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小倉恒 - (2010/06/21 (月) 00:42:04) の1つ前との変更点
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*小倉恒
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1970年8月10日生まれ 栃木県鹿沼市出身 右投右打
楽天在籍時の背番号は「27」(05)、「13」(06~08)
04年の選手分配ドラフトでオリックスから入団した創設メンバーの一人。
オリックス時代は中継ぎ、先発とフル回転していたが、オリックス末期の何年間かは精彩を欠く投球が続いていた。
ぱっと思いつく変化球は一通り投げれるといわれ、ナックルも投げられるとか。
制球力も高く、09年は62イニングの投球で四球はわずか13個、うち10個が故意四球だというから驚きだ。
かといって速球に力がないわけではなく、常時140km近い球速を出し、最速は150km弱である。
05年は前年からの不振を引き継ぎ、ぱっとしない投球内容で、戦力外通告を言い渡される。
しかし新任監督であった[[ノムさん>野村克也]]の目に留まり、[[カツノリ>野村克則]]の進言もあってノムさんが再生を決意。
ノムさんが球団側を粘り強く説得し、晴れて再契約となった。
出直しとなった06年は[[半袖>小山伸一郎]]の不振に伴いストッパーを務めるが、結果は芳しくなく、[[もるさん>福盛和男]]にその座を譲り、中継ぎへと回る。
しかし夏になりもるさんが不調に陥ると再び抑えに回った。
06年は中継ぎ陣の中でも大車輪の活躍をし、58試合登板6勝7敗4S防御率2.18という成績を残した。
6月30にちにはワンポイントリリーフの関係で一塁守備にも就いた。
07年は前半戦はよかったが後半に息切れ。
08年は調子があがらず、二軍暮らしがほとんどでこの年引退。
チーム最終戦で引退登板をする予定であったが、その最終戦がソフトバンクとの壮絶な5位争いが決する試合であり、その試合が延長にまでもつれ込む接戦であったため、引退登板はできずじまいであった、カワイソス。
現在は古巣オリックスに戻り打撃投手をしているので、檻戦を観戦に行けば打撃練習で投げる彼の姿をみることができる。
*小倉恒
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1970年8月10日生まれ 栃木県鹿沼市出身 右投右打
楽天在籍時の背番号は「27」(05')、「13」(06'~08')
2004年の選手分配ドラフトでオリックスから入団した創設メンバーの一人。
ぱっと思いつく変化球は一通り投げられるといわれ、ナックルさえも投げられるとか。
コントロールもずば抜けている。例えば2006年は62イニングス中四球はわずか13、しかも内10個は故意
四球というから驚きだ。
かといって直球に力がないわけではなく、常時140km/h近い球速を出し、最速は150km/h弱である。
いかにもコントロールが生命線のピッチャーらしく、弱点は一発病。
オリックス時代は中継ぎに先発にとフル回転していたが、最後の何年間かは精彩を欠く投球が続いていた。
2005年も不振を引きずり、戦力外通告を言い渡される。
しかしトライアウトで新任監督の[[ノムさん>野村克也]]の目に留まり、[[カツノリ>野村克則]]の進言もあって再生工場への再出荷を決意
させる。
ノムさんが球団側を粘り強く説得し、晴れて再契約となった。
出直しとなった2006年は[[半袖>小山伸一郎]]の不振に伴いストッパーを務めるが、結果は芳しくなく、[[もるさん>福盛和男]]にその座を譲
り、中継ぎへと回る。
しかし夏になりもるさんが不調に陥ると再び抑えに回った。
このシーズンは中継ぎ陣の中でも大車輪の働きで、58試合登板6勝7敗4S防御率2.18という成績を残した。
6月30日にはワンポイントリリーフの関係で一塁守備にも就いている。
ノムさんそういうの好きだよね。
2007年は前半戦はよかったが後半に息切れ、2008年は二軍暮らしがほとんどで、10月に引退を発表。
シーズン最終戦で引退登板する予定だったが、なんとその試合がソフトバンクとの壮絶な5位争い。
しかも延長にまでもつれこむ大接戦であったため、引退登板はできずじまいだった。カワイソス
現在は古巣オリックスに戻り打撃投手をしているので、檻戦を観戦に行けば打撃練習で投げる彼の姿を見る
ことができる。