14◇◆◆◆◆


 双剣と銃剣が振るわれ、蒼炎が舞い銃弾が飛ぶ。
 お互いの刃がぶつかる度に、火花が激しく飛び散る。
 蒼炎のカイトとエージェント・スミスの戦いは、一見互角の様相を呈していた。

「ガアアァ……ッ!」
「フン……ッ!」
 もう幾度目かの武器の激突。
 振るわれたカイトの双剣を、スミスは銃剣で受け止める。
 そして全身に力を込め、カイトを弾き飛ばして銃撃する。
 放たれた弾丸は狙い違わずカイトへと迫り、しかし双剣によって防がれる。

「ふむ。銃撃は無駄か。やはりあの炎、厄介だな」
 これまでの攻防の結果から、スミスはそう結論する。
 その身体には、いたる所に焼け焦げたような痕が残っていた。
 それはカイトとの戦いの最中、彼が放った蒼炎によって負ったものだ。
 双剣の刃では傷つかないとはいえ、この攻防においてそれは明確なダメージだと言えた。
 そして明確なダメージである以上、接近戦を避けるために銃撃が有効かを試していたのだが…………。

 あの少年は銃弾の弾道を完全に予測し、その双剣で確実に防いでくる。
 自身の回避とは違い、少年の能力を超える威力や、防御できない状況での銃撃なら有効だろうが、それはこの場では望むべくもない。
 現状、自身が持つ中で有効な攻撃手段は、全力での近接戦闘しかないだろう。
 そう結論した、その時だった。

「ッ…………!?」
 何かを感じ取ったのか、カイトが弾かれるように校舎へと視線を向けた。
 完全に警戒が逸れた、あまりにも明確な隙。それをスミスが見逃すはずなく。
「死んでくれるなよ」
 スミスはそう呟くと同時にカイトへと接近し、銃剣を勢いよく振り抜いた。

 カイトはその一撃を咄嗟に双剣で防ぐが、その瞬間、スミスは空いた左手でカイトへと掴みかかった。
 それを防ごうと双剣で遮れば、それを狙っていたかのようにスミスは双剣の刃を掴み取る。
 当然そんなことをすれば、刃によっては傷付かずとも、纏った蒼炎がスミスの腕を焼く。
 だがスミスは構うことなくさらに一歩踏み込むと、勢いよくカイトへと頭突きを叩き込んだ。

「ガッ!? グゥ……ッッ!」
 双剣を封じられたカイトはその予想外の攻撃に対処することができず、まともにその一撃を食らってしまう。
 そこへさらにもう一撃加えんと、スミスが上体を仰け反らせる。
 だがカイトはスキル《蒼穹の衝撃》を使用することで、どうにかスミスを弾き飛ばす。
 しかし頭部に受けたダメージによってふらつき、次の行動が遅れてしまう。
 その隙にスミスが、再びカイトへと距離を詰める。
 どうにかそれに対処すべく、カイトは双剣に蒼炎を集束させる。だが。

 “間に合わない”。
 両者は同時にそう理解する。
 この蒼炎の集束率では、スミスを足止めするには至らないと察したのだ。
 だがカイトは少しでもダメージを与えるために蒼炎を振りかざし、
 対するスミスは勝利の確信をもって更なる一歩を踏み出し、

「“撃て”、カイト!」
 その瞬間、二人の頭上から、そんな言葉が響き渡った。

「ッ…………!」
「チィ……ッ!」
 咄嗟にその声に従い、カイトは収束させた蒼炎を、スキル〈蒼火球〉として放つ。
 対するスミスは思わず声に気を取られ、放たれた蒼炎をバレットドッジによって回避してしまう。
 スミスの上半身が高速で動き、蒼炎は虚空を焼く。
 だがその間に、カイトは大きく飛び退きスミスから距離をとる。そして――――

「ハッ、喰らいやがれマヌケ」

 回避動作により上半身を仰け反らせたスミスは、そんな声とともにそれを見た。
 両脚を炎に包んだ紅い少女が、自身の直上へと跳び上がっているその姿を。

「着装…………、《インビンシブル》ッ!!」
 直後、少女の全身から炎が猛り、周囲の空間から無数のコンテナが火焔を纏って湧出し、その身体を包み込んでいく。
 そうして現れたのは三メートルを優に超える、戦車か要塞の如き武装コンテナの集合体だった。
 それが、重力に任せたまま、“スミスを目掛けて落下した”。

「なっ、ッ……!?」
 その異様に絶句しつつも、回避動作から立ち直ったスミスは即座にその場から退避する。
 しかし。
「遅ぇんだよ!」
 地面へと墜落し、粉塵と瓦礫をまき散らす《インビンシブル》。
 その巨大な重武装に下半身を挟まれる形で、スミスは“不動要塞(イモービルフォートレス)”の下敷きとなっていた。

「ぐ、ガァ……ッッ!!」
「ちっ、まだ生きてやがんのかよ! ってうお!?」
 《インビンシブル》の巨重に押し潰されてなお生きているスミスにレインは驚愕を表し、直後、その巨体を揺らした振動に更なる驚愕を味わう。
 なんと《インビンシブル》の下から抜け出そうと、スミスがその巨重を持ち上げ始めたのだ。

「今だ、カイト! データドレインを―――!」
 即座にレインはカイトへと叫び後を上げる。
「……………………」
 それに応え、カイトがスミスへと右腕を突き付けると、デジタルの紋様で綾なされた腕輪が具現化する。
 腕輪はデジタルの紋様をさらに展開させ、カイトの右手に極彩色の光条を収束させる。

「ッ……!?」
 それを見て取ったスミスは、その危険性を知るが故に、一刻も早く阻止しようと全身に力を籠める。
「逃がすかよ!」
 だがそれを察したレインは、《インビンシブル》のバーニアを点火し、その巨体でスミスを地面へと押さえ付ける。
 そして――――。

「……《データドレイン》……」

 カイトの口から放たれた、確かな意味を表す言葉。
 それを引き金として、その右手から文字数列の閃光が放たれた。
 レインはそれに合わせ《インビンシブル》を解除し、その閃光から逃れる。
 だが寸前まで押し潰されていたスミスは回避行動をとれず、その閃光に貫かれる。

「ぐおおッ……ッッ!」
 ともすれば世界を滅ぼし得る力の直撃。
 スミスを貫いた閃光はその肉体情報(ソースコード)を弾き飛ばし、改竄・収奪し、カイトのチカラへと還元する。

「っ、ぬぅ……ッ」
 これで二度目となる“力”の消失に、スミスは堪らず膝を突く。
 その身体はデータ改竄の影響によりノイズが奔り、素体となったNPCの姿を垣間見せる。

 通常のデータドレインに、ダメージを与える効果はない。
 故にこの一撃でスミスが死ぬことはない。
 だが。
 確かにこの瞬間、この戦いの情勢は決したのだ。
 それを証明するかのように、カイトが双剣を構えスミスへと切りかかる。

「チィ……ッ!」
 スミスは舌打ちをし、どうにか体勢を立て直してその一撃を受け止める。
 そこへ迫るもう一振りの魔刃。それをスミスは受け止めず、大きく飛び退いて回避する。
 だが躱された刃はスミスの体を浅く切りつけ、その身体に確かな傷痕を残した。
 ……そう。今まで蒼炎以外で傷つくことのなかった肉体が、カイトの刃によって傷つけられていたのだ。

「ッ!? ハアッ!」
 それを見たレインが、即座にスミスへと殴り掛かる。
 その一撃は防御されるが、そこには最初とは違う、確かな手応えがあった。

「もう一発喰らえッ!」
 行ける。その確信とともに、レインは再び拳を振り被る。
「ガアアァア―――ッ!」
 そこへさらにカイトが加わり、二人掛かりでスミスへと攻めかかる。
「おのれッ……!」
 対するスミスは、銃剣でカイトを、左腕でレインの攻撃を防ぐことで、どうにか二人の猛攻を捌いていく。
 だが『救世主の力の欠片』を失った状態で凌ぎ切れる筈もなく、少しずつダメージを蓄積させていき、そして。

「グッ……!?」
 不意に硬直する身体。
 スミスの肉体は、その意に反して唐突にその動きを止めてしまう。
 レインの装備する【緋ニ染マル翼】のアビリティ、《無垢ノ報復》の効果が発生し、麻痺状態になってしまったのだ。

「ハアァッ……!」
 その隙を容赦なく抉るカイトの魔刃。
 三尖の刃は硬直したスミスの胴体を深く切り裂き、レインに続くようにその追加効果を発生させた。

「ガ、アアアアァァァアア――――ッッ!!??」
 全身に奔るかつてない激痛に、スミスは堪らず苦痛の声を上げる。
 その痛みはカイトの持つ【虚空ノ双牙】のアビリティ、《ダイイング》の効果によって、残りHPを強制的に半減させられた影響だった。
 だがスミスへの攻撃がそれで終わるはずがなく、

「ハアアアア………ッッ!」
 カイトが双剣を構え、蒼炎をより激しく猛らせる。
 同時にスミスの身体に赤い刻印が浮かぶとともに蒼炎が噴出し、

 ―――EX-SKILL《葬爪の残像》。

 次の瞬間、無数の傷跡とともに、三角を描く赤い斬痕が刻み付けつけられた。

「馬鹿、な………――――」
 残りHPを全て吹き飛ばすほどの大ダメージ。
 スミスは一瞬だけ元のNPCの姿を現し、データ片となって消滅する。
 後に残ったものは、戦闘によって生じた無数の破壊跡と、カイトたち三人の姿だけだった。

      §

「いよっしゃ! やったなカイト!
 いやマジで死ぬかと思ったぜ」
 スミスを倒したという事実に、レインが喝采を上げる。
 全ての戦いが終わったわけではないことはレインも理解している。
 だがスミスを相手に誰一人欠けることなく生き残ったという事実が、レインにそうさせていた。
 一度は全滅を覚悟しただけに、その感情も一入なのだろう。

「……………………」
 だが一方のカイトの心中に勝利の喜びはなく、その脳裏には別の事が浮かんでいた。
 カイトが考えていたのは、スミスを倒した一撃の事だ。
 《蒼炎の残像》。それはカイトが個人で持つ攻撃スキルの中では最も威力の高い攻撃だ。
 だがスミスにこのスキルを使用した時、その手応えに違和感があった。
 あの時放った《蒼炎の残像》は、威力、速度共に従来のそれを明らかに上回っていたのだ。
 EX-SKILL――つまりは、“拡張(エクステンド)スキル”。
 スキルの使用時に浮かんだその言葉(システムメッセージ)。それと何か関係があるのだろうか。

「……………………」
 しかし、それは今考えるべきことではない。
 スミスとの戦いの最中に感知したある反応。
 あれは間違いなく、AIDAが顕現したことによるものだ。
 それもサチに感染していた《Helen》ではなく、別のAIDAの。

 この状況において、それが意味することは一つ。
 スミスもまた、AIDAに感染したPCだったということだ。
 近くにAIDA-PCであるサチが存在していたことと、複数のPCボディを持つスミスの特異性が、別のAIDAの存在を隠していたのだ。

「ハァアア…………」
「あん? どうした?」
 カイトは伝わらないことを承知の上で、レインへと声をかける。

 生徒会メンバーでAIDAに対抗できるのは、自分か《Helen》だけだろう。
 あるいはセイバーたちサーヴァントなら対抗できるかもしれないが、相当な不利を強いられるはずだ。
 それにそもそも、AIDAを完全に駆除できるのは自分のデータドレインだけだ。急いで校舎に戻る必要がある。

「よくわかんねぇけど……要するに、レオたちがまだ戦ってるってことか?」
「……………………」
「なるほど。だったら急いで戻んねぇとな」
 多少は意味が通じたのか、レインはそう言って気を引き締める。

 戦いが終わっていないというのなら、こんな所で喜んでいる暇はない。
 とっととジローを回収して、急いで校舎へと戻ろうとした―――その時だった。


「驚いたな。単独だったとはいえ、まさかあのスミスを倒すとは。
 さすがは女神Auraの騎士、といったところか」


 そんな言葉とともに、その男は現れた。
 その男は、左腕に巨大な拘束具を付けた、一種異様な風体をしていた。

「ッ………!」
 その姿を見た途端、カイトは即座に双剣を構え、スミスと対峙した時以上の警戒を見せる。
 それによってレインは、この男がカイトの敵であり、そしてスミス以上に“危険”な存在だと理解した。
 ……いや、たとえカイトの警戒がなかったとしても、レインはそう判断しただろう。何故なら。

「なんなんだよおまえ……その左腕……!」
 《視覚拡張》の応用によって視覚化した情報圧。
 男の左腕(こうそくぐ)から観測できるそれは、その情報量だけで言えば、ガウェインと同等かそれ以上の圧を放っていたのだから。

「ほう。“これ”が見える……いや、解るのか。
 どうやら君は、特別な眼を持っているらしいな」
「っ……んな事はどうでもいいんだよ!
 テメェは何だ。あのスミスとかいう黒服の仲間か!?」
「仲間、ね……。行動を共にしている、という意味ならその通りだ」

 レインの怖れを振り払うような言葉に、男は曖昧に答える。
 まるで見方によっては、スミスの敵であるとも捉えられる言葉。
 だがそれでも、一つだけはっきりしている事があった。

「はっ! 要するに、テメェはあたしらの敵ってことだろ!」
「ああ、その認識に間違いはない。どのような形であれ、いずれ君達とはぶつかっただろうからね。
 それがたまたま、このような形になったというだけの事だ」
「ちっ、ふざけやがって」
 曖昧な言葉を返す男に、レインは思わず舌打ちをする。

 この男の真意はわからない。
 だがカイトの警戒度合いからしても、並みならぬ強敵なのだろう。
 それもおそらくは、スミス以上の。
 そしてこのタイミングで現れたという事は、自分達をただで校舎へと戻らせる気はないという事だ。

 だが、この男に係っている余裕は、自分達にはない。
 校舎ではまだ、レオたちがスミスと戦っているのだから。
 だからこそ、レインは今にも飛び掛かりそうな様子を見せるカイトへと、後を任せることにした。

「おいカイト。ジローを連れて、レオのところへ行け。こいつはあたしが引き受ける」
「……………………」
「こいつがヤベぇのはわかってる。けどスミスを倒すには、あんたの力が必要だ。
 それに、こいつはスミスと違って、銃撃が効かないってワケじゃねぇんだろ?」
「……………………」
「任せろって。あたしを誰だと思ってやがる。
 プロミネンスのギルドマスターにして、対主催生徒会副会長。二代目『赤の王』のスカーレット・レイン様だぞ。
 レオが来るまでの時間くらい意地でも稼いでやるし、いざとなったら逃げだすさ」
「……………………」
 それを聞いてか、カイトはようやく双剣を収め、気を失ったままのジローの下へと向かった。
 その背中に、

「ああ、そうだ。ジローが起きたら伝えといてくれ。
 キャッチボール、それなりに楽しかったぜってな」

 レインはそう、静かに言い残した。

「……………………」
 その言葉が聞こえたのかどうか、カイトはジローと双銃を抱えると、振り返ることなく校舎へと向かっていった。
 その際、ジローの手が動いたような気がしたが、もう止めることは出来ない。
 そうしてその背中を見届けてから、レインは男へと向き直った。

「少し、待たせちまったか?」
「いや、構わない。
 しかし、その名前。その姿からもしやとは思っていたが……。なるほど、君はシルバー・クロウの同郷か」
「…………、テメェ。クロウを知ってんのか」
 男の言葉に、レインはそう問い返す。
 少し考えれば、メールから予測ができることは理解できた。
 だがシルバー・クロウの名を口にした男の声からは、推測によるものとは思えない色が見て取れたのだ。
 そしてそれは正しかった。

「ああ、知っているとも」
 男が答える。

「彼を殺したのは、俺だからね」

 スカーレット・レインの、予想だにしない形で。

「――――ッッッ!!!」
 呼吸が止まり、頭が漂白される。
 男の言葉を理解することを、一瞬脳が拒絶した。

 イマ、コノ男ハナント言ッタ?
 クロウヲ殺シタト、ソウ言ッタノカ?

「………………ああ、そうか。クロウを殺ったのは、テメェか。
 テメェが……クロウを………。テメェがああああ――――ッッッ!!!」
 レインの叫びに呼応して紅い火焔が巻き起こり、その身体を無数の武装コンテナが覆っていく。

「なら時間稼ぎなんて生温いことは言わねぇ。テメェはここで、このあたしがぶっ潰す!」
 男へと向けられる二つの主砲他いくつもの重火器。
 砲口へと収束していく光は、レインの怒りを表すかのように紅く輝き、
「―――《ヘイルストーム・ドミネーション》ッ!!!」
 その声を引き金として、【インビンシブル】に搭載された全ての兵装が、男を目掛けて一斉掃射される。
 普通のバーストリンカーであれば、一瞬で消し飛びかねない過剰火力。
 あのガウェインとて、直撃を受ければ無傷では済まないだろう砲撃が、薄く笑みを浮かべる男へと迫り、

 ガシャンと、左腕の拘束具が外れる音が響き渡った。


    15◇◆◆◆◆◆


 黒に呑まれた視界が光を取り戻す。
 すぐさま辺りを見渡せば、周囲の光景は先ほどまでと一変していた。
 視界に映るのはよく見知った月海原学園の昇降口ではなく、データの剥き出しとなった、どこか幻想的な異界だった。

「――――――――」

 背後からふと、聞き覚えのある言葉が聞こえた。
 咄嗟に振り返ればそこには、半透明な体を赤く染めた、蜘蛛のようなグロテスクで巨大な生物。

 AIDAだ、とその正体を即座に理解する。
 だがその様相は、サチの心海で見たヘレンとはまるで違う。
 魚と虫の違いもそうだが、何よりもその赤い身体が、ヘレンにはなかった凶悪さを表している。

 その、赤い蜘蛛のようなAIDAが、岸波白野を認識した。
 眼などどこにもないくせに、その視線は悪寒を覚えるほどはっきりと感じ取れた。
 その悪寒からはっきりと理解する。
 やはりこのAIDAはヘレンとは違う。このAIDAは、岸波白野を敵として見ていない。
 いやそもそも、人間(プレイヤー)ですらなく、“餌”としか認識していない……!

「――――――――」
 理解不能なその声とともに、蜘蛛のAIDAがその前肢を振り上げる。
 その狙いはもちろん、岸波白野だ。
 だが自分にその一撃を防ぐ術はなく、通常空間に取り残されたのか、キャスターの姿も見当たらない。
 そんな完全に無防備な岸波白野へと、AIDAの前肢が振り下ろされ、

「させるか!」
 しかし、背後から飛び出たセイバーによって防がれた。
 同時に、岸波白野の魔力消費が倍増する。
 空間を隔てたといっても、契約が切れたわけではない。キャスターはまだ、通常空間でスミスと戦っているのだ。

「――――――――!」
 “食事”を邪魔されたからか、AIDAが怒りの声を上げる。
 その様子からは、スミスから感じられた無機質さなど欠片も感じられない。
 サチの感情に呼応していたヘレンと違い、このAIDAはスミスの影響を受けていないらしい。

「どうする、奏者よ。あまり考えている余裕はなさそうだぞ」

 分かっている。
 外の戦いはまだ終わっていない。それはつまり、キャスターは一人でスミスと戦っているという事だ。それも最悪の場合、二人以上のスミスとだ。
 瀕死にまで追い込んだ一人目だけならばともかく、おそらく無傷であろう三人目以降を同時に相手にできるほど、キャスターは強くはない。

 ……だがどうする。
 どうやって通常空間へと戻る。
 方法は簡単だ。目の前のAIDAを倒せばいい。そうすればすぐにでも戻れるだろう。
 だがそのAIDAを倒すために、どれほどの時間がかかる。それまでに、果たしてキャスターは持つのだろうか。
 いやそもそも、それを可能とするだけの魔力量など、岸波白野には存在しない。

 ――――この状況を覆す方法は、ある。
     令呪を使えばいい。

 マスターにのみ許された、サーヴァントに対する三度限りの絶対命令権。
 アーチャーを慎二へと貸したことによって残り二画となったそれを使えば、容易く問題は解決する。
 下す命令は簡単だ。ここにキャスターを呼び寄せるか、キャスターの下へと跳べばいい。
 それだけで問題は解決する。

 ……だがいいのか?
 令呪はサーヴァントへの強制力であると同時に、サーヴァントとの契約(つながり)でもある。
 令呪を使うという事は、その繋がりが薄くなるという事だ。
 そして今の岸波白野にとって、セイバーたちとの繋がりが薄くなるという事は、そのまま命の危険に繋がる。
 アーチャーとの契約を一時的に絶っただけで症状が現れたのだ。今令呪を使えば、データの欠損は間違いなく進行する。
 そんな危険な状態で、本当に令呪を使ってしまっていいのか――――?

「急げ、奏者(マスター)!」
 セイバーが声を荒げる。AIDAが再び動き出したのだ。
 もう迷っている時間はない。自分は――――

   AIDAと戦う
   キャスターを呼び寄せる
   キャスターの下へ――――

「む!? これは……!」
 不意にセイバーが瞠目する。
 決断を下そうとしたまさにその瞬間、蜘蛛のAIDAのものではない、新たな黒泡が現れたのだ。
 その黒泡は蜘蛛のAIDAを阻むように集まると、二つの人影を残して四散した。
 現れたのは、レオとともにいたはずの少女たち、サチ/ヘレンとユイだった。

「ここは……? あれ、セイバーさんに、ハクノさん!?
 それに、あのモンスターは……もしかして、あれがAIDA……?」
 ユイは周囲を見渡し、そう困惑したように呟く。
 彼女自身にも状況が理解できていないらしい。

「はい。ヘレンさんが急に、ハクノさんが危険だと言って、それで……」

 この場所へと連れてこられた、という事か。
 だがなんにせよ好都合だ。黒泡による転移でこの空間へと侵入したのであれば、同じ方法でこの空間から脱出することも可能なはずだ。
 そう思い、ヘレンへと声をかける。

「――――――――」
 だがヘレンは、蜘蛛のAIDAを見つめたまま、転移をしようとする気配を見せない。
 一体どういうつもりなのか。このままでは、キャスターが――――。

「たぶん、意味がないからだと思います
 あのAIDAの狙いがハクノさんだとしたら、今この空間から脱出したところで、またハクノさんをこの空間に引きずり込んできます」
「なるほどな。つまりあのAIDAを倒さぬ限り、状況は好転せぬという事か」

 ならばキャスターはどうなる。
 彼女は今も一人でスミスと戦っているというのに。
 やはり令呪で彼女を呼び寄せるしかないという事なのか。

「ちょっと待っててください。
 …………。
 安心してください、ハクノさん。今レオさんが、昇降口へと向かっています。校内のスミスの反応は、キャスターさんが戦っている一人だけです」

 レオが? それはつまり、生徒会室を襲撃したスミスは撃破した、という事だろうか。
 確かにそれなら安心できる。レオにならキャスターを任せても大丈夫だろう。
 なら後は、一刻も早くこのAIDAを倒し、キャスターの下へと戻るだけだ。

「うむ、任せよ。あのような怪物如き、一蹴に伏してくれる」
 そう言ってセイバーが剣を構える。
 AIDA本体の強さがどれほどかはわからないが、時間をかけている余裕はない。
 最悪、宝具の使用も考える必要があるだろう。
 そう考えた、その時、それに待ったをかけるかのようにサチ/ヘレンが前へと出た。

「――――――――」

 二度も行動を邪魔され、蜘蛛のAIDAは苛立たしげな様子を見せている。
 すぐに行動に移らないのは、こちらの様子を窺っているからか。
 対するサチ/ヘレンは相変わらずの無表情だが、その身に纏う黒泡が何かしらの動きを見せている。
 ベースとなっている生物(すがた)は違えど、あの蜘蛛とヘレンは同じAIDAだ。何か思う事があるのかもしれない。

「――――――――」
「――――――――」

 岸波白野には理解できない、ウイルス同士の会話。
 ユイに訊けばその内容を知ることができるのかもしれないが、その考えに至るより早く会話は終わりを告げる。

「――――――――!」
 その結果は、おそらく決裂。
 蜘蛛のAIDAが一際大きな奇声を上げ、その両肢を大きく振り被り。
「――――――――」
 サチのアバターをその身に纏って黒泡が覆い尽くし、その中からヘレンの本体たる巨大な雷魚が出現した。

 おそらくは前例のない、AIDA同士の対決。
 <Helen>と< Glunwald >による電脳の戦いが、今始まったのだ――――。

      §

 ――――その頃、残されたキャスターとスミスはお互いの武器を突き付け、静かに睨み合っていた。

 両者の状態は歴然としている。
 キャスターはほとんど無傷に等しく、魔力にもまだ余裕がある。
 一方のスミスは満身創痍であり、キャスターの呪術を受ければ一溜りもないだろう。
 それを理解していながらキャスターが攻撃に出ないのは、主に三つの理由からだった。

 一つは戦闘能力の違い。
 いかにスミスに対して呪術が効果的とはいえ、純粋な身体能力はスミスが勝っている。
 支援のない状態で近接戦闘に持ち込まれてしまえば、そのまま押し切られてしまう危険性があった。

 二つ目は状況。
 二人目のスミスが昇降口に侵入してきた際に、校庭への扉を塞いでいた下駄箱は破壊されてしまった。
 つまり今戦闘を行えば、校庭にいるNPCに発見されペナルティを受けてしまう可能性があるのだ。
 いつ、どのような形でペナルティが科せられるのかはわからない。だがペナルティを受けた状態でスミスと戦うのは明らかに危険だった。

 そして三つめが、岸波白野の安否だ。
 繋がったパスから岸波白野が無事であること、セイバーの気配がないことから彼女が傍にいることはわかる。
 だが彼らが現在彼どういう状態なのか、それがまったくわからない。
 もし岸波白野が人質にでもされていたのならば、如何なセイバーといえど迂闊な行動はとれないだろう。
 そしてそれはこちらも同じ。下手な行動をとれば、岸波白野にどう影響するかわかったものではなかった。

 わかっていることは、あれがAIDAに関連した現象である、という事だけ。
 そしてこちら側で対処できそうな人物は、カイトとヘレンだけだ。
 だがヘレンは三階で別の敵に襲われており、カイトはその救援に向かってしまった。
 彼らの状況が良くならない限り、こちらへの救援は望めないだろう。

(ご主人様の指示とはいえ、こんな事ならカイトさんを引き留めた方が良かったかもしれませんね。
 まあその場合、レオさん以外がどうなるかわかったもんじゃありませんけど。
 ああ、セイバーさんを向かわせる、という手もありましたか)

 いずれにせよ、今更の話だ。
 キャスターに異空間へと干渉する術がない以上、岸波白野と合流することは出来ない。
 最悪令呪という最終手段はあるが、それを使えるのはマスターである岸波白野だけ。
 ならば自分は、この場で自分にできることをするしかないだろう。
 そのためにも、今は少しでも情報を聞き出すしかない。

「ご主人様をどこへやったのか、訊かせてもらいましょうか」
 努めて冷静に、キャスターはスミスへと問いかける。
 だがその声色は、普段の彼女からは想像できないほどに冷たく、平坦だった。
 だが彼女をよく知る人間であれば、その声に秘められた激情を察することもできただろう。

「さてな。私にわかるのは、ここであってここでない場所、という事だけだ。
 遠くへ行ったわけではない、という事だけは保証するよ」
 対するスミスは、その問いに正直に答える。
 その理由は、嘘を吐く意味がないからだ。
 異空間に干渉する術を持たないのはスミスも同じ。つまりどう答えようと、結果は変わらないのだ。
 ならば、あちらで起きていることを考慮する必要はない。この自分はただ、目の前の女をどうにかすればいいだけの事。
 スミスはそう結論し、そのためにも、今はとにかく時間を稼ぐ必要があった。
 ペナルティを恐れていないスミスが攻撃を行わないのはそのためだ。

「っ…………!」
 そしてそれを、キャスターもまた理解していた。
 要するに、スミスは他の自分が駆けつけてくるのを待っているのだ。
 そして二人掛かりでこられれば、間違いなく自分はやられるだろう。

 あちらは時間が経てば経つほど有利になり、対してこちらは迂闊な攻撃ができず、そのうえ己がマスターの安否も不明。
 そんな切羽詰まった状況に、はぁ、とキャスターは息を零した。

「こうなっては致し方ありません。本気を出すといたしましょうか。
 このままやられるわけにも参りませんし、どのみち我慢の限界でしたので」
 キャスターはそう呟きながら、新たに数枚の呪符を取り出す。
 呪術の使用により魔力消費も、抗戦行為によるペナルティも、一旦棚上げすることに決めたのだ。
 そうでもしなければ、この場を切り抜けられないと理解しているが故に。……だが。

「なに―――!?」
 スミスは唐突に天井へと顔を向ける。
 ……いや、見ているのはさらにその上。三階だ。
 そこで起きている戦いに、何か変化があったのだとキャスターは察する。
 そしてスミスの驚きようからして、その変化は自分達の利となるものだろう。
 その程度には、キャスターはレオの事を信頼していた。

 そしてその予想が正しいことはすぐに証明された。
 一階へと駆け下りてきた、レオとガウェイン自身によって。

「白野さん、ご無事ですか!?」
 開口一番にレオはそう口にするが、昇降口に岸波白野の姿はない。
 周囲を見渡し、その事を素早く把握したレオは、改めてキャスターへと問いかける。

「キャスターさん、白野さんはどちらに?」
「口惜しながら、詳しくは。
 あの男曰く、ここであってここでない場所、とのことですが……。
 私にわかるのは、AIDAが関わっている、という事だけです」
「AIDA……なるほど、それでヘレンが」

 キャスターの返答を聞いたレオは、得心が言ったように頷く。
 その用紙には、先ほどまであった焦燥感はすでになくなっていた。

「何かお分かりで?」
「ええ。白野さんなら、きっと大丈夫です。
 つい先ほど、ヘレンが彼の下へと向かったはずですから」
「なるほど。抗う術があるのなら、ご主人様なら大丈夫ですね」

 それを聞いて、キャスターはそう安心する。
 パスを通じて岸波白野がまだ無事であることは理解している。
 そこに同じAIDAであるヘレンが向かったのなら、彼が何も出来ずに殺されるという事はないだろう。

「ではこちらは手早く、この奴儕を始末すると致しましょう」
 キャスターは改めて呪符を握り、スミスへと殺気を向ける。
 岸波白野が無事であるのなら、スミスを生かしておく理由はない。
 むしろ向後の憂いを払うためにも、ここで始末しておくべきだと判断したのだ。

「ぬぅ………!」
 それに対し、スミスは悔しげな声を漏らす。現状では勝ち目がないと理解しているのだ。
 レオは生徒会室を襲撃した二人のスミスを倒してここに現れた。ならば今この場に増援が来たところで、返り討ちにあうだけだろう。

「落ち着いてくださいキャスターさん。今の状況で戦うのは危険です。
 ここは僕たちに任せて、貴女はジローさんたちの救援をお願いします」
 だがスミスへと呪符を投げ放とうとしたキャスターを、レオはそう言って押し止める。

 安否がわからないのは、岸波白野だけではない。
 いやむしろ、カイトが向かっているとはいえ、危険度で言えばジローたちの方が上だろう。
 加えてこの場で攻撃を行えば、ペナルティが発生する可能性が高い。
 ならばここはスミスに優位に戦えるガウェインが残り、キャスターはカイトと同様、ジローたちの救援に向かわせようとの判断からだ。

「っ。仕方ありませんね……と言いたいところですが、その意味はなさそうですよ」
 レオの指示に渋々ながらも頷いたキャスターは、しかしその直後に感じた気配にそう口にする。
 その視線は、たった今、新たに昇降口へとやってきた人影へと向けられていた。


next defeat

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最終更新:2015年11月18日 01:31