渇きと白岩の国ナフレザーグは名の通り乾燥した荒野の国である。
白い荒野に穴を穿ったようなオアシスはたったひとつ。
都市らしい都市はそのほとりにある王都のみ。
あとはまるで白亜のような白い岩が転がるばかりの荒れ果てた大地が続いていた。
厳しい日差しは生き物が棲むにはおよそ不適切とさえ思われ、
この土地で生きていくには植物であれ獣であれ、また魔獣であれ特殊な能力が必要だった。
植物は葉を固くして棘を生やし、獣はそんな葉でも食べられるように強力な顎と何でも栄養にする強い身体を持った。
魔獣は薄いマナをなんとか扱って火や風と共に生きる道を選ぶ。
そう、生き物の少ない土地ではマナはどうしても希薄になる。マナとは言い換えれば星の生命力だからだ。
よって、この土地に住む人間が魔法を得手としないのは詮無いことだろう。
それでも、人間は生きていく。
魔法に頼らずともこの荒れた土に立ち、いかなる手段を使っても。
「―――で、少ない水を求めた結果が王都直下の大井戸。地下水脈の確保というわけですね」
ジョンはかりかりとメモを取っていた。
その口調は皆に説明するというよりも、自分で言葉にして確認しているといったほうが適切だろう。
「ただし、王都で水の流れを独占してしまった影響でますます周囲の環境は干上がってしまったようですが」
「ダメじゃん」
そのため、国としては決して大きな規模のものではない。
王都のみの国といってもいいほどで、あとは枯れかけた町や村がいくつかあるだけだという。
昼間に出歩くのは命にすらかかわるため、街道も発達していないのだ。
道がない、というのは国としては最早致命的に近い。
だがその反面未開の土地も多く、冒険者がミイラ一歩手前で帰ってきては珍しい魔石を手にしていることもあるという。
錬金術師でもあるジョンにしてみれば心躍る話だ。
しかし、その冒険も今回は控えるべきだろう。
この国に立ち寄ったのはジョンではなくヒロトの都合であり、それが済んだらさっさと出発しなければならないからだ。
この国の広い荒野のどこかに、このエリアのヌシがいるという。
リュー曰く、普段は地中に潜って眠っているサソリの魔獣だそうだ。
見つけるには荒野を歩き回らないといけないため体力的には常人並のジョンや相棒リオル、そして
「………………………………………」
ローラは留守番となったのだった。
がじがじと爪を噛むローラの眉間にはヒロトにはとても見せられない亀裂が二、三本走っている。
別に戦闘中でもないのにその豪奢な縦巻きツインテールはさながら嵐の夜の避雷針のごとく帯電し、
バチバチと空気中の細かな塵を焼いていた。荒野が近いため埃っぽいのである。
ローラ、ジョン、リオルがここにいる。
ということはすなわち、リューとヒロトは今二人っきりだということに他ならない。
それがローラの乙女チックハートを般若の形相にしているのだ。
「……いや、大丈夫だと思いますよ?確かにリューさん、久しぶりに二人っきりで異様なテンションでしたけど」
「そ、そーだよローちゃん。
あのヘタレ勇者と純情リュリルライア様が二人っきりになったからって急に手を繋いで歩くわけないし。
それにずっと二人っきりで旅してきたけどなんの進展もなかったんだよ?一日二日でそんな」
二人っきりというワードに反応してさらに稲妻が迸った。
そんなことはわかっている。わかっているのだ。
でも平静じゃいられないのが乙女チックハートというものである。
「そ、そうそう、ボク鉱石店見たいんですけどいいですか?採掘には行けないけど一応珍しい石があるかどうか見てみたいんですよ」
「わぁい、それは楽しみだねジョン!」
「………………………」
ばちばちばち。
帰ってきたのは空気が弾ける音でした。
ヒロトと二人きりになるのは久しぶりだった。
ジョンたちが旅に加わった頃からヒロトとこうして歩くことは少なくなっていき、
ローラがやってきてからはまったくなくなってしまったのだ。
………まあ別に連中が邪魔とかじゃなく、ローラは恋敵であるのだからして邪魔といえば邪魔なのだが、
あの姫君も純粋にヒロトのことが好きなのだろうし、その想いを否定はできないというかなんというか、
しかしそれは別の話としてリューもヒロトのことが、その、す、好きなのであるのは確かなわけで、
たまにはこーして誰にも邪魔されずに一緒にいたいと思うのもまた恋するアレの摂理というものだろうし。
だからローラがこの過酷な荒野を抜けることができず、
留守番組になると決まったときは顔がにやけるのを抑えきれなかったものである。
二人旅だったときは意識していなかったこの二人きりというシチュエーション、思えば自分はなんて愚かだったんだろうか。
たとえば二人して地図を覗き込んだときの顔の近さとか、
喉が渇いただろうからと氷を作ってそれをはんぶんこしたときとか、
ちょっとした罅に足を取られてよろけた拍子に前を進むヒロトに寄りかかってしまったり。
そもそも二人の歩幅には大分開きがあるのだから、リューは余程の早足で歩かないとヒロトに置いていかれてしまう。
なのにそうならないのは、ヒロトがちゃんと自分に気を配っていて、
わざとゆっくり歩いていてくれているためであるからなんかして。
ぼろぼろに擦り切れたマントは風になびき、鍛えられた背中は何も言わずただ進んでいく。
何もない大地、ただ二人。
あはぁ。
……こんな蕩けるような状況を当然のものとして受け入れ、堪能もせずに過ごしてきたのだ。
いや、確かに二人旅のときはこの状況が当然のものだったのだ。
それが特別なものに変わったのは、ジョンやリオルやローラが旅に加わったため。
そう考えれば、連中は邪魔に思うどころか感謝しなくてはならないのかも知れない。
氷冷系の結界で自分とヒロトを包み、合々傘のような形になるこの距離感にまたキャハーと興奮して、
すたすた行ってしまうヒロトの背中を追いかけた。
ヒロトは相変わらず無口だ。
二人旅だったときも、パーティを組んでからもそれは変わらない。
自分から喋ることは滅多に無く、しかし話かけられればそれに対して返事ないし自分の考えは述べる。
沈黙に包まれることも多いがそれは圧迫されるものや不快なものではなく、どこか安心できるのだった。
「……なんだ、ニヤニヤにて。気味悪いな」
「気味悪いとは失礼なヤツだな~♪ふふ、ふふふ、このこのぉ」
「……………暑さにやられたのか?街に戻るか?」
「あっはっは、馬鹿を言うな。我は普通だとも。ふふ、くふふふふふふふ……」
「………………………………」
リューは上機嫌だった。
………だからこそ、まだ気が付いていないのだ。
この荒野の異常に。
――――――この大地の、異常に。
鉱石店を探すのには大変に苦労した。
王宮を中心に丁度円を描くようにして街が造られていて道そのものは単純で解りやすいのだが、
どこもかしこも白い石造りの建物であるためほとんど風景に変化がないように見えてしまう。
だいたいどこに何があるのかも全く知らない街で道に迷うというのもおかしな話ではあるが。
無論、それもひとつの旅の醍醐味という者もいるだろう。
しかしそれはある程度状況に余裕のある者の言葉であって、旅先で本当に何者にも頼れないとき、
さらに道にすら見失うというのは旅人をますます不安に陥れるのだ。
「………あの、すみません」
道行く人をなんとか捕まえて話を聞こうとしても、
「………………………………」
すい、と避けられてしまう。
別に頭から齧ろうとした訳じゃない、ただ鉱石店はどこにあるのかと訊ねようとしただけだ。
それが、もう二十人目。
どうもここの住人は警戒心が強いようだった。
これもおかしな話だ。
確かに、余所者に厳しい居住区は存在する。
ジョンも立ち寄ろうとして拒まれたりいきなり攻撃を仕掛けられたりした経験なら過去にあった。
普段人の近づかない、閉じた円環が完成しているコミュニティでは来訪者は基本的に害悪と見なされるためだ。
なまじ見た目が女の子然としているため、『種』としてのマレビトとも認識されない、
そういう意味ではジョンは明らかに外見で損をしていた。
しかし、それにしたって辺境にある小さな村の話だ。
ここは仮にも王都。国で旅人が最もよく集まる街のはずである。
なのに、こうまで旅人に慣れていないものだろうか?
「なんなのさー」
リオルがぶーたれる。
しかもただ避けているだけではない。適当な距離を取ってこちらをちらちらと見ているのだ。
完全に警戒されてるなぁ……。
ジョンは深々と溜め息をついた。
リオルが獣のように歯を剥いてガルルルルと威嚇し返しているのを抑えながら、ローラに目をやる。
ローラは、
――――――見たことのない顔をしていた。
「ローラさん……?」
乾いた風が吹く。
高い空は変わらず青く、そのくせきゅるきゅると回り巻いた螺子が背を縮めるように狭く狭くなっていくようだった。
金の髪が、なびく。
青い瞳は開き、ここではないどこかを―――いや、何かを視ている。
「――――――………」
ざあっ、とまた埃が舞って、
「ローラさん」
「え、は、はい……?ど、どうかしまして?」
「いや、ローちゃんがどーしたのさ」
ジョンの脇の下からリオルが訊く。ヘッドロックである。
ローラは風で乱れた髪を整えながら、ぽつりと呟いた。
「……この国はどこかおかしいですわ」
「…………?」
きょとんとするジョンとリオル。
そんなことはわざわざ口にしなくてもわかる。今まさにそれで困っているからだ。
だが、ローラはかぶりを振った。
「そうではなくて……いえ、そうなのですが………」
どうにも要領を得ない。良かれ悪しかれなんでもハキハキ喋る彼女にしては珍しく歯切れが悪かった。
「国そのものが、歪んで―――としか、その。申し訳ありませんが」
「………はぁ。感覚的なものですか?」
「ローちゃん王族だもんね。そんなものなのかも」
「まさか。人間の王はリューさんのような魔王と違って種族としては人間となんら変わりないはずですよ。
『王』として一個の能力に目覚めるなんて―――」
―――続けようとしてジョンは口を閉じた。
ありえない。
それはラルティーグに住む『知の民』を殺す最強の呪いの言葉である。
それは理解できないものを理解しないまま放置するということ。
全てのものにはすべからく理由があり、それを探求することこそ彼らの目標なのだ。
現に世には『ありえない』とされる無限の魔力、賢者の石の精錬を目指しているジョン・ディ・フルカネリである。
もし本当にありえないとしても、とことんやってみなければわからない。
ラルティーグの勇者は何代もそのために世界を旅し、未だ『賢者の石なんてありえない』という確証を出せずにいる。
『ありえない』とは、そこまでして挑むべき敵なのだ。
賢者の石に比べればローラに特殊能力が宿ることに仮説を立てることなんて造作もない。
そう、たとえば王族や魔術師の一族は血筋を重んじる。
より優れた者を迎えることによって嫡子を血から鍛え上げる、その術を何世代にも渡って行ってきた。
そして古い名を、膨大な魔力を、廃れさせることなく受け継いできたのだ。
たとえが悪いが、家畜や愛玩動物でもそうである。
もともと野生の動物だった狼を飼いならし、人間は犬という新しい種を生み出した。
さらにその犬を長年鍛え交配させ、猟犬や愛玩種など数多くの種族を『造って』いる。
それと同じなのだとしたら。
ヴェラシーラは大きく、魔王進攻時にはすでに存在したといわれる世界でも最も古い国のひとつだ。
ヴェラシーラ王家は幾度か大きな戦争や内戦を経て、
それでも滅びることなく現在に至るまで世界に君臨しており、血筋も絶える事無く受け継がれてきた。
彼女はそのヴェラシーラ王女、王家の血の先端に居る者。
さらに各国を巡り経験を積み、その肌で、耳で目で、世界を識る者。
ローラ・レクス・ヴェラシーラは誰より『世界』に鋭敏であってもおかしくはない。
「………そうですね。その方がよほど『らしい』」
ジョンは顎に手をやって、コクンと頷いた。
「ジョン?」
「この国になにがあったのかについて興味が湧いてきました。
確かに、何かがなければ住民が過敏にはならないでしょうしね」
「あ………」
ぱちぱちと目を瞬かせるリオルとローラに、ジョンはぱちりとウィンクをしてみせた。
「ヒロトさんたちが帰ってくるまで実質暇でしたし、ちょっと足を突っ込んでいきましょうか」
調査といってもそう簡単な話にはならない。
基本は足、というのが鉄則なのだがこの街の住民はその足を使う聞き込みに対してかなり非協力的だからだ。
おまけに手当たり次第に声をかけまくっているのが奇矯な行動ととられたのか、
さらに距離を取られることになってしまった。精神的にも、物理的にも。
物陰に隠れて(しかも微妙に隠れられていない)こちらを伺い、
何事か囁きあっている姿はそちらの方がよほど怪しいぞとジョンは声高に言いたかった。
「そっちの方がよっぽど怪しいよ!!」
と思ったらリオルが言った。
さささと住民たちが隠れる。
「あたしさー、何でかなー?逃げたり隠れたりするモノ見ると無性に追いたくなるんだよねー。
龍の本能ってやつかなぁ?」
「そんな動物っぽい本能知りたくありませんでしたよ」
GARRRRRと歯を剥くリオルの腕を捻り上げて抑えるジョン。
一方ローラは何やら蒼い顔をして、空を眺めている。
いや―――空ではない。
視線の先にあるのは王宮。
白い街で唯一煌びやかな、金色に光るその建物を見つめていた。
その顔には表情というものがない。
まるで能面のような、無表情というにはあまりに空虚で、まるでそこだけぽっかりと穴の開いているような貌だった。
「……ローラさん、やはり宿に戻りましょう。あなたは早く休むべきです」
「そうだよ。ゾンビみたいな顔色してるよ?ローちゃん」
リオルも心配そうだが、ローラはゆっくりと首を横に振った。
「………いえ、今の感覚は休んでしまえば消えてしまう。
聞き込みはきっと無意味です。この国の民は心を開いてはくれないでしょう。
…………おそらく、全ての原因は、あそこに」
王宮。
国の中枢を司るモノに、国を脅かすモノが巣食っているというのか。
ローラの顔はますます蒼く、紙のように真っ白になっていた。
しかし眼だけは変わらず、炎が灯ったように鋭い。
「放っておいたら、この国が滅んでしまう……そんな気が………す、る……です………」
「……!!ローラさん!」
くたり、と倒れこんだローラをとっさに支える。
蒼い顔には玉のような汗が浮き、息は荒く身体も熱い。
日射病……?この国の気候が少女の体力を奪っていったのか。
軽度のものだ。医者でもあるジョンには手当てができる。
できる、の、だが―――。
「ローちゃん、ローちゃん!しっかり!」
「誰か!手を貸して頂けませんか!?どこか横になれる所はありませんか!?」
周りで見ているであろう住人たちに聞こえるよう、大声を張り上げる。
今必要なのは知識よりベッドと水だ。どうすればいいかわかっても、手段がなければどうしようもない。
身体を少し冷ます程度の氷魔法を唱えるが、長くは持たないしこれは所詮応急処置だ。
それに得手としない魔法を使っていてはすぐに魔力が枯渇して、ジョンも目を回してしまう。
宿は遠い。
何にせよ、ここはいち早くちゃんとした環境においてやるのが最優先だろう。
「誰か、すみません!仲間が倒れたんです!手を貸してください!」
「ちょっと、聞いてるんでしょ!?ローちゃんが死んじゃうよ!」
「お願いします!ボクらはあなた方の敵じゃない、助けて頂きたいんです!」
………住人たちは―――出てこない。
何がここの民をそうさせるのか。
ローラは言った。住民は心を開かないと。
それだけのことが、ここで起きたのか。
日射病……熱中症ともいうそれはともすれば命にも関わる。
自分がいて、みすみす死なせるわけにはいかなかった。
「――――――リオル。仕方がありません。龍化を」
その声は、自分でも驚くほど昏く響いていた。
「ジョン……」
「ローラさんの安静のためです。ローラさんが落ち着いたら謝って、すぐにこの国を出ましょう。
ヒロトさんたちなら、きっとはぐれてもなんとかしてくれます」
「………………………」
リオルはしばらく黙っていたが、やがてこくんと頷いた。
「わかったよ」
危害を加えるつもりはない。
ただ、少し脅かして安静にさせてもらうだけだ。
最悪王宮兵士が駆けつけてくるかもしれないが―――その時はその時でまた考えよう。
リオル―――リオレイアが手を地面につき四つん這いになり、
その瞳がきゅうっ、と獣のように細まる。
獣?違う。魔獣だ。
それも最高位の魔獣、ドラゴン。
彼女の正体、龍の魂が仮初の肉体を食い破り、より相応しい姿に変貌させる。
少女の姿は異形と化し、怪物と恐れられるだろう。しかし、それは今この時ばかりは好都合である。
リオルは後で多少落ち込むかもしれないが、自分は変わらずに側にいて、語らずに慰めよう。
「――――――これを」
不意に背後からすっ、と何かが差し出された。
ちゃぽん、と揺れる。それは水筒だった。
「あんたらも気付いているだろうがこの国は今少しピリピリしていてな。
だが大丈夫だ、そんなことをしなくても」
驚いて振り返った。そこには、この国特有の飾り気のない白い装束を纏った青年が立っている。
リオルも気が付いて変身しかけていた身体の高揚を解いた。
まだ龍化はしていなかったのだが、彼にはリオルが何をしようとしていたのかわかったのだろうか?
「俺も魔法を齧ってるんで、近くで強いマナが乱れれば感知することができんだよ。
何かよからぬことをしようとしていたことくらいはな」
「う……」
青年は装束を翻し背を向けると、肩越しに振り返った。
「ここでは休めるものも休めないだろ。ついてきてくれ、近くの宿に案内する」
渇きの国のソラは赤く~新ジャンル「 」英雄伝~[前編] 完
最終更新:2007年11月08日 03:37