川岸強


  • 1979年9月12日生 神奈川県相模原出身 右投右打
  • 現役時代の背番号は「51」

  • ピンチにも動じない、強気の投球を持ち味にするサイドスロー右腕。
    そして逆球王子。
  • 抑えると小さくガッツポーズしながらマウンドでぴょんと跳ねる。
  • たまに投球モーション中にこける。
  • サイドスローということもあり、左打者にはてきめんに弱い。
  • 元コーチの杉山さんには「緩急を覚えろ」と言われている。

  • 小・中とエースを張っていたが、高校では外野手にコンバートされてしまう。
    しかしサイドスローに転向したことで二番手投手の座を得、甲子園にも出場した。
  • 2003年ドラフトで中日に7巡目指名されるも、スペ体質がたたりわずか3年で戦力外に。
    そして秋季キャンプ中に行われたテストに合格し、イーグルスへ入団した。

  • チームも変わり、心機一転の一年目は故障もあって一軍・二軍共にほとんど登板なし。
  • 2008年は開幕一軍を逃したものの4月に昇格し、右のセットアッパーとして活躍。
    54試合に登板して防御率1.94と、素晴らしい成績を残した。
  • またこのころ、降板時に紀藤真琴コーチ(当時)にケツを蹴られる。
    これが覚醒のきっかけという説もあり、不調時には「蹴ってもらえ」とレスがつくことも。
  • 強心臓を評価され、2009年は野村監督から直々に抑えを任されたが、開幕直後に肘を痛めて離脱。
    更に、肘が治りかけたころ今度は左足内転筋を痛め、復帰が予定より大幅に遅れてしまう。
  • しかし7月にようやく復帰すると、右のセットアッパーとして8月まで防御率0点代の大活躍。
    川岸最高や!袖達なんていらんかっt(ry
    ――と思われたが、シーズン終盤に入ると調子を崩し、袖達に熱烈歓迎されてしまった。
  • 2010年は開幕から福盛大爆発、新外国人モリーヨも不安定という状況から再び抑えに転向。
    やっぱり川岸最高や!
  • 向こう気の強さが売りとあってか、どうやらピンチにならないとやる気が出ないらしい。
    1点差でも4凡5凡、今日もわしせん民のハートをもてあそぶ。
  • 一方で、辛島の度胸の良さにはジェラシーを感じているそうだ。
  • こうして春こそ防御率0のクローザーとして君臨していたが、6月終わりごろから目に見えて磨耗。
    少し復調→厳しい場面での起用→失点というループを繰り返してしまうようになった…。
  • 前半戦のみとはいえ素晴らしい活躍をし、オールスターにも出場したとはいえ、翌年以降も不調から脱することはできず。
    2012年シーズン終了後に戦力外通告を受け、引退を表明した。おつかれさまでした。
  • 現在は楽天のジュニアコーチを務める。

  • 中日をクビになってすぐプロポーズしたという男気の持ち主。
    嫁は元名古屋テレビのアナウンサーで、えらい美人。
    嫁のほうが一般人の知名度が高く、いわゆる嫁の旦那でもある。
  • 登場曲はサザンオールスターズの「HOTEL PACIFIC」。サザンの大ファンでファンクラブにも入っている。
  • ただ2011からは「希望の轍」に変更している。

  • ほとんど使われないが「ともる」という愛称がある。
    由来は「川岸ともる(福盛)が~」というレスを見た人が名前を「川岸ともる」だと誤解したことから。

炎のストッパー川岸

  • 2010年6月1日(対虎)、2-2同点の9回表二死二・三塁で代打桧山を迎える。
  • ブラウン監督がマウンドに向かい敬遠を指示するも、川岸は勝負を志願。
    そして見事空振り三振にしとめてガッツポーズ。
  • ヒロインでは「いつもの1.5倍の気合いで投げました」…カップラーメンか!

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最終更新:2013年03月03日 11:16