カウントダウン

遠方の大学に通うため、3階建てのアパートの部屋を借りて暮らしていた頃。

学校帰りに郵便受けを見ると、おかしな手紙が入っていた。
いや、よく考えたら手紙じゃないのかも知れないが、とにかく郵便受けに紙が入っていた。
小中学校のプリントで使われるような、A4ぐらいのサイズの藁半紙。
そこに筆と墨で書いた字で、「あと三日」と達筆に書かれていた。

住所も書かれてなければ切手も当然ないので、おそらく誰かが通学中に入れたのだろう。
私の家を知っている大学の知り合いは何人かいるので、その中の誰かがいたずらでやったのだろうか。
次の日に食堂で出会った顔見知りに聞いた限りでは、犯人を見つける事が出来なかった。
「三日後」と言う日付についても、顔見知りに聞いても自分で調べても、特に心当たりが見つからない。
祝日でも土日でもない、ただの平日の木曜日。
結局対策らしい対策を考えずに、まあ期日までにどうにかすれば大丈夫だろうぐらいの気持ちで家に帰った。
案の定郵便受けには「あと二日」と書かれた紙が入っていた。

次の日、「あと三日」と「あと二日」の2枚の紙を持って登校し、今回も昼食の時間、食堂にいた友人たちに見せた。
一回限りのいたずらではなく、しかも目の前に証拠を出された事もあって、友人たちは本気で心配してくれた。
そんな中、一年上で既に単位を取り終えた先輩が「俺が犯人の写真を撮ってやる」と言い出した。
もう授業を受けなくても卒業できる彼はほとんど遊ぶために学校に来ており、今から私の家に行って見張るぐらい問題なかったのだ。
私はお礼として次の飲み会で奢る事を約束し、家の住所を書いたメモと家の鍵を渡した。
「警察からお礼状貰ってくるよ」なんて言いながら、先輩は大学をあとにした。

その六時間後、家についた私は、玄関に背を預けて寝ている先輩を目にした。
揺すり起こして聞いてみると、実は昨日遅くまで飲み会に参加していて、その疲れが出てしまったのだという。
寝ぼけた頭で後輩との約束を守ろうと考え、とりあえず玄関前に陣取り、そのまま寝てしまったらしい。
郵便受けは先輩の背中でまるまる隠れていて、手紙が入れられないようになっていた。
このまま家に返して事故られても怖いので、お礼も兼ねて先輩に家のベッドを貸す事にしよう。
まだ目がぱっちりしない先輩から鍵を返してもらい、家の扉を開き、いつもの癖で郵便受けを開いた。
手紙は入っていた。
「あと一日」

ようやく目が覚めた先輩は、確かに昼の十二時からずっと扉の前で寝っぱなしで、一度も移動しなかったと言う。
と言う事は、犯人は家を出た八時から十二時までの間に手紙を入れたらしい。
「いや、それがだけど」
先輩は妙な表情を浮かべながら反論する。
「俺がここについた時、もう手紙が入ってないか郵便受けを開いて見たんだよ。
 でも、その時は何も入ってなかった」
そんなわけがない。
私が家についた時、先輩の背中は完全に郵便受けを塞いでいて、先輩を起こさず紙を入れるなんて事は不可能だったはずだ。
何か得体のしれないものの存在を二人で想像してしまう。
結局、先輩が寝ぼけて見間違えたり、あるいは夢の中で郵便受けを開いたのを現実と勘違いしてしまったか、それか寝相で郵便受けからどいたタイミングで紙が入れられたのではないかと結論づけるしかなかった。

このまま私の家に留まるのも怖かったので、そのまま先輩の家に一緒に行って泊まる事になった。
二人だけなのも心配なので、他に知り合いを三人呼んで、家で飲みながら過ごした。
疲れた先輩は先に寝てしまい、私も呼んできた三人より先に眠ってしまう。
朝の五時頃になって、三人のうち二人が徹夜でやっていた対戦ゲームの音で目を覚ました。
大学に行くべきか迷ったが、荷物を全部自宅に置いてきてしまったので、後から起きた先輩と共に先輩宅に留まる事にした。
他の三人も徹夜で遊んだせいで眠いらしく、大学に行かずに昼過ぎまで寝ていて、そのまま五人でサボってまた明日まで遊び通した。

件のタイミリミットを過ぎた金曜日の朝、五人で私の家に行ってみる事にした。
すると、私が住んでるアパートの向かい、5階建てのマンションの入口にビニールシートが広げてある。
「なんだこれ?」
「花見?」
少し離れた所から見ていた私は、突如ある可能性を思いつき……上を見た。
屋上の手すりが、少し歪んでいた。

後から聞いたところによると、飛び降り自殺があったと言う。
もちろん起きたのは、カウントダウンが示していた木曜日、その夕方。
飛び降りたのは高校生の男性。
どうやら彼が付近のマンションやアパートの郵便受けに手紙を入れて回っていたらしく、私以外にも例のカウントダウンに怯えていた人が何人もいたようだった。
何故そんないたずらをしたのか、何故飛び降りたのかは誰からも伝わってこなかった。
もしかしたら、誰かに自殺を止めてもらいたくて決行日を伝えて回っていたのかも知れない。
あるいは人生最後の舞台に、観客が欲しかったのかも知れない。

カウントダウンの紙は今でもまだ持っている。
今後警察に渡す必要があるかと思って保管していたが、特にそう言う事もなく、そのままになっている。
初任給で買ってきた小さな仏壇の中に入れ、素人なりに命日には黙祷を捧げている。
それが供養になるのかはわからないが、今の所祟られたりした事は無い。

たまにその紙を見たいと言い出す人がいるので、今までに3回、家に来た友人に見せた事がある。
そのうちの3人目、一昨日来た友人が妙な事を言ったのがきっかけで、この話をここに書いている。

「へえ、これが例のカウントダウンかぁ。才能もあるのに勿体ないなぁ」
「才能?」
「だってこの字、絶対書道のプロかセミプロの字だよ。『日』の字もひらがなも完璧な書き方だし、紙質が悪いのに今でもキレイだし。墨汁もちゃんとしたやつ使ってるし、部か習い事でガチでやってた子だよ」

きっと、本当に彼の言う通りに書道を勉強していた人だったんだろうと思う。
珍しいとは思うけど、そう言う人だって探せば何人もいるはずだ。
直前まで学校にちゃんと通っていたらしい彼が、何故いくつもの郵便受けに大量の、それもプロレベルの出来で丁寧に書いた字の紙を入れられたのか私には想像できないが、警察が自殺と判断して撤収したからには、そうであったに違いない。
だけど私は、他の可能性がちらりと頭に浮かんでしまい、それがずっと離れずにいる。

あのカウントダウンは、私と飛び降りた彼が住んでいたあたりの全ての郵便受けに入れられていた。
もしかしたら、彼の郵便受けにもカウントダウンが届いていたのではないだろうか。
あの異様に達筆な、死へのカウントダウンが。
最終更新:2021年08月14日 18:43