8◆◆◆◆◆◆◆◆
「さあ―――見せてみろ」
オーヴァン/コルベニクの頭上にエネルギーが集束し、巨大な渦球が形成される。
その渦球は破裂すると、ショットガンのように周囲に無数の針を撒き散らした。
―――《掃討の魔針》。
針とは言うが、その一本一本が人間のサイズを超えている。
たった一つにでも直撃してしまえば、矮小な自分のアバターなど一瞬で吹き飛ばされるだろう。
だが、自身達の武器は剣。接近しなければ、何も始まらない。
逆にその矮小さを活かして降り注ぐ魔針の雨を潜り抜け、キリトとアスナは全速力でコルベニクへと接近する。
「オオ――!」
「はあっ!」
そして同時に振り抜かれた二振りの剣が、コルベニクの胴体を左右から切り裂く。
即座に反転し、もう一撃。二人はそのまま上下に分かれ、コルベニクの全身を切り刻む。
「っ!? なんだ、この手応え?」
だがその手応えに、キリトは堪らずコルベニクから距離を取り、当惑の声を漏らした。
コルベニクは無防備なまま二人の剣戟を受けていながら、ダメージを受けた様子を全く見せず不動のまま。
加えて全身のダメージエフェクトは、数瞬もせずに消え去っていく。もはや掠り傷さえ残っていない。
更には剣から伝わった、まるで一枚何かを隔てたかのような曖昧な手応え。
その違和感が、二人にコルベニクにダメージを与えたという確信を与えなかった。
「フ……それだけか?」
「ッ、だったら……!」
嘲笑うかのようなオーヴァンの声。
それを覆すために、キリトはコルベニクへとコードキャスト《vanish_add(b); 》を使用し、同時に魔剣を肩越しに構える。
片手剣重突進技《ヴォーパルストライク》。
魔剣が赤いライトエフェクトに包まれ、ジェットエンジンのような金属音とともに放たれる。
対するコルベニクは、その右手を持ち上げた盾にする。
「っ―――!?」
魔剣はその右腕を勢いよく突き穿ち、しかしそこで止まった。
右手に伝わる手応えはそのまま、魔剣その刀身の切っ先しか刺さっていなかった。
つまりコルベニクから伝わる謎の手応えの正体は、スキル的なバフ効果ではないという事。
「しまっ――!」
それを理解した直後、キリトの頭上からAIDAの腕手が襲い掛かる。
「させない!」
だがAIDAの腕手がキリトに触れる直前で、駆けつけたアスナがその側面へと《ニュートロン》を放つ。
閃光の名に恥じない超高速の五連撃。その衝撃にか、AIDAの腕手は一瞬動きを止める。
その間にキリトはスキルディレイから脱し、入れ替わるようにスキルディレイで硬直するアスナを抱え、コルベニクから再び距離をとる。
「くそっ……!」
「私達の攻撃が、効いてないの?」
ソードスキルすらまともに通用しない。その事実に、二人は堪らず歯噛みする。
剣から伝わる、何かを隔てたような手応えのなさ。
何か、コルベニクへとダメージを与えるための条件が欠けている。そんな気がしてならなかった。
「それで終わりか? なら次は俺の番だな」
オーヴァンの声とともに、コルベニクの巨体が動き出す。
コルベニクは左手が巨大な刃となった左腕を、振り子のように大きく揺らすと、
次の瞬間。一瞬でキリトとの距離をゼロにし、勢いよくその巨刃を振り上げてきた。
「な!? はや―――、ッ!」
咄嗟に横へと回避し、両手の剣を盾にする。
下から襲い来た巨刃は盾にした剣を掠め、そのまま上へと抜けていく。
それだけで、弾き飛ばされた。
あまりのサイズ差に、運動の優先順位が完全に押し負けているのだ。
……だが、コルベニクの攻撃は、それで終わりではない。
―――《戦慄の訪問者》。
上方へと振り抜けた巨刃が落下の勢いも加算され、ギロチンの如く振り落とされる。
「くっ……!」
弾き飛ばされたことにより体制が崩れ、回避は間に合わない。
キリトは再度両手の剣を交差し、巨人の一撃を防御する――だが。
「ガッ―――」
下からの一撃が掠めただけで弾き飛ばされたのだ。より勢いを増した上からの攻撃を、防げるはずがない。
キリトに巨刃を打ち付けられた勢いのまま、空間の下層へと叩き落される。
「キリト君!? このっ!」
それを見たアスナは、コルベニクの後頭部へと三連撃ソードスキル《トライアンギュラー》を放つ。
だが高速で突き出された憑神刀(マハ)の切っ先は、コルベニクではなく宙を穿つ。
刃が届くその直前で、コルベニクがその場から退避したのだ。
「しまっ――!?」
そうして移動した先は、アスナの背後。
移動の際の勢いを乗せ、巨刃が右から左へと薙ぎ払われる。
アスナはどうにか剣を引き戻して盾とし、身体を回転させて受け流すが、そこへさらにコルベニクの右腕が突き出される。
まるで壁が襲い来たかのような、巨腕による拳打。
回避など間に合うはずもなく、アスナはその一撃をまともに受ける。
「っぁ、………ッ!?」
半ば意識を飛ばされながらも、アスナはどうにか体勢を立て直す。
だがそこへ、いつの間にか放たれた魔針が迫り来る。
気づくのが遅かった。回避は間に合わない。
受けるダメージを少しでも減らそうと、アスナは憑神刀(マハ)を盾にする。
「アスナ―――ッ!!」
そこへキリトがギリギリで駆けつけ、魔針の側面へと単発ソードスキルを叩き込む。
ライトエフェクトに包まれた魔剣と紫暗色の魔針が激突しスパークするが、魔剣は圧倒的な質量の差により弾き返される。
しかし魔針もその軌道を逸らし、アスナに当たることなく後方へと過ぎ去っていく。
「下がるぞ!」
状況を立て直すためにそう指示を出し、頷くアスナとともにコルベニクから距離をとる。
コルベニクがこちらを追ってくる様子はない。明らかに余裕を見せているのだ。
「くそっ」
その事実に、キリトは悔しげにそう口にする。
腹立たしいが、今はその余裕にすがるしかなかった。
「それで、どうするの、キリト君」
十分に距離を取ったところで、アスナが杖を取り出しながらキリトへと問いかける。
高速で唱えられた回復魔法が、二人のHPを回復させる。
「どうするって言われてもな……」
それを視界の端で確認しながら、キリトは力なくそう呟く。
もはやオーヴァンは、完全にプレイヤーの範疇から逸脱している。
攻撃が全く効いていないとは考えたくないが、少なくとも有効打にはなっていないだろう。
まるでレイドボスと戦っている気分。少なくとも、たった二人で相手にするような存在ではない。
(まさか、グリームアイズが可愛く思える日がくるなんて思わなかったぞ)
思い出すのは、かつてアインクラッドの74層に存在したボスモンスター。
あの時もボス戦など想定してなかった状態で、グリームアイズと真っ向から戦う羽目になったのだ。
だが状況は、あの時よりも遥かに悪い。
敵は万全。仲間はアスナ一人だけ。逃げたす術はなく、救援など望むべくもない。
ロストウェポンの影響でアスナは強化されているが、コルベニクのステータスからすれば焼け石に水でしかない。
しかも中身はプレイヤー。行動のパターン化による対処法は通用しない。
まさに絶体絶命と言ったところだった。
(考えろ。何か方法は……どうすれば奴を倒せる。
この際当てずっぽうでも何でもいい。この状況を覆す方法を捻り出せ)
必死に頭を回転させ、持ちうる情報を総動員して逆転の策を導き出す。
コルベニクと戦う上での問題点は二つ。
この遠距離からでも理解できる圧倒的巨体と、奴を攻撃した時に感じる謎の手応えのなさだ。
このうち巨体に対する対抗策は――――――ある。
確実とは言えないし、危険も伴うが、まったく効果がないという事はない筈だ。
となると残る問題はあの手応えのなさだが………。
オーヴァンは言った。
コルベニクは『憑神(アバター)』と呼ばれる存在で、『憑神』は『碑文』の力を開放したものだと。
……『碑文』。アスナの剣にも宿っているらしい、AIDAに対抗しうる力。
ならば攻撃のカギを握るのは、やはりアスナの剣か。
あの手応えのなさの正体はおそらく、AIDAか『碑文』の力による防御系バフの効果だろう。
ならば『碑文』を宿すというアスナの剣なら、そのバフ効果を突破できる可能性はある。
……最良なのはオーヴァンのコルベニク同様、剣に宿る『碑文』の力を開放し『憑神』を出すことだが、おそらくそれは不可能だ。
今すぐに開放できるとは思えないし、解放できたところで『憑神』を使いこなしているだろうオーヴァンに敵うとも思えない。
ここはやはり、今の状態のまま奴を攻撃してもらうしかないだろう。
「アスナ。俺が奴の攻撃を引き受ける。アスナはその間に、全力でソードスキルを叩き込んでくれ」
「な……それ本気で言ってるの!? 絶対無理よそんなの!」
「けど、それ以外に方法はない。奴にダメージを与えられる可能性があるのは、アスナのその剣だけだ。
どこまで持つかはわからないけど、少しでも長く耐えきれるよう、限界までバフを頼む」
「っ……わかったわよ! 絶対、死なないでよね……」
「当たり前だろ」
アスナの詠唱とともにバフが掛かっていくのを確認しながら、キリトは遠方のコルベニクを睨みつける。
コルベニクはその足掻きを楽しむかのように、泰然とキリト達を待ち構えていた。
「……終わったよ」
「よし……行くぞ!」
声を張り上げて気合を入れ、キリトはアスナと共にコルベニクへ向かって飛翔する。
迎え撃つように放たれる魔針。扇状に放たれるそれは、最初の渦球から放たれたものに比べると容易に回避できるが、連続で放たれる分気は抜けない。
そうして迫り来る魔針を回避しコルベニクへと接近する、その合間に―――
「……深き夜の赤眼を恐れ(セアー・ウラーザ・ノート・ディプト)、」
紡がれる力ある言葉。
イメージするのは、先ほど思い出したばかりのあの怪物。
かつてルグルー回廊で唱えた時よりも確かな理解度、より堅固な『強さの実行力』を以て、その魔法を詠唱する。
「《彼らは地獄へ(アウガ・レン)――――」
魔針の乱舞を抜ける。
直後に振り上げられたコルベニクの巨刃を、剣を盾に身体を螺旋回転させて切り抜け、
次いで二撃目が更なる果汁を伴い振り下ろされ――――
「―――ひた走る(ヘルベグール)》ッッ!!」
完成する呪文詠唱。
キリトの全身が、魔法効果の成立により生じた青黒い炎に包み込まれ、
迫り来る巨刃。矮小なプレイヤー憑神など、容易く両断して余りあるその一撃を、
いつの間にかその手に握られた巨剣で迎え撃つ―――!
「ほう」
コルベニクからオーヴァンの声が漏れる。
「うそ……その姿は……」
暗い炎を振り払い現れた巨影に、アスナが驚愕の声を漏らす。
巨剣を握る両腕は長く逞く、その漆黒の肌は隆々と筋肉が盛り上がっている。そして腰からはしなる鞭のような尾が、背中からは黒く半透明の翅が生えている。
何よりも特徴的なその頭部はヤギのように長く伸び、後頭部からは湾曲した太い角が生え、牙の除く口からは炎の息が漏れている。
その丸い眼を真紅に輝かせる、『悪魔』と表現する以外に例えようのない禍々しい姿を、アスナは知っていた。
「グリーム……アイズ……」
「ゴアアアアアアア!!」
その呟きに応えるように、赤眼の悪魔が雄叫びを上げる。
悪魔はコルベニクの巨刃を弾き返し、返す一刀で巨剣を薙ぎ払う。
その一撃はコルベニクの体を逆袈裟に切り裂き、青いダメージエフェクトを刻み込む。
だがコルベニクは僅かに身じろいだだけで、その三腕を駆使して即座に悪魔へと反撃をする。
繰り広げられる剣戟。
悪魔はコルベニクの三腕をその巨剣で迎撃し、潜り抜け、その体に傷を付けていく。
使用者の外見をモンスターのものへと変える幻惑魔法。
それがキリトの使用した魔法の正体だ。
ステータスそのものに変わりはないが、これでサイズ差による不利は縮まった。
加えてより堅固な『強さの実行力』を以て詠唱したからか、ルグルー回廊の時とは違い剣もある。
たった一振りしかなくソードスキルも使えないが、剣さえあればソードスキルの再現は可能だ。
これにバフによる後押しも加えれば、コルベニクとだって渡り合う事が出来る。
……ああ、けどふざけている。
元の五倍近いサイズになったというのに、それでもなおコルベニクの方が倍以上にデカいだなんて。
「っ―――!」
悪魔と巨神の戦いにふと我に返り、アスナは急ぎコルベニクの元へと飛翔する。
戦いは一見キリトが押しているように見えるが、それはあの魔法と同じく見かけだけだ。
サイズ差が縮まったところで、ステータスが変わらない以上、キリトではコルベニクに有効なダメージを与えられない。
「てやあッッ!!」
振り子のように振り上げ、振り落とす《戦慄の訪問者》。
真上からの斬り下ろしから、垂直に斬り上げる《バーチカル・アーク》。
巨刃と巨剣が二度ぶつかり合い、反動で僅かに生じたその隙に、アスナはコルベニクの懐へと潜り込む。
そして四連撃ソードスキル《カドラプル・ペイン》が、稲妻の如くコルベニクの胸部へと叩き込まれる。
……だがまだ足りない。
コルベニクは僅かに仰け反ったが、あの手応えは突破できていない。
アスナはコルベニクの胸部を足場に跳躍し、一息で大きく距離をとる。
「グルアアアアアアッ!!」
それと入れ替わるようにキリトが踏み出し、その巨剣を豪快に振り回す。
再度振り上げられた巨刃を右からの水平切りで弾き飛ばし、切り返しで振り戻された巨刃の側面を打ち据え軌道を逸らす。
追撃に迫り来るAIDAの腕手を屈み込んで回避し、全身を回転させもう一度左から薙ぎ払う。
そして前へと勢い良く踏み出し、全身の捻りも加えて擦れ違うように右から全力で斬り払う。
片手剣四連撃《ホリゾンタル・スクエア》。
連続して繰り出された巨剣の軌跡が、コルベニクの巨躯を包むように正方形の軌跡を描く。
「はぁあああ――――ッッ!!」
直後飛来する、彗星の如き一撃。
コルベニクの胸部へと叩き込まれる、アスナの渾身の《フラッシング・ペネトレイター》。
対物ライフルの弾丸の如き衝撃が、今度こそコルベニクの巨躯を弾き飛ばす。
だがコルベニクは即座に体勢を立て直すと、その頭上に渦球を形成し、炸裂させる。
放たれた《掃討の魔針》が、スキルディレイに硬直するアスナへと襲い掛かる。
しかし魔針がアスナを貫くその直前に、キリトがその体を割り込ませ、巨剣を風車のように回転させ盾にする。
片手剣防御技《スピニング・シールド》が、迫り来る無数の魔針を弾き飛ばしていく。がしかし。
「グ、ルルウゥ……ッ」
「キリト君!?」
巨剣で防ぎきれなかった部位に、魔針が鋭く突き刺さる。
それがこの身体の欠点だ。
本来の体と比べて面積が大きくなる分、敵の攻撃が回避し辛くなってしまうのだ。
「ゴアアアアアアッ!!」
だがキリトは痛みを堪え、再びコルベニクへと飛翔する。
散発的に放たれる魔針を巨剣で弾きながら、ひたすら前へと突き進む。
そして互いの距離が半分を斬った時、コルベニクの巨刃が、ゆらりと後方へ引き絞られる。
巨刃による連撃の予備動作。
そう察したキリトは、全身を弾丸の如く回転させ、いっそう疾くコルベニクへと踏み込む。
そして振り上げられる巨刃。それに先んずる形で、その左腕へと尻尾を鞭のように叩き付けた。
「ぬ」
僅かに驚いたようなオーヴァンの声。
巨刃は完全に軌道を狂わされ、即座に引き戻すことは叶わない。
そのコンマ一秒の間にさらに一歩踏み込み、全身の捻りも加えた渾身の力で、キリトは巨剣を斬り下ろす。
完全変則式《ダブルサーキュラー》。
人型である限り決してありえない連撃が、コルベニクの右肩から袈裟に叩き込まれる。
「もう一つ!」
直後、キリトの背を飛び越え、アスナがコルベニクの眼前へと躍り出る。
そして放たれる五連撃OSS《スターリィ・ティアー》。
星型の頂点を刺し貫く一撃が、コルベニクの眉間を突き穿つ。
「ぐぬっ!?」
突き抜ける衝撃に後方へと弾かれるコルベニクの頭部。
その隙を逃さず、キリトは更なる追撃を敢行する。
「グルオオ……ッ」
片手剣体術複合スキル《メテオブレイク》。
巨剣の強攻撃による隙をタックルで埋め、さらに強攻撃を繰り出す大技により、コルベニクの体制を押し崩す。
……だがこれだけでは不十分。
あまりの体格差から、完全に崩しきるにはあと一押しが足りていない。
「ゴアアアアアアア―――ッッ!!」
その一押しを加えるために、キリトは渾身の力で《ヴォーパルストライク》を繰り出す。
サウンドエフェクト代わりの咆哮とともに、突き出された巨剣の切っ先がコルベニクの胸部へと迫り。
「ッ!」
しかしコルベニクの体勢とは無関係に動き出したAIDAの腕手に、その刀身を掴み取られることによって阻まれた。
「もう忘れたか? こいつはこいつで、知性があるという事を」
オーヴァンの声とともに、コルベニクが体勢を立て直す。
AIDAの腕手に掴まれた巨剣が、その握力にギチギチと悲鳴を上げ、
「ッッ!?」
その刀身の中ほどで、あっけなく握り潰された。
だが武器が破壊された事に驚愕する間もなく、コルベニクはキリトへと反撃を開始する。
「さあ、そろそろ遊びは終わりにしよう」
オーヴァンの宣告とともに、コルベニクの頭上に渦球が形成され炸裂する。
ショットガンのように放たれた魔針は、剣を失い防御手段を失ったキリトの体へ容赦なく突き刺さっていく。
そこへAIDAの腕手が襲い掛かりキリトを捕らえると同時に、その体を存在しないはずの壁へと勢いよく叩き付けた。
「ガア……ッ!」
ガラスのように罅割れ、崩落する空間の壁。
キリトは更なる異空間へと投げ出され、そこへさらにコルベニクが追撃を仕掛ける。
「っ、させな―――っあ!?」
それをさせまいと、アスナはコルベニクへと追いすがるが、その行動を読んでいたかのように巨刃が振るわれ弾き飛ばされる。
そしてついでとばかりにその右手に捕らえられ、キリト諸共に異空間の壁へと叩き付けられる。
さらにコルベニクは二人を投げ放つと、その頭上に太陽の如き灼熱のエネルギーを収束させ、それをキリト達へ向けて投げ放った。
―――《凶つ神の裁き》。
「ッッ……!」
キリトはどうにか体勢を立て直すと、アスナをその背に庇い、その身でエネルギー球を受け止める。
触れた傍から燃えるほどの超高熱。神経を焼き焦がす激痛が、キリトへと襲い掛かる。。
それでも少しでもアスナへ及ぶダメージを減らそうと歯を食いしばり、心底からの咆哮を上げ。
「グ、ル……ッ! ウオオオオアアアアアア――――ッッ!!」
直後、エネルギー球が大爆発を起こし、灼熱の奔流がキリト達を異空間諸共に飲み込んでいった。
§
「っ……う、あ………?」
―――ふと、意識を取り戻す。
どうやら一瞬、気を失っていたらしい。
自分が地面に倒れ伏している事を認識する。
同時に、ところどころ破棄された街並みが視界に映り、いつの間にか元の空間へと戻っていたらしいことに気付く。
視界の端でHPを確認すれば、完全に危険域に入り込んでいた。
モンスター化の魔法も解け、姿が元に戻っている。おそらく余りのダメージに魔法の効果が解けたのだろう。
アスナの掛けてくれたバフが無ければ、おそらくHPを全損して死んでいたに違いない。
それを思うと、背筋が凍るような悪寒が走った。
「アスナ……?」
彼女は自分と同じようにコルベニクの最後の一撃を受けていた。
全力で庇ったとはいえ、どこまでダメージを引き受けられたかはわからない。
その無事を確認しようとあたりを見渡し、そう遠くない場所で見つけることができた。
俺と同じように倒れ伏しているが、ちゃんと生きてそこにいた。
「よかった……」
アスナの無事に、そう胸を撫で下ろしたその時だった。
じゃりっと、地面を踏む音が聞こえた。
そちらへと視線を移せば、『憑神』を解除したらしいオーヴァンが、嘲笑うかのように俺たちを見下ろしていた。
「どうした。剣が折れた程度で降参か?」
「ッ……!」
その言葉でようやく気付く。
俺の持つ二本の剣のうちの一つ。左手に握る青薔薇の剣が、その刀身の中ほどから折れてしまっている事に。
おそらく巨剣をAIDAの腕手に砕かれた時に、その影響を受けてしまったのだろう。
武器破壊状態になっても消失していない理由はわからないが、これでは武器として使えない。
「はっ。誰が降参なんてするかよ」
そうオーヴァンへと言い返し、どうにか魔剣を支えに立ち上がる。
強気な事を口にはしたが、もはや状況は絶体絶命だ。
今の状態では勝ち目などないと、頭の冷静な部分が訴えている。
すぐにでも逃げるべきだと訴える本能をどうにか抑え、周囲の状況を分析する。
オーヴァンはその余裕からか、『憑神』の顕現を解いている。
つまりあの謎の防御バフも消えているはず。こちらの攻撃も、何の問題もなく通用するはずだ。
それに周囲の空間も元の街並みに戻っている。最悪の場合は逃走が可能だ。
「っ……………」
折れた氷剣を鞘に戻し、残った魔剣を後ろ手に構える。
徹底抗戦か撤退か。そのどちらの行動をとるにしても、どうにか隙をつくり出す必要がある。
オーヴァンはそれを容易には許さないだろうが、前へと進まなければどうにもならない。
「キリト君、私も一緒に戦う」
ダメージのショックからどうにか立ち直ったのだろう。
アスナがそう口にしながら回復魔法を唱え、俺の隣で剣を構える。
視界の端で、危険域にあったHPが回復していくのが確認できる。
「アスナ……」
できれば、アスナには今すぐにでもここから逃げてほしかった。
けれどそう言ったところで聞いてくれないことは、すでに重々承知している。
なら俺にできることは、全力で彼女を守ることだけだ。
「……一瞬でいい。あいつに隙を作るぞ。行けるな、アスナ」
「もちろん。キリト君こそ、剣は一本だけで大丈夫? 二刀流の方が良いなら――」
「いや……その剣はまだアスナが持っていてくれ。もしかしたら、あいつに隙を作れるかもしれない」
「……わかった。けど気を付けてね。また『憑神』を出されたら、もう……」
勝ち目はない、と、アスナは言外に口にする。
それに俺は、解っていると頷きを返し、重心を前へと傾ける。
『憑神』に対し勝ち目がないことはとっくに理解している。
あの力への対抗手段がない限り、『憑神』を出された瞬間に、俺たちの死は確定する。
………だから。
『憑神』を出される前、たとえギリギリでも、奴がプレイヤーの範疇にいる今のうちに――――
「っ、―――行くぞ、アスナ!」
「うん!」
アスナへと声をかけ、全速力で突き進む。
AIDAの鉤爪を揺らめかせ佇むオーヴァンへと、先制として《ヴォーパルストライク》を放つ。
システムアシストよりも早く魔剣を突き出し、その距離を一瞬で詰め――――
―――その瞬間。
俺は、自身の敗北を悟った。
「まったく。いったいお前は、いくつ真実を見落とせば気が済むのだろうな」
ゆらりと持ち上げられる、オーヴァンの右手。
その手に握られた、AIDAの魔剣。
覚えている。あれは、アスナを蝕んでいた剣だ。
彼女のアバターを浸食し、その感情を暴走させ、この戦いへと導いた呪われた銃剣。
そもそも俺は、何よりもあの魔剣を破壊するためにオーヴァンへと戦いを挑んだはずで――――
魔剣が振り下ろされ、その力が解放される。
発動する無敵効果。展開される減速空間。同時に放たれた衝撃波に、俺の体がゆっくりと弾き飛ばされる。
体勢が崩れ解除されるソードスキル。ダメージモーションすら緩慢なのは、その減速効果ゆえか。
そんな、致命的なまでに遅滞化した時間の中で、俺は、奴の言葉を聞いた。
「シルバー・クロウの死に様を覚えているか、キリト」
「なに、を……」
いったい奴は、何を言っているのか。
忘れてなどいない。忘れられるはずなどない。
アイテムの散らばる聖堂の中、無残な傷痕を刻まれた、彼の姿。その、最期の呟きを。
「―――あの傷のつけ方を教えてやろう」
「!」
その言葉とともに、オーヴァンは右手の魔剣と左手の短剣、そしてAIDAの鉤爪を折り畳んでいく。
ギシリと、限界まで縮められた発条のように軋むオーヴァンの身体。
その姿は、獲物へと襲い掛かる寸前の猛獣とどう違うというのか。
「怯えなくていい」
……俺は失敗した。
俺は奴に挑むのではなく、アスナを連れて、何が何でも逃げ出すべきだったのだ。
これは奴の持つ力。奴の言う真実を見落としたが故の、当然の結果だった。
そう受け入れたからか。走馬灯のように、これまでの出来事が脳裏をよぎる。
「その目に焼きつけろ……!」
……これは報いなのだろうか。
レンさんを守れず、シルバー・クロウを死なせ、サチを追い詰めてしまった、俺へと下される罰。
…………ああ、だとしても。
―――アスナ。せめて、君だけでも―――生きて―――
「これが―――お前が拒んだ真実だっ!」
振り抜かれる異形の三腕。刻まれる《異形の聖痕》。
解き放たれた三つの刃が、俺にシルバー・クロウと同じ傷痕を付けようとその爪を伸ばし―――
―――その瞬間。
彼女の剣が弾き飛ばされ、
デジャヴのように、栗色の長髪が宙を舞った。
「……………………………………………………………………………………、え?」
目の前の光景に、茫然と呟く。
理解ができない。
いつの間にかアスナが、俺へと力なく背中を預けていた。
反射的に、左腕でアスナを支える。
バタリと、何かが倒れる音がした。
「アス……ナ……?」
真っ白になった頭で、彼女の名前を呼んだ。
今にも泣き出しそうな表情で、アスナは俺を見上げる。
そして右手を俺の顔へとゆっくり伸ばすが、右手は途中で力を失ったかのように垂れ下がり、
地面に落ちて、砕け散った。
「……キリ……ト………く……ん…………」
消え去りそうなほど弱い声で、アスナが俺を呼ぶ。
栗色の髪が風に舞って散り、
そしてその瞳から、はらりと一粒の涙を溢すと、
ご め ん ね
無数の光の破片となって、
さ よ な ら
散っていった。
あとに残ったものは、彼女が持っていたらしいいくつものアイテムと、
俺を囲むように刻まれた、あの時と同じ赤い爪痕だけ。
アスナはもう――――どこにもいなかった。
……なにも理解できなかった…………したくなかった。
どこかで誰かが、張り裂けるような叫び声を上げている気がした。
それが俺自身のものだと気付いたのは、崩れるように膝をつき、地面に蹲った後だった。
「最後にもう一つ、お前に教えておいてやろう」
何も考えられなくなった頭のまま、その言葉に顔を上げる。
「サチにAIDAを感染させたのも、俺だ」
気が付けば俺は、男へと向かって切りかかっていた。
だが振り抜いた魔剣は男の短剣に防がれ、俺の体はAIDAの鉤爪に弾き飛ばされた。
地面を転がりながらも染みついた反射で体勢を立て直し、近くにあった剣を拾い再び男へと切りかかる。
その剣は、俺の魔剣と酷似していた。
それも当然。その剣の名は、【虚空ノ影】。
【虚空ノ幻】の担い手である蒼天のバルムンクの対となる存在。蒼海のオルカが担うもう一振りの魔剣である。
……だがそんなこと、今の俺にとっては何の意味もなく、ただ目の前の男へと向けて、二振りの魔剣を叩き付けた。
「うおああああああああ…………ッッ!!」
高速で繰り出される二刀連撃。
激情のままに振るわれる虚空の幻影は、しかし。
男の振るう三つの刃によって、魔剣の力すら使わずに容易く捌かれる。
もとより手数で劣っているのだ。
フェイントもなく、ただ感情のままに振るわれた攻撃が、通用するはずもない。
「ッ……!? がッ――!」
男は魔剣で虚空ノ幻を、短剣で虚空ノ影を迎撃すると、AIDAの鉤爪を、自身の体ごと回転させ薙ぎ払う。
そしてその連撃で俺の体勢が崩れたところで、俺へと向け魔剣の引き金を引いた。
放たれる《異端の洗礼》。
俺は反射的に銃撃を防ぐが、その衝撃にあっけなく弾き飛ばされた。
「弱い怒りだ。虫すら殺せない」
地面に倒れ臥す俺へと、男が何かを言った。
……だがもう、何もかもがどうでもよかった。
もはや立ち上がる力も、男に対する怒りもない。
あるのはただ、アスナを失った事への絶望と、彼女を守れなかった俺自身への失望だけ。
このまま戦う意味など、もうどこにも残ってはいなかった。
「………慈悲だ」
男は魔剣の切っ先を俺へと突き付け、その銃口にエネルギーを集束させる。
……ああ、それでいい。
ここでこのまま死ねば、もしかしたらアスナの許へと行けるかもしれないのだから。
そうして放たれた光弾は狙い違わず俺へと迫り、着弾とともに巨大な火柱を立ち上らせる。
………だがその炎が、望んだように俺を焼くことはなかった。
「なに?」
男が驚きの声を上げる。
俺を炎から守っているのは、いつの間にか俺の背後に立っていた、青い和服の獣人の女性だ。
彼女は前方に構えていた鏡を腕とともに一振りすると、あっけなく周囲の炎を吹き散らした。
「ぬ!?」
同時にどこからか現れた赤いドレスの少女が、その身の丈ほどの真紅の大剣で男へと切りかかる。
男はその一撃を咄嗟に飛び退いて回避し、少女から大きく距離をとる。
少女もまた男へと追撃を仕掛けることなく、一足で獣人の女性の隣まで後退した。
「……なるほど。どうやらあのお嬢さんは死んだようだな。
それで、君たちはこのまま、俺とも戦うつもりかな?」
男がそう問いかけた相手は少女たちではなく、その背後にいる学生の少年だ。
青年は少女たちの前へと歩み出ると、貴方がそれを望むのなら、と答えた。
その声は、その柔和そうな容姿からは想像できないほど、酷く冷め切ったものだった。
……ああ、覚えている。
彼は、サチの同行者だったらしき人物だ。
……そうだ。俺は彼にも、謝らなくてはいけない。
あんな状態だったサチを守ってくれていた、彼の努力を無にしてしまったのだから。
「……いや、止めておこう。
このまま君たちの相手をするのは、さすがに分が悪そうだ」
男はそう言うと、踵を返してこの場から立ち去って行った。
あとに残されたのは、守るべきものを守れなかった、無力な敗北者たちだけだった――――。
【アスナ@ソードアート・オンライン Delete】
最終更新:2016年03月24日 04:46