4◆◆◆◆
「……まさかこんなことになるとは」
岸波白野達のダンジョン攻略を生徒会室で眺めながら、レオは苦渋の表情を浮かべる。
隣に立つガウェインも同じ。何故なら、ブラックローズの実弟がフロアボスとして現れてしまったからだ。
《カズ/Kazu》
登場ゲーム:The World(R:1)
『The World』に登場する呪紋使い。
モルガナ事件において未帰還者にされてしまったプレイヤーの一人。
【番匠屋淳ファイル】にその存在が記されているカズはモルガナ事件の被害者だ。
リアルではブラックローズの実の弟であるが、このデスゲームに参加している可能性は低かった。何故なら、彼はモルガナ事件において重要なファクターとなっていない。
ハセヲ/楚良やエルクと違って八相と深い繋がりがなかったので、レオは重要視しなかった。しかしこのような形で姿を現すとは想定外だ。
「ブラックローズさん! 落ち着いてください!
そこにカズさんはGM側が用意した再現データです! あなたの弟である速水文和さんを模しただけなのです!」
『データって……わかっているわよ!
でも、でも…………!』
必死に説得するが、ブラックローズの動揺は収まらない。
それは当然だ。偽物だから、という理由で実の家族と同じ姿をした存在と戦える訳がない。
一族の間で数多の憎悪や陰謀が渦巻き、その全てを受け止めていたレオやユリウスとは違う。何故なら彼女は、ごく普通の温かい家庭で育った平凡な少女なのだから。
(恐らく、プレイヤーを動揺させて隙を狙おうとしているか、あるいは時間稼ぎを狙っているのでしょう。
しかも第4層でカズさんが姿を現したということは、ここからのフロアボスは生存したプレイヤーの関係者が次々と姿を現すのでしょうね……)
第3層にはフロアボスとしてドリルマンというアバターが姿を現した。
彼自身も強敵ではあったが、
カイトやブラックローズのコンビを前にしては赤子も同然。加えて、対主催騎士団のメンバーとは何の因縁もなかったので、カイトは難なく撃破した。
しかしこのカズは違う。恐らく、実力自体はブラックローズ達の方が勝っているだろうが、ここで重要視されるのは本人のスペックではなくメンタル面。
力で劣っていても、それを覆せる弱点を確実に狙っている。
そしてカズは自分から攻撃を仕掛けてこない。
理由は、ブラックローズの精神を揺さぶることで、ゲーム崩壊への時間稼ぎを狙っているのだろう。
この段階に至るまで、デスゲームの会場は既に崩壊し続けている。対主催生徒会がダンジョン攻略を進めている一方、あずかり知らぬ所で戦闘が起こっていれば更に崩壊は進むはずだ。
一方でフロアボス達がプレイヤーの足止めをさせれば、ダンジョン攻略の妨害は可能だ。仮にプレイヤーが覚悟を決めてフロアボスを撃破したとしても心は確実に抉られる。
ブラックローズの困惑によって白野やカイトも攻撃を仕掛けられないはずだ。
どうしたものかと頭を悩ませる最中、例の警報音が鳴り響いた。
「なっ、これは……!?」
展開されたウインドウにレオは瞠目する。
学園の警備をする為に校門へ移動したハセヲ達の前に、二体の黒いアバターが姿を現した。キリトやロータスと酷似したアバター達を中心にドーム状の空間が形成されて、ハセヲだけが弾き飛ばされてしまう。
『なんだよ、これ……おいっ! キリト! ロータス! アーチャー!』
そうして残されたハセヲは死ヲ刻ム影を振るうが、暗黒色の壁は小さな皹すら入らない。
ハセヲは三人の名前を叫び続けているが返事はない。外界と完全に遮断されてしまった。
モニター画面に映し出されているハセヲの姿に、レオはGMの真意に気付く。
「まさか、ドッペルゲンガーの真の目的とは…………!」
†
『白野さん! 緊急事態です!』
カズの登場によって一触即発の空気が漂っていく中、それをぶち壊すようなレオの叫びが聞こえる。
緊急事態? 一体何が起こったのか…………!?
『GMが予告していたドッペルゲンガーが出現したのです! しかも奴らはプレイヤーを分断するフィールドを形成することができて、キリトさんとロータスさんがそこに閉じ込められてしまいました!
ハセヲさんはフィールドを破壊しようとしていますが、恐らくドッペルゲンガーを撃破しない限り脱出は不可能でしょう!』
普段の彼からは想像できない程の狼狽に、岸波白野は絶句する。
キリトと黒雪姫が閉じ込められてしまった!? バカな。かつてハセヲが戦ったドッペルゲンガーに、そんな能力が備わっていたのか!?
『GMはその事実を隠していたのでしょう。
ジローさんやユイさんのような戦闘能力を持たないプレイヤーにスコアを稼がせると思わせて、本当の目的はプレイヤー同士の分断させること。
だとしたら、ジローさんが危険です! 僕はこれからジローさんの元に向かいますので、皆さんはダンジョン攻略を一時中断して学園内に戻ってください!』
その言葉を最後にレオの通信は途絶えた。
切迫した状況では止むを得ない。ユイは自分達がついているのに対して、もしもジローが一人でいたら格好の標的にされてしまう。
「パパが、閉じ込められた……!?」
そしてキリトの娘であるユイは震えていた。父が危機に陥ったと聞いて、冷静でいられる訳がない。
キリトと黒雪姫が閉じ込められた以上、二人を救う為にも一刻も早く帰還するべきだ。
「カズ……そこをどいて! 私達は戻らなきゃいけないから!」
状況を把握したブラックローズは目前のカズに叫ぶ。
しかしカズは首を横に振った。
「無理だよ、お姉ちゃん。わかっているでしょ?
お姉ちゃん達が先に進むには、フロアボスになった僕を倒さないといけないってことを」
あっさりと、そして酷薄な宣告をした。
カズは笑っているが、憂いも含んでいる。彼の人格が完全に再現されている以上は当然だろう。
だが、認められる訳がなかった。ブラックローズとカズの絆を利用し、あまつさえ最悪の形で踏み躙る。
そしてブラックローズには重すぎる十字架を背負わせる…………絶対に許してはならない。
「……………………」
カイトは前に出る。
ユイに聞かれなくともわかる。ブラックローズに咎めを背負わせまいと、彼は戦おうとしているはずだ。
オリジナルのカイトも同じ選択をしただろう。親友を救う為にモルガナとの戦いに赴いたのだから、彼を模したカイトも大切な仲間が傷付くのを望まない。
「…………待って、カイト!」
けれど、ブラックローズはカイトを静止した。
決して振り向かない。表情は伺えないが、今にも泣きだしてしまいそうな程に声が震えている。
「カイトの気持ちは嬉しいけど、あたしが戦わなきゃいけないの……」
「……………………」
「カズが悪いことをしているなら……あたしが止めたい。だって、あたしは…………カズの、お姉ちゃんだから」
「……………………」
「あたしの知っているカイトも、あんたと同じことをしようとしたはずよ。
カイトは優柔不断だし、なんか頼りない所はあるけど……本当はとってもいい奴だった。だから、あんただってそうでしょ?
大丈夫、あたしはカイトの相棒を務めた戦士…………ブラックローズだから!」
「……………………」
「白野やユイちゃん。それにセイバーとキャスターも、手を出さないで! お願いだから…………」
岸波白野達をもそう告げて、ブラックローズは前を歩む。
遠ざかっていく背中を止めたかった。その手に握る武器を無理矢理にでも奪いたかった。
大切な人をこの手にかけて、そして失う苦しみを背負って欲しくなかった。
けれどその選択を選ぶことはブラックローズへの裏切りになる。
彼女は強い覚悟をもってこの選択をした。岸波白野がデスゲームに乗ったラニ=Ⅷを止めると決意したように、ブラックローズもまたカズと相対した。
真に彼女を想うのならば、この戦いを見届けるしかない。
「そういえば、お姉ちゃんと対戦したことはなかったよね」
紅蓮剣・赤鉄を構えるブラックローズに、カズは微笑む。
恐れは不安は微塵も感じられない。ブラックローズを心から信頼し、そして再会を喜んでいるようだ。純粋な笑顔だが、それを向けられたブラックローズの心中はいかがなものか。
…………考えただけでも、やるせなくなってしまう。
「そうだね。あたし、昔はカズを助けようと躍起になっていたから…………こうして戦うなんて、夢にも思わなかったかも」
「じゃあ、今がその時か。
本当ならこんなゲームじゃなくて、僕の大好きな『The World』でやりたかったな。オリジナルの僕だって、そう望むだろうし」
「…………ッ! もう、今はそんな話をしている場合じゃないでしょ!
さあ、早く決着を付けるわよ! 言っておくけど、例え弟だからって手加減はしないからね!」
「やってみれば? やれるもんなら、ね」
ニッ、と強気な笑みを見せてくる。
彼もブラックローズと同じで負けず嫌いなのだろう。そんなカズは一歩前を踏み出し、オブジェクト化させた杖をブラックローズに突き付けた。
もうこの戦いは誰にも止められない。もしも邪魔者がいるのなら、岸波白野達は断固として阻止するだろう。
例えほんの一瞬で決着が付いたとしても。
両者は同時に前を踏み出し、瞬く間に剣と杖の衝突音をこのフロアに響かせた。
5◆◆◆◆◆
「遅かった…………!」
愕然とするレオの目前には漆黒色の壁が立ちはだかっている。
月海原学園にこのような壁などない。既にジローはドッペルゲンガーに遭遇してしまい、そして閉じ込められてしまった。
「ガウェイン!」
「御意!」
すぐさまガウェインは聖剣を一閃させるが、耳障りな金属音が廊下に反響するだけ。牢獄には傷一つ付かない。
ガウェインは剣戟を振るい続けるも、一向に壁が崩壊することはなかった。
太陽の聖剣をものともしない強度に戦慄しながらも、レオはこの状況を打破する策を考える。
「おい、レオ! ヤバいことになった! キリトとロータスが…………!」
と、そこにハセヲの叫びが聞こえてきた。
だが最後まで続くことはなく、彼は足を止めてしまう。レオと同じように、目前に顕在する堅牢たる壁を目の当たりにしたからだ。
「何だよ、これ……まさか、この中には……!」
「恐らくジローさんもドッペルゲンガーに囚われたのでしょう。
迂闊でした。まさか、GMがこんな罠を用意していたなんて……!」
「弱音なんて言ってるんじゃねえ!
今はあいつらを助ける為に、力づくでこの壁をぶち壊すのが先だ!
こうなったら、俺の
スケィスで…………!」
「いいえ、恐らく榊達は碑文の対策も立てているでしょう。このデスゲームがイリーガルな力の仕様が前提とされている以上、ドッペルゲンガーにも碑文や心意の対抗策を立てているはずです。
また、仮に通用したとしても、下手に外部から強制的にバトルフィールドを破壊しようとしたら……中に閉じ込められたプレイヤーがどんな影響を受けるのか。
最悪の場合、ドッペルゲンガーもろともプレイヤーが排除される危険も考えられます」
このデスゲームに投入されたドッペルゲンガーは本来の仕様にない《バトルフィールドの形成能力》が付加されている。
比類なき硬度を誇り、ここでハセヲとガウェインが力を合わせても破壊は不可能だろう。恐らく、標的にされたプレイヤーがドッペルゲンガーを撃破しない限り、脱出は不可能。
ハセヲやカイトの持つデータドレインでシステムを改竄できるかもしれないが、下手に使っては仲間達が巻き込まれかねない。あの榊達ならば外部からの妨害に対して策は練っているはず。
だが、それをハセヲが納得する訳がない。
「じゃあ、このまま手をこまねいて見ていろっていうのか!?
ふざけるなよ! キリト達はまだしも、ジローがドッペルゲンガーと戦えるとでも思っているのか!?」
「そうじゃありません! 僕だって、ジローさん達を助けたいです!
でも、下手にこちらから行動をとっては、中にいるジローさんにどんな影響があるか……」
「起こるかわからねえことでビビっている場合か!?
レオはキシナミに言ったんだろ! 危険だからと言って足を止めるなと!」
「言いました! 確かに言いましたとも!
でも、それを無謀な行動を取る為の免罪符にしないでください!」
両者の意見は平行線となり、互いに激昂しては結論すらも出てこない。
レオとしても、ハセヲの言い分は十分に理解している。例え1%しかなくとも可能性があるのなら、それに賭けなければジロー達を見殺しにしてしまう。
けれど、安易に選べない。データドレインや碑文の力は強大だ。強大だからこそ、仲間達が巻き込まれる危険を避けるべき。
だが、このままではハセヲが言うようにジローが危険に晒されるだけ。
ガウェインが振るう太陽の聖剣すらも防ぐ壁を破壊するには、スケィスの碑文だろう。あるいはガウェインが誇る最強宝具の【転輪する勝利の剣】か。
しかしそれらすらも防がれたらもう打つ手はない。結果、魔力を浪費してはGMとの戦いでこちらが不利になる。
タイムリミットは少ない。
悩んでいたところでジロー達を救うことなどできない。ガウェインだけに頼っていても何も変わらない。
やはり、ハセヲ/スケィスに全てを託すべきか? 決断を下す為にハセヲと向き合うが。
「…………ん?
おい、レオ。ちょっと待て! この向こう側って、確か購買部だったよな?」
不意にハセヲはそう問いかけてくる。
先程までの焦りは感じられず、微かに首を傾げていた。
「ええ、そうですけど……この状況では使用不可能だと思いますよ。恐らく、バトルフィールド内には…………」
「じゃあ、あの言峰のオッサンも――――」
ハセヲの疑問を聞いてレオは気付く。
同時にガウェインも剣戟を止めた。問いかけの意味を理解したのだろう。
三人の意識は、内部を伺うことができないバトルフィールド内に閉じ込められたであろう者達に向けられていた。
†
――――俺は今、腰を抜かしてへたり込んでいた。
突如として俺とそっくりなアバターが現れて、俺をこんな変な所に閉じ込めたのは充分に驚いた。
『そいつ』の身体の色から考えて、ハセヲが言っていたドッペルゲンガーって奴だと瞬時に理解する。俺の命を奪う為に現れたのだろう。
俺は当然逃げようとしたが、すぐに追いつかれてしまう。『そいつ』は俺の真似をしたとは思えない程に運動能力に優れているからだ。
そうして俺は壁に追い込まれて、『そいつ』にこの命が奪われそうになったけど。
(ドカバキボコ)
「やれやれ、まさか私までもがイベントに巻き込まれてしまうとは、何という不運。
だが、ちょうど暇を持て余していたところだ……労働者の権利として、これくらいの鬱憤晴らしは許されるだろう」
「――――――――!」
俺の命を狙っていた『そいつ』は、続けて登場した言峰神父によって叩きのめされていた。
(ドカバキボコ)
文字にすると幼稚だが、人が殴られる不愉快な音が耳に響く。
言峰神父が拳を叩きつける度に『そいつ』の身体は豪快な衝撃音を鳴らした。人型であることを除けば、打楽器と何一つ変わらないように見える。
「――――――――!」
体勢を立て直した『そいつ』は言峰神父に攻撃を仕掛けるが、神父の周りを覆っている薄い膜によって阻まれてしまう。
言峰神父は弾丸の如く勢いで放った拳で反撃し、『そいつ』を容赦なく吹き飛ばす。
激突によって大気がピリピリと震えたので、威力の凄まじさを物語っていた。
しかし『そいつ』も頑丈で、言峰神父の拳を受けてもなお起き上がる。その生命力に驚愕する間もなく、言峰神父は一瞬で距離を詰めて『そいつ』の首を締め上げて、ゴミの様に投げ捨てた。
『そいつ』の身体は錐揉み回転をしながら壁を突き破って、大量の粉塵が舞い上がった。
「おっと、私としたことが少しやりすぎたかな? ふむ、些か大人げなかったようだが……何、威力業務妨害に対する正当防衛となるか」
言峰神父の笑みが目に入り、俺の背筋が凍る。
彼は愉しんでいた。俺と酷似した『そいつ』を嬲り、嗤っている。
つかつかと歩を進めて、壁の中に埋もれていた『そいつ』の首根っこを掴み、万力のような指で締め上げた。『そいつ』は身体をバタつかせて抵抗するが、喰らいついた右手を振り解くことなどできない。
「――――――――!」
『そいつ』は悲鳴をあげているのだろう。それに言峰神父の嗜虐心が刺激されたのか、何かが軋むような嫌な音が耳に響く。
ここで繰り広げられているのは戦いなどではない。一方的な蹂躙か、あるいは拷問と呼ぶのが相応しかった。
言峰神父のおぞましさに、俺はただ震えることしかできない。ドッペルゲンガーに抱いていた恐怖心が、言峰神父によって簡単に塗り潰されてしまった。
「あ、あわわわわ…………!」
その殺意はあの呉と同等……いや、呉すらも凌駕しかねない。
エージェント・スミスを退けたとはキシナミ達から聞いたけど、まさかここまで強かったとは。
でも、どうして…………いや、まさか力付くでここまで来たのか!?
ジローは知らないが、言峰神父がドッペルゲンガーの前に現れたのは理由がある。
彼がこの場にいる理由は極めて単純。バトルフィールドを形成された際に、購買部が巻き込まれてしまっただけだった。
キルスコアを持たないプレイヤーはジローの他にいない。仮にレオが寄り添っていても、バトルフィールドの特性として弾き飛ばされてしまう。
だが言峰神父はプレイヤーではなくNPCという大きな例外。バトルフィールドから弾き飛ばされるのは対象外プレイヤーだけであって、NPCは該当されなかった。
そして言峰神父はNPCであるので、言峰神父のドッペルゲンガーが出現することもない。
また全てのNPCは【Immortal Object】/不死存在の特性が与えられていた。それがあるからこそ、NPCはあらゆる攻撃的接触から守られていて、言峰神父はドッペルゲンガーの攻撃を受けずに済んでいる。
だが、仮に不死の特性がなくとも、このドッペルゲンガーに言峰神父を倒すことは困難だろう。何故なら言峰神父は聖杯戦争の監督者を元に生み出されたNPCであり、オリジナルに匹敵する超人的戦闘力を誇っていた。
対してドッペルゲンガーの素体はただの人間であるジロー。そんな彼がパラメーターを上昇させて、いくつもの優れたアビリティやスーパーアーマーを有しても、言峰神父からすれば焼け石に水。
決して埋められない根本的な実力差が存在する以上、ドッペルゲンガーの勝利は夢のまた夢だった。
だがその事実をジローが知ることはできない。
また、仮に知ったとしてもどうすることもできないまま。ただジローは目の前で繰り広げられる惨劇に怯えるしかなかった。
「――――――――!」
「さて……私ができるのはここまでだ。
さあジローよ。あとは君の仕事だ」
『そいつ』の身体を真上に吊り上げながら、言峰神父は振り向いてくる。
愉悦に満ちた双眸を向けられて、俺はピクリと震えた。
怖くてたまらない。こうして目を合わせているだけでも息が苦しくなって、心臓が止まりそうになる。
金縛りにあったかのように身体が動かない。獰猛な肉食動物に追い詰められた草食動物と、今の俺は何が違うのか。
「お、俺の仕事…………?」
それでも俺は懸命に声を振り絞る。
死にたくない、という当然の本能がそうさせたのだろう。事実、今の俺は言峰神父に命を握られているに等しいから。
「ああ。君と私がこのバトルフィールドから抜け出すには大元……つまりこのドッペルゲンガーを君が撃破しなければならない」
「えっ? で、でも……神父はそんなに強いなら、俺がやる必要はないんじゃ…………?」
「残念だが、私達NPCにはプレイヤーに直接的なダメージを与えることは不可能だ。
いくらドッペルゲンガーに攻撃できたとしても、実際にはドッペルゲンガーのHPは1%も削られていない。
今の私では負けることはないが、勝つこともできないのだよ」
心から勝ち誇ったような笑みを浮かべながら、まるで説得力の無いことを言ってくる。
…………けど、連撃を受けても『そいつ』が生きている以上、神父は本当のことを話しているはずだ。こんな時に嘘を吐くメリットなど彼にはない。
言峰神父が言うように、身動き一つとれない『そいつ』の双銃で打ち抜けば確実に倒せるだろう。
「そして君は私に言ったはずだ。私の元でアルバイトがしたいと。
ならば今がその時になるな。営業を邪魔する悪質な客を撃退してくれれば、私から君にサービスを与えてやろう。
一刻も早く、本来の役割に戻らなければならないのだからな」
言峰神父の声色は穏やかになり、凄惨な雰囲気も収まっていく。愉悦の笑みはそのままだけど。
実際、彼の言う通りだ。神父に『そいつ』を倒すことができない以上、トドメを刺せるのは俺だけである。
何よりもレオ達は俺を心配しているだろう。レオ達を安心させたいなら、俺は『そいつ』と戦わなければいけない。
そして思い出した。俺ができることをやって、対主催生徒会騎士団のみんなを支えたいと誓ったことを。
その途端、神父に対して抱いた畏怖の感情は鳴りを潜めて、自然と立ち上がるようになった。
「……なあ、あんたは俺を助ける為に戦ってくれたのか?」
「私は購買部の店主だ。顧客にサービスを提供するのが使命であり、それを邪魔する者は誰だろうと容赦しない。
結果的には君を助けることとなったが、特定のプレイヤーに肩入れすることは不可能であることを認識してくれ。今の私達には、な」
「そっか……でも、ありがとう。神父のおかげで、俺は殺されずに済んだからさ」
「礼などいい。口よりも手を動かせ」
言峰神父の拘束は更に強くなって、『そいつ』は苦し気にもがいた。
自分自身と同じ姿をした奴が痛めつけられて、そして俺自身が命を奪う。薄気味悪くなるも、躊躇などしない。
『そいつ』には殺されかかったのだし、何よりもGMが用意した偽物だ。ここで俺が倒さなければ、もしかしたらレオ達にまで被害が及ぶ可能性もある。
これ以上、誰かがいなくなるのは嫌だった。ニコだって、そんなことを望まなかったはずだから。
「――――――――!」
言峰神父に捕まった『そいつ』の頭部に銃口を突き付けて、俺は容赦なくトリガーを引く。
鳴り響いた銃声はまるで『そいつ』の断末魔のようだった。
やる気が 5上がった
体力が 20下がった
こころが 10下がった
信用度が 15上がった
最終更新:2017年02月12日 09:25