透き通る青い瞳を静かに光らせたその姿は月の女神の如く美しい。
ジョンを含めリオルを含め、その麗華を見たものは一瞬息をするのを忘れた程に。
だが、体調が悪化したというのは本当のようだ。
身体はふらついており、口調もどこかぼんやりしている。眼つきもどこか虚ろだ。
あれではあっという間に捕まってしまう……!
「リオル、ローラさんを連れて早く逃げて!」
「う、うん。―――わかったよ、ジョン!」
リオルが駆け出した、その時にはもう遅かった。
ローラは兵に囲まれ、捕らえられ―――。
「―――ぐががががががががッッッ!!!?」
―――その鎧を貫通し、肉体に、脊髄に、稲妻が迸る。
「な……?」
誰かが声をあげた。誰もが驚いた。
電撃の結界がローラを護り、兵たちを指一本触れさせずにその意識を奪っていた。
白目をむいて倒れる兵たち。痙攣しているから死んではいないだろうが、
少なくともこの戦いが終わるまでに目を覚ますことはないだろう。
ローラの“雷刃”は、実のところ攻撃能力として生まれた術ではない。
剣とは常に一対一、一人しか相手ができないのが実状だ。
それはヒロトにしても例外ではなく、彼は絶対的な力を持つことで相手が多人数でも渡り合えるように鍛錬した。
だがその剣の弟子たるローラは彼のようなパワータイプにはとてもなれない。
なら一撃を高めるのではなく、せめて囲まれないように。
自分の周りに張った稲妻の結界、それが“雷刃”の本来の姿なのだ。
それは光を纏い、悪しき者を寄せ付けない天使に他ならない。
圧倒的な存在感を持ちながら、瞬きの間に消え行きそうな儚さが見るものから言葉を、戦意を奪い去っていく。
「この隊の長は誰ですか?」
『それ』が、口を利いた。
「は―――自分で、あります」
思わず、だろう。兵たちはざっと道を開け、隊長はローラの問いかけに敬語で答えてしまっている。
「……ジョンさんの言うような非道が行われていたことはご存知ですね?」
「それは……」
隊長は一瞬だけ俯くと、すぐに顔をあげた。
「あれを非道と申されるか、他の国の者よ。この国が他国のまじないに対抗するには、あれしか方法がないのです……!」
「そ、そうだ。おれたちは間違っちゃいない!」
「よ、余所者が口を出すことじゃあない!」
兵たちは隊長に続き、口々に『あれ』を肯定し始める。
ジョンはギシリと奥歯を噛み締めた。
あれを見たものなら、あれは決して容認してはならないものだということくらいわかるだろうに。
怒りで視界が赤く染まり、思わず大声をあげようとした、その前に。
「なら、何故貴方がたは剣を折るのです」
ローラは、静かに彼らを制していた。
兵たちの剣の中には確かにリオルの鱗に弾かれ、またはジョンの白刃取りに捻られ、
砕けて折れたものもある。
それを何故、ローラは彼ら自身が自ら折ったいうのだろう。
ジョンには正直わからなかったが―――しかし。
兵たちは、その言葉に、息を飲んでいた。
「剣は戦士の命。魂。己が信念を鋼に乗せて刃を研ぎ澄ますモノ。
――――――貴方がたの剣は誰(た)が為にありますか。
民の為、王の為。国の為。それを剣に託せますか。
偽りなき心で振り抜いてこそ剣(ツルギ)!迷いなき業を以って武士(もののふ)!
このクニを護りたいというのなら!何故!!
何故貴方がたは剣を折るのです!
兵(つわもの)の剣は折れない!!貴方がたに恥じるところがあるのなら!剣を向けるべきは先ずそこにある!!
ナフレザークの兵たちよ!!
今一度問う!!
その剣、誰が為に!!!!」
―――ガン、と。
兵たちみな揃って足を踏み鳴らし、剣を胸に掲げた。
式典敬礼である。
本来忠誠を誓った王にしか許されないはずのそれを、兵隊長を含めた意識ある全員が一同に行っていた。
圧倒的だった。
ジョンも、リオルも、唖然としてローラを見つめていた。
ローラにお辞儀をしたタブイルがローラはチャームの使い手かと訊いてきたが、最早これは魅了と呼ぶにも躊躇われる。
言うなれば“王気”―――カリスマ。
『導く者』が持つという絶対的支配力……!!
「ここまで……」
それは普段仲間として彼女を見ているジョンさえも呑み込むような、ぞくぞくするような感覚であった。
「ここまで使えないとはなァ……!馬鹿は鋏より使えない……!!」
怒りの余りにがくがくと震えながら現れたのはタブイルであった。
新たな兵を引き連れているが、彼らは隊長さえもがローラに敬礼しているので戸惑っているようだ。
「ゼフ兵隊長!これはどういうことだ!!その女は敵だぞ!!」
こめかみに青筋を浮かべ怒鳴り散らすタブイルだが、隊長は哀しそうな顔で首を振った。
「いいえ、魔導師殿。我々が間違っていたのです。
我々こそまじないの力に目が眩み、自らの剣を、その誓いを忘れていた……この方はそれに気付かせてくれた。
この国の敵であるはずがない」
タブイルの背後にいる兵たちがさらに大きくざわめく。
「血迷ったかゼフ……この俺を誰だと思っていやがる!おい貴様ら、こいつらを殺せ!何を喋っている!!」
タブイルは命令を飛ばすが、それに従うものはいない。
ローラに諭された者たちなど、敵意すらもってタブイルを見るものまでいた。
「ぐぐ……クソ、クソ……!俺を、そんな目で、見てるんじゃない………!!」
兵だけではなかった。
ここは宿屋の前、街の中だ。
夜中とはいえ、ここまで暴れれば住人が集まってくるのは当然のことだった。
この国がいつからおかしくなっていったのか、彼らは口にしないが、知っている。
どれほど圧力をかけられようとも、深夜に兵を連れてタブイルが虚ろな目をした者たちをどこかへと連れて行ったことは、とっくに噂になっている。
ある者は道に出て、ある者は店の中から、ある者は窓から身を乗り出して―――。
皆、タブイルを見ていた。
まるで虫を見るような、冷たい瞳で。
「俺は、俺は、俺はタブイル・ロ・カリウォストだぞ……!
“賢者の石”があれば何だってできる!それなのに、そんな目で見るな!!糞ったれ共が!!」
タブイルは腕を振り回してよろよろと後ずさる。
誰も彼を捕まえようとはせず、ただ、見ていた。
やがて通りを離れ、広場に出たところでタブイルはギロリとジョンを振り返った。
「勝ったつもりか、ジョン・ディ・フルカネリ。
ふざけるなよ、俺の方が才能があるんだ。そんなナリしやがって、何が勇者だ、稀代の大天才だ!
世界で最も優れているのは、この俺なんだ!!それを、思い知らせてやる!!」
タブイルの双眸が妖しく光ったかと思うと、彼は胸元から首飾りを取り出し、その緑色に光る石を飲み込んだ。
「無駄です。独りになったあなたに、勝ち目はありません」
「さて、どうかなァ?」
ジョンの言葉に、タブイルはニヤリと壮絶な笑みを浮かべた。
その顔に、いや身体に模様が走っていく。
どこかで見た―――あの地下室で見た、魔法陣のラインに酷似していた。
「タブイル……何を」
「ははははははははははははは!!さっきの石はな、あの施設の“賢者の石”から削ったものだ!
あれのマナを転送できる無敵の魔石だよ!つまり、今の俺の魔力はここナフレザークのマナの総量と同じ!!
“海”にも匹敵する最強の力だ!!!!」
今まで奪ってきたマナを使うというのか。
どこまで外道にできている……!!
だが、はったりではないことはわかる。
この男は“海”の魔力を持つと言った。それはつまり、かの魔王リュリルライアにも届く魔力量ということになる。
文字通り、『国』ひとつを敵に回したことになる―――!!
「そして見ろ、さらなる絶望を!!これが!!本物の力ってヤツだ!!!!」
タブイルは哄笑しながら両手を広げ、空を、虚空に浮かぶ月を仰いだ。
タブイルの身体に走るラインが地面に染み込み、彼の足元に魔法陣を描く。
そして―――時空を隔てる壁を越え、それが姿を現した。
「どうだ、これが俺様の力。ジョン・ディ・フルカネリ……!どっちが優れてるか、これでわかるってもんだろう!」
集まっていた住人が悲鳴をあげる。兵たちも声こそ出さないものの、愕然としているのは明らかであった。
それは、真紅の鱗と翼を持った火龍であった。
だが普通の火龍ではない。巨大すぎる。その鉤爪は牛でも一掴みにしてしまいそうだし、背は火山のようにごつごつと大きい。
翼はぼろぼろで、切断されたような大きな傷跡と、それを繋ぐ鉄の首輪がついている。
目は真っ白に濁っていて、それがもう生きていないことは明らかであった。
「って、これ……まさか」
「そうだとも!ドラゴンゾンビ、俺様のもうひとつの最高傑作だ!
ただのゾンビじゃない、こいつは灼炎龍リオレイアといって―――」
やはり。
スレイヤー火山のヌシ。ヒロトによって首を切断されたかの伝説のドラゴン。
そして、
「……うわぁお」
大口を開けているこのリオルの『肉体』である。
「ジョン、あたしってあんなゴツかったの?」
「そうですよ。知らなかったんですか?」
「………うん」
リオルは頷き、そして身構えた。
ジョンも拳にマナを乗せる。
ローラは―――駄目だ。兵たちに支えられて、とても戦える状態じゃない。
その兵たちも、完全に目の前の巨龍に竦んでしまっていた。
“海”の魔力に灼炎龍。
ケタ違いの相手に思うのは、せめて街を破壊されないように立ち振る舞うこと。
咆哮するリオレイア・ゾンビの口に炎が収束する。
わかってはいたが、偽りの肉体であるリオルのそれを遥かに上回る破壊力であることは確実だった。
だが諦めるわけにはいかない。
ジョンは、勇者なのだから。
「リオル、一撃だけでいい。あの火球を弾いてくれますか。
ボクはその隙にタブイルの懐に飛び込んで、なんとか“霊拳”を叩き込みます。
術者を倒せば、あの身体も制御を失って死体に戻るはず」
「がってん」
リオルは口元をむにゅむにゅさせながら頷いた。
兵たちとの連戦で魔力は消費している。そんな状態で、魔獣イグニスドランたる『自分』の焔を防げるのか。
防げたところで、はたしてタブイルが黙って見ていてくれるのか。
ジョンが拳を叩き込むのに、抵抗もしないのか。
そんな不安を飲み込んで、意識を集中させる。
「終わりだ、ジョン・ディ・フルカネリィィィィィィィッッッ!!!!」
リオレイア・ゾンビが炎を吹く。
火山を思わせる勢いでジョンたちを襲う火炎の津波は、
しかし、ジョンたちに届かなかった。
「――――――あ?」
結界が。
いかなる物も焼き尽くす息吹を、完全に遮断している。
ジョンとリオルだけでない。
弾かれた火の粉がどこにも燃え移らないように。なんということだろう。街全体が結界で覆われていた。
ありえない。
だが、知っている。
こんな魔法障壁を使う人物は、この天地幽世に於いても唯一人。
「なんだ、何が、どうなっている!!?」
ふ、と。
月に影が差す。
生前の記憶が甦ったのか。
何かを感知したリオレイア・ゾンビは迫り来るその剣を瞳に映し、絶叫した。
だが、もう遅い。
「勢ァァァァァァァァァァッッッ!!!!」
一閃。
ヒロトの“豪剣”は以前斃した灼炎龍の頭を貫き、切断した首を今度は縦に裂き、胴体を経て、尻尾まで真っ二つに斬り裂いた。
「GGG……GGGGWRRR………」
地面に崩れ落ち、もう死体は動かない。
信じられない。本当に、鋼より硬いドラゴンの鱗を剣一本で斬ってしまった。
ジョンは溜め息をついた。
「な、な、な、」
タブイルがわなわなと震える。
「貴様、どこから……!!」
現れ、そして一瞬で奥の手を葬ってしまったその剣士に呻き、はっと空を見上げた。
そこには、
「それが“海”の魔力だと?浅い。浅いんだよ。“海”とは扱う者あってこそ広さと深さを得るもの。
名も知らぬ手品師よ。お前は他人の掘った井戸で威張り腐っている蛙に過ぎぬ」
そこには、
そこには、
そこには余りにもケタ外れの大きさを持つ、ああ、実に城ひとつ分はあろうかという巨大な龍がいた。
いや、龍ではない。あれは『物』。
クレイ・ドラゴン―――魔王リュリルライアが使役するゴーレムが翼を広げ、文字通り月を覆い隠して飛行していたのだった。
「まさか―――神にも匹敵する……!?」
「――――――そう、浅いんですよ。タブイル」
愕然とする男に、少女のような青年は近づき、言った。
「貴方のやり方では決してラルティーグのユメには届かない。
確かに貴方のやり方なら、世界中の魔力を集めることも可能かもしれない。無限の魔力といえるかもしれない。
――――――でもね、そんな当たり前のことをやっていても、しょうがないんです。
誰かを不幸にして、歯車として使って、それで利を得る……そんなの、当たり前にできることじゃないですか。
ボクらが目指すのは、そうじゃない。
誰も悲しませずに利益を得る。―――そんな不可能だからこそ、ボクらがユメを掛ける意味があるんです。
それを理解できない貴方は、はじめから知の民ではなかったんですよ」
「何を……!ガキが、この俺を認めないつもりかぁぁぁぁぁぁああああ!!!!」
タブイルが吼え、魔力を手のひらに集中させる。
そのときには、もう。
ジョンの拳は、彼の胸の前に添えられていた。
「これは今までのように気絶させるだけの麻酔じゃない。
魔力を相手に流し込み、手加減無しで爆発させ、魂を破壊する……さようなら、タブイル・ロ・カリウォスト」
“霊拳”が外道錬金術師の心臓を貫く。
タブイルの身体は衝撃で吹き飛ばされ、少しの間宙を飛んだかと思うと、地面に叩きつけられて動かなくなった。
――――――こうして勇者ジョンによって、渇きの国の危機は、いや世界の危機は去ったのであった。
渇きの国のソラは赤く~新ジャンル「 」英雄伝~[後編] 完
最終更新:2007年11月06日 07:22