「ところで、お前。城にいた頃は何やってたんだ?」
青年の問いかけに、少女はびくっと身体を震わせた。
「………何と?」
「俺が城に行く前だよ。俺は世界中旅して魔獣退治とかしてたけど……今とやってることあんまり変わらないな。
お前は普段何やってたのかな、と。
魔王ってでっかい椅子に腰掛けて笑ってるようなイメージしかなくてな。
……まぁ、お前見る限りそれもかなりかけ離れてるんだが。
なぁ、魔王って普段何してんの?」
少女は何故かしばらく苦い顔でギリギリと歯軋りすると、あげていた顔を本に戻した。
「我は昔から読書が趣味だったからな。魔王城の書庫に日がな一日篭っていたが」
「魔王城に恋愛小説なんて置いてあったのか?」
青年が少女の読む本のタイトルをチラリと見て、眉をひそめた。
『薬草味のファースト☆キッス』
最近少女がはまっているらしい小説シリーズの最新作だ。
荷物が増えるからと渋る青年を、こうすれば問題あるまい!と転送魔法で魔王城に送りつけ、
読みたくなったら召喚魔法で呼び出しているのである。
次の街に着いたらこのシリーズ全作集める気でいるらしい。嗚呼、貴重な路銀が消えていく。
「ば、馬鹿者!もともとこのような低級な娯楽小説に興味などなかったわ!
我が好んで読むのは千年の歴史を持つ魔道書であってだな!」
少女が顔を赤くしてわめく。
少女にしてみれば、恋愛の指南書である少女小説を必要としたのは青年と共に旅をするようになってからに他ならない。
妙な勘違いをしてもらっては困るのだ。色々と。
「ちょっと待て。でも、お前城から出たことなかったんだろ?本ばっかり読んでたのか?」
「……そうだが」
「仕事みたいなものは?王様っていや市民を管理するのが仕事だろう」
「魔王と人間の王を一緒にするな。人間の王は所詮人間に過ぎないが、魔族の王は魔王という一個の種族なのだよ。
したがって我は何もせずとも他の魔族の頂点にある。管理などする必要はない!」
本から顔を上げて無い胸を張る少女。
そこに、青年がふと気付く。
「つまり、お前何もしてなかったんだな」
「………………………………………………………」
「薄暗い書庫に篭ってでっかい魔道書抱えて、ブツブツ独り言呟きながら一日潰して。気がついたらもう寝る時間、か」
「………………………………………………………」
「根暗だったんだな。お前」
「うるさいうるさいうるさい!!」
少女小説が霞の如く消え去り、代わりに火球が現れる。
「も、勿論本ばかり読んでいたわけではないぞ!えーと、昼寝したり、散歩したり……ご、ごろごろしたり………」
「……お前………」
「そんな目で我を見るな!水晶で遠くの景色を見てたりしてたんだぞ!!」
「へぇ、お前そんなこともできるのか。何を見てたんだよ」
「それは……」
少女の顔が何故か真っ赤になる。
言えない。
“勇者”に選定された男が各地の強力な魔獣を撃破しているとの報告を受けた後、
水晶でその勇者の姿をずっと追って見ていたなどと。
突然魔獣が襲い掛かってきたとき、とっさに「危ない!」と叫んでしまったことなど、
気がついたらニヤニヤしていたり、その後この者は世界で一番我を嫌っているのだな、
とがっくり肩を落としたなど言えるはずもないのだ。
思えば殺す殺されるの関係しかありえないと思われた魔王と勇者がこうして二人で旅をしているなど、
あの頃は夢でしかなかったのだが。
まったく、喉元に刃を突きつけられて共に旅をすることを命令されたとき、
我がどれほど驚き、嬉しかったことか……この鈍感は気付くまいよ。
「……何ニヤニヤしてるんだ、気持ち悪い」
「きっ!気持ち悪いとは何を無礼な!」
火球を投げつけるも、まるで蝿かなにかのように弾かれて彼方に飛んでいってしまう。
遠くの山に当たり、大きなクレーターができた。
あれは最上劫火球魔法ではない。初級火球魔法だ。
……誰もいなかったことを祈ろう。
「貴様こそ何をやっていたのだ、我を倒す旅に出る前は!」
――勢いで言ってしまったが、ふと、今までその手の質問は一切してこなかったことに気付く。
魔王は勇者と出会う前など何も無い空虚な存在だったからいい。魔王は魔王でなかった時など一瞬たりともなかったのだから。
だが、勇者は―――勇者である前、ひとりの青年だった頃がちゃんとあるのだ。
「俺が、勇者になる前か――」
青年は少しだけ寂しそうに笑った。
少女はその顔に胸がちくりと痛くなるのを感じた。
勇者を勇者たらしめたのは、魔王という存在だ。勇者は、勇者になって本当によかったのか?
青年が一瞬だけ見せた表情は、少女の知らない青年本来の顔だったのではないか?
「そんな顔すんなって。俺は後悔なんかしてないんだから」
よほど不安そうな顔だったのか。
青年は普段の青年に戻って少女の頭をくしゃくしゃとなでた。
「う、うるさい!馬鹿者!」
気恥ずかしくなって怒鳴るが、それは普段より力が無い。
「そう、後悔なんかしてない。俺は俺にしかできないことがある。そのことに、誇りを持っているんだから」
……この男はずるい。
少女はむにゅむにゅと口の中だけで呟いた。
そんな顔されたら、我はどうすればよいのだ。胸がきゅんきゅんするではないか。
「そ、それで?貴様はなにをやっていたのだ?あれほど我を侮辱したのだ。
よもや特に何もしていないなどとのたまうのではあるまいな?」
咳払い、そして無理矢理ニヤリと笑う。顔が火照っているのは挑発的な態度でカバー。最近身につけた照れ隠しだ。
「そうだったな。俺はずっと東にある国の王城騎士団にいて―――」
大好きな男と二人旅。
またひとつ、“すき”が増えていく。
――――――幸せだ、と思った。
最終更新:2007年07月27日 00:54