1◆


「……………………」

 ダンジョン攻略を進める中、セイバーは何やら深刻そうな面持ちを浮かべている。普段の煌々たる彼女からはいまいち想像できない様子だ。
 時折、岸波白野に本心を告げる際、どこか愁いを帯びた表情を見せてくれたことはある。けれど悲しみを抱いている訳ではなく、どうも思案に耽っている様子だった。
 どうしたの? と、岸波白野は訪ねてみる。

「…………ここ最近、余の中に奇妙な記憶が浮かび上がるのだ」

 奇妙な記憶? それは一体……

「口では上手く言えぬ。余も経験したはずがないのに、何故か記憶として残っている。いつ、どこで見てきたのかは知らぬが……おぼろげながら残っておる!
 あれは確か、いつぞやの夏に行われたビーチバレーだったような……」
「ちょ、ちょい待ちいいいぃぃぃぃぃっ! そ、そればかりはあぶなァーいッ!!」

 セイバーの追憶を妨げるかのように、突如としてキャスターが叫んだ。いつものようにおどけているのではなく、心の底から狼狽しているような表情を浮かべている。
 彼女の尻尾もピン! と音を鳴らすように伸びた。……突然どうしたのか。何故、そこまで慌てているのか?

「何を言い出すのだキャス狐よ! 余の追憶を邪魔する気か!?
 ……ん、待てよ? あの夏の場にはこのキャス狐もいた記憶があるぞ!」
「ダメですって! その話はマジでヤバいです! 上手くは言えねーんですけど……倫理的にも版権的にも危険な臭いがプンプンします! ギリギリアウト!? じゃなくて、ほぼ真っ赤なレッドゾーンです!」
「ほう、レッドゾーンとな! それはお主だけではないのか? 確かお主は副賞となる『特別な魔力供給』を狙って……」
「だーかーらー! それがギリギリアウトなんですー! 基本ギャグキャラの私すらも、警告する程の緊急事態!
 何となくなんですけど、そんな話をしたらこの世界そのものが滅亡の危機に陥ります! 版権だけじゃなく、把握の意味でも大問題ですって! お願いですから、その話はマジでやめましょう!」
「…………むう。そこまで言われては、願いを無下にすることも出来ぬ。共に歩む者の想いを蔑ろにするのは、皇帝として恥ずべきことだ。
 仕方がない、この話はここまでにしよう」

 セイバーは頷くと、キャスターはホッと胸を撫で下ろす。
 よくわからないけど、キャスターがここまで言うからには余程の事態だろう。岸波白野も掘り返さない方が無難かもしれない。


 体験はしていないけれど、記憶として残っている。矛盾しているようだが、岸波白野にも心当たりがあった。
 マスターである岸波白野の肉体が様々な平行の記憶を強引に混ぜ合わせ、この存在を成立させている。同じように、サーヴァント達も平行世界の記憶を持っているのか?
 その考えが正しければ、岸波白野ではない別のマスターと契約を交わした彼女達もどこかの世界にいるかもしれない。そこにいるセイバーやキャスター、そしてアーチャーのマスターは一体どんな人物なのか。些か、興味が出てしまう。

「マスターよ。取り込み中にすまないが、そろそろ下層に到達するぞ」

 アーチャーの言葉通り、岸波白野達は第六層の下層に到着していた。
 道中にはいくつものエネミーが出現したが、既に岸波白野達にとっては敵ですらない。これまでのエネミー達と比較すれば強敵の部類に入るだろうが、こちらも百戦錬磨のプレイヤーである自負を背負っているからには負けられない。
 キリトや黒雪姫、そしてジローの三人もネットスラムに辿りついているはずだ。そこに用意されたミッションの謎を解き明かすことで、プレイヤーがGMに勝利する為の手がかりを得られる。


【クリア条件:5分以内に敵性エネミー及びボスエネミーを全滅させる】


 新たなフロアに足を踏み入れた瞬間、無機質なシステムメッセージが表示された。

「へッ、ワンパターンなこった」

 不敵な笑みと共に、さもつまらなそうな態度でハセヲは吐き捨てる。
 見る者全てを脅しにかかるように、鮮血を彷彿とさせる色合いだ。しかし、自分達にとってハッタリにすらならない。ハセヲが言うように、どんなエネミーだろうと負けるつもりはなかった。

「こんな広いエリアを用意して、アタシ達を消耗させるつもりか? だとしたら、随分と安っぽい手口だね!」

 揺光もまた、ハセヲに合わせるように煽る。
 この第六層はこれまでの攻略や、そしてかつて経験した月の聖杯戦争で通ってきたフロアと構造が異なっている。迷宮ではなく、演劇が繰り広げられるホールの如く広大な空間だった。
 5分というタイムリミットに加えて、エネミーの数でこちらを翻弄するつもりだろう。確かにこれだけの広さと、それを埋め尽くすほどの広さがあれば時間稼ぎはできる。
 タイムリミットをオーバーすればこちらが全滅するのだろうが、関係ない。誰一人として、怖気づいたりしなかった。

「さあ、さっさとかかってきやがれ! どんな奴らが相手だろうと、俺達が叩き潰してやる!」

 威風堂々とした態度で、胸を張りながらハセヲは前に踏み出す。
 その後ろ姿は禍々しいながらも、どこまでも剛健で頼もしかった。かつては畏怖の象徴とされた鎧も、自分達にとっては力強く見えてしまう。
 先導するハセヲの後に続くように、岸波白野もまた前に進もうとしたが。

「…………ッ!?」

 誰かの悲鳴と共に世界が揺れる。
 雑音が鳴り響き、視界が真っ赤に染まった。何の前触れもなく襲い掛かった衝撃によって、思わず足を止めてしまう。
 それから瞬き程の時間が経過した後、振動はすぐに収まる。だが、事態はそれだけで終わらなかった。

「な、何よこれ……どうなってるの!?」

 ブラックローズの叫びと共に、岸波白野も目を見開く。
 いつの間にか、自分達の周りには謎の障壁が囲んでいた。岸波白野とサーヴァント達は勿論のこと、ブラックローズと揺光も閉じ込められている。

「何っ!? おい、お前ら……大丈夫か!?」

 たった一人だけ巻き込まれなかったハセヲは駆け寄ってくる。彼は拳を壁に叩きつけるが、びくともしない。何度も殴っても、僅かな亀裂すらも刻まれなかった。

「ならば!」

 セイバーも大剣を振るうが、結果は同じ。その並外れた腕力と数多の敵を屠った刃すらも、この壁は傷一つ付かなかった。

『白野さん、応答を願います! 大丈夫ですか!?』

 この異常を察したのか、レオの叫びが耳元で響く。
 岸波白野は無事であることを答えながら、ステータスを開く。見た所、HPやMPの現象は見られず、また何らかのバッドステータスが付与されていることもなかった。
 しかし、壁は自分達を拒むように立ちはだかっている。これでは、ハセヲ以外の全員がスタン効果で苦しんでいるのと変わらなかった。

「キシナミにレオ! どういうことだよ!? アンタらの世界でも、こんな罠が仕掛けられてたのか!?」
『いいえ! 月の聖杯戦争でこのようなトラップが存在したという記録は存在しません! 恐らく、GMが仕掛けたのでしょう!
 【5分以内に敵性エネミーを全滅させる】……恐らく、たった一人でこれから現れる全てのエネミーとの戦闘を強制させられるという意味でしょう!』
『例え、何人で挑戦を仕掛けてこようと、特定のプレイヤー以外は人質にされてしまう……つまり、ハセヲさんが勝たなければ、待っているのはゲームオーバーだけ……
 そうして、私達が挑戦したハッピースタジアムも多くのチームが犠牲になったから……その仕様を流用しているのかもしれません』

 レオとミーナの推測に、揺光は息を飲む。
 例えここからカイトが救援に駆け付けても、閉じ込められるだけだろう。ハセヲがエネミーを撃破しない限り、岸波白野達の脱出は不可能。
 つまり、ハセヲの勝利を信じる以外になかった。

「舐めたことしやがって……なら、俺がエネミー達を片付けて、キシナミ達を脱出させてやる!
 お前ら、そこで待ってろよ!」
「そいつは随分と頼もしい言葉だな、ハセヲ」

 ハセヲの叫びに応えたのは、唐突に発せられた男の声だった。



     †



 一瞬の足音の後に響いた声に、反射的に全身が震えあがる。そして振り返った途端、そこに現れた人物にハセヲは目を見張った。

「お、お前は……クーン!?」
「よっ、ハセヲ」

 ハセヲが『死の恐怖』として畏怖された頃より『The World』で多くの初心者プレイヤーを支えてきた銃戦士の男が立っていた。腰にまで届くロングヘアから放たれるサファイアの輝きと、その飄々とした笑みは見間違えようがない。
 そのいつもと変わらない様子に一瞬だけ全ての思考が停止して、張り詰めた緊張が揺らぐ。だが、すぐにハセヲの中で強烈な違和感が駆け巡った。何故、この男がダンジョンの中にいるのか。そしてこの異常事態にも関わらず、どうして平然と佇んでいるのか。
 困惑で心が揺さぶられる中、クーンの両端の空間が歪んでいく。その中より現れたのは、クーンが設立した初心者ギルド『カナード』の要となった二人のプレイヤーだった。

「ッ! シラバスに……ガスパー!?」
「そうだよ、ハセヲ」
「会えてよかったぞぉ! ハセヲ~!」

 シラバスとガスパー。蒼炎の騎士によって全てを失ったハセヲにとって、初めての繋がりと言える二人がここにいた。
 ただ疎ましく、どこにでもいる甘ちゃんのプレイヤーにしか見えなかったけど、二人は何のフィルターもかけずにハセヲと向き合ってくれていた。カナードや、月の樹のクーン達がいたからこそハセヲは成長できた。
 今だって彼らは、普段と変わらないような表情を向けている。その姿に心を許しそうになって、ハセヲは思わず一歩前に踏み出してしまう。
 しかし、足の裏から響く振動を感じた途端、ハセヲはすぐに意識を取り戻す。

「な、なんでお前らが……なんで、お前らがこんな所にいるんだよ……!?」
「それはもうわかっているはずよ、ハセヲ」

 ハセヲの疑問に答えたのは、かつてのハセヲが求め続けた穏やかで優しい声色。
 その声をハセヲはよく知っている。守りたいと願うようになったきっかけであり、ハセヲが特別な感情を抱いていた存在だった。
 誘い込まれるかのように背後を振り向く。やはり、彼女はここにいた。常闇に溶け込むほどの漆黒を纏ったその呪療士を、一日たりとも忘れたことがない。

「志、乃…………」

 だからハセヲは、その名前を呼ぶしかなかった。
 志乃。黄昏の旅団のサブリーダーを務めたプレイヤーであり、ハセヲ/三崎亮が憧れていたたった一人の女性だった。そして、ハセヲが失った初めてのかけがえのない存在。
 ハセヲの呼びかけを肯定するように、志乃は微笑む。言葉はなくとも、そこに込められた意味は瞬時に理解できる。

「なんで……なんで、こんな所に……なんでっ!?」

 だが、目前に広がる現実を受け止めることができない。志乃が失われる事実を三度も突き付けられたせいで、再会を喜ぶことなどできなかった。
 クーン達の存在も現実味を感じない。姿と声こそは寸分の狂いがなくても、根本的な何かが異なっていると警告している。ハセヲを囲むように立つ四人の笑顔は穏やかに見えても、その表情の中には底知れぬ悪意が広がっている。
 道に迷って、見知らぬ場所にたった一人で放り込まれた幼子のように。ハセヲはただ狼狽えることしかできなかった。その姿は、かつての『死の恐怖』として畏怖されていたとは思えない程に弱々しい。

「ま、まさか……お前らが……!」

 いなくなった志乃や、本来ならばいるはずのないクーン達がここにいる。
 その原因は心当たりがあるし、またこれまでだって何度も体感した。だけど、心と体がそれを受け入れているのを拒んでいた。
 そうであって欲しくないと願った。何か悪い冗談であってほしいと祈った。そんな微かな願いを込めて、言葉を紡いだけれど……

「そうよ。ハセヲ……私達四人と戦わないといけないの、たった一人で」

 たった一つの希望すらも無慈悲に壊したのは、志乃の言葉だった。
 最悪の宣告を突き付けられたハセヲの衝撃は凄まじかった。仮に現実の世界で背後から金属バットを頭部に叩きつけられても、ここまでの痛みを感じるのかどうか。
 熱い。寒い。辛い。悲しい。苦しい。痛い。死にたい。どんな言葉を用意したとしても、今のハセヲの感情を表現するに相応しくなかった。

「なんだよ、それ……そんなの、ありかよ…………!?」
「落ち着け、ハセヲ! 気持ちはわかる……俺達だって、気が付いたらこんな所にいたんだ。そして、あの榊から言われたんだ……『偽者のお前達の存在意義は、ハセヲ達と戦うことだ』ってな。
 つまり、ここにいる俺達はただのデータ。あいつらが作った、偽者の――――」
「――――ふざけんな! そんなの、納得できるわけがあるかっ!」

 クーンの声色で聞こえる説得は、しかしハセヲの怒号によって掻き消された。
 その慰めと気遣いはまさしくクーンそのものだった。そして彼の言い分は充分に納得できる。上の層ではソラだった頃の自分と深い関わりを持った司とカールがボスエネミーとして登場したように、今度は志乃やクーン達と戦わなければいけない。
 かつてのハセヲであれば、ここにいる彼らをただのデータを割り切って瞬時に叩き潰しただろう。そして今のハセヲは『死の恐怖』だった頃よりもレベルと技量の双方が格段に向上した為、ここにいる四人が一斉に襲い掛かったとしても負ける気はしない。
 だけど、そんな話ではなかった。『The World』で絆を深め合い、そしてあの世界で繋がることの大切さを教えてくれた彼らを切り捨てるなど、今のハセヲにはできなかった。例え、偽者の存在であっても。

「ごめんね、ハセヲ……君達を傷付けるようなことになって。でも、ここにいる僕達は偽者なんだ! 例え僕が倒されても、君が知っている本当の僕やガスパーには何の影響もない!」
「そうだぞぉ! ハセヲ~! お願いだから、戦って~!」
「やめてくれよ……シラバス、ガスパー……お願いだから、やめてくれ!」

 シラバスとガスパーの悲しそうな視線と声色が、ハセヲの胸を締め付ける。どんなに高い威力を誇る武器で攻撃されるよりも、心が深く抉られそうだった。
 共に戦った彼らを弄ぶGMに対する憤りが湧き上がる。思い出を、そして絆を都合のいい道具のように扱われて、冷静さを失わないわけがない。だけど、ハセヲはその感情を発散する術を持たなかった。万死ヲ刻ム影を振るって、仲間達の顔を打ち砕ける訳がない。
 クーン、シラバス、ガスパー、そして志乃。皆から目を背けたかったけど、それは許されない。ここに現れた四人も、GMによって一方的に死の運命を突き付けられてしまったのだから。

「……やめてくれよっ! クーン、シラバス、ガスパー!」

 不意に、意識の外から狼狽したような少女の叫びが耳に響く。
 思わずハセヲは振り向いた先には、脱出不可能となった赤い牢獄に閉じ込められた揺光達の姿が見えた。ある者は困惑し、ある者は焦燥に満ちた表情を浮かべている中、揺光だけは必死に懇願を続ける。

「なんでだよ! なんで、そんな簡単に諦めようとするんだよ!? あんたら、今までハセヲと一緒に戦ってきただろ!? なら、何か方法が……!」
「そんなものはないって、揺光もわかっているはずだ」

 しかし、クーンの返事は凛冽たる雰囲気が滲み出ていた。常日頃、たくさんのプレイヤーに信頼されている彼とは思えない程に冷たい。
 そんな彼は今、笑みを浮かべている。あらゆる音と光を無くしたどす黒い牢屋に閉じ込められてしまい、全ての希望を奪われ、憔悴しきった者が浮かべるような自嘲だった。

「みんな、ここに来るまでに何度も戦ってきたでしょ? その中には、君達がよく知っている人だっている……それが、ここだと僕達になっただけさ。だから、気にすることはないよ」
「何で、何でそんなことを言うんだよ……そんなの、理由になる訳ねえだろ! アタシの知ってるシラバスだったら、そんなことは言うはずはねえ!
 もし、このままハセヲを悲しませるつもりなら……アタシは絶対、アンタを許さない!」
「変わらないね、揺光は。でも、だからこそ君のことを信頼できるよ。昔、僕がボルドーに襲われた時だって……君は怒ってくれた。ハセヲや、本当の僕達のこともよろしく頼むよ」
「ふざけんな! そんなのこっちからお断りだ!」

 シラバスは昔を懐かしんでいるようだが、揺光は未だに血を吐くように否定を続ける。

「……そうだった、な」

 そして、ハセヲは前を見据える。もう振り向くつもりはなかった。

「は、ハセヲ……?」
「悪かった、揺光。カッコ悪い所を見せちまって」
「何を言ってるんだよ、ハセヲ……あ、アンタ……まさか!?」
「すぐにお前らを助けてやるから、待ってろよ」

 そう言い残して、ハセヲは前に踏み出す。後ろから揺光達の静止するような叫び声が聞こえてくるが、もう止まる訳にはいかなかった。
 ここに来るまで何度も戦った。聞いた話によると、ブラックローズは実の弟をその手にかけてしまったらしい。きっと、その時の彼女は覚悟を持って戦い、勝利したはずだ。
 ハセヲと揺光だって、司やカールを相手に戦いを繰り広げた。だから、例え彼らがエネミーとして現れても、戦わなければ前に進めない。クーン、シラバスとガスパー、そして志乃……この四人を倒すのはハセヲの役目だった。


 ――ナゼ、汝ハ抗ウ? 我ハ汝。汝ハ我デアルトイウノニ


 楚良/スケィスの言葉がハセヲの脳裏で唐突に蘇る。
 もう『死の恐怖』にならないと誓ったはずだ。けれど、その決意を裏切るかのように、戦いは続いている。例えハセヲが望まなくても、志乃達にとって今のハセヲは『死の恐怖』そのものと呼ぶにふさわしいはずだ。

「ハセヲ」

 そんなスケィスに命を奪われたにも関わらず、ここにいる志乃は微笑みを浮かべている。きっと、ゲームの"表側"で起こった出来事も知っているはずだ。
 けれど、何も心配しなくていいんだよ、と慰めているかのように優しかった。その笑顔と感情をかつての自分はどれだけ求め続けたのか。

「決めたんだね」
「ああ」
「そうね……なら、最後に一つだけ教えてあげる。私、見ていたから……もう一度、私とハセヲの二人で『黄昏の旅団』を作って、オーヴァンを探したいと願ってた」
「そっか……今、オーヴァンは何をしてるんだろうな」
「きっと、どこかで見てるのかもしれないよ? 彼が物知りだってこと、知ってるでしょ」

 何となく、納得できてしまった。
 オーヴァンは昔から得体の知れない奴であり、不思議と人を惹きつける魅力があったのは確かだ。オーヴァンは奴隷と自称したが、それすらも信憑性に欠けている。
 そしてここにいる志乃の言葉だって間違っていない。認めたくないけど、これまでに現れたボスエネミー達はオリジナルの記憶を引き継いでいる。だから、本当の志乃が抱いていた願いも知っているはずだ。

「志乃……」
「始めようか、ハセヲ。時間は残されていないよ?」
「……待ってろよ、すぐに決着をつけてみせるから」

 死ヲ刻ム影を構えながら、ハセヲは歩みを進める。例えこの心がどれだけ悲鳴をあげても、立ち止まるなど許されない。
 自分の助けを必要としている人がいる限り、戦わなければいけなかった。



     2◆◆



 やめてくれ、と揺光は叫ぶ。けれど、ハセヲは止まろうとしなかった。
 自らの体躯ほどのサイズを誇る鎌を縦横無尽に振り回しながら、現れた四人にダメージを与える。勿論、四人とて決して弱くはなく、むしろこれまでのエネミーと比べると強敵の部類に入るが、ハセヲはそれを凌駕している。
 けれど、揺光はその優位を決して喜べない。それはブラックローズや岸波白野、そして白野を信頼するサーヴァント達も同じだった。

「うむ……何なのだこの壁は!? 余の剣でもヒビ一つすらも刻まれぬとは……! ええい、何とかならぬのか!?」
「むむ~! ここはこの玉藻めが思い切って魔力でぶっ放す方法もありますが……セイバーさんの筋力でも駄目なら、私の魔力も期待できませんね。この状況で、私とマスターが無駄に消耗するのは得策ではありませんし」
「それ以前に、君達がこんな所で全力など出してみろ! 私達全員が巻き添えになるのがオチだ! ここでできることは……ハセヲの勝利を、待つことだけだろう」

 アーチャーの苦々しい表情に、セイバーとキャスターは手を止めてしまう。
 この忌々しい牢獄を壊そうと何度も試した。けれど、誰が何をしてもこの壁は壊れない。この手で大剣を振るおうとも、蚊が止まった程度の衝撃があるかも疑わしい。

「レオ、ミーナ! 二人でこの壁をどうにかできないの!? このままじゃ、ハセヲは……!」
『僕達も今、皆さんを阻むファイアーウォールの解析をしています! ですが、異様なまでのデータ量を誇っているので、短時間で対抗プログラムを構築するのは不可能です!』
『仮に私達はそちらに向かったとしても、残された制限時間を考えると……』

 ブラックローズは助け舟を求めるが、レオとミーナから無情な返事しか来ない。
 揺光とて、二人の言い分は理解できる。自分達の攻撃をものともしない壁をプログラミングで解体するなど困難を極める。その上、このミッションのタイムリミットを考えると、二人に直接来て貰ったとしても間に合う訳がない。
 だけど、納得などできる訳がなかった。ここで諦めて、ハセヲを悲しませるようなことをしたくなかった。

「ハセヲッ! ハセヲッ! ハセヲオオオオオォォォォォォッ!」

 だから揺光はせめてハセヲの名前を呼び続ける。それが何の意味も持たず、また目の前で戦いを繰り広げている彼らには関係ないことを知りながらも。
 ハセヲは戦っているが、一瞬だけ見えた助けを求めるような眼を忘れない。本当は戦いたくないのに、自分達が人質に取られたせいで死ヲ刻ム影を握ることになってしまう。
 助けたい。守りたい。苦しめたくない。揺光の願いとは裏腹に、ハセヲは戦い続けている。

「ハセヲ……やっぱり、すごい、ぞぉ……」

 そして、死ヲ刻ム影の一閃を浴びたガスパーは、微笑みと共に消滅する。

「ごめんね、ハセヲ……」

 続けて、シラバスもまたハセヲの振るう鎌を受けながらも、満ち足りたような表情で消えていった。

「ハセヲ。よくやった……」

 クーンもまた、ハセヲの姿を誇らしげに想っているのか、いつもの晴れやかな笑顔を最期まで見せてくれた。

「ハセヲ……!」

 ハセヲはその禍々しい背中を向けたまま。だから揺光には今のハセヲがどんな表情を浮かべていて、また何を考えているのかを知ることができない。
 だけど、涙を堪えていることは伝わってくる。一人、また一人と消えていく度に、ハセヲは咎めを背負わなければならなかった。信頼で繋がった仲間達をこの手で殺すという大罪を犯したのだから。
 苛立ちと悲しみ、続くように湧き上がる無力感。世界と自分自身に対する感情が揺光の中で溢れ出ていく。それを発散する方法も分からないことが、もどかしかった。

「志乃」

 やがて残された敵は志乃だけになる。アトリに瓜二つな容姿の彼女と相対しながら、ハセヲは静かに構えた。
 パーティーのサポートが主な役割となる呪療士が錬装士と正面で戦っても勝ち目はない。志乃は追い詰められている。だけど、笑顔を絶やしたりしなかった。むしろ、これから起こる運命を望んでいるかのようにも見えてしまう。

「間に合わなくて、ごめん」
「ふふっ……なら、もう遅刻しちゃだめだよ? それから、がっかりさせないで。ハセヲを待っている人はたくさんいるでしょ?」
「ああ。俺はこれ以上、誰のことも失いたくない。みんなを……助けてみせる!」
「そっか。なら、彼女のこともお願いね」

 そんな微かなやり取りの中で、志乃はいつまでも微笑んでいる。きっと、ハセヲはこれまで何度もその笑顔に支えられたはずだ。
 だけどハセヲはそんな志乃に目がけて…………死神の鎌を振るった。ぐらりと、志乃の体は倒れていくが、その笑みを絶やすことはない。彼女なりに、ハセヲを安心させようとしているのかもしれない。
 貴方は何も悪くない。だから心配しないで。そんな想いが伝わってくるが、ハセヲはそれを素直に受け止められるのか。

「えっ……?」

 志乃のPCボディが崩れ落ちていく中、揺光は気付く。彼女が言葉を紡いでいることを。
 そして揺光と志乃は目が合った。偶然か、それとも志乃が最後の力を振り絞ったおかげなのかはわからない。けれど、震える唇から零れた儚い声は、自分に向けられているような気がした。揺光は耳を澄まし、志乃の遺言を掬い上げた。

「ハセヲのこと、お願いね」

 そんな声が聞こえた途端、志乃は跡形もなく消えていった。ガラスのように呆気なく、何一つの欠片も遺さないで。
 揺光は絶句した。闘技場へのゲートが開かれても、遠い世界で起こった出来事のように現実味を抱けない。
 ただ、無言を貫くハセヲを見つめることしかできなかった。

「…………お前ら、待っていろよ。すぐに出してやるから」

 そんな乾いた言葉を残しながら、ハセヲは真っすぐに走る。
 微塵も振り向く気配を見せないその背中が遠ざかっていくのを、揺光は眺めていることしかできなかった。



     †



 また、一人になった。
 このデスゲームに巻き込まれてから何度孤独になったか……脳裏に微かな思考が芽生えるものの、ハセヲは瞬時に刈り取る。今の自分にとって、それほど重要ではないからだ。
 自分を待ち構えているボスエネミーを撃破して、ファイアーウォールに閉じ込められた揺光達を助ける。求められていることはそれだけだ。

(俺はここにいる……お前も、俺の中にまだ残っている……そう、言いたいのか?)

 ハセヲはたった一人で戦った。
 戦って、大切な人達の模造品を打ち倒した。クーンの、シラバスの、ガスパーの、そして志乃の体(アバター)と記憶(メモリー)を受け継いだが、その実力は本物には遠く及ばない。むしろ、意図的に弱体化させているようにも感じられた。
 GMは彼らをただの弱者だと冒涜したのか。それともかつて弱いPKを狩り続けてきた『死の恐怖』としてのハセヲを思い出せたかったのか。どちらにしても、その悪辣な思考には腸が煮えくり返る。

『ごめんなさい……ウザい、ですよね』

 しかし、どこからともなく震える声が聞こえてくる。その声色にハセヲの憤怒は乱されて、思わず顔を上げてしまった。

『私、こんな時だから明るく行こうって思っていたのに、すぐまた震えちゃって』
『こんなんじゃ私、ハセヲさんにまた怒られちゃいそうだな……』

 続くような囁きをハセヲはよく知っている。忘れるはずがない。
 その声の主をハセヲはずっと見てきた。共に戦い、共に笑って、この手で救いたいと願ったけれど、見殺しにしてしまった彼女だ。

『すいません。足手まとい、ですよね?』
『私は、』
『ここに居ます。そう信じていたい……感じていたい……』

 気配は微塵にもないけれど、彼女の声が聞こえてくる。
 異様なまでとも言える自己嫌悪と、自らを縛り付ける後悔。そんな彼女の姿をハセヲは何度見届けてきたか。かつてはただの理想主義者としか見ず、彼女の思想を嫌悪感で吹き飛ばすだけだった。
 だけど、今は違う。彼女がかけがえのない存在となった時から、この手で守れるように強くなりたかった。彼女だけではなく、クーン達だって同じ。けれど、彼らをハセヲ自身の手で殺してしまった。

『クスクス キャハハハ!』
『よかろう、ならば皆殺しである』

 しかし、ハセヲの中より湧き上がる慙愧の念を吹き飛ばすかのように。狭い世界に二つの狂笑が響き渡った。

『そうかね。では拷問を続けよう』

 続けて聞こえてきたのは、忘れもしない仇敵の嘲笑。エージェント・スミスの声に気付いた途端、ハセヲは驚愕と怒りで目をカッと開いた。

『―――あ、ああああアアアアアアああ唖吾痾合アア亜あ婀ア閼擧…………ッッッ!!!???』

 だが、耳を劈くような悲鳴へと変わってしまい、ハセヲの表情は凍り付く。
 そしてマク・アヌで起きた数多の悪夢が蘇った。スミスに傷つけられたせいで、彼女のPCボディは黒く変色していた。つまり、ここで再生されているのは、このバトルロワイアルにおける彼女の記憶だろう。
 かつて彼女はAIDAに囚われた。榊に願いを利用されてしまい、そのアバターと碑文が悲しく歪んでしまった。自分を認めて欲しい……虐げられ続けた彼女は、ただ自らの感情を吐露していた。

『彼女のこともお願いね』

 察した瞬間、志乃が遺した言葉が脳裏に過ぎる。
 その言葉の意味を受け入れたくなかった。また、大切な人を失う悲しみを味わいたくなかったが、そんな僅かな願いはもう裏切られている。
 この先で起こるであろう戦いと、ハセヲを待っているであろう人物。自らの運命と戦う為、ハセヲはただ前を見据えていた。


next あなたの風が吹くから

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最終更新:2018年02月16日 22:34