やめてくれ、と僕は言ったんです。
そのたびに、馬鹿め、と返されたんです。
最初はなんだったのか、正直覚えていません。
母さんからもらったお菓子だったのかもしれない。
なんだったのか――正直覚えていないんですけど――きっとプリンとかだったんでしょう。
子どもなんかみんな甘いものが好きなものです。僕も好きで、兄さんも好きだった。
でも、それを見越して母さんは二つ分のプリンを用意してくれた。
なのに、何故か兄さんが二つ分取るんです。
むしゃむしゃと僕の前で食い散らかして、二ィ、と歯を見せて下品に笑うんです。
おかしいでしょう?
何も一つしかなかった訳じゃない。
取り合う必要なんてなかった。普通にしていれば、お互い一つずつプリンが食べることができた。
なのに、兄さんは僕の分を奪って二つ食べた。
おかしいでしょう? おかしいですよね?
でも、おかしなことはそれからずっと続いたんです。
僕のものだったはずの誕生日プレゼントのゲームも、なぜか兄さんが最初に遊んだ。
僕が作って、僕が褒められるはずだった図工の作品も、最後の最後で兄さんのものになった。
僕が初めて意識したあの娘だって――アイツは奪ったんだ!
何もかも、兄と弟から、《親》と《子》になってからだって、ずっとずっと僕は奪われた。
おかしい。おかしいでしょう――でもね、違ったんです。
おかしかったのは、僕なんです。
04_
辿り着いた日本エリアは、どういう訳かひどく荒廃していた。
立ち並ぶビル群は煙を上げ、道路にはガラス片や瓦礫が散乱している。
燃え盛る街は、ここで大きな戦闘があったことを示していた。
そんな場所で――慎二は奴に追い付いた。
奴もきっとギリギリのところだったのだろう。
かなり強引な逃走だったうえに、エネミーとの接敵にも巻き込まれた筈だ。
こちらはまだ無傷に近い揺光がいたが、一人だ。
回復役も、フォローしてくれる仲間も誰もいない。
だから、こんなところでぐずぐずしているんだ。
黄金の鹿号は魔力不足からから墜落していた。
既に夜空を飛ぶ力を喪ったそれの前に、慎二の敵は待っていた。
「――チィ! また! 貴方ですか」
敵――能美は慎二らの姿を認めるなり、声を荒げた。
彼の目論見としては月海原学園までたどり着いたのち集団の中に入り込むとか、まぁそんなところだろう。
「あらら、追いかけっこはこっちの負けだねぇ」
その横に立つのはライダー、フランシス・ドレイクだ。
彼女はこんな状況であるというのに笑っていた。豪快に胸を張るその様は――いつだって堂々としている。
「追い詰めたよ! もうこれで逃げられないでしょ」
剣を構えた揺光が声を上げた。
あの草原での一戦を越えてから、彼女は頼もしくなったと思う。
単に戦力としてのことだけじゃない。
ネオやモーフィアス、彼らの死に対して卑屈ならず真摯に受け止めているその様こそが、尊敬に値すると慎二は知っていた。
「ああ、これで本当に年貢の納め時だぜ」
その時、別の声がその場に響いた。
はっ、として慎二は顔を上げる。すると能美を挟んで向こう側に、一人の黒衣の剣士が立っていた。
「生きて会えてよかったぜ、慎二」
「――キリト」
そう言ってふっと笑う彼の姿に、慎二もまた笑いそうになってしまった。
なんだ、存外元気そうじゃないか。心配して損をした。
そんな悪態を吐きそうになったあと、キリトの後ろからかけてくるもう一人の姿を見て、今度こそ慎二は声を上げた。
「岸波!」
そこには本当に何の特徴もない凡庸な姿をした友人がいた。
聖杯戦争において仮初の友人という役割/ロールを与えられ、そして一回戦にて戦うことになった相手。
およそ半日ぶりだろうか、久々に見る彼の姿は、相も変わらずとぼけた顔をしていて――それでいてまっすぐにこちらを見ていた。
「レオがここで戦闘が起こっているっているから来てみたけど、どうやらもう終わりのようだな」
キリトが能美を見ながらそう言った。
「うっ」と能美が呻くのがわかる。もぐりこもうとしていた月海原学園にも素性がばれていた。
そのうえ、援軍として慎二たちと合流され囲まれているのだ。
絶対絶命という言葉が合致する状況に間違いない。
「――なあに諦めてるんだい、ノウミ」
だがそんな状況にあって、ライダーは未だ笑っていた。
死が目前に迫った状況にありながら、むしろそれを愉しむかのごとく、豪快に声を上げて笑ってみせる。
「いやね、正直アタシもこれは終わりだと思うよ、ノウミ。
もはや万策つきた。敵は万全のうえ囲まれている。こっちは補給もままならない――でもねぇ、やるしかないだろう?」
ライダーは能美を鼓舞するかのような言葉を投げかける。
「なに? それともアンタ、こいつらの軍門に下る訳? おめおめと頭を下げてさ。
それはちょっと難しいわ。何せアンタは悪党をやり過ぎた。アタシと一緒に好き勝手このゲームで振舞ってきた。
――となりゃあ、結末はまぁこんなものだろう」
「あ、貴方こそ諦めてるじゃないですか! 僕は、僕は」
「はぁ? 違うさ。これは生き方の問題さ。そんで死に方の問題だ。
アンタもアタシも思う存分子悪党をやった。そしてそれに相応しい最期がやってきた。
なら――最後に思う存分笑えるような死を迎えないとねぇ!」
能美は言葉に詰まる。その様はライダーの言葉に気圧されるかのようだった。
だが同時に――彼は痛感したようだった。
もはや自分には彼女しか残っていないのだと。
自分の戦力も、取りうる策も、すべて尽きているのだということも。
「うるさい! だまれ僕は! 僕はぁあああ!」
そして狂乱染みた叫びを上げだす。
彼は自分がもはやどうしようもないところまで来ていることを、悟ったのだろう。
「――あのさ、能美」
そんな彼に対して、慎二は一歩踏み出した。
破壊された大地を力強く踏みしめる。風が吹き、ボタンを開けた制服がばさばさと音を立てて舞った。
「最後のチャンスをやるよ。
ここでお前を集団でボコるとか、そんなチキンプレイはしない」
「おい、慎二」
慎二の突然の行いに、揺光が戸惑ったように声をかけた。
だが、慎二は振り返り、キッ、と彼女を睨み付け、
「手を出すなっ!!」
と。
あらん限りの声で叫びを上げた。
荒廃した街にその声はどこまでも響き渡った。
「これは――僕の戦いなんだよ!」
揺光やミーナ、同行者たちへ力強く彼は訴える。
――僕と共に戦ってくれた仲間がここにいる。
「僕のゲームチャンプとしての誇りを賭けて」
次に慎二は、向こう側に立っているキリトに、そして
岸波白野に向けて声を上げる。
――いずれ挑む好敵手がここにいる。
「僕のゲーマーとしての意地のためにも」
最後に慎二は一瞬だけ、目を瞑った。
その瞬間、脳裏に浮かぶのは一人のゲーマーだ。
彼が生まれて初めて、プレイを見て「かっこういい」って純粋に憧れた少女。
あのいつだって楽しそうな彼女の戦い方は、これからずっと自分の目標になるだろう。
――かつて抱いた憧憬は確かにここにある。
「僕はお前に“ゲーム”を挑む」
彼は己の敵を見据え、指を指した。
能美征二、ダスク・テイカー。夕闇の簒奪者。
ライダー、フランシス・ドレイク。星の開拓者。
――越えなくてはならない敵がいる。
「僕はお前に“ゲーム”で勝たなくちゃならない。
誰の手も借りず、自分の手で、自分の実力で――僕はお前を越える!」
その言葉と同時に、彼の隣に一人のサーヴァントが姿を現した。
紅い外套のアーチャー。彼は慎二の言葉に、やれやれ、と肩をすくめている。
「アーチャー、悪いけど最後に一戦だけ付き合ってもらうよ。
これが終わったら岸波にお前を返すからさ」
「分かっているさ、慎二。
男には譲れない戦いがあるってことぐらい、俺も分かっているよ」
その言葉にはどこか懐かしむような響きがあった。
あるいは旧友の成長を見たときのような――どこか寂しささえ感じられる想いがあった。
「マスターの前だ――私も気合いを入れなくてな」
そう言って彼はその手に双剣を投影する。
そうして彼らは己が敵と相対する。
「ははっ」
ライダーは、やはりというか、笑っていた。
「あっははははははっははっ! どうしたもんだい! シンジィ!
よしなよ、アンタには似合わない、そんな、正義の味方みたいな真似。
本当――あの坊やがねぇ」
彼女は呆けている能美を抱き込んで言う。
「ほら! ノウミぃ。アンタも何か言い返してやりな!
アンタのライバルが妙に気合いの入ったこと言ってるよ」
「誰が――誰がライバルですか」
ライダーをうっとうしそうにはねのけながら言う。
その言葉からは先ほどの狂乱が少し引いている。
あるいはそれは意地なのかもしれなかった。
もはや進退窮まる状況とはいえ――コイツにだけは負けてられない、という意地が能美の中にも生まれたのかもしれなかった。
そうして彼らは相対する。
燃え盛る街。朽ちた海賊船の前で、二人のプレイヤーが、二騎のサーヴァントを携え対決する――
その様を、揺光も、ミーナも、キリトも、白野も、ここに集ったすべてのプレイヤーがその行く末を見ていた。
「貴方だけには! 貴方のような人にだけは! 僕は負けてはいけないんですよ!」
「勝負だ! ただのゲーマーとして、お前はこの僕が倒す!」
最終更新:2017年05月05日 19:00