加藤大輔
- 2011年オフ、オリックスを戦力外になり、その後トライアウト経由で獲得。榎本葵やこの年ドラフトで入団した三好匠は後輩になる。
- いわゆる「松坂世代」の一員である。2002年に自由枠でブルーウェーブに入団(シャーパーは同期)。
複数の球団から声がかかったが、不調のときも見てくれたからとBWに。
- ルーキーイヤーから中継ぎとして活躍。
2008年には劇場型守護神としてオリックスの2位進出に貢献し、33Sをあげてセーブ王のタイトルも獲得した。
- だが翌2009年は大不振に陥り、やむなくエースのちーちゃんが抑えに転向する事態になった
(おかげでイーグルスはちーちゃんとの対決が減ったわけだが……)。
- 2010年からは日高らと共に、どんでんに干されて、自ら自由契約になることを志願した。(そして上記に至る。)
- 4年連続60試合登板を果たすなど、非常にタフなピッチャー。近年の不振は勤続疲労が原因か。
- 最速156km/hの速球と決め球のナックルカーブを中心にした、奪三振率の高いピッチングが持ち味。
- 持ち球は他にスライダーやパーム、フォーク、チェンジアップ。
- ただし野茂からフォークを教わって以来不振に陥ったという噂がある。
- 頑丈、特有の落ちるボールが決め球、マリンが苦手の劇場型クローザー。
はて、どこかで聞いたことがあるような?
- OP戦で先発4イニングを投げて無失点に抑えるなどのアピールで開幕1軍入り。
- 2012年5月2日、先発乾いた菓子のリリーフで登板し一死二三塁のピンチを最少失点で切り抜け2年ぶりの勝利投手に。
ヒロインでの「やっとイーグルスの一員になれたと思う」の言葉にわしせん民が感激。
- 試合前インタビューで今年最多登板だと言われ、「そんなに投げてますか?、今は一軍で投げる喜びを感じている」とコメント。
- ビハインド時のロングリリーフが多く、悪くても失点は2点程度と試合を壊さないことに定評がある。なお後続は(ry
- 登板した負け試合後で試合のいい所を探すと、大体の住民からは加藤の名前が挙がる。
- しかし、点を取られたくない時に限って失点することも少なくない。
- 最終的に、2012年は35試合登板、1勝2H、防御率3.35の成績を残す。
成績自体は平凡だが、前年まで小山の担っていた役割(の一つ)である「先発が崩れたときのロングリリーフ」を引き継いだため
「小山の負担を軽減した」という意味では貢献度は決して低くない。- 「2011年の最大の当たり補強は?」という問いに対し、加藤の名を挙げるわしせん民も。
- 13年も開幕1軍。しかし、星野智樹の俺達っぷりに洗脳されたか、安定感のない投球が相次ぎ2軍落ち。9月に復帰したが思うような投球ができず、11月4日に戦力外通告を受ける。
- 自身2度目のトライアウトを受けるも獲得球団はなく現役を引退。現在はスポーツ用品店に勤務している。
最終更新:2014年01月25日 22:48