小倉恒
- 1970年8月10日生まれ 栃木県鹿沼市出身 右投右打
- 楽天在籍時の背番号は「27(05')」および「13(06'~08')」。
- 2004年の選手分配ドラフトでオリックスから入団した創設メンバーの一人。
- ぱっと思いつく変化球は一通り投げられるといわれ、ナックルさえも投げられるとか。
- コントロールもずば抜けている。
例えば2006年は62イニングス中四球はわずか13、しかも内10個は故意四球というから驚きだ。
- かといって直球に力がないわけではなく、常時140km/h近い球速を出し、最速は150km/h弱である。
- いかにもコントロールが生命線のピッチャーらしく、弱点は一発病。
- 高校卒業後、市役所で働きながら地元のクラブチームでプレー。
1992年にドラフト7位指名でヤクルトに入団するが、クラブチームからのプロ入りはドラフト制度後史上初だった。
- オリックスへトレードされてからは、中継ぎに先発にと大活躍。
とはいえ、最後の何年間は精彩を欠く投球が続いており、楽天入団後も不振を引きずって一年で戦力外に。
- しかしトライアウトにて新任監督のノムさんの目に留まり、カツノリの進言もあって再生工場へ出荷されることに。
ノムさんが球団側を粘り強く説得し、晴れて再契約となった。
- 出直しとなった2006年は半袖の不振に伴いストッパーを務めるが、結果は芳しくないもの。
もるさんにその座を譲って中継ぎに回るが、夏にもるさんが不調に陥ると再び抑えに回った。
- このシーズンは中継ぎ陣の中でも大車輪の働きで、58試合登板して、6勝7敗4S、防御率2.18。
- 6月30日にはワンポイントリリーフの関係で一塁守備にも就いている。
ノムさんそういうの好きだよね。
- 2007年は前半戦はよかったが後半に息切れ、2008年は二軍暮らしがほとんどで、10月に引退を発表。
- シーズン最終戦で引退登板する予定だったが、なんとその試合がソフトバンクとの壮絶な5位争い。
しかも延長にまでもつれこむ大接戦であったため、引退登板はできずじまいだった。カワイソス
- 現在は古巣オリックスに戻り打撃投手をしているので、檻戦を観戦に行けば打撃練習で投げる彼の姿を見ることができる。
最終更新:2011年09月22日 10:58