ドイツ連邦鉄道(DB 西ドイツ国鉄)

ドイツ連邦鉄道(西ドイツ国鉄)(DB:Deutsche Bundesbahn/ドイチェ ブンデスバーン)は1949年にドイツ連邦共和国(西ドイツ)で成立し、東西統一後の1993年に解体されるまで存続した西ドイツの国営鉄道

路線網

 西ドイツ全域の鉄道網を保有していた。ただし首都ベルリンのSバーンは西ベルリン地域においてもDR(東ドイツ国鉄)によって運行されていた。設立以来慢性的に赤字経営であったため、不採算の地方路線を中心に廃止が相次いだ。

歴史

前途多難な船出

 1949年のドイツ分断によってドイツ連邦共和国(西ドイツ)が建国され、同国内の鉄道網を旧ドイツ国営鉄道から継承する形で1949年9月7日に発足した。
 発足後すぐに路線網の復旧にとりかかるが、敗戦による被害は甚大であり、大きな問題として立ちはだかった。また、戦前のドイツは首都ベルリンを中心にして幹線が放射状に伸び、東西を結ぶ幹線を重要視した路線網を構築していたが、分断によってベルリン周辺地域は東ドイツの領域となり、国境をまたぐ東西の幹線も荒廃、南北に長い西ドイツ国内の路線は大半が亜幹線レベルのものしかなくスピードアップが図れないなど、まさしく前途多難な状態だった。これらの改良を行うため経営状態は常に悪く、1951年に一度黒字になって以降は一度たりとも黒字になったことはなかった。さらには戦後大きく発展した航空機や自動車との競争に晒されるようになり、幹線の電化によるスピードアップやTEEなどの特急の運行で対抗するも、次第に競争力を低下させていった。

欧州鉄道のリーダーへ

 鉄道復権のきっかけとなったのは、1964年の東海道新幹線開業であった。当初、新幹線計画を非現実的としてまともに取り合わなかった欧州各国だったが、実際には新幹線は大成功を収め、高速鉄道の有用性を世界中に示した。これに触発されるように各国は次々とスピードアップを図るようになり、西ドイツ国鉄においても特急列車の速度向上に取り組み、1968年に最高時速200km/hでの運行を開始した。技術面では動力近代化を推し進め、電気機関車ディーゼル機関車を導入して蒸気機関車の置き換えを進めていった。1971年に世界初のインバーター制御車両を開発、また同年には都市間特急網「インターシティ網」の構築、超高速列車ICEの開発、高速新線の建設などあらゆる面で革新を続けていき、1970年代には世界の鉄道をリードする存在となっていった。このころにはダイヤの正確さも評判となり、ドイツ鉄道のイメージも向上している。

経営状態の悪化

 華々しい発展とは裏腹に経営状態は悪化していく一方だった。発足以来、不採算路線の廃止などによる合理化を進めてはいたものの、1980年代にはいよいよ限界を迎えつつあった。ちょうど1987年に日本国有鉄道が分割民営化されたされたのを受けて、西ドイツにおいても国鉄民営化が検討され始めた。

民営化

 1989年にベルリンの壁が崩壊し冷戦が終結、翌1990年には東西ドイツの再統一が成し遂げられた。しかし東西両国鉄を統合するにあたって、西ドイツ国鉄民営化の枠組みを再編する必要があり、しばらく西のDBと東のDRが共存する、一国に2つの国鉄が存在する状態にあった。1994年に東西両国鉄が合併しDB AG(ドイツ鉄道)が発足するまで存続した。
最終更新:2017年02月16日 01:08