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どん、と鈍い音と共に獣は倒れた。
見上げるほど大きな四足の毛むくじゃらが白目を剥き仰向けになっている。
その胸から腹部へとかけてぎざぎざな傷がついており、抉れたピンク色の肉が見えた。
だが不思議と血は出ていなかった。元のゲームでレーティングに引っかかったのかしら、とぼんやりとピンクは思ってしまった。
「ふん」
巨大な弧を描く刃――鎌が地面とこすれあい、かさりとかすれた音を立てた。
「こんなものか」
倒れ伏す巨躯を前にして、その命を刈り取った死神は存外つまらなさそうだった。
その白い鎌を、ふっ、とウィンドウを操作して消しやると、おもむろに死体へと近づいていった。
ぼろぼろの布きれから黄土色の装甲に覆われた手を伸びる。
そして死神は、ぐっ、と手を死体に押し込んだ。
途端、獣のポリゴンが痙攣を起こしたように震え、皮膚/テクスチャが剥がれ骨/ワイヤーが露わになっていく。
獣の動きはおかしなものだった。口元についた泡まで飛び散ることなく一緒になって震えている。現実らしくない。
その光景にピンクは違和感を覚えてしまった。死んだあとまでリアルな動作を取っていたのに。
「ゲットアビリティプログラム」
死神が平坦な口調でそう呟き、その拳に力を入れた。
そのまま獣の肉、すなわちデータの光を引き抜き――奪った。
核であるそれを抜かれた獣はその存在を崩壊させ、壊れた数字の羅列へと還っていった。
「……そうやって強くなるのね、あなた」
死神――フォルテの後姿を見据えながら、ピンクは言った。
冷静な分析のつもりだったのに、どういう訳かその声は変に上ずって聞こえた。
「ああ、そうだ」
そしてフォルテが言葉に反応したとき、ピンクは心臓を鷲掴みにされた気分だった。
びくりと肩が上がり、思わず一歩後ずさっていた。
「貴様はどうだ。強いのだろう?」
背中を向けたまま、フォルテは語っている。
目をそらしたいのに、しかしピンクはその背中を見てしまう。
逃げ出したい。しかし逃げ出すことはできない。
今やこの森は断片化され、一ブロックごとに繋がっているようで繋がっていない。
だからあと十歩でも走るができれば逃げ出せるのだが――奴にはそれだけの時間があれば自分を殺せるのだ。
背中を見せれば、奴は躊躇なく一瞬で自分を殺すだろう
そこまで考えたところでピンクは、はっ、とする。
何故逃げることを考えているのだ。
自分は正義のヒーローで、目の前の存在は間違いなく悪だ。
だから戦うべきだ。
ヒーローとして毅然とした態度で立ち向かうべきだ。
そう思う、そう思うのに――
「殺さないのか?」
ピンクはフォルテの挑発的な言葉にも言い返すことができない。
何か言い返してやろうと、そう胸では思っても、その想いは喉元まで至るころには萎えている。
そのせいで「あああ」だか「うう」だか変な唸り声にしかならず、なんて惨めな響きだろうと厭になった。
もちろん戦おう、戦うべきだ、と思っているはずなのだが、啖呵を切ることすら適わない。
何とか脚に力を籠めようとしても震えてしまう。前はおろか、後ろにも走り出すことはできない。
そうしているうちに視界がゆがんできた。フォルテを中心にして世界がぐるぐるとまわっているような気さえした。
だからせめて剣を握ろうとした。
これさえあれば大丈夫だと、そう思うために。
でも駄目だ。震えてしまう。指先がけいれんして恰好がつかない。
手が震えているもんだから、剣もまた震えてしまう。
カチャカチャ、カチャカチャ、カチャカチャ――
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空が気持ち悪かった。
ひとつ前のエリアもそうだったが、このエリアは特にそれが青く大きく見え、フォルテには不快だった。
電脳世界にそぐわない、現実めいたものを彼は嫌っていた。
「…………」
魔剣による異様なバグ攻撃のダメージを確認しつつも、草原を荒々しく踏みつけていた。
HP的にはまだしも余裕があったが、問題はそこではなかった。
ウラインターネットから何度目かになる“敗走”が彼を苛立たせていた。
先の魔剣には一方的には戦闘エリアからはじかれたといってもいい。
無論、突然の発露に油断したということもあるが、戦いに敗れた、という事実がフォルテには何よりも重かった。
――あの魔剣はゴスペルの“できそこない”のようなものか
今しがた喰らった攻撃にフォルテは見覚えがあった。
ゴスペル。
それはかつて電脳世界に存在していたネットマフィアの名であり、フォルテをひどく不快にさせた集団だった。
無論、現実世界を荒らすことやその目的などはどうでもよかった。
不快だったのはただ一点、
――俺の“できそこない”を作るなど……
フォルテをコピーしようとしたことだ。
“ゴスペル”はある目的の為に――正確には一人の老人の糸を引かれ――最強のネットナビであるフォルテをコピーしようとした。
フォルテ・プロジェクトと呼ばれたその計画は“バグ”を集めることでフォルテをコピー・無限増殖させることを狙う計画だった。
結果として計画は失敗したものの、組織壊滅後は電脳世界にフォルテのコピー体が無数にばらまかれることになる。
そのコピー体は片っ端からオリジナルたる自分が“裁いた”のだが。
――俺はただ一人だ。
何物にも頼らず、何物にもおもねらない。絶対なる個。
それを貫く強さこそ、フォルテにとって唯一無二の存在証明である。
そんな彼にとって自分を騙るコピーの存在は許しがたいものだった。
――あの魔剣と“できそこない”に似ている。
ばらまかれたフォルテのコピーは、当然というべきか、完全には動作しなかった。
当然だ。“バグ”を集めたところで“バグの集合体”にしかならない。
“できそこない”もそのデータ構成はまるで別物――“バグ”であった。
あの魔剣の状態はあの“バグ”に通じるものがあった。
黒く禍々しくも統制できていない、まさしく不具合/バグを起こしている様は通じるものがある。
そんな存在に自分は撃退されてしまった。
多くの力を取り込んできたフォルテであるが、しかしこの場においては敗走もまた多い。
特にアメリカエリアでの“人間”――ネオには完封を喰らっている。
とはいえフォルテの行動は一つだった。
――更なる力を喰らう
フォルテにとっては強さのみが個の証だ。
それ故に行動に迷うことはない。
強さだけを追い求める。ただひたすらにデータを喰いつくし、強くなる。
だから魔剣から戦闘エリア外まで弾かれたあと、自ずと彼の行き先は決まっていた。
メールに記載されていた情報を思い出す。
何度か戦い辛酸を舐めさせられたシルバー・クロウが倒れていたが、それはどうでもいい。より強い奴がいたというだけだろう。
それよりも見るべきはイベントだった。
――森か
エネミーがポップする、と書かれたイベントが彼の興味を惹いた。
単純にポイントが手に入ることもだが、それ以上にエネミー――敵が現れるという点だ。
フォルテは敵を喰らうほど強くなる。
それがゲームの参加者であるかはフォルテには関係がない。
まだオーラは回復していないが、自分がエネミー相手に後れを取るはずもない。
森のエネミーを喰い散らかし、更なる力を得る。
それがフォルテが立てた方針だった。
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ギロチンセクター。ムーガーディアン。ドライラーマ。グレンデル……
いかにもファンタジーといったモンスターたちが喰われていく。
“迷いの森”の名に恥じず、森は歩いても歩いても終わらず、しばしば恐ろしい形相をしたモンスターが襲い掛かってくる。
多種多様なモンスターがいた。中にはツナミネットで戦ったものもいた。
デザインの質やグラフィックのレベルも様々で、色々なゲームから引っ張ってきたのだろうな、と想像がついた。
終らない森で淡々とフォルテはモンスターを狩っていき、そしてその度にはそのデータを引っこ抜き、喰う。
そうしてフォルテは強くなる。ピンクはそれを黙って見ているしかない。
敵が、悪が、みるみる内に強大になっていくのに、それを阻む位置にいるのに、しかし何もできない。
いや、とそこで自分の中の冷静な部分が囁く。
できないのではなくやらないだけだろう、と。
剣を両手で、ぎゅっ、と握りしめながらピンクはフォルテのあとをついていく。
歩く姿も情けない。黙って縮こまるように背中を丸めているのだ。
こびへつらうような姿勢だと思うが、しかしピンクにはそれが精いっぱいだった。
「どうした、何もしないのか?」
そんなことだから、フォルテの言葉に何も返せないでいる。
どう頑張ったって声が出ない。
ついていくことだけで限界だ。
啖呵を切るとか、ましてや戦うなんて、想像しただけで恐ろしい。
「お前は強いんだろう?
あの時、そう言ったじゃないか」
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「……少々困ったことになったな」
メールを確認したブルースは一言そう呟いた。
まず脱落者だ。
あのキリトが探しているというサチの名がなかったのはいい。
ボルドーという悪が落ちていたのも状況としては悪くないだろう。
だがそこには知った名もあった。
カイトと志乃。
思わずブルースは森を窺ってしまった。彼らはゲーム序盤にこの森で出会い、そして意見の相違から別れることになったパーティだ。
一般人である彼らを、オフィシャルとしてブルースは保護する立場にあった。
アドミラルという悪は倒せたものの、別れたことで結果的に彼らはデリートされてしまった。
あの時の行動はミスだったのか。
炎山がいれば彼らもまた死ななかったのかもしれない。ブルースは忸怩たる思いであった。
「面倒なイベントねぇ……また森でこんなこと」
一方でピンクは脱落者には特に興味がなさそうだった。
今回は彼女にしてみれば特に知った名前もないはずだ。それ故に読み流したのだろう。
「……一先ずは森からの脱出を図るべきだろう」
ブルースは平坦な口調で言った。
「“痛みの森”が終わった以上、もうこの場に留まっている理由はない」
とにかくイベントに巻き込まれる形となり面倒な事態になったのは事実だ。
今回のイベントは端的にいえば森が迷宮化し、エネミー――ウイルスのようなものだろう――が出現するというものだった。
前回ほど直接的な殺し合いを促すものではなく、また時間が経っていることからブルースは一度森から脱出するべきと考えた。
「えー折角だからモンスター狩っていきましょうよ?」
が、ピンクは不満そうにそんなことを言った。
「ポイントもらえるらしいじゃない。じゃあ色々狩って装備整えたほうがいいでしょう?
私のジ・インフィニティなら楽勝よ」
「駄目だ。無駄な時間を使う訳にはいかない。慎二やユウキたちとの合流が第一だ」
「うーんそうねぇ……」
ブルースが断言すると、ピンクは不満を漏らしつつも同意した。
彼女の手綱を握りつつもブルースたちは脱出すべく移動する。
森は今現在ブロックごとに管理されているようで、一定区間を進むごとに周りの風景が不自然な変化をする。
恐らく森が別の場所へと繋がっているのだろう。完全なるランダムだとすると、脱出まで中々に骨が折れそうだった。
途中エネミーに遭遇しようともブルースは無視するつもりだった。
そこで無駄に消耗するつもりはなく、時間の無駄であるからだ。
力を振るいたがっている節があるピンクは不満を言うかもしれないが抑えよう。
そのつもりだった。
――しかし出会ったのは死神だった
そのネットナビと遭遇/エンカウントしたのは、このゲームに巻き込まれる以前を含めても初めてのことだった。
しかし炎山より名は聞いていた。
そいつは裏インターネットを徘徊し、喰らったチップを無制限に使うことができるという。
最初は都市伝説のようなものだった。しかし次第にその名は確かな意味を持って現実を脅かしていた。
ゴスペルがコピーしようとし、WWWの計画にも絡んでいるという“最強のネットナビ”。
またこの場においてもキリトから遭遇したという話は聞いていた。
だから自然とその名が出た。
フォルテ。
ぼろぼろのローブ。不気味に照り返る黄土の装甲。凶悪な眼光。
遭遇したそのナビは、聞き及んでいた特徴を全て兼ね備えている。
「貴様たちは――プレイヤーか」
何度かエネミーを狩っていたのだろう。出会い頭にフォルテは、ぎょろり、と瞳を動かしそう漏らした。
ブルースはそれがフォルテだと気付いた瞬間よりすぐさま臨戦状態に入る。
「何よアンタ?」
「ピンク、前に出るな」
ピンクの迂闊な行動を鋭い声でいさめる。
その語気の強さに彼女は一瞬驚いたようだが、しかしどこか溌剌な口調で
「分かったわ――悪ってことでしょ、アレ」
そんなずれたことを言い放った。
「なら倒せばいいじゃない。あたしは強いのよ!
あたしが斬るわ。そうこの剣、ジ・インフィニティを使って!」
「黙れ」
ブルースは一言で切り捨てると、ピンクを抑えながら前に出た。
構っている余裕はない。この敵はまぎれなく一級の危険者だ。
「フォルテだな」
「ほう、俺の名を知っているか」
「貴様を斬る。オフィシャルとして、お前を野放しにする訳にはいかない。
――お前にどんな過去があろうとも、だ」
そう毅然と言い放つとフォルテは、ははは、と嘲笑し、
「オフィシャル? オフィシャルだと?
そうか貴様は人間の子飼いのネットナビか。
笑止! そんな奴らが俺に勝つつもりか」
その言葉と同時にブルースは駆けだしていた。
問答無用。戦いの始まりだ。
「来るか」
ニィと笑ってフォルテはバスターをまっすぐにブルースに向け、放つ。
閃光がジジジジジジ、と音を立てながら地面を走った。一発だけではない。フォルテは加減なく乱れ撃つ。
ブルースは、さっ、とそれを回避し、ピンクの射線上へと躍り出てシールドを展開する。
チップ効果によりバスターは反射され衝撃波となってフォルテへと向かう。
フォルテはそれを難なく避ける。だがその軌道を読んでいたブルースは既に駆けていた。
赤い閃光がその手に灯った。
常備されたバトルチップである“ソード”だ。ブルースはチャージさえすれば何時でもこのチップを使うことができる。
一瞬でフォルテに迫ったブルースは果敢に“ソード”を振るう。
しかしフォルテもまたこのタイミングで攻撃が来ることを見越していたのだろう。
瞬時に向こうもチップを使った。その手はされコンバートされ、握りしめた白い大鎌で“ソード”を受け止めていた。
“ソード”と鎌が押し合う。
ブルースとフォルテの視線が絡んだ。
その瞳に宿った混じりけのない敵意を、ブルースははっきりと危険だと確信した。
「ふん……また接近戦か」
一方でフォルテはそう漏らすと、ぶうん、と力任せに鎌を振るった。
ブルースは難なくその攻撃をいなすも、ばさばさとローブが舞い視界を遮った。
かと思うとその間にフォルテは距離を取っていた。
そしてその腕は既にバスターへとコンバートされている。
ブルースは思わず舌打ちする。どうやら敵は己の得意なレンジを把握しているらしい。
ブルースはソード系主体のナビであり、言うまでもなく接近戦を得意とするネットナビだ。
一方でフォルテはバスター主体の中距離戦が最も得意であり、
「死ね――人間なしではバトルもできない愚かなナビが」
こうして距離を取られながら撃たれると、当然ブルースは苦しくなる。
狂ったように森にあふれるバスターを交わしながらブルースはその判断の早さに舌を巻く。
同じ土俵に立つのではなく、距離を取り一方的に蹂躙する。こちらが最も苦しくなる戦術だ。
ありとあらゆるナビを喰らったという噂通り、奴には圧倒的な戦闘経験がある。
フォルテはどこかで知ったのだろう――接近戦主体の者との戦い方を。
「何やってるのよ、ブルース!」
後ろからピンクの声がした。
こちらの苦戦が伝わっているのだろう。彼女は不満げだった。
しかしブルースは答えない。今彼女に構っている暇はない。
あのチップ――ジ・インフィニティは確かに強力だが、フォルテにヒットさせることは困難だろう。
確かな力量を持ったオペレーター――それこそ炎山のような――がいれば話が別だが……
「もうこっちから行くわよ――」
「やめろ、このナビは」
が、勝手にピンクは前に出ようとする。
それを押しとどめんと彼女の前に立つが、
「ふん」
フォルテは苛立ちを込めてそういうと、ばさり、と黒い翼を展開し跳んだ。
何をする。そう思い天を仰ぐが、その手にエネルギーが収束しているのを認めた瞬間、ブルースは咄嗟にシールドを展開した。
――アースブレイカー
轟音と共に破壊の閃光がやってきた。
視界が光に埋め尽くされる。先のバスターなどとは比べ物にならない極太のビームがブルースを襲う。
「くっ……!」
ブルースはそれを必死にシールドで受け止める。
赤い盾を空に掲げ、自分とその後ろにいるピンクを守らんとする。
重くのしかかるデータの重さにブルースは――
最終更新:2015年06月23日 00:36