面にさえ注意すれば問題なく進めるだろう。

「はい、任せてください」
 ユイはそう言って、洞窟の方へとゆっくりと飛んでいく。

 ―――さあ、行こう。
 そうセイバーたちへと声をかけ、ユイに続いて洞窟へと足を踏み入れた。

     †

 ――――そうして。
 暗闇を抜けた先にあったものは、湖底が見えるほどに透き通った地底湖と、純白に輝く大樹だった。
 その目前に広がる、幻想的とも神秘的とも言えるその光景に、思わず目を奪われる。

「わぁ――――――――」
「うむ、実に見事な風景だ。余の感性とは違っておるが、これはこれで良いものだ」
 胸元でユイが感嘆の吐息を溢し、セイバーが賞賛の意を評する。その感想に、自分も手放しで同意する。
 ……しかしただ一人。キャスターだけは何か難しい顔で首を捻っていた。
 その様子が気になり、一体どうしたのかと声をかける。この光景に、何か気に入らない所でもあったのだろうか。

「いえ、そう言う訳ではないんです。この光景自体は充分に綺麗だと思います。思うんですけど………。
 この雰囲気、何と申しましょうか。尻尾の毛が妙にざわざわするというか、何というか……。
 どこかで感じた覚えがあるような、ないような……?
 う~ん……申し訳ありません、ご主人様。どうにもはっきり思い出せません。あとちょっとのところまでは来てるんですけど………」
 とキャスターは語尾を弱める。どうやら彼女自身にも理由がはっきりしないらしい。
 しかし、一尾とはいえ神霊の分御霊である彼女が何かを感じたのだ。ここには確かに何かがあるのだろう。

 地底湖の畔まで近づき、その水に触れてみる。
 地下水なだけあり、よく冷えている。だが水自体に変わったところは見られない。
 この地底湖で最も気になるのは、地底湖の中心にそびえる純白の大樹だが、触って確かめるには地底湖を泳がなければならない。

 ………果たして自分は、泳げるのだろうか。
 岸波白野の明確な記憶は、聖杯戦争予選からだ。その時点から今までの間に、どこかで泳いだ記憶はない。
 いや、プールに行った覚えはあるから、ただ記憶の欠片が埋もれているだけかもしれないが、確証は持てない。

 ………そう言えば、あのプールには誰と行ったのだったか。
 自分以外に三人……いや、四人ほど一緒にいた気がするが………だめだ。どうにも記憶がはっきりしない。
 頭を振って、今は思い出す事を諦める。今必要なのは自分が泳げたかであって、プールの内容ではない。

 さて、どうするかと顎に手を当て考える。
 一番確実なのは実際に泳いでみることだが、いきなり試すには、地底湖の水は冷た過ぎて躊躇してしまう。
 と、そんな風に迷っていると、ユイがふわりと目の前に飛んできて、ある提案をしてきた。

「ハクノさん。私が飛んで行って調べてきますね」

 ユイはそう言って、純白の大樹へと飛んでいく。
 確かにユイなら飛べるし、サーチ能力も持っている。ただ調べるだけなら、彼女が適任だろう。
 しかし、彼女は一つ忘れていることがある。
 それを伝えるために、ちょっと待って、とユイへと制止を呼びかける。が、それは少し遅かった。

「なんですか、ハクノさ―――きゃっ!?」

 他プレイヤーから五メートル以内(妖精アバターの制限エリア)を越え、バチン、と音を立てて、ユイは通常アバターへと強制的に戻される。
 同時に飛行能力も失い、少女はそのまま地底湖へと落ちて行った。

 ―――ユイ!
 と声を上げ、慌てて地底湖へと飛び込もうとするが、それより早く動いた者がいた。
 先ほどまで沈黙を続けていたカイトは、ユイが通常アバターに戻ったと同時に素早く飛び出していたのだ。
 ……ただし、地底湖に飛び込むのではなく、湖面を浮いて進む方法で。
 やはり、地形効果を無視するあのホバー移動はずるいと思う。

「ダ=ジョ$ブ?」
「……はい、なんとか」

 カイトは地底湖に落ちたユイを素早く引き上げ、抱き抱える。
 迅速に助けられたユイは、水の冷たさに震えてこそいるが、溺れたといったことはないようだ。
 その事に安心し、あまり心配させないでほしい、とカイトに抱えられたままの彼女に声をかける。

「まったく。あまり奏者に心配をかけるでない」
「同感です。本当にビックリしたじゃないですか」
 それにセイバーとキャスターも同意し、同様に苦言を呈する。

「すみません。制限の事をつい忘れていました。次からは気を付けます」

 ――――ああ、そうしてくれ。
 と応え、ユイの謝罪を受け入れる。
 そこでふと、あることを思いついた。
 そのままの状態なら、ユイも大樹に行けるのではないか?

「あ、確かにそうですね。カイトさん、お願いできますか?」
「……………………」

 ユイのお願いにカイトはコクリと頷き、彼女を抱えたまま大樹へと浮遊して移動する。
 そして湖面で広がる大樹の根に下ろされたユイは、大樹の幹に触れて目を閉じる。
 岸波白野のアバターを解析した時のように、大樹からこのエリアのデータを解析しているのだろう。
 そしてそのまま十数秒ほど経ち解析を終えたユイは、行と同じようにカイトに抱えられてこちらの岸まで戻ってきた。

「ありがとうございます、カイトさん」
「……………………」
 地面へと降りたユイは、そうカイトへとお礼を言う。
 それを受けたカイトは、やはりコクリと頷くだけだが、どこか照れ臭そうにしている気がした。

「ではユイさん。何かわかったことはおありですか?」
「はい。どうやらこのエリアの下には、もう一つ謎のエリアがあるみたいです」
「ふむ。謎のエリアか。……なら、それがなんであるかはわかるか?」
「いえ、残念ながら。とても強力なプロテクトがあって、そこまでは解析できませんでした。
 と言うより、正確にはプロテクトがあったからこそ、そのエリアに気付けた形になります」
「ふむ、そうか」

 それはつまり、絶対に見つからないよう念を重ねたからこそ、かえって不自然さが表れた、という事だろうか。
 そう呟くと、ユイはそういう事ですねと答え、ただ、と話を続けた。

「一つだけ、気になったことがありまして」
「気になったこと、ですか?」
「はい。そのエリアの内部で、何かの反応を感知したんです。
 ですが、それが何の反応なのか、どうにもはっきりしなかったんです。
 モンスターやプレイヤーに設定された機械(システム)的なパターンではなく、もっとこう、自然的な反応パターンだったんです。
 イメージ的には、夜空を漂う星、みたいな感じでしょうか。……すみません、上手く伝えられなくて」

 いや、そこに何かがあると分かっただけでも十分な情報だ。
 プロテクトが掛けられていた、という事は、その場所は榊にとって重要な場所、という事になるのだから。
 ……だがそのエリアにプロテクトが掛けられている以上、通常の手段では入ることは出来ないだろう。
 第一このエリアの下とは言っても、一体どこに下へと繋がる道があるのだろうか。
 そもそもそれを見つけない限り、自分たちではどうすることもできない。

「確かに、その通りですね。
 私のマップサーチでも、この洞窟に下へと繋がる道は見つかりませんでしたし。
 っ……くしゅん、ッ……!?」

 不意にユイが、そう可愛くクシャミをして、なぜかビックリしていた。
 彼女が驚いた理由はわからないが、クシャミの方は、地底湖に落ちて濡れたことで体を冷やしてしまったのだろう。
 制服の上着を脱ぎ、これ以上冷やさないようにとユイの肩に羽織らせる。

「あ……ありがとうございます、ハクノさん。
 ふふ。クシャミなんてしたのは初めてで、ビックリしちゃいました。
 この世界では、私のようなAIでも人と同レベルの反射パターンを取れるんですね」

 そう言ってユイは、どこか喜ぶように小さく笑った。
 人間と同じ感覚を得られることが、そんなに嬉しいのだろうか。

「はい、嬉しいです。まるで、パパとママの本当の子供になれたみたいで。
 それに、現実における水のモーションパターンも、実体験として知ることができました。
 私たちの世界のVR技術では、まだ流水の再現は非常に難しく、完全な再現ができていないんです。
 けどこの世界では、あらゆる情報がリアルです。それこそ、まるで現実世界にいるみたいに」
 ユイは地底湖の淵に屈み、手を伸ばして泉の水に触れながらそう口にする。

 ――――ユイの両親。
 バグを起こしていたAIである彼女を助け、自分たちの子供にしたという二人のプレイヤー。
 仮想世界の住人である以上、ユイは彼らの住む現実世界での感覚を得ることは出来ない。
 だがこの世界に連れてこられたことで、本来知るはずのなかった、人間としての五感を得ることとなった。
 そして現実の感覚を知ったユイは、ようやく両親の生きる世界に触れることができたと、そう感じることができたのだろう。

 ……ああ、そうか。ユイは本当に、生まれたばかりの子供なんだな。

「生まれたばかりの子供、ですか……」

 そう言って考え込むユイに、ああ、と答える。
 新しい世界を知る喜びは、きっと命が生まれる喜びに似ている。
 その存在を両親に認められ、その命を祝福されて育んできたユイは、この世界に招き入れられたことでようやく生まれ出でたのだ。
 彼女が感じている喜びは、その無意識の実感からくるものだろう。

 ――――だがその喜びは、現実世界を完全再現した霊子虚構世界、SE.RA.PH(セラフ)で作り出された自分には知ることのできない感覚だ。
 岸波白野は自分を確立した時から、今の岸波白野としてそこにあった。
 心こそ強くなったかもしれないが、岸波白野は未だに、ムーンセルという母胎から生まれ出でていないのだ。
 だからだろう。誕生の喜びを知ったユイの事を、少しだけ羨ましく思った。


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最終更新:2014年01月12日 11:37