_1



あは、とサテンドレスの子どもたちは笑っていた。
顔をほのかに赤く頬を染め、無邪気に草原を走り回る。
時に勢いつけすぎてつんのめってしまうけれど、一方の少女がそれを助け起こす。
黒と青がぐるぐる回ってる。広大な草原の下、その全てが子どもたちの遊び場だった。

ねえ待ってよ、と彼女らをユウキは追いかける。
一回り大きな彼女もまた、子どもたちと同じように無邪気な笑みを浮かべ、楽しそうにその背を追いかける。
きゃっきゃっ、と子どもたちは声を上げた。逃げているのだ。
蝙蝠の翅を持つ流麗な剣士は今『鬼』だった。鬼ごっこ。蝙蝠の少女がドレス纏う子どもらを追い回す。
ただの遊びもこの世界ではこれほど幻想的になる。

空は澄んでいた。
時分はそろそろ正午になろうかというところ。
頭上にはさんさんと輝く陽が上がり、雲一つない空はともすれば吸い込まれそうな青色を湛えている。
ああ気持ちがいい。
気持ちのいい空だ。ユウキは子供たちと遊びながら心の底からそう思った。

このゲームが開始してからもう結構な時間が経つ。
変な侍の大層な前口上があったけれど、結局自分はそれを全部無視して、この会場を楽しむことにした。
悪趣味で関わりたくもない催しだけども、この世界の美しさは本物だ。それを楽しまないなんて損してる。
だからユウキは端からデスゲームなんて無視して、綺麗な世界に触れることにした。
たかがゲーム。どれだけ精巧に作られていても偽物まがい物なんて言ってしまう人もいるけど、やはりそれは違うと思う。
だって今――自分が見ている現実はとても美しい。美しく感じられる。

空の青さを仰げば気分が良い。
草原の風をその身で受け、風が湿った土の臭いが運ばれてくる。
走り回り肌で直に世界に感じ入る。

こうして見て、聞いて、嗅いで、触って、食べて、それが美しいんだ。
なら――それが答えじゃないか!

そう思いより力強く地面を蹴った。
土が舞いあがりユウキは駆け出した。身体がずうん、と躍り出る感じ。
あはっと声が出た。速い速い。風を切る感覚がとても気持ちがいい。
走り出した鬼に気付いたのかありすたちも駆け出す。小さな体躯がちょこちょこ、と逃げ出す様が愛らしくてユウキは「よおし」と声を上げた。
今の自分は鬼だ。ありすたちを捕まえよう。

走りながら、ユウキは傍で微笑む女性と目が合った。
彼女は草原に腰を落ち着け柔和な顔で鬼ごっこを眺めている。目が合うと、彼女は笑ってくれた。ユウキも釣られて笑っていた。
カオル。このゲームで会った、どこか親近感の湧く女性。
つらいこともあったけれど、ありすたちとの出会いに彼女もまた安らぎを得ているようだ。
よかった、と思う。束の間かもしれないけど、こんな時間があったっていいじゃない。

そおれ、とユウキはありすたちと駆けまわる。
少女たちは本当に楽しそうだった。
楽しそうに楽しそうに笑ってる。
この時間が偽物だなんて誰も思っていない。誰にとってもここは大切で掛け替えのない時間なのだ。

ねえ神様。もしいるなら一つくらい話を聞いてくれてもよね。
子どもたちに遊ぶ時間を。
何時までとは言わないけど、できるだけ長いことこの時間が続いてください。
――なんてね。

ふわっと広がる空の下、ユウキは今一度駆けあがった。
ジャンプして彼女の下へといく。きゃっと小さな声があった。陶器のように白い肌に手がかかる。
青い少女にユウキはニンマリと笑って言った。

「捕まえた」




_2




「ふぅ、楽しかった。またこんなことができるなんてなぁ」
「ありがとう、お姉ちゃん。あたしもとっても楽しかったよ、ねえあたし」
「うん! やっぱり思った通り。お姉ちゃんはあたしたちと同じみたい!」

草原で駆け回ったのち、ユウキは二人の少女たちと笑いあった。
こちらを見上げるつぶらな瞳が可愛らしい。人形のような少女たちをユウキは抱きしめたくなった。

「ユウキさん」

そうしていると不意に呼びかけられた。
ちら、と視線を向けるとそこには一人たたずむカオルの姿がある。
その指の動きからユウキは彼女がウィンドウを操作していることが分かった。
ちょっと待っててね、とユウキはありすらに言い、カオルの下へと近づいていった。
勿論笑みは崩さないで。

「そろそろ?」

ユウキは声のトーンを落としながら――ありすらに聞こえないようにそう尋ねた。
カオルは首を振る。ユウキはそっと彼女の手を取った。
当初はデフォルメされたその身体に違和感がなくもなかったのだが、今ではもう慣れた。
VR空間でこういった奇抜なアバターはそう珍しくもない。

ユウキはカオルを視線を合わせる。
そして言う。大丈夫、と。

ぴぴ、と無機質な電子音がした。
時刻は12:00ぴったり。
一秒たりともずれはなく、正確にその音は響いたのだった。
何の音なのかは既に知っている。丁度六時間前、彼女らは共にこの音を聞いたのだ。

「……いません」

息を吐くようにカオルが言った。
曖昧な言葉だったが、ユウキはその意味がすぐに分かった。
いません。何がか。脱落者のリストのことだ。
カオルは張りつめていた緊張が解けたのだろう。ウインドウを前に安堵に胸をなでおろしているのが分かった。
今度は知り合いの名前がなかった。勿論他の人間が死んで良かったなどとは思えないが、それでも知人の死がなく安心してしまうのも致し方ないだろう。

(10人かぁ……同じくらいのペースなのかな)

ユウキは表示されたメールを見ていた。
カオルの知り合いがいなかったように、ユウキの知った名もリストにはなかった。
この場にいることが確認されているサチやユイの名もなかった。
とはいえサチの状態は危険だという。早めに探さなくてはならない。

脱落者リストから目を離し、ユウキはメールに記載された別の情報へと目を滑らせる。
ユウキは生前からして――という表現が適当だろう――死というものに慣れていた。
それ故、事実を冷静に受け止めることができていた。

(イベントは……森の方が問題かな)

今回新たに追加されたイベントのうち、自分たちに直接関係してきそうなのは二つ。野球場と森のものだ。
野球場の方はこちらからアクションを起こさなければ問題ないだろうが、森の方は少し困る。
ユウキは後ろを振り返った。広大な草原の先に深く生い茂る森がある。
先ほど別れたブルースとピンクがあのエリアにまだいる筈だ。もしかするとキリトと慎二も危ない。
『痛みの森』のような直接的なものでないにせよ、ダンジョン構造のループは合流に問題が出そうだった。

できるだけ早めに動いた方がいいかもしれない。
そう思いつつ、ユウキはありすたちへと視線をやった。
ウインドウ越しに彼女たちの姿が見える。彼女たちは今しがた送られてきたメールなどお構いなしに走り回り、笑い合っている。

「……やっぱり」

カオルがぼそりと呟くのが分かった。
ユウキと同じことを思っていたらしい彼女は、遠目にその姿を見つめながら、

「分かっていないんですかね? あの子たち、この状況が」

……その可能性はユウキも考えていた。
少しだけでも触れ合ってみて分かったが、彼女たちは無邪気だ。
無邪気過ぎる。
子どものアバターを使って幼い子どもふりをしている――ということはないだろう。
長年VR空間で人と付き合ってきたユウキは半ば確信していた。
彼女らは子どもだと。

だからこそ、このゲームの実態を掴んでいないのではないか。
そんな気もしたのだ。
こんな悪趣味なデスゲームのことや、悪意に満ちたプレイヤーと幸運にも遭遇していないからこそ、ああまで無邪気に入れられるのではないか。
そう、思いはした。
要するに――あの子どもたちは現実を知らないのではないか。

「かもしれない。ボクも最初はそう思った。でも……」
「でも?」
「ちょっと、違うかもしれない」

ユウキは言葉を選びながら、

「さっき遊んでみて分かったけど、何も知らないっていう感じでもない気がするんだ。
 何ていうか……無邪気だけどちゃんと門限があることは知っている、みたいな?
 知ったうえで色々好き勝手やってる、んじゃないかな。特の紫の娘の方はそんな気がする」

一見して瓜二つの彼女らだが、触れ合ってみて分かった。
その言動に僅かながら違いがある。どことなく危うい感じのする青い娘を、意外としっかりした紫の娘が助けている。そんな感じがした。
それもまあ――当然だろう。双子だからって同じメンタルを持つ訳じゃない。
現実と同じだ。

「それに何も知らないにしてももう12時間だよ? 
 怖がっていてもおかしくない。でも、あの子たちは違うよね。本当に楽しんでるみたいだった」
「それは……」

そういうことを考えていくと、単に現実を知らない子どもたち、という訳でもないことが分かってくる。
そもそもまるで二人で一人のような存在というのも奇妙だ。プレイヤーはランダムに配置される。
たまたま近くに配置された――というのは少し無理がある気がする。

「でも、あの娘たち隠し事をしているようには見えなかったです」
「うん、それはボクもそう思うよ」

ユウキはふっと笑みを浮かべて言った。
そういうことは一緒になって遊べば分かるものだ

ただユウキは同時に感じてもいた。
直感的に、触れ合ったことで、ありすたちにどこか懐かしいものを感じていた。
別に彼女らに似た子どもたちと親交があったとか、そういうことではない。
そういうことではなく、彼女が生前に関わった人たち――スリーピング・ナイツのことを思い出したのだ。

現実を――死を見ていない訳じゃない。
寧ろ深く知っていて、もう逃れられないと知っているからこそ、無邪気になって遊べる。
ありすたちを見ていると、どういう訳だろうか、そんな在り方が思い起こされるのだ。

ユウキは気付いていた。
自分がカオルと同様に、子どもたちに対して不思議な親近感を覚えていることに。
それが何を意味しているかまでは――分からない。

「とりあえず声かけよっか。一緒に行こうって」

ユウキは穏やかな口調で言った。
どことなく不思議な雰囲気のある子どもたち。一緒に連れて行くことに迷いはなかった。
こんなところで出会った以上保護するべきだし、不思議な点も道中で仲良くなれば分かるだろうという気がした。
それはカオルも同じだったのだろう。こくんと首を振った。
ちら、とウインドウに映る時刻を確認する。早めにキリトたちと合流したいところだ。

ありすたちは変らず草原で遊んでいる。
走りまわり少し離れたところまで行ってしまった彼女らに、ユウキは少し声を張った。

「ねえー君たち!」

するとありすたちがぴたりと足を止め、こちらを見た。
示し合わせたように手を取り合って「なあに」と二人は首をかしげている。
可愛いなあと思いつつも近づこうとした、その時、

ユウキは見た。
ありすたちを向こう側、青い青い空に――

――降りかかる弾丸。

息を?む。
考えるよりも速く地面を蹴って、そのまま空へと飛びだした。
蝙蝠のような翼があっという間に展開され、ユウキは空を駆け抜ける。
浮遊感とは真逆の鋭い加速が身に掛かった。

駆け抜けるように剣を抜く。
弾丸の中心を見据える。
一瞬の好機を見定め、そして止まることなく斬った。

声もなく、音もなく。
守るために、ユウキは弾丸を受流/パリィした。

「ちょっと」

僅かに声に険を含ませながら、ユウキは顔を上げた。

「いきなり子どもを狙うなんて、ちょっと問題があるんじゃ――」

だが次の瞬間、ユウキは声を失った。
ぴたり、と動きが止まる。喉元まで出てきていた言葉は消え失せ、呼吸さえも忘れた。
彼女には空が静止した気さえした。

聞こえたのは、きゃっ、きゃっ、というありすたちの無邪気な声だけだった。

「――――」
「――――」

言葉を喪う。
それはユウキだけのことではないみたいだった。
襲撃してきた相手もまた、同じことだった。

ユウキよりもより高い位置まで飛び上がっていた彼女は、あるいはユウキ以上の衝撃を受けていたのかもしれない。
比喩でもなく、オバケでも見た顔を浮かべている。

――アスナ

零れ出た名前は、果たして声になったのだろうか。
そうして彼女らは最後の言葉通り、どこか違う世界のどこか違う場所で巡り合ったのだった。

それは決して夢でなく紛れもない現実であった。
生きていても死んでいても現実だけは変らない。




_3




青い空を背景にして、ユウキとアスナは対峙していた。
自然と目線は合っていた。ユウキが飛んだのか、アスナが落ちたのか、どちらかは分からないが、気付けば彼女らは同じ高さになっていた。
ただ、距離はまだ縮まっていない。
手を取るには数歩近づかなければならないだろう。そしてまた――剣も届かない。
何故だろう。この距離に、ぬめりとした感じが、とても厭な感じがしたのは。

「久しぶり――」

ユウキはその感覚を振り払い、快活な口調で語りかけた。
アスナの姿を見据え、言う。

アスナは当惑と厚情をないまぜしたような、ぎこちない無表情を浮かべている。

「――でいいのかな? ボクの感じだとそんなに経ってないっていうか、まあ、変な感じなんだけど」

言いながらユウキは少し笑ってしまった。
時間が経つというのもおかしな表現なのだ。
何せ自分は死んだ。
死んだ人間に時は流れない。
自分にとって最期の時間はアスナに看取られた、あの温かい瞬間だ。

あれからどれくらいの時間が――アスナには流れたのだろう。
ユウキにはそれを知る術がない。
過去と途切れてしまった自分にあるのは、目の前の現実だけなのだから。

「三か月……くらいかな」

アスナがぼそりと口を開いた。
どこか伏し目がちに、彼女はそう言ったのだ。

三か月。
そう三か月か。
ユウキはその言葉を不思議な気持ちで受け止める。
何というか――奇妙な感じだ。自分が死んでどれくらい経っているのかを教えてもらうのは。
自分の最期の時が三月な訳だから――そうかじゃあ『外』は今六月なのか。
そんなどうでもいいことを思った。

「じゃあ久々ってほどもないのかな? 微妙な感じだね。
 ま、ボクはこの通り元気だよ。なんか変な話だけど」

ユウキはそう言ってくるりと回る。空の中を楽しげに。
自分の身体を振り返って、やはり自分は元気だ、と思った。
少なくともこの意識と、このアバターは何もおかしなところがない。

「……私は」

笑みを浮かべるユウキに対し、アスナはやはりどこかぎこちない。
彼女は翅を拡げながら、両手でぎゅっと大剣を握りしめた。まるでよりかかるように。

「私は、久しぶりでいいと思うよ。
 よく分からないけど……あなたに会うのが随分と久しぶりの気がする」

その声色は揺れていた。
彼女が抱いた複雑な感情が滲んでいるようだった。
待ち焦がれていた友との再会だが、もろ手を上げての喜ぶ、という展開にはならなさそうだった。

……仕方ない、とユウキは冷静に思う。
死んだ筈の人間とネットゲームで出会ったらそりゃ誰だって驚く。
ログインしていない筈のIDが勝手に使われることを『オバケが出た』なんて表現するが、自分はまさしく『オバケ』なのだ。
自分はまだいい。死んだ当人なのだから――そりゃまあこうして元気に飛びまわれることに驚きはしたが――何だかんだ普通にやっていけている。
やらざるをえない、とでもいうか。

ただアスナにしてみれば、複雑だろう。
最期の瞬間にまた会うと誓ったとしても、いやあれほど鮮烈な別れをしたからこそ、戸惑う。
何となくで看過することはできないだろう。

それに何よりここはデスゲームの場所だ。
アスナがかつて体験したアインクラッド――ソードアート・オンラインのような。
ユウキはその時代のアスナをよく知らない。だがそこでの死がどういうものであったかは分かる。
キリトの顔がフラッシュバックする。森で出会った彼が普段から考えられないほど取り乱していたのも、ひとえに死の重さゆえだ。

そこまで考えて、ユウキは気付く。
今の自分の状況は、同じだと。
キリトから見たサチと同じように、
アスナから見た自分は映るのだろう。

ユウキはふう、と息を吐いた。
少し緊張を解きほぐしたかった。
下を伺う。カオルが心配そうに自分たちを見上げている。ありすたちは……特に変わらない。

「ねえ、アスナ」

何から問いかけるべきだろうか。
幾つか候補が浮かんだが、ユウキは思考を振り払う。
考える必要はない。何せ相手は親友だ。
聞きたいことを直球に聞けばいい。

「それ、なに?」

だからこそユウキはまずそれについて聞いた。
話したいことは多くあった。積もる話は山ほどある。先程の行いも無視できない。
でも、まず聞かなければならないことがある。

ユウキはアスナのアバターを示し尋ねた。
今のアスナは見慣れた青い妖精――ALOにおけるウンディーネのアバターだ
空の色をした艶やかな長髪に、澄んだ青い瞳、蒼白色で固めた装備――は知っている。

「正規のものじゃないよね、それ。バグ?
 もしかして榊って奴になにかされた?」

しかし問題は……そのアバターを浸食する黒い何かだった。
ポリゴン覆う黒い何かは時節明滅し、ALOはおろかあらゆるザ・シード規格のゲームでも見たことのないような奇怪な点が蠢いている。
半身は黒く歪み、装備も輪郭を失っている。
何より、そのアスナの顔の部分にまで、黒い何かは伝ってきていた。
首から頬にかけて黒い線がアスナのアバターを浸食し、汚染している。

――ユウキはその《黒いバグ》を既に二回見たことがある。

一度目は洞窟で遭遇したプレイヤーキラー。明らかに常軌を逸した外見をしており、また戦闘では仕様を外れたと思しき力を使っていたいた。
二度目は他でもないサチだ。キリトが追い、そして逃がしてしまった少女。彼女もまた平静さを欠いていた。そしてそれが悲劇を生んだ。
彼女らは共にあの《黒いバグ》に浸食されていた。
そしてアスナもまた、その《黒いバグ》に巣食われている。
その事実が、この居心地の悪い距離感を生んでいるのかもしれない。

「ええとさ、アスナ」

ユウキは眼下に居るカオルを一瞥したのち、

「そのバグ。もしかしたら取り除けるかもしれないんだ。情報を解析できるプレイヤーの人がいてさ、今ボクと一緒にいるんだ。
 それに他にもそのバグに感染したらしい人がいて、もしかしたらアスナも知って――」
「――いいえ」

ユウキの言葉を遮り、アスナはきっぱりと言った。
「え」と思わず戸惑いの声が漏れた。ぽかんとした顔を浮かべてしまったかもしれない。
アスナは剣を握りしめながら言う。

「これ、別に取り除かなくてもいいと思う。実際結構気持ち悪いけどね、でもこんな状況でアバターの見た目とか考える訳にもいかないでしょ?
 色んなゲームを同時に動かしてるせいで生じた不具合とかじゃないかな?」

口調自体は穏やかなものだった。しかしどこか違和感があった。

「でもさ、ちょっとそれおかしくない?」
「おかしいのは分かってる。でも変に弄った方が危険じゃない? 
 場合によってはペナルティとか課せられちゃうかもしれない」

確かにそうだった。
サチを救う手だてとしてカオルの力を使うと考えていたとはいえ、それがゲームの――GMが定めたルールに抵触している可能性はあった。
しかしだからといって除去しなくていい。そういうものなのだろうか。

「わたしなら大丈夫。色々あったけど、元気にやっているわ」

そう言ってアスナは微笑んだ。
見覚えのある朗らかで綺麗な笑み――に走るバグが醜く歪んだ。
ユウキは思わず声を失う。違和感はある。しかしどう言えばいいのか、咄嗟には出なかった。

あの女剣士やサチと違って、アスナが理性的なのは分かった。
普通に喋ることはできるし、自分が幽霊なのもあってか距離感はあるけれども、特に問題なく接することができる。
そうであるのならば《黒いバグ》を無理に取り除く必要もないのだが――

「じゃあさ、何であの子たちを攻撃したの?」

――なら、それだけは聞いておかなくてはならなかった。

「あの子たち……ありすっていうらしいんだけどさ、さっきボクたちと会ったんだ。
 で、遊んでたんだけど、別に悪い子じゃなかったよ」

できるだけ落ち着いて、咎めるような口調にならないように語りかける。
ユウキはアスナを知っている。何か事情があるに違いないのだ。
それだけは聞いておかなくてはならない。

そう思ってのことだった。

「……っ!」

爆音が響くのと、ユウキが動くのは同時だった。
アスナが抜いたのだ。剣を振り上げ弾丸を放った――標的はありす。
ユウキはその反応速度を持ってしてアスナの剣を弾いた。結果、弾丸は逸れ、あらぬところに着弾した。

「……アスナ」

下で、ありすたちが爆発を面白がっているのが分かった。

「何を――何をしたのか分かってるの……!」

ユウキは声を上げた。
剣を交わしながら、瞳をじっと見据えて吐くように言う。

「分かってないのは貴方よ!」

しかしアスナもまた声を荒げた。
大剣、否銃剣を薙ぎユウキを振り払う。ぶうんと音がした。そしてまた距離ができる。滲み出る黒い点が陽の光を遮った。
ユウキを見下ろすような形になったアスナは、高い声で言った。

「あの子たちは危険よ、人を無邪気に殺すレッドプレイヤーだわ。
 トリニティさんを殺しておいて、あんな顔できるなんて……!」
「人を殺した?」
「そうよ。あの子たちは、トリニティさんを……!」

その鬼気迫る様子に相対して、ユウキは逆に冷静になった。
ありすたちがプレイヤーを――アスナがいうにはトリニティという人を殺したらしい。
事実なら確かにありすたちは危険な存在だ。

だがアスナの様子も明らかにおかしくなった。
それまでは知った通りの彼女だったのが、突然好戦的な言動になり、挙句の果てに無警告の発砲だ。
それを見てユウキは確信した。
やはりアスナもあの《黒いバグ》の影響を受けている、と。

「落ち着いて、アスナ。話して、ボクにもさ」

そう分かったユウキは、あまり刺激しないよう注意しながら話しかけた。
キリトとサチの悲劇は――思えばこれにも《黒いバグ》が絡んでくるのか――記憶に新しい。
一度は緩みかけた緊張が高まっていく。ユウキは心苦しいものを感じていた。

「……分かったわ」

そうしてアスナがゆっくりと口を開いた。
このゲームで彼女がこれまでアメリカエリアで経験したことを。
トリニティという仲間と出会い、そしてありすと奇妙な猫のキャラに遭遇した。
そしてトリニティは死に、猫との戦い、ありすとの鬼ごっこ……

「なるほどね」

一通り聞き届けたユウキはそう言って頷いてみせた。
なるほど、確かにアスナがありすらを危険視するのも分からないでもない。
その言葉が正しければありすは無差別に人を襲う危険なPKだ。

「分かったでしょ? あの子たちは危険よ。
 人を襲っておいて、それでいてあんな風に笑ってる。
 現実を見ていないのよ。それで人を殺してる。許される訳ないわ」

アスナの糾弾するような言葉をユウキは表情を変えず受け止めていく。
そして考える。アスナの言葉はどこまで本当かを。

きっと嘘は言っていないんだろう。
ユウキはアスナを知っている。こんな状況でも人を陥れるようなことをする人間ではない。
だが――だからといって全てが真実とは限らない。

今のアスナは明らかにおかしいところがある。あの《黒いバグ》が関わっているに違いない。
先ほどの話だって、アスナの話には明らかに断絶があった。
猫のキャラとの戦いの記憶がないと彼女は言っていた。それはもしや意識を乗っ取られていたのではないか。
キルカウントが付いていない以上、アスナが手を下したということをないのだろうが――それでも異常だ。
何よりそれをさして異常と認識していないこと、それがおかしい。

「ねえ、アスナ」

ゆっくりとユウキは語りかけた。
落ち着いたのかアスナは「何?」と普段通り温厚な返事をする。
しかしその二面性が、逆に彼女の危うさを際立たせているように思えた。

「アスナの話も分かったよ。でも、ボクにはそれが全てじゃないと思う。
 あの子と遊んでみて分かったけど、あの子たちは本当に子どもなんだ。
 少なくともボクには襲ってこなかったし、何か事情があるかもしれない」
「……っ」

アスナが息を呑むのが分かった。
目が見開かれ、首筋からグロテスクな黒点が立ち上っていく。

「何を言ってるの? ユウキ。
 子どもなら何をやってもいいっていうの?
 それにここはネットよ。もしかしたら本当の姿は……!」
「勿論違うよ。子どもだって悪いことは悪い。
 でもあの子たちは本当に子どもなんだ。ボクには分かる。長いことこの世界にいたからね。 
 遊んで分かったよ。あの子たちにとってはあれが本当の姿なんだ。
 嘘偽りのない、本当の姿なんだ」

ユウキはアスナを見据えて言う。黒い斑点からも目を逸らさない。
本当の姿。ネットの『外』と『中』では、確かに姿カタチは違うかもしれない。
現にユウキがそうだ。『外』の自分は――紺野木綿季はもはや身動きもとれなかった。
しかしだからといって『中』の自分――絶剣・ユウキが本当の姿でない筈がない。
現実とは、今目の前にあるものだ。そこに生きる人間こそが現実を作る。
だからリアルの姿を見ていないとか、そんなのは関係がない。
ユウキには分かる。ありすたちは何ら自分を偽っていない、と。

「本当の姿だから、ここが現実だから許せないんじゃない……!」
「現実だから許してあげることもできるし、救ってあげることもできると思うんだ。
 ボクがアスナにそうされたように、生きることの答えを教えてあげることだってできるかもしれない。
 だから落ち着いて、アスナ。やっぱりちょっと変だよ。疲れてるんだと思う」
「貴方は……!」

アスナは顔を歪めた。肩を震わせ、点が黒く蠢く。
怒りとも驚きともつかない感情がそこには見て取れた。
そして、言われた。

「けど! 生きることができなかった人だって……いるんだよ!
 理不尽に殺されて、何もできないまま死んだ人だって。
 トリニティさんにだって好きな人がいたのに!
 ここは楽しいゲームの中じゃないの……あのアインクラッドと一緒の世界なんだよ!
 ――貴方はあそこを知らないから、もう死んでるから、遊んでいられるかもしれないけど!」
「…………」

しばらく沈黙が訪れた。
ユウキは何も言わない。アスナもまた、どこか申し訳なさそうに目を伏せた。
空の上には静寂がやってきた。
その中にあってユウキのアスナは、近いのに手を取ることができない、向き合っている訳でも同じ目線という訳でもない、そんな妙な位置関係になってしまっていた。

風が冷たかった。
空にまで上ると、下では心地の良いそれも痛くなってくる。
飛び続けることができれば、気にならないのに。

「ねえ、アスナ」

不意にユウキは口を開いた。
静寂を破るべく、意を決して、

「ごめん、ボクもちょっと戸惑ってたかも。
 こんな場所だし、生き返ってるしで、ちょっとね」

そう微笑みかけると、アスナはびくりと肩を震わせた。

「だからさ、アスナ」

ユウキは快活に笑うとウインドウからあるアイテムを取り出し、放り投げた。
突然のことにアスナは戸惑いつつも、そのアイテムをキャッチする。
そのアイテムを受け取ったアスナは目を見開き、

「黄泉返りの……ってこれ蘇生アイテムじゃない!」
「そう。まぁHPが切れてから5秒以内じゃないと使えないんだけどね。
 あ、勿論ボクがこれ使って天国から復活したとかじゃないよ」

笑いながらユウキは言った。
そしておもむろに飛び上がる。アスナと同じ目線で、少し離れた位置に。
知っている間合いだった。剣が届かない、ギリギリの位置。そこまで来て、剣を抜いた。
レイピアがオブジェクト化され、その刀身が陽光を受けきらめいた。
それを見た瞬間アスナが「そのレイピア……」と言葉を漏らした。

「あれ。知ってるの、アスナ?
 これボクが支給されたアイテムなんだけど」
「わたしが使ってた装備。アインクラッドでのものよ」
「ふうんそうなんだ」

ユウキは剣を今一度見た。
なるほど、中々面白い縁だ。これがGMのはからいだというなら、その点においては感謝しなくもない。

「でさ、アスナ」

奇妙な縁を感じつつも、ユウキはランベントライトを構えた。
すっと細剣を中段の姿勢に構える。考えることなく自然とこの姿勢を取れた。
足下には広大な草原がある。自分はいま空に立っている。
空を足場に、剣を構える。

「一緒遊ばない?」
「え?」

アスナが呆けた顔をした――瞬間を狙ってユウキは距離を詰めた。
羽を開く。ばっ、と黒い翼が広がり鋭い加速を持ってしてアスナへと迫る。
アスナは驚いていたが――しかしすぐに抜け目なく反応してみせた。
銃剣を掲げ、ユウキの突進をかわす。その際同時に斜め下へ滑るように回避をしている。
剣術への対応と空中機動のそうその両立――流石だと舌を巻きつつユウキはロール。
態勢を整えつつ軌道を取る。シャンデル。

「い、いきなりどうしたの、ユウキ?」
「だからさ、遊ぼうよ」

ユウキはアスナの周りを旋回しながら笑って言う。

「どうにも何か緊張しちゃってさ。ボクもほら、化けて出るの慣れてないからちょっと緊張解きほぐしたかったんだ」
「緊張って、そんな」
「ルールはありあり……このゲーム中得たものなら何でも使用可で。
 それで前に戦った時は地上戦だったから今度は空中戦にしよう。
 ただあんまり下には撃たないでね? ボクの知り合いがいるから。
 どっちかが黄泉返りの薬を使ったら敗け――っていうのはどう?」

まくし立てるように言うユウキにアスナは困惑の色を見せつつも、しかしどこか落ち着きを取り戻していく。
その様子にアスナは安堵を覚える。やはりアスナは――アスナだと。

「賞品は勝った方が相手の言うことを一つ聞くってのはどう?
 ボクが勝ったらそのバグを除去してもらうよ」
「貴方は……もう」

アスナは深く息を吐きつつも剣を構えた。
呆れと苛立ちが半々、といった様子だ。ユウキはそれでも満足げにアスナを見据える。

「分かったわ。でも危ないことは無し。一撃決着っていうことにしましょう。
 保険として黄泉返りの薬があるって感じで。仕方ないから付き合ってあげる」
「オッケー、分かったよ、アスナ。
 じゃあ――」

行くよ。
ユウキがそう口にした瞬間、二人は共に空を駆けた。
遊びとして、純粋なる剣技を競うべく、少女たちの空中戦闘機動/エアリアル・コンバット・マヌーバが幕を上げた。

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最終更新:2014年11月10日 22:02