「………そんな」
冷や汗が、落ちた。
「ローラさん。あなたの『勘』が的中しましたよ……!!」
ネズミの一匹が辿りついた場所は地下室だった。
半端な大きさではない、おそらく王宮の地下には丸ごとそれがぶち抜いてあると見ていいだろう。
そしてそこにいた人々。
あれが、王宮が自らの国の人間を拉致した理由なのだとしたら。
おそらく背後になにかいる。
魔法の発達しなかったこの国に、あんな発想があるはずがないからだ。
「外国の魔導師が国をひとつ使って実験か……!なんという外道を……!!」
とにかく一旦引かなくては。
リオルに、できればヒロトに事を伝えて応援を頼んだほうがいい。
できるだけ早く。早くしないと、おそらく取り返しのつかないことになる……!
ジョンは裏口のドアに手をかけると、それを開け放った。
そこには。
「―――――酷いじゃないか。いきなり人を殴るなんて」
すでに王宮兵士が堀を取り囲み、
「………あなたが、あれの術師ですか」
「いかにも。錬金術師タブイル・ロ・カリウォストだ。お目にかかれて光栄だよ、ジョン・ディ・フルカネリ」
ニヤリと笑うタブイルが、そこにいた。
「俺もラルティーグの錬金術師でね。一応、地元じゃ天才って言われてたほどだった。
知ってるか、勇者選定の候補には俺の名前もあったんだぜ?
ま、実際に選定を始めた頃には俺はもう国にはいなかったがね。
頭の固いジジイ共に難癖付けられてなきゃ、俺があんたの代わりに勇者として活躍してたに決まってるのさ。
なあ、あんたにはわかるだろう?ジョン・ディ・フルカネリ。
俺の見つけたあの儀式。これこそ無尽蔵の魔力を手に入れる方法なんだってことが。
ラルティーグ永遠の夢、賢者の石。
俺の家だって代々それの研究に携わってきんだ。
俺はガキの頃、ユグドレシアの交換留学生として呪法を学んでいてね。
で、世の中には相手の魔力を奪って自分のモノにしてしまうっていう魔法があるって知ったのさ。
そのときの俺はいけすかない根暗魔法なんかに興味はなかったが、やっぱ行っておいて良かったな。
そのおかげで、俺はこの儀式の展開を思いついたんだから。
そう、それはラルティーグの魔術革命である『マナの保存』を応用したものだ。
先人の威光ってのも馬鹿にはできねぇ、俺を高みにまで押し上げてくれるんだから。
ようはマナを他所から集めて保存すりゃいいのさ。
ちょっとやそっとじゃねえ、魔力を奪って吸い上げて、回復させてまた奪って。
完全に枯渇するまで繰り返す。
その土地の人間はその土地のマナに適応してるからな、『汲み上げ』させるのに他に適したヤツはいなかった。
んで、男はダメだ。長く保たねぇ。三日三晩使い続けたらあっさり死んじまう。
俺にしても男をいたぶるシュミはねえし。
――――性魔術って知ってるか。
性行為によって魔力を高めるマイナー魔法なんだが、これが一番てっとり早いんだ。
エクスタシーの瞬間にそいつの持つ魔力値は著しく変動する。
放出、回復、コツさえ掴めば思いのままだ。東洋じゃ房中術とか呼ばれてるらしいがね。
そう、ようは歯車さ。
放出させて蓄え、回復させまた放出させる。これを延々と繰り返し、無限の魔力に届かせる……!
どうだ!これこそ俺たちラルティーグの民の夢、無尽蔵の魔力“賢者の石”だろう!!」
ジョンは黙って、タブイルの口上を聞いていた。
その両手は縛られ、各種マジックアイテムが入っていたポーチは奪われてしまっている。
ジョンは捕らえられ、この地下の施設に連行されたのである。
ジョンの背中には剣が突きつけられていた。もし何か妙な真似をすれば、剣はジョンの身体を貫くだろう。
ジョンは決して超人ではない。剣で斬られれば死ぬだけだ。
今、彼にできることはただその光景を見つめることだけだった。
床には巨大な魔法陣が描かれ、それは稼動していることを示すように淡く緑色に光っている。
中央にあるのは巨大な魔石。この国で採掘されたものだろう。
タブイルはあれに魔力を蓄え、強大なマナのタンクとして使うつもりなのだ。
そしてそれを発展させれば、無尽蔵の魔力“賢者の石”に届くと信じている。
―――――――――。
これが?
「………………………」
今は部屋の装いなどどうでもいい。
なんだ、これは。
地獄か?
「は、なんだ。コーフンしたか?ぱっと見女みたいでも中身は立派なモンだな、おい!」
女たちが、部屋にひしめいていた。
描かれた魔法陣の要所要所に配置され、固く冷たい床の上に『接続』されてよがり声をあげている。
その目は虚空を見つめ、手足の自由もなく、動かない身体をくねらせて快楽を訴えていた。
「………幻覚ですか」
「そう。より効率のいい搾取のためにな。実際相手してたんじゃ一年たっても集まらんマナが、この方法だと十日で採れる。
俺も疲れるが、なーに。賢者の石に触れば簡単に回復できるしな」
「………………」
ジョンは、無言だった。
冷静さを欠いてはいけない。冷静さを欠いてはいけない。冷静さを欠いてはいけない。冷静さを欠いてはいけない。
冷静さを欠いてはいけない。冷静さを欠いてはいけない。冷静さを欠いてはいけない。冷静さを欠いてはいけない。
冷静さを欠いてはいけない。冷静さを欠いてはいけない。冷静さを欠いてはいけない。冷静さを欠いてはいけない。
なんとか脱出して、この事態を外に知らせなければ―――!
「諦めろ。逃げることなんざできはしない」
タブイルは目を見開いてはは、と笑った。
「なあ、ラルティーグの勇者さんよ。認めろよ。俺が賢者の石に至ったって。
今集まっているこのマナだけで、この世のどんな魔術師でも敵わないほどの魔力が集まっているんだぜ?
この国のマナを吸い尽くしたら、次の国だ。
世界中のマナを一点に集めたら、そりゃあ無限の魔力って言えないか?」
その言葉に驚いたのはジョンを拘束していた兵士だった。
「魔導師殿!賢者の石はこの国を強くするためでは―――がッ!?」
タブイルは兵士の首を掴んだ。そのまま締め上げ、囁く。
「阿呆かお前。このご時勢に魔法のマの字もねえ干からびた国に、なぁんで俺様が手を貸さなきゃなんねぇんだよ」
「貴様―――」
兵はジョンに向けていた剣を振りかぶる。そのときにはすでに、
「くたばれ」
タブイルは高速で呪文の詠唱を終えていた。
兵の頭が発火する。
灼熱と酸素を奪われたことにより兵はもがき、剣を床に突きたて、そして倒れて動かなくなった。
「け、阿呆はこれだから困る。なぁ、ジョン」
「………そうでしょうか」
ジョンは、名も知らない兵のなきがらに一瞬だけ頭を下げた。
彼は彼なりに、望みを繋いで死んだのだ。
床に突き立てられた、剣。
これが地面に転がっていたなら、きっとジョンは縄を切ることができなかったに違いない。
「―――ふッ!」
「あ!?」
刃に縄をあて一気に引くと、すぐさま体勢を低くしてタブイルの足首を蹴る。
このまま叩きのめすのは難しい、なにせここはこの男の工房だ。敵の腹の中から脱出するのがなによりも先決……!
わき目も振らずに走り出す。
幸い城の廊下は頭に入っている。索敵ネズミがリアルタイムで動いていてくれるため、兵がどこにいるのかもだいたいわかっていた。
―――部屋を出る一瞬、肩越しに振り返る。
「……すぐ、戻ります」
―――それを聞くことができた女は、一人もいなかったけれど。
「賊だ!捕らえろ!殺してしまっても構わん!」
見つからないルートはない。
なら、できるだけ囲まれない道を選ぶのが得策だ。
ジョンは出くわした兵を昏倒させながら走っていた。
ジョンの小さな身体で相手を叩きのめすには相当な鍛錬と技術がいる。彼にそんな格闘技術があるのだろうか。
だが実際、兵たちはなす術もなく倒されていった。
常人の域に留まる身体能力しかないこの小さな青年に。
「ふっ!!」
「―――ぐ……!?」
ジョンは兵の槍を躱しその胸に手のひらを当てると、それだけで相手をすっ飛ばした。
目にも留まらぬ達人の業―――では、ない。これは格闘ではなく、どちらかといえば呪いに近い技術なのだ。
他人の体内に魔力を流し込み、変化させる。これがもっとも簡単な呪(ジュ)の説明である。
それを悪性のものとするのが呪い、治癒力を高めさせるのが回復魔法と呼ばれる。
他にも多々あるが、ジョンが行っているのは言わば麻酔だ。
一撃で相手の自由と意識を奪う、医者であるジョンが編み出したマーシャルアーツ“霊拳”。
それが、ジョンの最も得意とする戦法だった。
「―――【凍れ】!」
氷弾を飛ばし、前方の兵を壁に縫い付ける。
加えてジョンは基礎的な魔法も扱うことができる。
錬金術師(アルケミスト)だけでなく、魔工技師(エンチャンター)であり、
薬師(メディシン)であり医者(ドクター)であり療術師(ヒーラー)ですらあり、
さらに魔法と格闘技に通じる彼を天才と呼ばずしてなんと呼ぶのか。
――――――ジョン・ディ・フルカネリ。
それはラルティーグ始まって以来の才を持つとさえ謳われた、
知の民の期待を小さな背に負う勇者の名である。
「ち、あのガキ……!」
タブイルは早足でジョンを追いながらギリギリと奥歯を鳴らした。
そもそもミンストレスを偽ってジョンたちに近づいたのも、
ひとえにあのいけ好かないガキにどちらがより天才に、勇者の名に相応しいのか思い知らせるためだ。
タブイルの編み出したあの儀式を続ければ、必ず究極の魔石“賢者の石”に至るはず。
そうすればタブイルを否定した老害どもも、ジョンだけじゃない七人の勇者も、
各国の王も神も魔王もみんなタブイルを認めるに違いない。
タブイルこそが世界で最も優れた存在なのだ、と。
「そうだ……!俺が、俺が、俺が俺が俺が俺が一番なんだ………!!」
手は打ってある。
そう、そうあの宿を紹介したのは誰だと思っている。
宿にいる女も相当な使い手と見ていいだろう。しかし一人は病み上がりだ。ザコ兵たちでも数で押し切れる。
妙な術を使うようだから、あの女たちも賢者の石の糧だ。
捕らえたらとびっきりの淫夢を見せてよがり狂わせてやろう。
そして、その様を奴に見せ付けるのだ。
あと他に仲間がいるようだから、そいつらも捕らえて八つ裂きにしてやる。
神にすら匹敵するとか大げさな法螺をふいていたようだが、なに、恐れることはない。
相手がどれほどの化物であろうとも、こっちには本物の怪物がある。
今まで集めたナフレザークのマナがあればあんなガキ共など小虫にすぎないのだ。
「魔導師殿、申し訳ありません……!賊は、妖しげな体術を使い……その、王宮の外へ……」
どこまでも使えない連中だ。
……いや、気にすることはない。居場所は解っているのだから。
「兵を集めろ。王宮に侵入するなどと不届きは、このナフレザーク王宮魔導師タブイル・ロ・カリウォストが成敗してくれる!」
「は!頼もしきお言葉に御座います!!」
――――――馬鹿が。
「でぇぇぇぇぇぇいッ!!でいでいッ!!」
宿に辿りついた頃にはもう、リオルが兵たちを相手に戦っていた。
龍人となったリオルに剣は通じない。灼炎龍の鱗は鋼よりも硬いのだ。
怪力で薙ぎ払い、焔で焼き払い、数で囲もうとすれば飛んで空中からまた火で炙る。
リオルは何か鬱憤を晴らすかのように魔獣の如く暴れ回っていた。
“龍化”したリオルに一般兵が敵うはずもない。彼女は仮にも元・伝説のドラゴンなのだから。
――――――だが、それも制限時間つきのドラゴンである。
「リオル!」
「あ!ジョン、おっ帰り~」
手についた兵を“霊拳”で吹っ飛ばしながら、リオルの元へと駆け寄る。
「飛ばしすぎです!ペースを考えてください!」
「でも、あと半分くらいだしさ!」
「あとからもっと来ますってば!黒幕はあのミンストレスのタブイルだったんです!」
「なんと。道理で場所が割れてると思った!」
ただでさえリオル一人にてこずっていたのに、また妖しい技を使う敵が増えたことで兵たちはたじろいでいるようだ。
タブイルから受けた命令は女二人を捕らえること。
だが、この強さは聞いていない。とにかく逃がさないように、この一団の隊長は兵たちに指示し、囲むように陣形を取った。
すぐに襲い掛かっても返り討ちにされるだけだと、まずは様子を見るつもりらしい。
時間稼ぎをされてはたまらない。
ジョンは小さく舌打ちした。
「ところで、ローラさんは?」
「具合がまた悪くなって休ませてる。でも多分、起きて宿の中の人たちに隠れているよう言ってるんじゃないかな」
「……ですね」
体調が悪くなったというのはうまくない情報である。
ジョンだって無傷ではないし、リオルの龍化は長くは持たない術なのだから。
ローラが戦力にならないとなると、ここを切り抜けて逃げ出すことも難しい。
そうこうしている間に、タブイルが引き連れる援軍が来てしまうというのに……!
「……リオル。部屋に戻って、ローラさんを連れて逃げてください」
「え?」
ジョンの囁きに、リオルが驚いて振り返る。
「一人なら抱えて飛べるでしょう?このままでは三人とも捕まってしまいます」
「でも、ジョンは?」
「ボクは勇者です。捕まっても、そう酷い扱いはされませんよ。………多分」
「多分て!」
だが他にどうしようもないのだ。
あの外道錬金術師はジョンにコンプレックスを抱いているようだったから、きっと殺されはしない。
それよりも拙いのはリオルやローラが捕まることだ 。
リオルの体内にはジョンの精製した未完成の賢者の石が入っている。
あれは恒久的に魔力の保存・補充が可能なまだジョンにしか精製できないものであるが、
タブイルは性根はどうあれ天才には間違いないだろう。
あれに似つかわしいものを造られたら、それこそあの男の言う戯けた―――そう、“賢『邪』の石”を完成に近づけることになる。
ローラの場合はもっと拙い。ローラは大国ヴェラシーラの王女だからだ。
もしローラを人質にとられたら、おそらくもっと大掛かりな儀式を開くことさえ可能になるだろう。
無論そんなことをすればタブイルは遅かれ早かれ全勇者に抹殺対象されるだろうが、
それまでに犠牲になる人々が確実に現れる。
「それだけは、あってはならないことなんですよ………!!」
「ジョン……」
あの施設にいた彼女たちは、死体だった。
死とはなにも、心臓が止まることだけを指す言葉ではないのだ。肉体の死、そして精神の死。
自由を奪われ、魂を束縛されて、あれがどうして生きているといえる?
自分が死んでいることにさえ気付かずに、出口の無い坩堝の中でゆっくりと溶かされるように消耗していく……。
あんな外道は、今、この国から逃がす前に、斃しておかなければならない悪性因子なのである。
そのためには、待たなくては。
今こそ勇者の出番。どんな不条理も叩き斬る、あの“豪剣”の青年を。
彼なら、きっと、何があってもなんとかしてくれるから。
「―――そうですか。この国は、民にそんな非道を」
不意に宿から声がした。
扉。地面より一段高いところにあるそこに、彼女が立っていた。
「ローちゃん!」
ローラである。
金糸の髪を夜風になびかせ、病に臥しているはずの身体であるローラが、そこにいた。
渇きの国のソラは赤く~新ジャンル「 」英雄伝~[中編B] 完
最終更新:2007年11月06日 07:22