Story.05「木霊」
SSS Story.05 "Dryad" -First Love-
嫌な事があった時には、必ずここに来ることにしていた。
友人と喧嘩した時、両親に叱られた時、必ずこの木の下に来ることにしていた。
あの少女に会う為に。
初めて彼女に出会ったのは、『学院』で同じ教室の子供と喧嘩をして、導師に叱られた時だ。
自分は決して悪くない、そう信じての喧嘩だった為、導師の言葉は不平等な判決に感じられた。そのまま教室を飛び出し、学院の裏手の丘にあるこの木の下で、言いようのない怒りと悔しさに一人身を震わせていた、そんな時だった。
「どうしたの?」
声をかけられ、振り向いた先に立っていたのが彼女だった。歳は当時十二だった自分よりわずかだが落ちついた雰囲気、十五歳ぐらいだろうか、きつい印象を与えない程度にややつり上がった目と、同じぐらいに先端の伸びた耳、ほっそりした感じで、長い緑の髪をした少女だった。
そんな容姿をした亜人の一種に森妖精(エルフ)という種族がいるという話を、学者であり学院の高位導師でもある父から聞いたような気がする。
何故か、初めて会ったばかりの彼女にその日の出来事を話している自分がいた。彼女には何でも話せるような気がしたし、時々相槌を打つだけで静かに聞いてくれる彼女と話しているうちに、今日の出来事などくだらない瑣末事のように思えてきて、何やらすっきりとした気分になっていたのだ。
「また、会えるかな?」
何時の間にか日没も近くなってきた頃、別れ際に訊ねてみた。彼女は「ええ」とだけ答えて静かに微笑んだ。
「あ、まだ名前も言ってなかったよね。オレは……」
「ウィルでしょう、知ってるわ。私はディアーネよ」
「えっ……」
「だって私、ずっと前から貴方の事を見ていたのだもの」
何故、と問い返す前に、彼女はそう言って再び微笑んだ。その微笑みに――ディアーネの笑顔に自分が初めての恋をしたのだと気付いたのは、それからかなり経ってからの事だった。
ディアーネと会う回数は日毎に増えていき、それが日課のようになるまでさほど時間はかからなかった。学院では、自分が同じ教室の女子から手紙――恋文なのは言わずもがな、だ――を貰った事が、その女子が男子に人気があった事もあってちょっとした騒ぎになっていたようだったが、既にディアーネに夢中だった自分にとっては瑣末な出来事だった。年月を経てから我ながら酷い事をしたと反省したが、件の恋文とやらも学問書と一緒に鞄に詰め込んだままだった。返事はおろか、封を開けてすらいなかったし、そもそもディアーネと会えるこの丘に来るため、学院もさぼりがちだった。
そして、今日もまたこの丘の上の木の下に来ていた。
「今日はあまり機嫌が良くないのね」
「そうなんだ。教室の誰かが父さんに告げ口して、学院をサボってるのがバレちゃってさ。訳は話さないって言ったら怒られたんだ。走って逃げて――父さんは追いかけてきたけど、子供しか通れない道を通って撒いてきた」
少し得意げに言ったが、この後どうするかを考えて、すぐに暗い顔をしてしまった。彼女にはできるだけ男らしい自分を見せていたかったが、この時ばかりは甘えずにいられなかったのだ。
「……もう、家にも帰りたくないよ」
「そう……」
ディアーネは少し考えるような仕草をして見せてから、やがて少し悲しげな表情で言った。
「私ね、もうすぐ遠くへ行かなくちゃいけないの」
突然の事に、何を言っていいのか分からなかった。彼女が遠くへ行ってしまう。全てが陰鬱に感じられるこの世界で唯一自分に安らぎを与えてくれる存在を失ってしまう。そんな事には耐えられない……!
「ねえ、一緒に来ない?」
だから、一瞬浮かんだ両親や友人の顔を打ち消して、自分は頷いていた。
「そう……。じゃあ、行きましょうか」
微笑んだ彼女が差し伸べた細い手に触れようとした、その時だった。
誰かが自分の名を呼び、彼女に差し出したのとは逆の腕を強く引いた。振り向くと、激しく息を切らせた父がいた。更に向き直ると、寂しそうな、同時に悔しそうな複雑な表情をしたディアーネの姿が、木に溶け込むようにして薄れていったような気がした。
訳がわからず父の手を振り解こうとして、自分は意識を失った。
自室のベッドで目を覚ますと、寝ている間ずっと側にいたらしい父が小さな鉢植えを渡してよこした。父によれば、遠くへ行ってしまうディアーネが交友の証として自分にくれたのだという。早速水をやると、ディアーネがはにかむように微笑むのが見えたような気がした。
どうやら自分の初恋は実らずに終わったらしい。無意識でそう気付くと、涙が止まらなかった。
最終更新:2018年05月14日 01:45