「川岸強」の編集履歴(バックアップ)一覧はこちら

川岸強 - (2012/10/18 (木) 09:51:47) の1つ前との変更点

追加された行は緑色になります。

削除された行は赤色になります。

*#51 川岸強 ---- -1979年9月12日生 神奈川県相模原出身 右投右打 -主に中継ぎ・抑えとして登板する右サイドスロー。ピンチにも動じない強気の投球を持ち味にしている。&br()そして、逆球王子。 -抑えると小さくガッツポーズしながらマウンドでぴょんと跳ねる。 -たまに投球モーション中にこける。 -小・中とエースを張っていたが、高校では外野手にコンバートされてしまう。&br()しかしサイドスローに転向したことで二番手投手の座を得、甲子園にも出場した。 -2003年ドラフトで中日に7巡目指名されるも、スペ体質がたたりわずか3年で戦力外に。&br()そして秋季キャンプ中に行われたテストに合格し、イーグルスへ入団した。 -チームも変わり、心機一転の一年目は故障もあって一軍・二軍共にほとんど登板なし。 -2008年は開幕一軍を逃したものの4月に昇格し、右のセットアッパーとして活躍。&br()54試合に登板して防御率1.94と、素晴らしい成績を残した。 -またこのころ、降板時に[[紀藤真琴]]コーチ(当時)にケツを蹴られる。&br()これが覚醒のきっかけという説もあり、不調時には「蹴ってもらえ」とレスがつくことも。 -強心臓を評価され、2009年は[[野村監督>野村克也]]から直々に抑えを任されたが、開幕直後に肘を痛めて離脱。&br()更に、肘が治りかけたころ今度は左足内転筋を痛め、復帰が予定より大幅に遅れてしまう。 -しかし7月にようやく復帰すると、右のセットアッパーとして8月まで防御率0点代の大活躍。&br()川岸最高や![[袖達]]なんていらんかっt(ry&br()――と思われたが、シーズン終盤に入ると調子を崩し、袖達に熱烈歓迎されてしまった。 -2010年は開幕から[[福盛>福盛和男]]大爆発、新外国人[[モリーヨ>J.モリーヨ]]も不安定という状況から再び抑えに転向。&br()やっぱり川岸最高や! -向こう気の強さが売りとあってか、どうやらピンチにならないとやる気が出ないらしい。&br()1点差でも4凡5凡、今日もわしせん民のハートをもてあそぶ。 -[[辛島>辛島航]]の度胸の良さにはジェラシーを感じているそうだ。 -こうして一時は防御率0のクローザーとして君臨していたが、6月終わりごろから目に見えて磨耗。&br()少し復調→厳しい場面での起用→失点というループを繰り返してしまうようになった…。 -サイドスローということもあり、左打者にはてきめんに弱い。 -元コーチの杉山さんには「緩急を覚えろ」と言われている。 -中日をクビになってすぐプロポーズしたという男気の持ち主。&br()嫁は元名古屋テレビのアナウンサーで、えらい美人。&br()嫁のほうが一般人の知名度が高く、いわゆる嫁の旦那でもある。 -登場曲はサザンオールスターズのHOTEL PACIFIC。サザンの大ファンでファンクラブにも入っている。 -ただ2011からは「希望の轍」に変更している。 -あまり使われないが「ともる」という愛称がある。&br()由来は「川岸と&bold(){もる}(福盛)が~」というレスを見た人が名前を「川岸ともる」だと誤解したことから。 -2011年2月4日に第2子が誕生したことをblogで報告した。&br()がんばれパパ岸! **炎のストッパー川岸 -2010年6月1日(対虎)、2-2同点の9回表二死二・三塁で代打桧山を迎える。 -[[ブラウン監督>M.ブラウン]]がマウンドに向かい敬遠を指示するも、川岸は勝負を志願。&br()そして見事空振り三振にしとめてガッツポーズ。 -ヒロインでは「いつもの1.5倍の気合いで投げました」…カップラーメンか!
*川岸強 ---- -1979年9月12日生 神奈川県相模原出身 右投右打 -現役時代の背番号は「51」 -ピンチにも動じない、強気の投球を持ち味にするサイドスロー右腕。&br()そして逆球王子。 -抑えると小さくガッツポーズしながらマウンドでぴょんと跳ねる。 -たまに投球モーション中にこける。 -サイドスローということもあり、左打者にはてきめんに弱い。 -元コーチの杉山さんには「緩急を覚えろ」と言われている。 -小・中とエースを張っていたが、高校では外野手にコンバートされてしまう。&br()しかしサイドスローに転向したことで二番手投手の座を得、甲子園にも出場した。 -2003年ドラフトで中日に7巡目指名されるも、スペ体質がたたりわずか3年で戦力外に。&br()そして秋季キャンプ中に行われたテストに合格し、イーグルスへ入団した。 -チームも変わり、心機一転の一年目は故障もあって一軍・二軍共にほとんど登板なし。 -2008年は開幕一軍を逃したものの4月に昇格し、右のセットアッパーとして活躍。&br()54試合に登板して防御率1.94と、素晴らしい成績を残した。 -またこのころ、降板時に[[紀藤真琴]]コーチ(当時)にケツを蹴られる。&br()これが覚醒のきっかけという説もあり、不調時には「蹴ってもらえ」とレスがつくことも。 -強心臓を評価され、2009年は[[野村監督>野村克也]]から直々に抑えを任されたが、開幕直後に肘を痛めて離脱。&br()更に、肘が治りかけたころ今度は左足内転筋を痛め、復帰が予定より大幅に遅れてしまう。 -しかし7月にようやく復帰すると、右のセットアッパーとして8月まで防御率0点代の大活躍。&br()川岸最高や![[袖達]]なんていらんかっt(ry&br()――と思われたが、シーズン終盤に入ると調子を崩し、袖達に熱烈歓迎されてしまった。 -2010年は開幕から[[福盛>福盛和男]]大爆発、新外国人[[モリーヨ>J.モリーヨ]]も不安定という状況から再び抑えに転向。&br()やっぱり川岸最高や! -向こう気の強さが売りとあってか、どうやらピンチにならないとやる気が出ないらしい。&br()1点差でも4凡5凡、今日もわしせん民のハートをもてあそぶ。 -一方で、[[辛島>辛島航]]の度胸の良さにはジェラシーを感じているそうだ。 -こうして春こそ防御率0のクローザーとして君臨していたが、6月終わりごろから目に見えて磨耗。&br()少し復調→厳しい場面での起用→失点というループを繰り返してしまうようになった…。 -前半戦のみとはいえ素晴らしい活躍をし、[[オールスター]]にも出場したとはいえ、翌年以降も不調から脱することはできず。&br()2012年シーズン終了後に戦力外通告を受け、引退を表明した。おつかれさまでした。 -中日をクビになってすぐプロポーズしたという男気の持ち主。&br()嫁は元名古屋テレビのアナウンサーで、えらい美人。&br()嫁のほうが一般人の知名度が高く、いわゆる嫁の旦那でもある。 -登場曲はサザンオールスターズの「HOTEL PACIFIC」。サザンの大ファンでファンクラブにも入っている。 -ただ2011からは「希望の轍」に変更している。 -ほとんど使われないが「ともる」という愛称がある。&br()由来は「川岸と&bold(){もる}(福盛)が~」というレスを見た人が名前を「川岸ともる」だと誤解したことから。 **炎のストッパー川岸 -2010年6月1日(対虎)、2-2同点の9回表二死二・三塁で代打桧山を迎える。 -[[ブラウン監督>M.ブラウン]]がマウンドに向かい敬遠を指示するも、川岸は勝負を志願。&br()そして見事空振り三振にしとめてガッツポーズ。 -ヒロインでは「いつもの1.5倍の気合いで投げました」…カップラーメンか!

表示オプション

横に並べて表示:
変化行の前後のみ表示: