「ふぅ……」
息を吐き、そのまま座り込む。額の汗をぬぐった。
トモコと休憩がてらにキャッチボールをしたのち、休憩として彼はここにやってきていた。
月海原学園の地下に位置する学生食堂は、その席数に反して、座っている者は他に居ない。
自分一人だ。
トモコは――メールを確認しているうちにどこかへ行ってしまった。
だから、がらんとした食堂で、彼はウインドウに表示されたメールを見ていた。
二回目のメンテナンス。気絶していた前回と違って、こうしてメールを待つ身になるのは初めてだった。
それ故に緊張もしていた。前回は三人の知り合いの名がそこにはあった。
なら今回は――もしかしたらパカの名があるかもしれなかった。
「知り合いは誰もいないか」
まずそのことを確認した。やはり心の底で恐れていたのだろう。
これが六時間前の自分なら、その恐れすら自覚できなかっただろうが。
デスゲームと実感できていない。
その感覚を克服し、このゲームが現実のものだと知ったからこそ、ジローは恐れていたのだ。
とはいえ、幸いなことに知った者の名はそこになかった。
十人の脱落者。無論彼らがこの現実から脱落してしまったことは深刻に受け止めなければならないだろう。
ゲームは確実に進行しているのだ。
と、そこで彼は気付いた。
この学校にはあと二人、彼の他にチームメンバーがいる。
対主催生徒会なるデスゲームに対抗するチーム。
自分は誰の脱落も知らされなかったが、しかし彼らは――
「……ちょっと見てくるか」
ジローはそう言ってすっと立ち上がった。
誰も居ない食堂を後にして、学園の廊下へと躍り出た。
(レオはたぶん図書館か……トモコちゃんはどこだろうな)
ジローは辺りを窺いながら、たん、たん、と階段を駆け上る。窓の外には空を覆う雲が見えた。
レオは何かやることがあるとか言っていたし、トモコも目を離した隙にどこかに行ってしまった。
とはいえ学園の外に出るということはないだろう。
デスゲームであるが――この学園は例外的に安全地帯となっている。
「おや、ジローさん」
二階に続く階段の途中、レオに行きあった。どうやら彼もまたこちらを探していたようで、顔を会わせた瞬間ぱっと嬉しそうに笑った。
えらく爽やかな笑みだった。
「あのさ、レオ。さっきのメールのことなんだが――」
「よくぞ来てくれました! いやぁ、貴方に会いたかったんです。
是非見ていってください。遂に完成したんですよ」
「は?」
不安と反して何時もと変わりない、いや何時も以上に元気なレオに、ジローは目が点になる。
そんな自分に対しレオはにこ、と悠然と微笑みを浮かべていた。
「やりましたね、レオ。私も感無量です。ここは臣下の者にも喜びを分け与えるべきかと」
と、そこでどこかより現れたガウェインが姿を見せた。
そういうものだと知っているはずなのに、ジローは突然の登場に思わず肩を上げてしまう。
流石に声は出なかったが、突然何もないところから出て来るのは正直止めて欲しい。
「ええ勿論です。まさに今ジローさんを誘っていたところなのですよ。
いや、ついにできたんです……アレが」
「やりましたね、レオ」
盛り上がっているレオとガウェインに対し、ジローは言葉を挟めない。
アレ、とは何なのだろうか。もしかしてこのゲームを転覆するのに必要な何かとかだろうか。
「では、ジローさん、こちらへ」
着いていけていないジローのことを察したのかしていないのか、レオは揚々とどこかへ向かい始めた。
ガウェインも当然それに従い、彼の一歩後ろを守るように歩んでいく。
ジローは困惑しつつも彼らのあとを追った。
向かったのは様々な情報が置いてある――図書館ではなく、
「ここです」
「え、ここって……」
案内された場所は意外な場所だった。
知っているが、だがここには何もなかった筈では。
そう思ったが、レオに促されおずおずとジローは扉を開けた。
(一体何が……ってあれ?)
そこに広がっていたのは記憶通りの部屋――ではなかった。
部屋の中心には楕円の形をしたテーブルが置かれ、壁には全面格子状のウッドラック、大きな本棚がある。
それら調度品はどれも艶々と輝き質の良さをうかがわせた。床には紅いカーペットが敷かれ、その柔らかな感触もまた高級感があった。。
ジローが案内された部屋、それは元々こんな部屋ではなかった。
だがある意味――元よりもそれらしくなっている。
即ち、生徒会室らしく。
レオはにっこりと笑みを浮かべた。
「できたんですよ。ついに我らが対主催生徒会の生徒会室が」
「生徒会室って……お前こんなもの作ってたのか」
「ええ! 生徒会には生徒会室が必要です。当然ではないですか」
(当然なのか? それ……)
戸惑いつつも、ジローはもう一度中を覗いてみる。
なるほど確かに会議用のテーブルの配置やら、奥に見える活動予定の黒板(型のディスプレイ)などはドラマなど見るような生徒会室らしいように見えなくもない。
それにしてはいささか高級感溢れ過ぎている気もするが。
とはいえ気になったのはそこではなかった。ジローは気付く。この部屋のおかしさに。
(何か……形が違わないか?)
何というか、広さが違う。単純な面積だけならば少し狭くなり、代わりに横に広くなっている。
視線を外と中を言ったり来たりさせてみると、違いは歴然だ。というか扉の大きさが中と外で違う気がする。
調度品を変えただけならば単なる模様替えと相違ないのだろうが、これでは文字通り別の部屋を作ったような……
「これで安心して生徒会活動に励むことができます。いやぁ、よかった」
が、レオはそんなジローの疑問を無視してそんなことを言った。
その姿を見てジローははっ、とする。
そういえば自分が元々ここに来たのは――
「――あのさ、レオ」
ジローは少し声色を落として尋ねた。
そこに含まれた神妙な色を汲み取ったのか、レオは笑みを消し「何です?」と返した。
「さっきのメールだけどさ」
「ああ、あれですね。気になるのはアリーナのイベントですが……」
「そうじゃない! そうじゃなくてさ、お前は……その、いなかったのか。知り合いが」
歯切れ悪くそう尋ねると、レオは間を置かず、
「居ましたね。一つ、できれば道を共にしたかった卿の名が」
そう答えた。
あまりにもあっさりと彼は言ったのだ。
ジローは一拍遅れて、
「それは、その……」
「はい。残念でした。彼ならばきっと心強い味方となってくれたと思うのですが。
ジローさん、貴方はどうですか?」
「え? ああ、俺は今回はなかったけど」
「そうですか! それは良かった。もうこれ以上、犠牲を出したくはありませんから」
だから、とレオは言い、
「頑張りましょう、ジローさん」
そこで再び微笑みを浮かべた。
励ますつもりが励まされてしまった――と思ったところで、ジローは思い出した。
そうだ。レオと自分は違うのだ。メールにあったという名が彼にとってどのような人物だったかは分からないが、たとえ深い間柄であろうとも、きっと彼は冷静なのだろう。
レオは、レオナルド・ビスタリオ・ハーウェイは決して取り乱したりなどはしない。
常に冷静に、先頭に立って道を示す。そういう人物だ。
それは知っていた。知っていたからこそ、自分はかつて反感を抱いたのだ。
自分やあの妖精の少女が抱いた戸惑いを、弱さを、軽く扱われているような気がして。
しかし、今こうして彼のこういった側面に触れると、ジローは反感ではなく、また別の感情を抱いていた。
常に王であり、泰然と玉座に座する。
それは凄いことなのかもしれないけれど、それは弱さがないのではなく、弱さを持ちえないということではないのか。
もしかしたらそれはとても悲しいことなのではないか――そんなことを思ってしまった。
(馬鹿な話だな。フリーターの俺がレオみたいな凄い奴にこんなこと思うなんて……)
だが、ジローは知っている。
自分から見たら雲の上にいるような人間が抱える、重い道を背負ったが故のつらさを。
一族の生き残りであるパカが復讐という道に生きざるを得なかったように、レオもまたそうやって、弱さを持たず生きていかなければならなかったのではないか。
(レオも何か凄い財閥を率いてた一族の一人なんだよな……パカと同じく……)
もしかしたらパカもこうやって――全く想像できないが――生きていたのかもしれない。
そう思うと、ジローは複雑な気分になった。
みんな、大変なのだ。
自分の就職先が潰れてしまった時は世の中を呪ったりもしたものだけど、だからといって他の人たちが楽な道を行っている訳ではないのだ。
そんなことを考えてしまうだなんて、『俺』との決着がついて少しだけ余裕ができたのかもしれない。
「さて、では今後の活動について話し合いたいですね。
トモコさんを呼んできてください。ハセヲさんが戻ってきてくれるといいのですが……」
その言葉にジローは再び顔を上げる。
そうだトモコだ。あの娘にももしかしたら――
彼女はレオとは違う。
王子様の恰好をしているけど、ただの女の子だ。
前回のメールでは知り合いの名はなかったみたいだけど、今回もそうとは限らない。
「しまった……」
「ジローさん?」
「探してくる」
居ても経ってもいられなくなったジローは、すぐさまその場を後にした。
音を立てながら学園内を探し回る。壁に貼られた“廊下を走ってはいけません”という文言が目に入ったが、無視した。
三階のどの教室にもいないし、二階にも一階にもいない。もしかしたらと覗いた保健室では桜が変らず微笑んでいた。
どこだ。どこにいったんだ。
「おーい、トモコちゃん」
声を上げながら校舎内を走り回る。
そうしていると、ふと半日前のことが思い出された。
ここで戦うことになった妖精の少女。あの少女に追われ自分はこうやって校舎中を駆け回っていた。
あの時は逃げていた。でも、今は違う。
『俺』の声はもう聞こえないし、レオのことも少しは分かった気がした。
だから、トモコのことも――
その時、ジローはパッと閃いた。
そうだ。まだあそこを探していない。
妖精の少女から逃げる際、最後に逃げ込んだあそこを。
「屋上だ」
言ってジローはすぐさま階段を駆け上った。
扉まで詰め寄り、開ける。がちゃりと音がして開いたその先には――
「どうしたの? おにーちゃんっ!」
◇
空には雲が目立っていた。
完全に陽の光が隠された訳ではないが、どうにも雲行きが怪しい。
一雨来るのか――いや、そんなイベントは記載されていないから、それはないか。
そう思いつつも、スカーレット・レイン/上月由仁子は空から目を離せなかった。
学園の屋上に転がり、柄にもなくぼんやりと空を見上げてしまう。
別に何が面白い訳でもないが、空は綺麗だった。
「ったく……」
空を見ていると、思わず声が出た。
出た声は思いのほか不機嫌そうな声色で、ああ自分は苛立ってるんだな、と気付いた。
さて、どうしようか。
いや別にどうこうもない。
何が変った訳でもない。状況は依然として変わりなし。
自分はゲームに囚われログアウトできず、課せられたリミットはあと十二時間。
たった半日でGMに何かしら手を打たねば、ウイルスで自分は死ぬ。
死んで、居なくなる。それだけだ。
それくらい分かっている。問題はそこじゃない。
「ピンチになったら、いつでも飛んでいく……って」
言ってただろ。
そんな言葉が自然と漏れていて、そこに含まれた縋るような響きにニコは複雑な感情を抱いた。
縋るような、いや、どちらかというと恨みがましい。
特に変ったことはない。
ただ、メールに記載されていた名前に見覚えがあっただけだ。
だからどうということもない。別におかしな話ではないのだ。彼らがゲームにエントリーされていることも、脱落したことも。
別におかしくはない。他のバーストリンカーが脱落して、自分がまだ残っていることも、レベルを考えればある意味当然といえる。
なのに、不思議と納得できない。
何でだよ、と問い詰めたくなる。
「あんたさ……割とマジで期待してたんだぜ。
その言葉さ、約束さ、忘れたとは、言わせねえって」
なじるような言葉を、抑揚のない声に乗せ、吐き出す。
本当は思いっきり叩きつけてやりたい言葉なのだが、残念ながら相手がいない。
仕方ないので空に投げた。鳥の一つでも飛んでいればいいのに。そういう細かな背景オブジェクトが仮想空間にリアリティを齎すのだ。
まぁ、何といってもいないものは居ないのだが。
ルールによればこのゲームでの“死”は真の“死”だというが、しかし実際どうなのだろう。
このデスゲームには様々な仮想空間よりアバターを引っこ抜いてきているようだが、当然元の仕様はそれぞれ違う。
システムは勿論のこと、“死”の仕様もだ。
たとえばレオがいたムーンセルにおいて、電脳死というのはそのまま現実での“死”を意味していたとか。
ならばこのゲームでの“死”の仕様はそれと全く同じと考えてもいい。分かりやすい。現実と同じなのだ。
では自分のような、ブレインバーストのデュエルアバターにとって“死”はどんなものか。
対戦においての敗北――これはバーストポイントを失うだけだ。まさかこの場で死んでそれと同じな訳がない。
いくらなんでも釣り合わない。
ならば、ニューロリンカーを利用して本当に“死”を与えるか、あるいは最低でもこのアバターの“死”――それはポイント全損だ。
バーストポイントを全損したバーストリンカーは加速世界より追放される。
その際には加速世界に関連した、全ての記憶が消去される。
それは肉体的には生きていても、ある意味ではそれも真の“死”だ。
「ああ……何か、めんどくせえ」
色々と考えることが億劫になってきた。
ベッドにくるまって寝たい。いやそんなことをしている暇がないのは分かるが。
“死”とは何なのか――そんな小難しいことを考える気はない。
とにかく、このゲームで脱落したバーストリンカーとは二度と会えない。少なくとも加速世界では。
まぁ会うも会わないも――このデスゲームから脱出(ログアウト)し、元の現実に戻れたらの話ではあるのだが。
「要はあんたも、あとグレウォのアイツも、二度と会うことはねえって訳か」
纏めればそれだけの話だ。
よくある話だ。別のこのデスゲームじゃなくっても、元々の加速世界でだって、あり得た話なのだ。
ただだから、一言言うとすれば、
「忘れんじゃねえぞ。もう一つの方……そしたらもう一度……」
メールくらい待ってやるからさ。
そう口にしようとした瞬間、
「あ、ここに居たのか!」
屋上の扉が開け放たれた。
そこに居たのは見知ったあの冴えない青年だった。
彼はどこか切羽詰った顔をして、しかも走ってきたのかはぁはぁ、と肩で息をしている。
そんな彼に対しニコは言った。
「どうしたんですか? おにーちゃんっ、そんな顔して」
◇
「どうしたんですか? おにーちゃんっ、そんな顔して」
ひょい、と起き上ったトモコがそう元気よくいった。
天使のような笑みを、変わらずに浮かべて。
(あれ?)
その笑みにジローは何か違和感を覚えた。
何もおかしくはない。おかしくはない筈なのに。
――それがおかしい。
「……どうしたんですか。
あたしは別に大丈夫ですよ?」
しかし彼女は何も変わらない。
変ってくれない。
だからジローは上手く言葉が出ない。
絶対にかけるべき言葉がある筈なのに、しかし思い付かない。
固まってしまったジローを前に、彼女は天使のように笑って見つめている。
ふと思った。
どうしてこの娘はこんなにも笑っていられるのだろう。
思えば彼女は笑ってばかりいる。
それ以外の表情をジローはまだ見たことがない。
出会った時から――彼女はレオと並んで朗らかな笑みを浮かべていた。
こんなデスゲームであっても、だ。
レオは分かる。彼は元いた場所からして生きるか死ぬかの世界だった訳だし、何より彼は王として生きてきた。
生きていかざるを得なかった。
しかしそうでない者――自分やあの妖精の少女はまずこの現実を認めることができなかった。
デスゲームに対しどっちつかずの中途半端な態度でいるか、全てから目を逸らし逃げることを選ぶか、どちらにせよ笑うなんて無理だった。
しかし、彼女は――目の前の少女は違った。
出会った時から彼女はずっと笑っている。天使のように。
「なぁ……ちょっと聞いていいかな?」
ジローは思わず尋ねていた。
怖くないのか。だなんて、今さらになって。
「怖くなんてないですよ!
――だって、守ってくれる人がいますもん! レオおにいちゃんにハセヲお兄ちゃん、それに勿論ジローお兄ちゃんも」
微笑みを崩すことなくトモコは言った。
そこでジローは確信した。
確信したが、しかし何といえばいいのかはやはり分からなかった。
「……レオが呼んでいたから、呼びに来たよ」
結局出たのはそんな言葉だった。
それでは駄目だ。かけるべきはこんな言葉じゃない。
その思いを余所にトモコはパッと顔を上げ「本当ですか!」と快活に言っている。
「じゃあ、行ってきます!」
「……あ、うん」
トモコがばたばたと校舎内へともどっていく。
その愛らしい後ろ姿を、ジローは黙って見ていることしかできなかった。
◇
ジローがトモコを呼びにいった間も、レオは作りあげた生徒会室に残っていた。
梅郷中学校の生徒会室をベースに、レオ独自の生徒会解釈を盛り込んで作った部屋だ。
そこで会長席に座り、紅茶を含みながら、レオはデータファイルを開いている。
無駄にできる時間はない。ウイルス発動まで12時間を切り、協力者候補がさらにまた一人倒れた今、一切の予断は許されないだろう。
だから、この生徒会室にも勿論“無駄”はない。
そんな生徒会室でレオはなすべきことをやっている。
その傍らにはガウェインが静かに寄り添う。静かに彼らはいた。
「レオお兄ちゃん」
そこに一人の少女がやってきた。
赤みかかった髪を揺らしながらやってきた、愛らしく小柄な少女。
彼女は生徒会室の中に入ると、わっと驚きの声を上げた。
「すっごい……こんな豪華な生徒会室作っちゃんですか」
「ええ、活動に必要かと思いまして」
大仰に驚いてみせる彼女に対し、レオは微笑みを浮かべる。
その間も彼女は「おお」とか「はあ」とか感嘆の素振りを見せていた。
それをレオは眺めている。表情を変えることなく。
「トモコさん」
「はい? 何ですか、レオお兄ちゃん」
「大丈夫でしたか?」
問われた彼女は目をぱちくりとさせ、
「大丈夫って、どういうことですか?」
「いえ分からないならいいんです。ジローさんがとても心配していましたからね」
「あたしは大丈夫ですよ。だって、レオお兄ちゃんたちがいますもん」
そう愛らしく言って彼女はレオを見上げた。大きな瞳を僅かに潤ませて、彼女はレオを見ている。
レオは微笑みを崩さなかった。
崩さずに、言う。
「トモコさん、ちょっと外に行きませんか?」
「……え?」
「いえ、ちょっと僕も外の空気を吸いたくなりまして」
突然の提案に彼女は戸惑いの表情を浮かべる。
そんな彼女を余所にレオは揚々と立ち上がり、生徒会室を出た。
「え、あ、待って下さい、レオお兄ちゃん」
「じゃあ早速グラウンドに行きましょう! 部屋に籠っていては肩も痛くなります」
戸惑う彼女を連れてレオは校舎の外へ。
外は風が少し冷たかった。空は明るくいい天気であったが、快晴という訳ではなく雲も目立つ。
そんな空の下、レオは言葉通りグラウンドへと降り立った。ぐしゃ、と土を踏みしめる。
「うん、やはり学校というのはいいものだ。
そう思いませんか? トモコさん」
「はぁ……あ、はい。そうですね! お兄ちゃん」
やってきた彼女に問うと、首を傾げつつも答えてくれた。
レオの意図が掴めないようだった。が、答えは相変わらず快活で、大きな声がグランドに響いた。
そんな彼女にレオは口を開いた。
「……さて、トモコさん。
改めて聞きます。大丈夫ですか?
何でも言って下さい。出来る限り対処します。
僕は貴方たちを守ります。生徒会長として、みなを率いていかねばなりませんから」
それを聞いた彼女は愛らしい微笑みを張り付けたまま、
「順調ですか?」
……と答えた。
「順調、とは?」
「もちろん生徒会活動です! 午前中からの作業って上手く行ってるのかなって」
問いを無視された形になったが、レオは柔らかな口調で、
「ええ、順調です。
データの分析、脱出プランに関しては大分まとまってきました。
あとは戦力さえ整えば本格的に動くことができるのですが」
そう事実を告げる。
この月海原学園のデータ。ゲームの根底に走るルール。
その解析はまだ終わっていないが、得られたデータからある程度仮説が立てられる。
やはり“ダンジョン”――アリーナを基にしたと思しきあれは、存在自体が奇妙だ。
このゲームのルールはそれは榊の言う通りプレイヤー同士の争いの筈だ。
しかしでは何故あのような“ダンジョン”を用意していたのだ。
没データとして埋まっていたが、それをルールブレイクしてまで踏み入った筈の自分にGMから何の接触がない。
それが意味することは、つまり――
「あのファイルの内容も、大変興味深いものでした」
先程解析終わったあのファイルの内容。
それはどうやらハセヲがいたというネットゲームについての情報だった。
何故そんなものがここにあったのか。それもまた一つの可能性を示している。
「ええ、順調です。このまま行けば無事目標は達成できそうです」
「そうですか。それはよかったです!」
その報告を聞いて彼女はニコニコと笑っている。
レオは何も言わずその笑顔を眺めた。
月海原学園には穏やかな午後の風景が広がっていた。
静かな街の中、風が木々を揺らし、校舎は陽光を受け照っている。
そんな中で彼らは二人で笑いあっていた。
――彼女がふと顔を逸らすまでは。
彼女はレオから視線を外すと、不意に空を見上げた。
「xxxxxx」
そして何かを呟いている。小さな声で、レオはそれを聞き取ることはできない。
「……何ですか?」
そう尋ねると、彼女はまたレオを見た。
笑っていた。
天使のような笑みを、再度張り付けたまま、彼女は言う。
「……だよ」
僅かに語気を強めながら、その声に苛立ちを滲ませながら、彼女は言う。
「……って言ったんだよ」
――笑みを打ち破るようにして、その下から凶暴で獰猛な表情が浮かび上がる。
「――ああもうめんどくせえって言ったんだよ」
叫びと共にグラウンドは嵐が吹き荒れる。
赤く、朱く、そして紅く、視界が埋まっていく。
その中心に座するは彼女――紅の王・スカーレット・レインである。
最終更新:2014年11月30日 03:30