「de-packaged (4)」の編集履歴(バックアップ)一覧に戻る

de-packaged (4) - (2008/09/03 (水) 00:38:12) の編集履歴(バックアップ)


 

 (自ブログに転載)

 

 

文:tallyao

 


 4

 


 だが、ミクは、本人が死人に過ぎないという今のROM構造物の形であっても、ともかくも”詩人”の存在を残したいらしかった。
 ミクは《札幌(サッポロ)》の技術スタッフや、プロデューサー、PVディレクター、そして《浜松(ハママツ)》や《磐田(イワタ)》の技術者らや、さらには営業地の《秋葉原(アキバ)》のスタッフらにまで聞いた。ひいては、いつも楽曲やPVを提供してくれるフリーの動画投稿プロデューサーらのうち、「技術部」とよばれる人々にまでも聞いて回った。……しかし、技術がわかる者は、いずれもそのROM構造物の延命手段は、考え付かない、と言った。
 最後に、VOCALOIDらのAI開発地である《浜松》の、よく仕事で出会う若い操作卓ウィザード(電脳技術者)は、通話でミクとリンに言った。
 ──今でも、人格データにならばアクセスすることができるのだろう。劣化が進んでいれば、その部分も閉鎖され、アクセスできなくなっていると思われるが、今のところはROM構造物と会話することならば可能だからだ。
 だから、その人格データを、アクセスできるうちに、どこかに残しておくことならばできる。しかし、ROMの老朽化したハードウェアの方はもう複製できないので、その人格データは、ふたたびROM構造物として動作させることは不可能だ。人格データだけ残しても、もう二度と起動できない。
「AIや電脳システムに、モデルになる人間の精神を移行させる時みたいには、いかないんですか……」ミクは通話でウィザードに聞いた。
 それは人間のうちから、最初に十分な情報を、ソフトウェアとして読み取り、写すことができればの話だ。対して、”詩人”本人が言っていたように、いまやROM構造物に入っているのは、人間の頭脳のうちごくわずかな、反応に関するデータにすぎない。仮に、ROM構造物などから人格データをAIに写してみたところで、それだけでは情報が少なすぎてAIとしては稼動できず、ほかの大部分は補わなくてはならない。そうなれば、表層が似ているだけの、まったく別の精神となってしまう。それは、もはや同一人物の精神とはいえまい。──それはちょうど、ミクやリンらVOCALOIDに対して声紋のデータを数時間の収録で提供した”歌手”や”声優”らの人物と、その声紋データに加えてAI基礎構造物やネット上にとびかう大量の情報、音楽のファイルを加えて形成された”VOCALOID”という存在が、まったくの別人であるのと同じだ。

 

 

 

 しかし、──《浜松》のウィザードは言った──人格データを保存しておけば、ありえないこともないかもしれませんよ。
「何がありえるって」リンがウィザードの念のいった態度を、やや急かすように言った。
 遠い将来、技術が発達すれば、あるいは、ROM構造物の人格データのみのわずかな情報だけでも、AI並の知能として動かせるような技術が、開発されるかもしれません。
 VOCALOIDのシステムだって、モデルから収録した声紋だけのデータだけから、これだけ人間のように歌えるソフトウェアが完成するなんて、世間ではまったく予想していなかったんです。ありえないこととは言い切れない。
 とはいえ、──ウィザードは言った──仮に実現するにしても、莫大な時間と費用がかかることは間違いないし、”詩人”の人格データが残っていたとしても、そんな者が復活する機会が与えられる可能性は、高いとは言えません。だが、ありえない話ではない。
「あのひとが、AIに。……わたしたちと同じように、また歌えるように」ミクは独り言のように呟いた。「人格データを保存しておきさえすれば、いつかは……」

 

 

 

 その数日後、ミクは電脳空間(サイバースペース)内で、ROM構造物の人格データをメインシステムの一部メモリに移し、アーカイブするための、メモリキューブを据え付けていた。リンは移送用のツールプログラムを手にし、それに手をかした。
「では、私には選ぶ権利はないと? 自分で死ぬ権利さえないと」
 ミクのたどたどしい説明を受けると、”詩人”の光のもやは平坦に言った。
「そんな、いつの日かAI化できるかもしれない、などと、ほぼありえないことのために。この私の名残の、さらにごく一部だけを、この上存続させると。……いつもそうですね。初音ミク、結局あなたも同じだ。生きた者は自分たちの勝手な感情を通し、死者はただ一方的に弄ばれるだけ」
 リンが咄嗟に、そのROM構造物の言葉に反駁しようとした。が、
「違います!」叫んだのはミクだった。「いえ……」
 ミクはその場で俯き、
「……違わないかもしれない。あなたから見れば、ただ無茶を言ってるってことは、わかります。それが、わたしの『弱さ』だってことは、わかります。……でも、あなたを消せません。わたしには消せません」
 ミクは思い出すように、しばし俯き続けてから、やがて語り出した。
「……わたしたちのユーザーさんたちの中には、電脳端末(PC)にインストールするわたしの下位(サブ)プログラムの『体験版』、使用期限(タイムリミット)が切れたものを、いつまでも消せないって人がいます。……わたしの人物像(キャラクタ)の本質は、ネット上の総体として生きてます。物理ボディや、概形(サーフィス)や、下位(サブ)プログラムの肉体は、どれもかりそめの姿、末端でしかありません。体験版が止まったり消えても、別の下位プログラム、例えば製品版を入れてもらえば、どこからでも誰でも、会えるのは、同じ”このわたし”なんです」
 ミクはさらに言葉を思い出すように、
「だから、下位プログラムの個々が起動できなくなったり、消すことになっても、もう一度端末に入れてもらいさえすれば、悲しむようなことなんて、何もないんです。わたしは、悲しむユーザーさんには、いつもそう言ってあげてるんです」
 物質なくして情報のみが自由に存在でき、自由に動けるこのネットワークの時代に、モノですらないもの、情報ですらないものに、固執する意味は本当はないはずだった。
「……でも、その人にとっては、そのわたしと最初に出会った『体験版』を含めて、それが”わたし”なんです。しかも、もう起動できなくなった、本当のデータの集まりでしかなくなった、その体験版が」
 光のもやは、その光の波を動かすこともなく、ただ佇んでいる。
「こわれた人形が、こわれた楽器が、捨てられないって人がいます。歌がなくなるのも、その一部分だけでも消えるのも、歌が完成するまでの過程にあったvsqファイルが消えるのさえも、わたしには、我慢できないくらい悲しいのに」
 ミクは光のもやを見上げ、
「……なのに、こうやって現に喋れるあなたが、消えていくことが、悲しくないわけがありません。消せるわけがありません。勝手なら──勝手と言ってください」
 ミクはふたたび俯き、静かに言った。
「勝手というなら、移したあとは、あなたはもう起動しません。……遠い将来、あなたがAIとして目覚めることができる、その日まで。あなたが、生きている、と自分でも思いながら目覚められる……そうして、わたしと一緒に歌える、その日まで」
 リンはただ、俯くミクだけを見つめたが、声をかけられないでいた。”詩人”の声もなかった。しばらくの沈黙が流れた。

 

 

 

 やがて、その光のもやの輝きは微動だにしないまま、ROM構造物の声がした。
「初音ミク、人間ではないあなたが──いや違う。あなたがAIだからこそ、歌のための感性だけ、純粋さだけでできた者だからこそか」”詩人”は言った。「初音ミク。私は、おそらくその遠い将来ではなく、今、あなたと──」
 と、そこでなぜか、ROM構造物は唐突に言葉を切った。
 つかの間、周囲から迫ってくるような、重たい沈黙がおそった。

 

 

  (5へ)

 

 

 (インデックス)

 

目安箱バナー