僕は廃墟が好きでした。
ネットで流れてくる廃墟の写真を見ている内に好きになって、そのうち車で行ける距離の廃屋を探しては写真に撮るようになりました。
住んでいるのが片田舎なので、適当に車を走らせるだけでボロ小屋みたいなものをたくさん見かけるんです。
しばらくは道路からの撮影だけで満足していたんですが、いつか中に入ってみたいという思いが日に日に強くなっていました。
それでようやく決行を決意したのが、四年前の秋になります。
と言っても初回に訪れた廃屋は扉に鍵がかかっていたので、結局入ることができませんでした。
近くに人がいたり、明らかにまだ利用されているなあとわかったりして中止する事が続き、結局年内に念願を叶える事はありませんでした。
ようやく中にはいれたのは、次の年の春頃になります。
僕は隣の隣の市をドライブしている最中に、魅力的な廃屋を見つけました。
(僕はあてもなく車を走らせるのが趣味で、よく意味もなく山道をドライブしたりしていたのです)
そこは明らかに誰も手入れしていない畑の、おそらくは物置だったと思われるボロ小屋でした。
周囲を通る人は誰もいなくて、遠くの道路を走る車の音が時たま響く以外はとても静か。
時間は14:00頃、誰にも見られる心配が無いのを確認した後、その小屋に携帯のカメラを構えて近づきました。
木製の壁とトタンの屋根で造られた3m x 4mぐらいの広さの小屋で、強く体当りしたら崩れてしまいそうなほどに経年劣化していました。
入り口は2枚組の木製の引き戸になっていて、鍵は最初から存在していないようで、掴むと簡単に開いて中に入ることができました。
中は思った以上に乾燥しており、カビ臭さが不思議と全くしませんでした。
何一つ物は置いておらず、きっと今は何にも使われていないのでしょう。
木製の床板が敷かれており、一泊する程度なら快適に過ごせそうにすら見えました。
光源はありませんでしたが、劣化した壁の木材の隙間から光の筋が伸びています。
携帯のカメラだと暗くて撮影できませんでしたが、暗闇に光が伸びる様子はとても綺麗で、惚れ惚れさせられました。
僕は帰る前にしばらく眺めようと思い、床に寝そべってぼーっと天井を見つめました。
僕はあくびをしながら目を覚ましました。
どうやらいつの間にか眠ってしまっていたようです。
確かに床板はひんやりして気持ちよかったのですが、固くて快適ではなかったはずです。
そんなに疲れが溜まっていたかと疑問に思いながら、僕は携帯電話の時計を確認しようとしました。
……画面が点きません。
起動しようと暗い中で何度がいじっていましたが、どうやら電池が切れてしまったようでした。
壁を見渡すと、眠る前までは差し込んでいた陽の光が見えなくなっており、どうやら日没を既に迎えたらしいことだけがわかります。
明日は日曜日でしたが、だからと言ってここで一泊するつもりもないので、すぐに出ることにしました。
引き戸を開けようと掴みますが、どうやら何かに引っかかっているらしく中々開きません。
いくらガタガタしてもうまくいかず、どうしたものかと悩みました。
そこでふと、気づきました。
僕はそもそも、扉を閉じた覚えが無かったのです。
もしかしたら寝ぼけて閉めていたのかもしれませんが、それを全く思い出すことができません。
ここに来て急に恐怖感が湧き出し、僕は扉まで駆け出して再び開こうとしました。
すると今までと違い2cmほど扉が開きかけたのですが、突如逆方向への力がかかり、扉がまた音を立てて閉じてしまいました。
僕はてっきり扉が開かないのは何かに引っかかっているせいだと思っていたのですが、どうやら何者かが逆方向に力をかけているせいで開かなかったらしいのです。
僕は怖くなり、小屋の真ん中まで逃げ出しました。
一体誰がこんなことを。
この土地の持ち主がたまたま僕を見つけて、怒っているのだろうか。
いたずら好きなだれかがつけてきて、僕を怖がらせようとしているのだろうか。
あるいは幽霊のような何かが、閉じ込めようとしているのだろうか。
まともな答えは思いつきません。
もし土地の持ち主が怒っているのならば、僕に非があります。
「申し訳ございません、勝手に入ってしまいました!」
僕は謝罪の言葉を叫びました、恐怖で声は裏返っています。
声は帰ってきません。
ここに来たのは趣味の撮影のためであること、何かを盗むつもりはないこと、迷惑料を払うこと、色々と叫んだ覚えがあります。
それでも何も言葉は返ってきません。
僕の目の前で扉を閉ざしているそれは、何か正当な理由で僕を閉じ込めているのではないことがわかってきました。
五体満足で帰るためには、なんとしてでも抜け出す以外に方法はないと考え始めます。
さっきみたいに正面の扉を開こうにも、力は恐らく相手が上で、もしうまく扉を開けたところで走って逃げ切れるようには思えませんでした。
なので僕は、扉の反対側の壁を壊して逃げることに決めました。
隙間から日光がさすぐらいにはボロボロなので、力いっぱい体当りすれば壊せると思ったのです。
もし壊れなかったとしても、扉を押さえているだれかの注意を引ければ、脱出の隙はできるはず。
まだ夜は肌寒い季節なのもあり、幸いにも少し厚めの防寒着を羽織っています。
思いっきり壁に体当りしても、きっと大怪我はしないと見込んでいました。
意を決し、壁に向かって全力で走り、右肩からぶつかりました。
ボロボロの木の壁から、ミシッと音がしました。
しかし壁自体は微動だにしないのです。
石の壁にぶつかったように僕の体は跳ね返り、そのまま転んでしまいました。
僕は最初、何か不思議な力で弾き返されたのかと思いました。
でも、ぶつかった時の感覚をよくよく思い返してみると、もっと気味の悪い事態であることに気づきました。
確かにぶつかった直後は、木の壁に対する手応えがあったのです。
しかし一瞬の後に、同じ力で跳ね返されたように感じました。
僕の頭にイメージが浮かびます。
僕が壁に衝突するのに合わせて、何者かが同じ場所に体当りする姿が。
そうやって相殺されたせいで、壁はびくともしなかったのだと。
人間であれば、入り口の真裏の壁まで音も立てずに一瞬で行くのはどう考えても不可能です。
幽霊みたいな何かがいるのか、あるいは何人もの人間が結託して僕を閉じ込めているのでしょう。
どちらにせよ不気味で絶望的な状況です、もうどうしようもありません。
相わからず周囲は静かで、虫一匹の気配さえ感じませんが、何かに取り込まれているような妄想がどんどん強くなっていきます。
僕の頭は恐怖に満ち溢れ、ついにパニックになってしまいました。
ここから先の記憶は曖昧なのですが、僕は半狂乱で壁に体当たりを続けていました。
何分、何十分、何時間そうし続けていたかはわかりませんが、扉に体当りしたその時、バキッととても大きな音が響き、2枚の扉がドミノのようにバタンと倒れました。
僕は一目散に出口を駆け抜け、自分の車に乗り込み、すぐにエンジンを掛けて山を抜け出しました。
その際に何度か背後を振り返りましたが、扉が壊れた廃屋以外には人影や変なものを見ることはありませんでした。
結局家についた頃には、夜の1時頃になっていました。
携帯電話は本当に電池切れだったみたいで、それが偶然なのか何かの作用のせいなのかはわかりません。
何度も壁に体当たりしたせいで全身傷だらけでしたが、病院で縫うほどの怪我ではなかったし、何より当時はどこにもでかけたくない気分だったので、自然に治るまでほったらかしでした。
どう思い返してみても不可解な思い出で、実は自分が夢や幻覚を見ていただけなのではないかと思うこともあります。
ただこの日以来、深夜に一人でいる時に自室から出ようとドアノブを掴むと、たまに「開きにくくなる」ようになりました。
すっかり怖くなった僕は、ホームセンターに行き、携帯用トイレと蝶番を壊すための手斧を買いました。
それらは今でも部屋の棚に常備してあります。
(幸いどちらも一回も使っていません)
真冬でも自分の部屋の扉は閉めず、毛布にくるまって過ごしています。
廃墟探索はもう二度とやりません。
最終更新:2020年12月11日 12:16