基本情報
運用会社
GNR LNER イギリス国鉄
形式
LNER: A1/A3
製造年
1921 年 - 1935 年
製造数
79 両
廃車
1966年
性能諸元
軸配置
4-6-2
軌間
1,435 mm
全長
A1・A3/21.46 m
機関車重量
A1: 92.82 t
動輪径
2.032 m
シリンダ数
3気筒
シリンダ(直径×行程)
A1: 508 mm × 660 mm A3: 483 mm × 660 mm
弁装置
スチーブンソン式
ボイラ圧力
A1: 1.24 MPa A3: 1.52 MPa
LNER Class A1(
エルエヌイーアール クラスエーワン )は、ナイジェル・グレズリーによって設計され、1922年から作られた4-6-2(パシフィック)の軸配置を持つ旅客用3気筒蒸気機関車である。イーストコースト本線(東海岸本線)の南部を運行していたグレート・ノーザン鉄道 (GNR)が1922年に開発した車両で、1923年の鉄道会社のグループ化によって再編成されたロンドンアンドノースイースタン鉄道(LNER)で活躍した。
LNER Class A3 (
エルエヌイーアール クラスエースリー )は1928年に登場したクラスA1の改良型で、トンプソンA1/1へ改造されたNo.4470を除いたすべてのクラスA1がクラスA3に改造された。そのため、これらは一連の形式として扱われることが多く、本頁においても一連に扱う。イギリスでのパシフィックの採用はGWR No.111 グレートベアに続く2例目で、量産機としては初であった。
概要
GNR Class A1
1911年からGNRの機械技師長(CME,チーフメカニカルエンジニア)に就任したナイジェル・グレズリーの最初の設計は1915年の旧型のアトランティックの改造であった。まもなくグレズリーは3気筒設計に関心を持ち、外側2つのシリンダーから中央シリンダーの動きを制御する有名なグレズリー式連動弁装置を考案、特許の申請を行った。グレズリーはホルクロフトの失効した特許を基にしたものであると認めている。第一次世界大戦のために急行用旅客機関車の計画はしばらく棚上げとされたが、その後の1918年、グレズリーは3気筒2-8-0のクラスO2でこの新しい連動弁装置をテストした。さらにこれに続き、急行貨物用の2-6-0のクラスK3で、これらをより単純化した連動弁装置を使用した。
1920年、急行旅客用パシフィックの設計に戻ったグレズリーは早速、連動弁装置を取り入れて設計を行った。3つのシリンダーはすべてが第2動輪を駆動する設計で、外側の位相は120°に設定され、内側のクランクは内側のシリンダの8°の傾きを許容するために約7度ずらされていた。ボイラーの当初の設計はアトランティックを細長くしたものであったが設計は難局に陥っており、1914年登場のペンシルバニア鉄道K4パシフィックの設計を参考に再度設計が行われた。これは、1910年に科学的に開発された一連の試作車から作られたものであった。当時の英国の技術誌に、そのアメリカンロコモ―ティブ社(Alco)のチーフコンサルティングエンジニアであるフランシス・J・コール(Francis J. Cole)と、コールによって設計された1911年のAlcoのペンシルバニアのK29試作機関車の説明が掲載されており、グレズリーはそこで設計に必要な情報を得ることが出来ていた。設計はコールによるAlcoの試作車の教義に沿って行われ、ボイラー・火室はを車両限界の最大まで広げ、火格子面積も広くとっていた。その一方K4では箱型の火室であったのに対しA1ではGNRの伝統に倣いなだらかなものとなっている。そのほかのK4との共通点は火室は後方に向けつけられたテーパと先端に向かい細くなっていくボイラ形状があげられる。煙管は19フィートと短くされており、その分火室前に燃焼室を設けている。ボイラー圧力は180 ポンド/平方インチ (1.24MPa)であった。
1922年4月、ドンカスタープラントで作られたクラスA1の初号機、No.1470 "Great Northern"が運用を開始した。同年7月にはNo.1471 "Sir Frederick Banbury"が運用を開始し、追加で9両が発注された。以降美しい流線型のこの機関車は25年にわたり、クラスA4を除く
LNER のパシフィック機関車の外観の基本になった。またスライドバーには珍しい3本タイプが採用された。ペンシルバニア鉄道ではK4以降すぐに採用されなくなったがグレスリーはすべての機関車にこのタイプのスライドバーを採用し、ロバート・レドルスの
イギリス国鉄 標準設計にまで継承された。
LNER Class A1
1923年、「1921年鉄道法」に基づいたグループ化によりイギリスの鉄道は一部のを除き大きな4社(ビッグ・フォア)にまとめられGNRはLNERとして再出発することになった。LNERとして新しく機関車を新造するにあたり標準化が必要と考えられ、急行用パシフィックはNER(ノースイースタン鉄道)で作られたヴィンセント・レイヴン設計のクラスA2とこのクラスA1が候補に上がり各種試験が行われた。試験の結果、クラスA2でも十分な蒸気を発生されらていたが、クラスA1は水と石炭の消費量が非常に少なく、LNERではクラスA1を製造することになった。1923から1925年にかけてドンカスター工場で30両、ノースブリティッシュロコモーティブカンパニーで20両の計51両が製造され、各機関車のほとんどに有名な競走馬にちなんだ名前がつけられた。LNERの基幹路線であったイーストコースト本線の急行列車は一新されることとなった。これらのクラスA1のうち初期の11両は車両限界が大きいGNRに合わせて作られており、LNERの車両限界内に収まるよう煙突・ドーム・安全弁の短縮が行われた。
改造
製造コストの面では、当時グレート・ウェスタン鉄道 (GWR) のカースルクラスの最初の10両が1両当り£6,840で製作されたのに対し、クラスA1の最初の10両は1両当り£8,560となっており当時としては高価な機関車であった。
クラスA1には多数の問題と欠陥を抱えていた。
まず、重要な設計上の問題として、潤滑油のパイプの破損があり、この潤滑油のパイプの交換には、ボイラーを取り外す必要があり、非常に大規模な手間を要した。
また、1925年にGWRのカースルクラスとクラスA1を互いの会社の路線で走行させた比較試験において、クラスA1よりも小柄なカースルクラス(軸配置:4-6-0)が出力と石炭消費の両面でクラスA1に勝っていることが判明した。カースルクラスの石炭消費が少ない理由は弁装置の設計にあり、カースルクラスではバルブ・トラベルを大きく設計しており、ボイラーから供給される蒸気の膨張を生かし、蒸気の消費量を抑制していた。このことはカースルクラスの石炭消費が少ないのは、グレート・ウェスタン鉄道が発熱量の大きいウェールズ炭を使用しているためとしていたLNER側の主張を覆すこととなった。ナイジェル・グレズリーは過去に自身の設計した機関車で、バルブ・トラベルを大きくしたためにシリンダー破損に至った形式があったことから、比較的小さいバルブ・トラベルでA1クラスの弁装置を設計していたが、カースルクラスでの成功を見て、後のクラスA3につながる設計変更を行なっている。
車両設計者としてのグレズリーの技量が評価される一方で、設計上の欠陥を修正することができず、彼の能力の限界が明らかになった。
Class A3
クラスA1に見られた一連の問題の多くは、ナイジェル・グレズリーによるクラスA1の改良によって1928年に改善された。なかでも2555号機「センティナリー」で行なわれたシリンダー直径の減少、ボイラーの高圧化 (180PSIから220PSI) および過熱器の拡大は成功を収めた。この結果を基に新たな機関車としてクラスA3が製造され、既存のクラスA1もそれに準じた改造を受けクラスA3に編入された。クラスA3はLNERの重量級急行列車牽引でクラスA1以上の成功を収めた。2750号機「パピルス」は108mphのイギリス鉄道における速度の新記録を樹立し、流線型のクラスA4への足がかりとなった。
「デフレクターとダブルチムニー」
第二次世界大戦が勃発すると、24両編成の貨物列車をイーストコースト本線で運転することが計画され、クラスA3や改造前のクラスA1がその運用に駆り出された。戦時体制下では整備状態が悪化し、種々のトラブルが発生した。特に、本形式の最大の特徴であったグレズリー式弁装置には不具合が頻発し、これを採用した他形式では戦後通常の2気筒式
蒸気機関車 あるいはワルシャート式弁装置を3組並べた3気筒式機関車への改造が実施されたものもあるが、本形式とクラスA4については保存車のみとなった現在に至るまでこの特徴的な弁装置が維持されている。
戦後、クラスA3の外観に変更が行なわれた。ドイツ式のデフレクター(除煙板)が煙室の両側に設置されるとともに、1958年から1960年にかけて火室の通気能力増強を図って2本煙突(ダブルチムニー)化、が行なわれた。また、ドームもクラスV2に倣い涙滴形状化が行われている。
No.4472 Flying Scotsman
Class A1/A3の中で唯一現存するのが No.4472 "Flying Scotsman"である。
「空飛ぶスコットランド人」の愛称を持つ、4472号機 フライング・スコッツマンは、1923年にのA1クラス1472号機としてドンカスター工場で製造された。1924年2月にLNERの4472号機に改番され、併せて「フライング・スコッツマン」の愛称が付与された。1924年、イギリスのウェンブリーで開催された大英帝国博覧会でグレート・ウェスタン鉄道のカースルクラス4073号と共に最新鋭の機関車の代表として展示された。1928年にはロンドンとエディンバラを結ぶノンストップの「フライング・スコッツマン」の牽引機5両のうちの1両となり、1928年5月1日のノンストップ一番列車を4472号機が牽引した。水の補給にウォーター・スクープを用いて途中停車を不要にしたことで、ロンドン・エディンバラ間631kmを無停車で所要時間8時間の運行が達成された。
1934年11月30日、4472号機は当時の蒸気機関車で世界最速となる時速100 mph(160 km/h)の公式記録を達成した。非公式も含めればグレート・ウェスタン鉄道の「シティ・オブ・トルーロー」が先行していたが、公式記録ではフライング・スコッツマンが世界初となる。第二次世界大戦中は旅客列車を牽かず、軍事物資の貨物列車に従事した。戦時中という状況下にもかかわらず、フライングスコッツマンの引く列車はいつも時間通りで、一度も遅れたことはなかった。また、その時は戦闘機によって空中から見つかり爆撃されるを避けるために塗装を黒一色に変更された。
戦後1948年にはイギリス国鉄に継承され、機番も60103号機となった。1947年に塗装を深緑色にされ、除煙板とダブルチムニーを装備する。1928年にクラスA1の改良版となるクラスA3が登場し順次改造され、4472号機もドンカスター工場で改造工事を受け、1947年1月4日にクラスA3となった。
1963年1月4日の運用をもって引退した。当初は保存される予定は無く解体される予定だったが、アメリカ人実業家アラン・ペグラーが破格な安値で買い取り、イギリス国内でのツアー運転に使用された。その際に往年のアップルグリーンへの塗装変更、シングルチムニーへの復元、除煙板が撤去された。イギリス国内での蒸気機関車による定期運転が消滅し、線路内の給水路も無くなったため、長距離運転時の水を確保するため、2両目の炭水車が追加された。
1963年にアメリカとオーストラリアで運転され、オーストラリアでは蒸気機関車による679キロメートルの最長無停車運転記録を持った機関車である。
1968年、再びロンドン~エディンバラ間を走るイベントが開催された。鉄道ファンとして来ていたきかんしゃトーマスの原作者ウィルバート・オードリーをはじめとした大勢の客を乗せ、完走する。
1969年には大西洋を渡りテキサス州などで遊覧列車として走ることとなった。アメリカ国内で走行する為に、現地の鉄道法規に従い前照灯、カウキャッチャーと鐘が付けられ、オリジナルの外観は失われてしまった。
1972年、帰国する際、初代の所有者アラン・ペグラーが破産手続を申請したことで、4472号機はアメリカ政府当局により押収され、スクラップとなるところだった。その手続きが始まろうとした寸前、イギリスの経済人ウィリアム・マッカルパインが買い取り、無事に4472号機はイギリスに戻ることとなった。Derby工場で修理し外観もオリジナルに戻された。豪建国200周年記念祭で披露されるなどしたが、再び資金難に陥り、1996年英国人トニー・マーチントンが150万ポンドで買い取り、100万ポンドかけて修理し1999年に完成した。しかし同人が破産したため、2004年に国で募金を行い買い取り、現在の所有者である、イギリス国立鉄道博物館(NRM)の所蔵となった。2005年には臨時列車として運転を開始した(この時の炭水車は1台)。2013年にRiley and Son Ltd.社により修復が行われ、2016年1月から再度運行を再開した。
番号の変遷
フライングスコッツマンの所有者の変遷とともに、本機の番号も変化した。
1472 - LNER 製造当初(1923年 - 1924年)
4472 - LNER 改番(1924年 - 1946年)
502 - LNER 戦中(1946年)
103 - LNER、戦中改番(1946年 - 1948年)
60103 - イギリス国鉄(1948年 - 1963年)
保存機となってから番号は幾度も変更されており、2017年現在はイギリス国鉄時代の番号が付されている。
コリドーテンダー
特筆できる事項として、"フライングスコッツマン"号の牽引機に使用される一部の車両にはコリドーテンダーと呼ばれる貫通路付きの炭水車が連結されている。この貫通路は走行中に機関士が交代するためものであり、長時間無停車運転を可能にしていた。テンダーの車軸は日本にはあまりない4軸の固定軸であるが、これは、レール間に設けられた水路から水を走行中に吸い上げて給水するウォータースクープという機能が付けられているためである。この貫通型炭水車はクラスA4完成したのちはClass A4に使用され、A3には非貫通タイプの炭水車が連結された。A1・A3・A4の他、アメリカミルウォーキー鉄道のクラスAでも採用例がある。
登場作品
汽車のえほん・きかんしゃトーマス
きかんしゃトーマスに登場するゴードンは架空の形式である、クラスA1の試作機クラスA0として登場する。
1921年にドンカスター工場でクラスA1の試作機に当たる『クラスA0』として製造され、かつてはキングス・クロス駅で働いていた。
1923年にノース・ウェスタン鉄道で買い取られたが、作られた頃はシリンダーがこの形式特有の3シリンダーで、車体の形状が異なっていた。
1935年にクルー工場で2シリンダーに改造され、ボディもTV版と同じ姿に改造された。フライング・スコッツマンが来島した際に自身の改造を「あまりいい出来じゃない」と言及した。
ロンドンのセント・パンクラス駅まで本島の機関車の代わりに急行列車と牽いて行くと、「有名な機関車」として新聞で大々的に報じられ、機関士と機関助手はサインを求められ、写真をあちこちから撮られ、どこに目を向けるべきか分からなくなったそう。
また、ゴードンには貨物列車を引くのが嫌いという設定があるが、これは単に急行牽引機としてのプライドだけではなく、上記のフライングスコッツマンが第二次世界大戦中に旅客列車を牽かず、軍事物資の貨物列車に従事した経験がもとになっていると考えられる。塗装も黒一色に変更されており、あまり思い出したくないのかもしれない。
2011年に急行客車の仕事を引退し、クラス43ディーゼル機関車 『インターシティ125 』のピップとエマにその役目を継がせた。
ウィルバート・オードリー著『汽車のえほん』の23巻、「機関車のぼうけん」に登場。同作品に登場する他の機関車と同じくボイラーの先端に顔がある。また、同作品に登場するゴードンはフライング・スコッツマンの兄弟という設定である。
40台生産された『クラスA1』の唯一の現存機でゴードンの唯一生き残った兄弟。
アメリカ出身の資産家アラン・ペグラー氏に戻してもらう前の自分を『酷い姿』と言っている。
なお、この作品を原作とするテレビ人形劇『きかんしゃトーマス』では、ゴードンの機関士曰く「よそから来た機関車」として炭水車の部分のみが登場し、原作におけるフライング・スコッツマンとは完全に別の機関車とされている。
その後、2016年公開の長編「きかんしゃトーマス 走れ!世界のなかまたち」で、正式に登場した。本体には新たに2個のランプと除煙板が追加され、炭水車の車輪の数が8つから6つに変更された。CGアニメでは原作での兄弟設定が引き継がれている。
模型について
Dapol製品
テンダーモーター、エンジンドライブが採用されている。機炭間のシャフトは抜けやすく注意が必要。
電圧に対する速度が非常に低く作られており、フライング・スコッツマンの速度記録を再現するのはとても難しい作りになっている。
パッケージはアクリルが包むタイプでマグネマティックカプラーやナックルカプラーだけでなくコードやネジ類などの予備部品が付属している。
デルプラド製品(ディスプレイモデル)
デル・プラドから刊行された「週刊デル・プラド コレクション 世界の鉄道」12巻に付属するフライングスコッツマンのディスプレイモデル。現在、販売は終了しており手に入れるには中古か未開封のものを探すしか方法はない。
その他
OOゲージではHornbyからさまざまな製品が出ている。
メーカ名
品番
製品名
軌間
縮尺
電源
購入場所・サイト
状態
金額
備考
Dapol
ND129D
A3 Steam Locomotive 4472 'Flying Scotsman' LNER Green
9mm
1/148
DC
輸入代行
新品
約32000円
デル・プラド
無し
クラスA1「フライングスコッツマン」
9mm
1/150
無動力
中古品の購入
中古
外部リンク
最終更新:2020年03月19日 00:35