ジョン・ディ・フルカネリは部屋のドアを開けると、音を立てないようにベッドに近づいた。
二人寝るには少し狭い、でもそれだけくっついていられるからいいじゃん、と相棒が笑っていた寝床には、
今リオルが一人で安らかな寝息を立てていた。
広がる翡翠色の髪に長い睫毛、朱がさした頬。
柔らかそうな唇は、この世界のどんな果実より甘い味がすることを彼は知っている。
愛おしい、僕の恋人。
その胸元に、そっと手を触れた。
暖かな鼓動は、彼女が紛れもなく生きていることを教えてくれる。
しかし、これは本物の心臓ではない。
彼女の心臓はジョンが培養した仮初のもの。
リオルの命はそこにはなく、さらに奥底、胸の中心に埋め込まれている親指大の
小さな結晶によって生み出されているのだ。
「………リオル」
その名を、呼ぶ。
―――そこには、溢れるような情愛が込められていた。
生物と非生物を隔てる絶対の壁、それは魔力を自己回復できるかどうかである。
どんなに強大で、幾多の命を葬り去ることができるゴーレムでも、魔力を使い切ってしまえば指ひとつ動かせない。
そうなってしまえば唯の土くれ、物陰に隠れ住むネズミにも劣る物体に過ぎなくなる。
ゾンビや式神もそう。珍しい種類のものでは自己の意識を持つものもいるが、所詮は術師の傀儡に過ぎない。
魔力の供給がなくては機能を停止する、その程度の存在である。
魔力とは流体だ。一点に留まることなく、常に循環している。
魔力を汲み取ることができないモノは、たとえ魔力を帯びていたとしても常にそれを消費し、
空になってしまえばもう機動することはできなくなってしまう。
反面、生命は魔力を取り入れ、また放出させることで常に魔力を自らの裡に留めているのだ。
この『呼吸』こそが生命の根源、そして世界を循環させる鼓動の連鎖。
魔力の自己回復とは、唯一生命を持つもののみに許された『世界との繋がり』なのである。
だからこそ、世界は命を育み、また繁栄を許しているといえよう。
世界も一つの大いなる生命―――この星の理。
その円環から切り離されたものは、最早輪の中に戻る術などない。
命あるものが、魔力の呼吸を失う。それが、死なのだ。
死から蘇ることはできない。死んだ瞬間に、それはモノに成り下がる。
たとえば、以前ヒロトたちが出会ったヌシの中に、ククという名のアルラウネがいた。
彼女は森の番人である恋人と共に暮らしていたが、ある日神々の社から脱走した勇者の
凶刃をその身に受け、肉体を破壊され絶命してしまう。
ヒロトたちがその場に駆けつけたときには既に命はなく、手の施しようがなかったのだが、
魔王リュリルライアの絶大な魔力によって蘇生され、今は再び恋人と共に静かに、幸せに暮らしている。
……と、されているが、実のところこれは誤解なのだった。
蘇生ではない。この世に蘇ったとはいえ、それは新たな命を得たことにはならない。
ククはリューによって製造された義体に魂を移し変えられ、活動に十分な魔力を注ぎこまれたにすぎないのだ。
―――いや『すぎない』といっても義体が今後何十年も不自由なく動いていけるだけの魔力を与えられたのだから、
それはそれで世界中の魔導師たちが目を剥いて腰を抜かすほどの大魔法ではあるのだが、
生命の根源、魔力の呼吸ができるかといえば答えはNOだ。すなわち『生き』返ったわけではない。
結局のところ、かのアルラウネはものすごく高性能なゾンビの域を出ないのである。
死者は蘇らない。
生命は戻らない。
それが世界の理。
たとえどんなに悲しくとも。
それが、世界の理。
しかし、それを覆すことができたとしたら?
死を乗り越えることができたとしたら、それはどれほどの偉業だろう。
人間たちは遥かな古代からそれを目指していた。
たとえ夜空の星に手を伸ばすが如き行為であろうとも。
人々は届かない高みを目指すことをやめようとはしなかった。
何故って、ヒトにとってそれは――――――。
リオルが目覚めた時には、既に日は高く昇っていた。
「むにゃ?」
ぼんやりした頭で、辺りを見回す。
簡素なベッド。枕元には小さなランプ。
閉じられたカーテンの隙間からは日の光が差し、鳥の声は森が近いことを教えてくれる。
ひびの入った土壁に掛けられた花の絵。乱暴なタッチで描かれたそれは決して絵描きのものではない。
素人が投げやりに描いたもの丸出しだ。
……見るからに安宿の一室といった内装だった。そしてそこはまさしく、
リオルたちがビサレタの町で部屋をとっている宿の一室に違いない。
リオルは首を傾げた。
「あ痛」
途端、身体を走る激痛に思わず声をあげてしまう。
そうそう、そうだった。昨夜はヒロトを手伝って森でドラゴン相手に大暴れしたんだっけ。
木が二、三本まとめてへし折られるような勢いで叩きつけられたり、斬り裂かれたり、
傷を自分で焼いて塞いだりしたために、いかに頑丈なリオルといえど受けたダメージは相当なものだったのだ。
その後魔力切れを起こしたのか気が遠くなって―――現在に至る。
身体は動く。傷も、大きなものは未だ包帯が巻かれているものの細かな傷は綺麗に消えていた。
きっとヒロトが倒れたリオルをここまで運び、そしてジョンが治療してくれたのだろう。
意識もはっきりしているから魔力補充もしてくれたに違いない。
「あ………」
そこまで把握して、リオルは気まずそうに肩を落とした。
魔力補充は決して愛を語らいあう行為ではないにしても、意識を失った相手を抱くのは
いい気持ちのするもんじゃないとジョンからは再三言われていたことだったのだ。
また、ジョンに小言を言われるのだろうか。
………いや、でもまぁ、昨日のアレはヒロトの仕事の手伝いで仕方なかったことだったのだ。
そこんとこ、ジョンも汲んでくれるだろう。ヒロトだって助け舟を出してくれるに違いない。
っていうか、見捨てたら恨む。
「お腹、すいたなぁ……」
ぽつり、と呟いた。
思い出したかのような言葉だったが、真実お腹はぺこぺこだった。
義体が栄養を欲している。今何時くらいなのだろうか。お昼は過ぎているだろうか。
「ん、しょ」
とりあえず降りてみんなと合流するか、と身を起こして、据え置きの机にジョンが向かっているのに気が付いた。
「ジョン、おはよ」
「………………………」
ジョンは答えない。振り向くこともなかった。
む、と思ったがどうも無視というわけでもないようだ。
羊皮紙にペンを物凄い勢いで走らせていた。その両脇には召喚したのだろうか、何冊もの分厚い魔道書が積み重なっていた。
こういうジョンは随分久しぶりだ。少なくとも、ヒロトたちと合流してからはこんなに集中して式を組むことはなかったように思う。
新しい錬金の術を思いついたとき、ジョンは頭の中にあるイメージをこうやって紙に書いて数列として残すのだ。
頭の中だけでは輪郭のはっきりしない考えでも、ペンを走らせて形を与えることではっきりした答えとして見ることができるらしい。
もっとも、その大半は役に立たない、という結論にたどり着くという。
現実には組み立てられないアイデアがほとんどなのだとか。
こういうのをまさに机上の空論というのだとジョンが言っていたのをよく覚えている。
それが妙に懐かしくて、リオルはしばらくジョンを見つめていることにした。
「……………………?」
……眉が、寄る。
ジョンの様子がおかしいことに気付いたのだ。
ジョンは何かに追われるようにペンを走らせている。集中しているのは同じなのだけど、
どこか精彩を欠くというか、いつものジョンとは違う様子だ。
ジョンが何かを閃いたとき。それを図式に表すとき。
その表情は、宝物を見つけた子供のように輝いていたというのに。
「ジョン」
リオルはたまらずに、もう一度声をかけた。
今度こそはジョンは気が付いて、肩越しに振り返る。
「―――ああ、リオル。目が覚めたんですね」
「うん」
こくん、と頷く。
やっぱり変だ。ジョンの笑顔がどこか寂しい。
影のあるような、リオルを切ないようなものとして見ている目だ。
リオルはどこかその目を見たことがあるような気がして、ふと思い至った。
リオルはもともとジョンが、リューとの交渉のために命を助けた存在だ。
ジョンの技術を魔王にアピールした上で、その確かな技術力を提供する代わりに
魔王城の書庫の利用を許可してもらおうという計画だったのである。
そのため、ジョンはかつてリオルをどうしても『交渉道具』として扱うことを余儀なくされた時期があった。
リオルに情が移ってしまったことを差っ引いても、優しいジョンにとってそれはつらいことだったに違いない。
明るく、ジョンに懐き、生命力溢れるリオルが相手ならなおさらのことだ。
そうした『一線を引く』ように努めているとき、ジョンはしばしばこういった寂しそうな目をすることを思い出した。
これも、ヒロトたちと合流してリューの軍門に下ったときからこっち、さっぱり見なかったことだった。
リオルは普段の能天気さからはかけ離れた恐るべき洞察力で―――おそらくは、ジョン限定に働くものだろう―――それに気が付いた。
(……でも、リュリルライア様の仲間になって、もう賢者の石の研究には目処がついたはずなんじゃなかったっけ?)
顎に指をあてて小首を傾げる。まあ、考えてもリオルには錬金術のことは
さっぱりわからないから、目星なんかつくわけないのだが。
「リオル、すみません。少し集中したいのでヒロトさんたちのところへ行っていてもらえませんか。
朝から教会に行っているはずですから」
ジョンは最後に微笑むと、また机に向かってしまった。
もう少し話をしていたかったが、ジョンはそうではないのだろう。
リオルは、む、と少しだけ唇を尖らせた。
「………なんで我がこんなことせにゃならんのだ」
リュー、むむー、と唇を尖らせていた。
「仕方ないでしょう。壊したのも散らかしたのも私たちなのですから。ってうか貴方なのですから」
その隣でじろりとリューを睨みつけるのはローラである。
箒にエプロン、三角巾。完全なお掃除ルックで昨夜砕け散ったステンドグラスの後片付けをしているのだった。
もともとはブレイズと交戦したことによって聖堂教会から何か通達がるのではとE.D.E.N.を観にきたのだが、
来てみれば何故か美しかった教会が見るも無残に倒壊していたのだった。
そして神官の話によると、昨夜ここから飛び去っていった何かがとてつもない衝撃波を起こし、
そのせいで教会が嵐の日の木こり小屋のように吹き飛ばされたためらしい。
………その『何か』に、ものすごく心当たりのある三人だった。
「我のせいかよ!?」
「フレズヴェルグの衝撃波でこうなったのですから、術師の貴方のせいに決まっているでしょう」
「待て待て待て。しかし昨夜はフレズヴェルグで飛ぶしか間に合う方法はなかったろう!」
「それにしても、加速の加減を考えて欲しいものですわ。腰を打つわ、建物は壊すわ、使いにくいったらありませんもの」
はぁぁあ、と深いため息をつく。その嫌味ったらしい態度に、リューのこめかみがぴくぴくと震えた。
「………それなら俺にも責任はある。フレズヴェルグに乗ろうと決めたのは俺なんだからな」
一日で急激に成長するという伝説の豆、ジャックスビーンよりも勢いよく跳ね上がったリューの怒りメーターが、
その一言でこれまたあっという間に冷却される。
「ヒロト」
「ヒロト様」
ヒロトである。
屋根の上で傾いた十字架や崩れた天井の大穴を直していたヒロトが戻ってきていた。
まったく、魔王を模して造られた古代の怪物さえ撃退した勇者のすることとはとても思えないが、何せ人手が足りないのだ。
恰幅のいいここの神官は決して身軽とは言えないし、町の人々にはそれぞれ仕事がある。
そこへ行くと、ヒロトは片手で重い祭壇だって軽々と持ち上げてしまう怪力と
ひと蹴りで屋根まで飛び越える脚力の持ち主。作業が進むのもやたらと早い。
それに何より、彼らはヒマなのだ。
一応ヒロトの件に関してはお咎めはない、というかどうもブレイズは聖堂教会に昨日のことを報告していないようだとわかったのだが、
帰ってきてみたらジョンが何やらすごい勢いでペンを走らせていたのだった。
話しかけても返ってくるのは生返事だけだし、食事どころか水の一杯さえいらないという。
リオルがまだ眠りこけていたことを考えても、ヒロトたちだけで次の町へ出発するわけにもいかないし。
「………ジョンさん、どうしたんでしょう?」
ローラが心配そうに言った。ジョンの様子は尋常じゃなかった。
あんなジョンを見るのは、ローラたちにとっては始めてのことだったのだ。
「……さてな。リオルの身体は順調に回復していると言っていたが」
リューの声にも心配そうな影が見える。
考えてみれば、リューたちはジョンがああやって『デスクワーク』をしているところを初めて見たのだ。
ラルティーグの魔導師は、そのほとんどが錬金術師。
つまり研究職なのだが、ジョンはといえば勇者に選定されただけあってどちらかといえば
フィールドワークの方が得意なようだった。もしかしたら、案外机に向かうと豹変するタイプなのかも知れない。
………そうだと、いいのだが。
「ヒロト様はどう思います?」
話を振られて、ヒロトは困ったような、厳しいような、複雑な顔になった。
そうしてしばらく言葉を選ぶように考えて、口を開く。
「ジョンが何か困っているなら、もちろん力になるつもりだ。でも、多分ジョンは今、それを望んでいないと思う。
あいつは頭がいいからきっと、本当に助けが必要なときはちゃんと助けを求めることができるだろ」
……まあ、確かにそうだが。
それは、ようはジョンを放っておくということだ。
聞きようによっては冷たくそっけないとも取れるヒロトの言葉。しかしそれは、同時に信頼の裏返しでもある。
ヒロトだって以前、勇み足でローラから説教を食らった身だ。
同じように溜め込むタイプであろうジョンとヒロトはどこか通じるものがあるのかも知れない。
男同士、言葉無くとも分かり合えるというヤツか。なんだか妬いてしまう二人であった。
「それに、ジョンの力になるのなら俺たちよりもっと相応しいヤツがいるから」
リューとローラの脳裏に、能天気な少女の顔が思い浮かんだ。
「リオレイア、か……」
「……まぁ、確かに」
「俺たちは下手に手を出さないほうがいいと思う。
俺にお前たちがいてくれているように、ジョンを一番に支えているのはリオルなんだから」
遠く、宿の方向を見つめて目を細める。
「………またこの男は……」
「……………ずるいですわ……」
一方リューとローラの方は、さらっと嬉し恥ずかしいことを言われて少し頬を赤くしていた。
昨日のフレズヴェルグで頼りにしているという告白といい、
この青年は真正面から照れることを言うから、その、少し困る。
しかもおそらくは自覚なしに。嘘をつけるような性格ではないことはわかっているから本心に違いない。
それがとてつもなく嬉しく、同時にくすぐったくて参ってしまう。
まったく、惚れた方はこれだから『負けて』いるというのだ。
「……でも、まぁ」
「そういうことなら……」
そっとしておくことにするか、と呟いて。
再び、教会の傾いた十字紋様を見上げるのだった。
「………はぁ」
ジョンは大きく深い息をつくと、ぎ、と床を軋ませて椅子にもたれかかった。
ついさっきまでがりがりと走らせていたペンを置いて、目と目の間を揉みほぐす。
肘が当たってしまい、山と積まれていた魔道書がばさばさと落ちたが拾う気も起きなかった。
そもそも、手垢で汚れたそれらは既にジョンの頭の中にすっかり入ってしまっているのだ。
拙い召喚術で呼び寄せたそれらはジョンの私物である。
ラルティーグの実家兼研究所に置いてきた、フルカネリ家の研究資料。亡き父の遺産だ。
ジョンが幼少の頃から何度も何度も捲ってきたページには、賢者の石にまつわる知識の粋が記されている。
魔道書といってもフルカネリの血を継ぐもの以外には表紙を開けないだけで、
持っているだけで魔力を食い尽くされるようなものでもなければ、
特別な魔法や魔獣が封印されているわけでもない。
そこに書かれているのは単なる『技術』だ。誰にでも再現が可能な知識の結晶。
魔道の真髄である『奇跡』とは真逆に位置するものだった。
――――――そう。『技術』だ。
ジョンたちラルティーグの錬金術師は気の遠くなるような時間をかけてそれを培ってきた。
昔は貴族や王族、魔道の家系のみが独占していた『奇跡』を
『技術』として平民たちに分け与えたのはラルティーグの錬金術師である。
無論猛反発はあったものの、これにより世界は飛躍的な進歩を遂げたといえよう。
深夜でも昼間のように仕事ができ、猛暑の中でも氷を齧れて、指先ひとつで火を熾せるようになった。
これらは全てラルティーグの技術あってもの。
近年、世界中に根を張り巡らせたE.D.E.N.の根幹―――情報を保管し、
共有する特性さえも賢者の石の研究過程で生み出されたノウハウから成り立っている。
技術は万人が為に。
それがラルティーグの在り方なのだ。
「リオル」
小さく、名を呼んだ。
ほとんど辺りに拡散しない、聞こえるか聞こえないかのその声に、少女は当然のようにぴくりと耳を動かした。
「なに?」
毛布に包まったままのリオルが顔をあげる。
ジョンは出て行くように言ったはずなのに。
何故かまだ彼女はベッドから降りずに毛布に包まっていたのだった。
「―――身体の調子はどうですか?」
「ん。傷はまだ痛いけど、動かさなければ大丈夫みたい。
それよりあたしお腹すいちゃった。レーション食べていい?」
「食堂に行けばいいじゃないですか」
「ううん。いい」
「……………」
リオルの言うことは矛盾している。空腹なら食堂に行って好きなだけ食事を取ればいいのだ。
保存食のレーションは決して美味しいとはいえないし、リオルだって好きじゃなかったはずなのに。
「…………………」
「…………」
リオルはジョンの了解を得ないままにもぞもぞと動いて荷物を漁ると、
角ばった袋を開けて固形食を齧り始めた。
視線は、ジョンの背中に。確かめたわけではないが、わかる。
リオルはもそもそと美味しくもないレーションを食べながらも、
じっとジョンから目を逸らしてはいないに違いない。
静かだった。
どこからか遠くで釘を打つような音が聞こえる。
何故リオルがここにいたがるのか。
それは、ジョンにはわかっている。
何故リオルがなにも訊かないのか。
それも、ジョンにはわかっていた。
「………リオル」
だから、ジョンは言った。
「何?」
「ボクは昨日、魔力補充をしていません」
「………?」
リオルはよくわかっていないようだ。
もぐもぐごくん、と口の中のものを飲み込んで、首を傾げているのがわかる。
「いえ、いつものようにリオルに魔力を充填しようとしたのですが、しかしその必要はなかったんですよ」
「どゆこと?」
ジョンはゆっくりと振り返った。
隈が色濃く縁取った目でリオルの姿を認めると力なく、息をついた。
「キミは、いいですか、リオル。キミは、自力で魔力を回復したんです。
キミの胸に埋め込まれている賢者の石はそんな機能はない。ならば何故?それがわからないんです。
もし。もしですよ。リオルに自力で魔力を回復できる能力が備わったなら。これがどういう意味かわかりますか。
それは、きっと、『本当の』賢者の石に大きく近づいたことになる。100年の停滞に終止符が打たれるんです。
いえ、それどころじゃありません。もしかしたら、届くのかも知れない。
これが、これこそが。ボクたちの望んでいた賢者の石そのものなのかも知れないんです」
ジョンはさらに目を見開くと、大仰に両手を広げてみせた。
「さらに、リオル、さらにですよ。まだあるんです。話はもう、そこにすら留まらない。
一度魔力循環の力を失ったリオルが再びこれを取り戻したとなれば、これはもう間違いない。事実上の死者蘇生です。
まだ実現されていない、ラルティーグの錬金術師が、ユグドレシアの魔術師が、ケムトの精霊使いが、ヴォドゥンの呪法師が、
パナパの祈祷師が、インの仙人が、ヒイヅルの巫が、ナルヴィタートの神官が―――世界中の、
ありとあらゆる魔導師たちが目指し、そして未だ達成していない大魔法が実現することになる。
これは、これはね。今まで生きた星の数ほどの研究者たちの、夢が。望んで、手に入らなかったものが。
リオル。はは、よりにもよって!キミの胸に!埋め込まれているってことなんですよ!」
がん、と机を叩いた。
その剣幕にリオルは驚いて、しかし、正直なところやはりよくわかっていない。
ただ、なにやらとんでもないことになっているということだけは理解できたようだ。
そう。
しかし、問題はここから先にある。
問題は、問題は、―――何故、リオルの賢者の石に変化が起きたのか。
そこなのだから。
「……ボクの練成した賢者の石に元々そんな能力はなかった。これはまず間違いありません。
開発したときにあらゆる面から実験を繰り返してきましたからね。
考えられるとすれば、リオル。キミの義体がリオレイアの魂によって変質したように、
強力な龍の魂魄の力で賢者の石の試作品にもまた、何らかの変化が起きたのではないかということです。
これも所詮、推測に過ぎませんけどね。そう。推測を立てるくらいしかできないんですよ。ボクにはね。
その変化が何なのか、どうすればそれを再現できるのか。それを確かめることが、ボクにはできない」
ジョンはぎしり、と奥歯を噛み締め、両手で髪の毛を鷲摑みにした。
これほど動揺しているジョンを見るのは初めてだった。苦渋に満ち満ちた視線は絶えず彷徨い、
しかしリオルの目だけは決して見ようとしていない。
「………………」
「だって、仕方がないじゃないですか。変質したのは―――リオル。キミの『生命』そのものだ。
それを、それを、はは、摘出して、実験する?そんなことをしたら、キミが死んでしまう!!
ええ、ボクだって一度瀕死のキミを救ったんだ。今度だって、命を抜き取られたリオルを
何とか死なずに済ませることが出来るかもしれない。そう思いましたよ。一度はね。
でも、駄目だ。わかってましたよ。無理なんだ。不可能なんだ、そんなことは!」
―――ああ、そうか、と。
リオルはやっと、ジョンの苦悩がどこにあるのかを悟った。
リオルの義体はジョンがリオルの為に造ったものだ。
正確には、ホムンクルスの種に絶命寸前だったリオレイアの魂を移し変えてから作成したリオルの第二の肉体。
そして、その核となったものが賢者の石なのである。
賢者の石を引き抜くということは、文字通りリオルの命を引き抜くことを意味していた。
そうなれば、リオルは今度こそ絶命する。
それでもリューなら、あの無尽の魔力を誇る魔王なら莫大な魔力で無理矢理に延命させることができるかも知れない。
―――リオルが、ジョンの眷属でさえなければ。
そう、これもまた無理な話なのだった。身の内にある魔力とは無色ではない。術師によって色づけされているものだ。
これを『魔法』ではなく、『魔力』のままで交換できるのは術師の眷族となった者のみ。
そしてリオルは、既にジョンの魔力によって染め上げられた眷属となってしまっている。
もとはといえば灼炎龍リオレイアを制御するために練った策が、ここにきて落とし穴となっていた。
だが、賢者の石を調べなければ『どうして』がわからない。
予想を立てることはできるだろう。だがそれらは純然たる『解答』に比べれば吹けば飛ぶ程度のものに過ぎない。
答えはここにある。リオルの心臓を抉り、賢者の石を摘出すれば、あるいは何か秘密がわかるかもしれない。
さらには、それをしないということはジョンにとって耐え難い裏切りをなってしまう。
ジョンはヒトの技術の発展に信念を掲げた民の一員なのだ。
ラルティーグを裏切るということは、ジョンの今までの人生を裏切るということなのである。
二者択一。
リオルの命か、祖国の―――いや、人類の夢か。
「……………………………………そっか」
胸元に。
指を這わせる。
そこにあるのは、なんだろう。
「考えたこと、なかったなぁ」
リオルはポツリと呟いた。
「あたしね、今まで、あたしはあたしだと思ってたよ」
ジョンは驚いて顔をあげた。
リオルは笑っている。でも、その笑顔はいつもの無邪気なリオルのものではなかった。
ジョンは呼吸を忘れた。心臓が痛い。鈎針のついた鉄線でがんじがらめにされたように。
「でもね。今の話で、思ったよ。この身体はジョンにもらったもので、リオレイアの魂もジョンに助けてもらったもの。
で―――この、なんていうのかな。生命?賢者の石は、これまで頑張ってきたジョンの仲間みんなもので―――。
だったら、ええと、あたしはさ。その役に立ちたいわけで」
―――リオルは、そうだ。
いつだってジョンの気持ちを汲んでくれる。
それがリオル生来のものか、ジョンに気持ちを寄せてくれているからなのか。
はたまた、ジョンとの術的な繋がりが作用しているのか……それはわからないけれど。
ジョンが求めたとき、望んだとき。きっと、リオルはそれを察してくれるのだ。
それが、今。
何を意味しているのか。
気付いたとき、ジョンは体中の血が凍りつく音を聞いた。
「ジョン。あたしは」
言うな。
言わせるな。
違う。
ボクはこんなこと、望んでいない。
発展に犠牲は必要かもしれない。でも。
リオルは―――リオルは、ボクにとって。
差を、つけるのか。他の全てと、リオルに?
馬鹿な。ああ。
言葉が出ない。
歯を。
食いしばるな。
喉を振るわせろ。
ここで言わないと。
ボクは―――ラルティーグの悲願が、叶うかもしれない。
煩い。
関係ない。関係ない?
ボクは勇者だ―――関係あるだろう!
畜生。
畜生!
「―――あ、」
ジョンは口を開け、しかし言葉は出てこない。少しだけ唇を噛んで、目を伏せ、そして見開いた。
リオルの手が、膝の上で握り締められて―――小さく、震えている。
「――――――……」
ジョンは、奥歯を砕くように強く、強く噛み締めて。
――――――そう、言った。
高い太陽に雲が差し、辺りはあっという間に薄暗くなっていった。
「……雨になるな」
ヒロトはぼりぼりと頭を掻いた。
教会の屋根の上、ソニックブームでばらばらになった煉瓦を新しいものに補修しているのだ。
急がないと雨漏りで大変なことになってしまう。予備の煉瓦があまりないので
何箇所か雨漏りすることは最早この教会には避けられないことなのだが。
「勇者様。もう充分ですのでどうかお下りください。
天下のヒロト様やそのお連れ様にこんな雑務をさせるなんて、やはり申し訳がありません」
下から神官が声を掛けてくる。
そうもいかない。この屋根にしたって………まぁ、もともとボロではあったとしても実際吹き飛ばしたのはヒロトたちなんだから。
その主犯格であるリューは、屋根の上に登っても修理する技術に欠けるのでとりあえず
ローラと共に教会の掃除を言いつけておいた。そのせいで余計に神官は恐縮しているのだろう。
まぁそれはわかるのだが、急がないと雨が降ってきそうだし、それに何より、ヒロトたちはヒマなのだ。
リオルの目が覚めているのかどうかはわからないけど、とりあえず夜になるまでは宿にも戻らないほうがいい。
そう決めていたから。
「気にしないで。好きでやっていることです」
「しかし、ならせめて休憩をされては……。お茶を淹れますので」
お茶、ね。
ヒロトは暗い空を見上げた。
「雨漏りはもう、仕方がないものですから」
「……そう、ですね。じゃあ、リューたちに淹れてやってください。俺の分はいいですから」
空を見上げたまま、ヒロトが呟く。
「え?」
「少し、用事ができたようですので」
そう、口にしたが早いか、ヒロトは手元にあった煉瓦をひとつ掴むと、身体を捻らせて思い切り投擲した。
そのままならば地面と水平にどこまでも飛んでいくかと思われた煉瓦は、
数メートルもいかないうちに破壊され砕けて粉々になってしまう。
「え?……あ、れ?」
神官は突然のことに目を白黒している。
しかし、見る者が見ればわかっただろう。
それは、どこからか飛んできた空気の塊に衝突し、それを相殺する形で防いだのだということが。
「………………」
ヒロトはすっと真顔になると、立ち上がった。
彼方、離れた屋根の上にばさばさとたなびく薄汚れた白衣の少年がいる。
薄い茶色のクセっ毛に梟のような眼鏡。光の加減で表情はよく見えないが、あの背格好は見慣れたものだ。
間違いない。さっきの『攻撃』は、彼がヒロトを狙った風の魔法だろう。
ジョン・ディ・フルカネリ。
稀代の天才と謳われたかの勇者が、ヒロトに仕掛けてきたのだ。
「――――――……」
ジョンは両手を広げた。
何か呪文を詠唱したようだ。その手にそれぞれ砂埃が渦を作る。風が逆巻き、砲弾が生まれているのだ。
ジョンは錬金術師でありながら攻撃魔法も嗜んでいる。その多芸はジョンを天才と言わしめているよ要素のひとつだった。
だが。
「これしき!」
ヒロトは丸腰だった。屋根の修理に剣は必要ない。だからそのままぶん、と手を大きく振って―――。
―――それだけで、放たれた真空弾をかき消した。
話にならない。攻撃魔法というなら、昨夜食らいつかれたブレイズのバルクンドやアフアナールとは
比べ物にならないほどの差があった。
所詮は手習い程度の攻撃魔法、そこらの魔獣ならともかく相手がヒロトでは通用する道理もない。
そもそも、ジョンの得意は接近戦。拳打と共に呪いを送り込み肉体を破壊する“霊拳”にこそあるのだろうに。
「……来いってのか」
それでも、ヒロトには遠距離攻撃の術がない。
確かに以前、空中のリオルを剣の風圧で落としたりしたことがあったものの、
あれは攻撃というよりは牽制、それも手品みたいなものであって、
ようは同じ平面状にいない相手をびっくりさせて隙を作るワザ、それだけだったりする。
そもそも狙いがどうしても甘くなるので街中では使えないし。
「ゆ、勇者様?どうなされたので?」
神官のいる地上からはジョンの姿は見えない。おろおろしている神官に、なんでもない、と頷いた。
「少しここを離れますが、リューたちは好きにこき使っていいですから」
「え、はぁ……」
ヒロトは跳躍した。
ジョンも屋根を降りて、走り出す。さっきのは声を掛けたようなものに過ぎない。
ジョンは初めから場所を変えるつもりだったようだ。
ヒロトも追いつこうとはせず、その誘導に従うことにした。
屋根の上を跳び越え、ジョンの背中を追う。
その後姿からは、ジョンが何を考えているのかは、わからなかった。
「……行ったか」
「そのようですわね」
二人の勇者が町から離れていくのを、リューとローラはそのただならぬ気配から感じ取っていた。
礼拝堂の奥、ヒロトの言いつけで掃除を手伝っていた魔王と王女は天井を見上げてやれやれと肩をすくめた。
ジョンがヒロトを襲ったことについては、二人は特に驚いてはいないようだ。
それもそうだろう。大方の予想はついていたのだ。ジョンが『相談』を持ちかけるのなら、それはヒロトだと。
リューは人間世界に降りてきてから何度か小説で読んだことがある。
いわゆる男の友情。一発ブン殴ってスッキリするというアレである。
リューにはとことん理解しがたいが、どうもオトコという生き物はそういうコミュニケーションをしばしば取るものらしい。
拳と拳で語り合う特殊言語。それが証拠に、ヒロトは剣を置いていった。
男のドツキ合いにエモノはいらない、というワケだ。
………度し難い愚か者である。男という生き物は。
「そうは思わんか、ローラ」
「まったくですわ、リュー」
二人の少女はコクコクと頷きあった。
お前ら似たようなことやったじゃん、というツッコミを入れる者は、その場にはいなかったけれど。
―――もう微かにしか覚えてはいない、父や母との思い出。
自分を育ててくれた祖父の背中。
ラルティーグの施設で共に学んだ仲間たち。
研究の上で関わった全てのヒトが、ジョン・ディ・フルカネリの礎となっていた。
ジョンが恵まれていたのは何も才能だけではない。天性の才能というなら、
ジョンが生まれ育てられた環境こそ、奇跡のようなバランスで構成された天の恩恵に違いなかった。
匠の国ラルティーグの、錬金の名家フルカネリに生まれたこと。
息をするだけで罪とされるような戦乱の世のように、磨いた技術を殺戮の道具にはされない時代に成長できたこと。
どこか一筋縄ではいかない、けど信頼しあえる同胞たちと切磋琢磨できたこと。
認められること。
笑顔でいられること。
その、全てが、ジョン・ディ・フルカネリの持つ計り知れない才覚なのだ。
だからこそ、他のヒトビトの想いを受け、技術の発展に身を捧げる決心をした。
おそらくはそれは、ラルティーグで脈々と受け継がれてきた絆なのだろう。
「渇きの国で外道に堕ちた同胞を見たとき、ボクは悲しかった。
あれだけの力を持ち、実現できるなら―――そこには必ず、先人たちの努力があってこそ。
彼はそれを踏みにじった。ラルティーグの誇りを汚したんだ。それが、許せなかったんですよ」
小柄なジョンと長身のヒロト。体格差はあるものの、格闘戦にはジョンに一日の長がある。
剣を持たない剣士の拳をいなし、躱し、懐に入り込んで一撃を叩き込む。
が、ジョンの祖父にして師匠直伝の拳法の技ですらヒロトとの差を埋めるには足りない。
打ち込んだ拳が筋肉の鎧に止められる。硬い。まるで鉄の塊を殴っているようだ。
拳打を打ち込んだ手が逆に傷つき、血が滲んむほどに。
それでも、ジョンは拳を緩めない。
身の裡から湧き出す感情を、そのままヒロトにぶつけるように。
血が滴る拳がヒロトの頬に突き刺さる。と、ジョンのまぶたの裏に星が飛んだ。
腕を交差させるような形でジョンにヒロトの拳が食い込んでいる。クロスカウンターだ。
拳の重さと自らの勢いが加重された攻撃に、ジョンはよろけるどころではない。踏ん張りもきかずに吹き飛ばされた。
地面を無様に転がり、鉄の味が口内に広がっていく。それでもジョンの慟哭は止まらない。
よろけながら、血をべ、と吐き出しながら立ち上がる。
身体が濡れている。
いつの間にかしとしとと雨が降っていた。
「でもね。一番許せないのはボク自身だ。
ラルティーグの勇者であるくせに。リオルが大切だというのに。
ボクは結局どちらを選んだと思います?どちらを犠牲にしようとしたと思います?
選べなかったんですよ。どちらもね。選ばなかったことで、どちらも傷付けてしまった。
ボクがリオルに何を言わせようとしたか―――どんなに残酷で!卑怯なことか!
初めから、答えは出てたっていうのに!!」
ごん、と。
鈍い音がして、ジョンの視界がぐるんと回った。
ヒロトの拳がまともに入ったのだ。先程のように軌道を反らそうと手を添えようとしたが、その動作が間に合わない。
頭に血が昇っているのを自覚する。それで身体に染み付いている型さえも崩れてきているのか。
それとも、剣神と謳われたヒロトが得物を必要としない拳闘に慣れてきたのか。
がくん、と膝から力が抜けた。倒れる―――奥歯を食い縛る。
『―――リオルを失いたくない。ボクは、キミに傍にいて欲しい』
血が滲む拳に魔力が灯った。
唯の殴り合いには必要ない筈のその技は、しかし紛れもないジョンの全力。
一撃必殺の呪拳―――“霊拳”を握り締めた。
力の抜けた足を踏ん張り、地面に突き立てる。
雨水で滑りそうになる。それでも、踏みしめ、往く。
ジョン・ディ・フルカネリはいつか、過去を顧みて―――今の、この決定をどう思うだろうか。
愚かだと笑うだろうか。計り知れない幸運を見逃したと呆れ果てるだろうか。
でも、それでも―――きっと後悔はしない。
ジョン・ディ・フルカネリはリオルを犠牲にした瞬間、死んでしまうだろうから。
奇跡のような才覚に恵まれたジョンの錬金術師としての矜持が、かけがえの無いひとを殺したことで嘘になる。
それがヒトの夢を裏切る行為なら、ジョンは代わりに幸運に頼ることなくそこに至ろう。
きっと、どれほど遠い道であっても倒れることはない。
支えてくれる彼女がいるのだから。
―――きっと。
「あ―――ぁぁぁああああああああああああ!!!!」
喉が張り裂けそうな程に叫んだ。
その声が、ラルティーグの同胞に対する懺悔の声だったのか、それはわからないけど。
ジョンは持てる全ての想いを込め、拳を打ち込んだのだった。
リオルは教会に足を運んできていた。
身体を動かすと時々痛むけど、腕の傷以外は大したことはない。
自分で塞いだ傷が一番痛むというのは皮肉というものか。
どうも来るタイミングが良かったようだ。
教会の扉を開けると、リューとローラがお茶を飲んでいるところだった。
リューとローラはお菓子の取り分が減ってあからさまに嫌な顔をしたけど、
そこはジョンとの話の報告も兼ねて、ということで。
「―――お前の胸に真の賢者の石が、ねぇ」
「本当だったら物凄いことですわ」
身を乗り出すローラとは対照的に、リューはどこかつまらなそうだ。
頬杖をつきながら、お茶請けのクッキーを口に放り込んでいく。
「本当だったら、な」
ジョンはリオルを取ったのだ。リオルの胸に埋め込まれている賢者の石が『本物』かどうか、確かめる術はない。
「魔力を回復できるっていう性能は確からしいんですけどねー。その仕組みを解明できなきゃ技術とはいえない、とかなんとか」
「道理だな」
「まあ、それはそうですけど」
リューはずずず、と行儀悪くお茶を啜っている。
リューは―――嫉妬しているのかも知れない、と思っていた。
ジョンはいわば、自分の夢の達成よりリオルを優先させたのだ。
そこまで愛されることに対しての嫉妬。そして、おそらくは―――ヒロトはそうではないだろうという確信。
ヒロトはおそらく、リューが障害となった場合、その剣をリューに向けてくるだろう。
心を殺し、刃となって。
もちろん、リューはヒロトの敵となるつもりは全くないが……。
リューは砂糖をもうひとつお茶に放り込むと、
――――――雨の降りしきる空を見上げた。
頬をつたう。
熱い雨水で、視界がぼやけている。
雨が降っていてよかったと、ぼんやりと思った。
「―――すみません。ヒロトさんには関係がなかったのに、付き合わせてしまって」
「いいさ。こんなことでいいなら、いつでも」
「遠慮しておきます。身体がもちそうにないですから」
「……気分は」
「すっきりしましたよ。こうやって雨に打たれるのも悪くない」
「そりゃ、よかった」
「ところで―――お願いがあるのですが」
「ん」
「その、町までおぶっていってくれませんか?」
大の字にひっくり返って動けないジョンが照れたように笑う。ヒロトは口元を緩めて、頷いた。
両目から溢れるものでジョンの笑顔はひきつっていたものの、
小雨の振る灰色の空とは逆に―――晴れ晴れとしていたようにヒロトには見えたのだった。
最終更新:2008年07月15日 23:20