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*#91 下柳剛 ---- -1968年5月16日生まれ 長崎県出身 左投左打 **ダイエー・日ハム時代 -1990年、ドラフト4位で福岡ダイエーホークスに球団。 -プロ入り前からタフなことで知られ、93年には50試合、翌94年はリーグ最多の62登板を果たす。 -若い頃は現在とは異なるノーコン速球派左腕で、制球力改善のためにひたすら投げさせられていたらしい。&br()「毎日投げ込み、毎日打撃投手、毎日中継ぎ」の果てにコントロールを身につける。 -「投手の肩は消耗品」が持論の権藤博コーチにも、「あいつはいくら放っても壊れない」と例外扱いされていた。 -1995年、自損事故の負傷でシーズンを棒に振った影響か、翌年日ハムへトレードされる。 -ここでもタフな中継ぎとして活躍。97年には先発機会は1回のみなのに&bold(){規定投球回に到達}している。&br()この年216打席無三振中だったイチローから三振を奪い、「イチローキラー」ともてはやされた。 -中継ぎで登板している最中、「明日の先発ピッチャーは下柳」とアナウンスされたことがある。 -だが勤続疲労の影響か故障がちとなり、打たせて取る「のらりくらり」の技巧派先発へモデルチェンジした。 **阪神時代 -2003年、[[山田勝彦]]らとのトレードで[[星野仙一]]率いる阪神タイガースへ移籍する。&br()当時すでに35歳で、日ハム時代終わりには故障がちだったため、首をかしげたファンも少なくなかったらしい。 -しかし移籍一年目から10勝を上げ、18年ぶりの優勝に貢献。&br()毎年のように2桁前後の勝ち星をあげるベテラン左腕として顔になる。 -以前とは逆に、2005年には&bold(){規定未到達で最多勝(15勝)}という記録を達成した。 -2009年には矢野輝弘とNPB初の40代バッテリーを組み話題となるが、ついに2011年未勝利に終わり戦力外に。 -その他阪神時代のエピソードについては、[[とらせん@wiki>>http://www31.atwiki.jp/tigers_torasen/pages/35.html]]を参照されたし。 **楽天時代 -春季キャンプ中にテストを受けて入団。言うまでもなくチーム最年長である。&br()「生きた教材」として、伸び悩む若手投手達にその豊富な経験と投球術を伝授してもらいたい。 -お子さんにウイニングボールを贈りたいと語る。 -背番号はオイチョカブの一番強い目である「クッピン」にひっかけた「91」。 -OP戦などではランナーを出しつつあっさりピンチを切り抜けるさすがの投球で、住民もイケるやん!の声が上がる。 -開幕後もしばらくローテ入りし、5、6回を2~3失点のベテランらしい試合運び。&br()しかし[[ムエンゴ]]で勝ち星を得られず、やがて二軍落ちしてしまった。 -もじゃもじゃのヒゲ面がトレードマーク。カミソリ負けするので剃らないらしい。&br()もっとも、楽天はヒゲNGのため現在は剃っている。 -若い頃、大学を中退してバイクを乗り回していたという逸話や風呂嫌いなのと合わせ、ネットでは「浮浪者」と&br()不名誉なあだ名をつけられた。 -シャイで淡白な性格。お立ち台には滅多に上がらない。
*下柳剛 ---- -1968年5月16日生まれ 長崎県出身 左投左打 -在籍時の背番号は「91」 -もじゃもじゃのヒゲ面がトレードマーク。カミソリ負けするので剃らないらしい。&br()もっとも、楽天はヒゲNGのため入団後は剃っている。 -若い頃、大学を中退してバイクを乗り回していたという逸話や風呂嫌いなのと合わせ、ネットでは「浮浪者」と&br()不名誉なあだ名をつけられた。 -シャイで淡白な性格。お立ち台には滅多に上がらない。 **ダイエー・日ハム時代 -1990年、ドラフト4位で福岡ダイエーホークスに球団。 -プロ入り前からタフなことで知られ、93年には50試合、翌94年はリーグ最多の62登板を果たす。 -若い頃は現在とは異なるノーコン速球派左腕で、制球力改善のためにひたすら投げさせられていたらしい。&br()「毎日投げ込み、毎日打撃投手、毎日中継ぎ」の果てにコントロールを身につける。 -「投手の肩は消耗品」が持論の権藤博コーチにも、「あいつはいくら放っても壊れない」と例外扱いされていた。 -1995年、自損事故の負傷でシーズンを棒に振った影響か、翌年日ハムへトレードされる。 -ここでもタフな中継ぎとして活躍。97年には先発機会は1回のみなのに&bold(){規定投球回に到達}している。&br()この年216打席無三振中だったイチローから三振を奪い、「イチローキラー」ともてはやされた。 -中継ぎで登板している最中、「明日の先発ピッチャーは下柳」とアナウンスされたことがある。 -だが勤続疲労の影響か故障がちとなり、打たせて取る「のらりくらり」の技巧派先発へモデルチェンジした。 **阪神時代 -2003年、[[山田勝彦]]らとのトレードで[[星野仙一]]率いる阪神タイガースへ移籍する。&br()当時すでに35歳で、日ハム時代終わりには故障がちだったため、首をかしげたファンも少なくなかったらしい。 -しかし移籍一年目から10勝を上げ、18年ぶりの優勝に貢献。&br()毎年のように2桁前後の勝ち星をあげるベテラン左腕として顔になる。 -以前とは逆に、2005年には&bold(){規定未到達で最多勝(15勝)}という記録を達成した。 -2009年には矢野輝弘とNPB初の40代バッテリーを組み話題となるが、ついに2011年未勝利に終わり戦力外に。 -その他阪神時代のエピソードについては、[[とらせん@wiki>>http://www31.atwiki.jp/tigers_torasen/pages/35.html]]を参照されたし。 **楽天時代 -春季キャンプ中にテストを受けて入団。言うまでもなくチーム最年長である。&br()「生きた教材」として、伸び悩む若手投手達にその豊富な経験と投球術を伝授してもらいたい。 -お子さんにウイニングボールを贈りたいと語る。 -背番号はオイチョカブの一番強い目である「クッピン」にひっかけた「91」。 -OP戦などではランナーを出しつつあっさりピンチを切り抜けるさすがの投球で、住民もイケるやん!の声が上がる。 -開幕後もしばらくローテ入りし、5、6回を2~3失点のベテランらしい試合運び。&br()しかし[[ムエンゴ]]で勝ち星を得られず、やがて二軍落ち。 -年齢が年齢ということもあってか、一年限りで戦力外となってしまった。

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