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これを音楽の話に変換できる 変換テーブルを考えてみよう。 「ソフトウェア」→「音楽」とか。 http://hotwired.goo.ne.jp/matrix/9709/1_2.html >フリー・ソフトウェア・ファウンデーションとは?公開、共有、そして自発的貢献と協力。共産主義的ハッカー精神の再生をめざす力。リチャード・ストールマンとFSFが電脳資本主義を食い破る!?&br()Text= 山形浩生  言うまでもなく、世の中の資源は限られている。この限られた資源をどう配分するか——それが経済活動の基本的な課題だ。有限の資源を効率よく、無駄なく、しかもフェアな形で配分するにはどうすればいいか。みんなそれを一生懸命考えてきた。金持ちが強いという既成事実を認めよう、というのが資本主義。それに対し、それは不公平だからみんなが協力し、資源を共有しよう、というのが共産主義の考え方だ。  ソ連邦崩壊とともに、共産主義は一応敗退した。が、ソフトウェアの分野で今なお共産主義を保存/提唱し、それをまがりなりにも成立させている集団がいる。リチャード・ストールマン率いる FSF (Free Software Foundation) である。 マルクス主義が夢見た無限の資源。 それがソフトウェアだ  マルクス的共産主義は、大量生産に期待をかけた。車がいくらでも作れるなら、だれも車を持つ必然性がない。そこらにあるのを拝借しあえばいい。むろん実際には何をつくるのにも手間やコストがかかるので、事態はマルクスの主張通りには進まず、共産主義はまたもや敗退した。しかし今ここに、まさにそのマルクス主義の夢見た、無限の資源が登場したのである。それが情報であり、ソフトウェアだ。デジタル技術の進歩により、情報やソフトの量産には何の追加コストもかからない。  今の通常のソフト産業は、そうした無制限の複製を禁止することで商売をしている。しかしながら、本質的に複製できちゃう以上、それを人工的に止めようとしてもつらいだけではないか。知的資産への貢献という観点からも、ソフトの基本的な考え方を伝えるソースコードが公開されないのは大きな損失だ。ソフトにおいては、人々が協力して開発を進められるのに、そういう機会が失われるのも悔しい。  こうした考えに基づき、リチャード・ストールマンとFree Software Foundation(FSF)は公開、共有、自発的貢献と協力という共産主義的ハッカー精神の再生をめざす。かつてのソフトはコピーや改変しほうだいで、書いたソフトも公開が当然。この文化を復活させるための環境を自ら生み出そうとかれらが取り組んでいるのが、GNU(グヌー)プロジェクトである。  これは、UNIX互換のシステムを、まったくのフリーソフトで構築しようというものだ。これに課されたライセンス条件はGPLと呼ばれ、配布(コピー)に制限をつけてはならず、ソースコードも一緒に配布しなくてはならないという、通常のビジネス感覚からは正気の沙汰とは思えない代物。だがFSFは商業ソフトなんかメじゃないほど高品質のソフトを実際に開発、自分たちの提唱した条件に基づいて公開配布して、それがシステムとして成立可能であることを、自ら証明してしまったのだ。 完全なるフリーOSの構築を目指す GNUプロジェクト  すでに開発環境はできてしまった。世界のUNIXシステムで GNU Emacsというエディタ環境を装備していないものはまずない。GNUのCコンパイラgccは、あらゆる面で市販のCコンパイラを上回る驚異的な品質を誇っていた。本体のOSである Hurdも、ついにベータ版が完成。そしてその傍系ともいうべきLinux(リヌクス、リナックス)は、世界でもっとも急成長をとげつつあるOSとさえ言われ、数百万ユーザを誇る。  今なお世界中のボランティアが、GNUソフトと同じ厳しいライセンス条件のもと、報酬もなく趣味で続々とソフトを追加改善し、ソフトやソースを無償提供している。GNUやフリーソフトの功績と恩恵をみんなが認め、それに報いたいと思っているのだ。そしてGNUやLinuxの安定性やバグ対応の素早さには定評がある。すべてが公開されているが故に、だれでもテストと手直しがすぐできるからだ。翻って、一部商用ソフトの惨状を見よ。  この方式では、GNUソフトがいかに普及しようとも、ストールマンやFSFがビル・ゲイツやマイクロソフトのような大金持ちや大企業になることはない。かれらの活動は、寄付とCD-ROMなどの売り上げに頼っている。金で釣らないと人々はやる気を出さず、よい製品ができないのでは? しかし、ストールマンたちはこれにも異を唱える。「そんな目の色変えて金持ちになりたかねーや。札束で横っ面を張られてソフトなんか書きたくないし、そんなんじゃいいソフトはできない。好きでおもしろいから、ソフトを書き、使いたいんだ。才能のあるやつが愛情込めて書いたソフトこそが優れた品質を生むんだ」。GNUソフトの高い品質は、限られた範囲でとはいえ、この主張を裏付けている。  これまではユーザの限られていたこれらフリーソフト群だが、インターネットの一般化とLinuxなどで完全なシステムが揃ったことにより、ここ数年で無視できない勢力になりつつある。一部の人々は、これを打倒ウィンドウズの最有力候補として見ており、遠からず商業ソフト対フリーソフトの決戦を予想する人もいる。 商用ソフト陣営をも巻き込み 拡大し続けるフリーウェアの勢力  しかし一方で、商業ソフト側もフリーソフトを必要としているのがおもしろいところ。ウィンドウズNTも、アップルの新OSとなるラプソディーも、広義のフリーソフトであるMachの上に構築されているし、開発環境としてGNUのソフト群に大きく依存している企業も多い。またフリーソフトは、特にバカ高い商業ソフトを買う金のない発展途上国でも急速に普及しつつある。  こんどこそ、こんどこそうまくいくかもしれない。そしてソフトでこれが成立するなら、音楽でも、文章でも、あらゆる「情報」で同じことができない理由はない。公開と共有と協力に基づいた、古来からの共産主義理念に基づく社会経済システムを、FSFやGNU、そしてLinuxは情報時代の最先端によみがえらせようとしている。ストールマンはそのイデオローグの急先鋒である。かれは情報に基づく価値流通のまったく新しいシステムの枠組みをつくりあげ、その可能性を実証してくれた。それをこれから育てるも殺すも、あとはわれわれ次第である。
これを音楽の話に変換できる 変換テーブルを考えてみよう。 「ソフトウェア」→「音楽」とか。 http://hotwired.goo.ne.jp/matrix/9709/1_2.html >フリー・ソフトウェア・ファウンデーションとは?公開、共有、そして自発的貢献と協力。共産主義的ハッカー精神の再生をめざす力。リチャード・ストールマンとFSFが電脳資本主義を食い破る!?&br()Text= 山形浩生  言うまでもなく、世の中の資源は限られている。この限られた資源をどう配分するか——それが経済活動の基本的な課題だ。有限の資源を効率よく、無駄なく、しかもフェアな形で配分するにはどうすればいいか。みんなそれを一生懸命考えてきた。金持ちが強いという既成事実を認めよう、というのが資本主義。それに対し、それは不公平だからみんなが協力し、しい。  こうした考えに基づき、リチャード・ストールマンとFree Software Foundation(FSF)は公開、共有、自発的貢献と協力という共産主義的ハッカー精神の再生をめざす。かつてのソフトはコピーや改変しほうだいで、書いたソフトも公開が当然。この文化を復活させるための環境を自ら生み出そうとかれらが取り組んでいるのが、GNU(グヌー)プロジェクトである。  これは、UNIX互換のシステムを、まったくのフリーソフトで構築しようというものだ。これに課されたライセンス条件はGPLと呼ばれ、配布(コピー)に制限をつけてはならず、ソースコードも一緒に配布しなくてはならないという、通常のビジネス感覚からは正気の沙汰とは思えない代物。だがFSFは商業ソフトなんかメじゃないほど高品質のソフトを実際に開発、自分たちの提唱した条件に基づいて公開配布して、それがシステムとして成立可能であることを、自ら証明してしまったのだ。 **完全なるフリーOSの構築を目指すGNUプロジェクト  すでに開発環境はできてしまった。世界のUNIXシステムで GNU Emacsというエディタ環境を装備していないものはまずない。GNUのCコンパイラgccは、あらゆる面で市販のCコンパイラを上回る驚異的な品質を誇っていた。本体のOSである Hurdも、ついにベータ版が完成。そしてその傍系ともいうべきLinux(リヌクス、リナックス)は、世界でもっとも急成長をとげつつあるOSとさえ言われ、数百万ユーザを誇る。  今なお世界中のボランティアが、GNUソフトと同じ厳しいライセンス条件のもと、報酬もなく趣味で続々とソフトを追加改善し、ソフトやソースを無償提供している。GNUやフリーソフトの功績と恩恵をみんなが認め、それに報いたいと思っているのだ。そしてGNUやLinuxの安定性やバグ対応の素早さには定評がある。すべてが公開されているが故に、だれでもテストと手直しがすぐできるからだ。翻って、一部商用ソフトの惨状を見よ。  この方式では、GNUソフトがいかに普及しようとも、ストールマンやFSFがビル・ゲイツやマイクロソフトのような大金持ちや大企業になることはない。かれらの活動は、寄付とCD-ROMなどの売り上げに頼っている。金で釣らないと人々はやる気を出さず、よい製品ができないのでは? しかし、ストールマンたちはこれにも異を唱える。「そんな目の色変えて金持ちになりたかねーや。札束で横っ面を張られてソフトなんか書きたくないし、そんなんじゃいいソフトはできない。好きでおもしろいから、ソフトを書き、使いたいんだ。才能のあるやつが愛情込めて書いたソフトこそが優れた品質を生むんだ」。GNUソフトの高い品質は、限られた範囲でとはいえ、この主張を裏付けている。  これまではユーザの限られていたこれらフリーソフト群だが、インターネットの一般化とLinuxなどで完全なシステムが揃ったことにより、ここ数年で無視できない勢力になりつつある。一部の人々は、これを打倒ウィンドウズの最有力候補として見ており、遠からず商業ソフト対フリーソフトの決戦を予想する人もいる。 **商用ソフト陣営をも巻き込み **拡大し続けるフリーウェアの勢力  しかし一方で、商業ソフト側もフリーソフトを必要としているのがおもしろいところ。ウィンドウズNTも、アップルの新OSとなるラプソディーも、広義のフリーソフトであるMachの上に構築されているし、開発環境としてGNUのソフト群に大きく依存している企業も多い。またフリーソフトは、特にバカ高い商業ソフトを買う金のない発展途上国でも急速に普及しつつある。  こんどこそ、こんどこそうまくいくかもしれない。そしてソフトでこれが成立するなら、音楽でも、文章でも、あらゆる「情報」で同じことができない理由はない。公開と共有と協力に基づいた、古来からの共産主義理念に基づく社会経済システムを、FSFやGNU、そしてLinuxは情報時代の最先端によみがえらせようとしている。ストールマンはそのイデオローグの急先鋒である。かれは情報に基づく価値流通のまったく新しいシステムの枠組みをつくりあげ、その可能性を実証してくれた。それをこれから育てるも殺すも、あとはわれわれ次第である。

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