「……。 ふぅ……」
私はハーブティーを一杯頂きながら、誰も居ない食堂で、陰鬱な気分になっておりました。
クロエ様は、あれから部屋でずっと「内務」を。
御館様は、…きっと、前の奥様と御会いになられているのでしょう。
アベル様は、もう戻られません。
「………」
もう涙も枯れ果てました。…幼き頃から、ずっとお世話をさせて頂いていたのですから。
アベル様。そして勿論、クロエ様も。
……クロエ様が一番危ないのは、折れた様子が、わたくしからは分からぬ時なので御座います。
脆い所は、見せて下さらいから…。
「メイド長……お屋敷に不審者が。西棟廊下です」
気配を消すのがまだまだ甘い見習いの給仕が、緊張した面持ちのまま、屋根から報告をしてまいりました。
「お掃除を」、と言い掛けた所で、見習いは次ぐように急いで、
「三名ですっ、」
「………。」
どうして、このような時に。白磁のティーカップを指でなぞりながら、わたくしの一念は、それだけで御座いました。…このティーに使った茶葉は、領で取れる体に良いというハーブらしいのですが、今の私の胃腸には、あまり役立ってくれそうにはありません……。
「コード26、ゴー」
嘆息混じりに屋敷の全閉鎖を申し付け、私は立ち上がり、お客様をお迎えにあがったのです。
* * *
その少女は明るく、少し恥ずかしげに笑顔を浮かべながら、慎ましくスカートの裾を摘まみ、挨拶なされました。
「…あの、私、ノアって言います。宜しく御願いしますね。」
「……はあ……」
わたくしは当然、何が起きたのか分からずにいました。
そこにいたのは、「シャーベットはどこで食べるのが一番美味しいか」――で、我が家の廊下で何故か喧嘩をしていた三人組だったのです。声をおかけした途端に挨拶を頂きました。…訳がわかりませんが、攻撃は当家では最後の自衛手段。いくら相手が怪しいと思うことがあっても、万に一、正式なハイゼンシュタット家のお客様であった場合がある為です。…いっそ、攻撃をして頂いたほうが気が楽というものなのですが…。
「僕は、そうだなあ」
悩むような素振りを僅かに見せたのは、若い、見目麗しい殿方で御座いました。悩んでなどいなかったのではないかとすら、思います。悩みながら笑っていたのです、あの方は。それも、何処か欠けた、仮面のような笑顔で。
そして、やがてわざとらしくぽん、と手を叩いて、空虚な笑みを浮かべたまま、
「うん、ジョン・ドゥなんて。お洒落かな、どうだろう?、シモンくん」
「ちょいとキツい冗句が過ぎますわな。ネフィリム人でもピクリとも笑やァしませんよ」
仲間らしい男に語りかけられました。
大仰なライフルケースを抱えた、古い草臥れた軍服の男です。…仕立ての良い、貴族用の上等な服を着たジョン様と並ばれると、どうもちぐはぐな印象を、私は受けたものです。
またその男は、傷のある顔でくしゃりと、精一杯の笑顔で冗談で返してはいましたが…何故「精一杯」かというと、顔つきが恐ろしいからで御座います。そう、手負いの肉食獣が穏和な笑みを浮かべようとした末路のような。軍人崩れで御座いましょうか。
その殿方はそんな私の不審そうな視線に気付き、慌てて敬礼しながら(ライフルケースを落としかけましたが、足で器用に抱えて!)、挨拶をまたされたのです。
「嗚呼、こら失礼! 名乗りもせずに……!私コッラー川に産湯を使い、姓はラス、名はシモン。ごろつきですが、ご迷惑はお掛けしやせんので」
「…どうも、ご丁寧にありがとうございます。それは、安心しましたわ」
彼はどうやら、私の視線の意味を半分誤解しておられるようでした。名を名乗れ、と、催促しているわけではなかったのですが。……私としたことが、少し嫌味のようなことをお客様に申し上げてしまいました。猛省しなければ…シモン様は「はい!お任せを!」と頼り甲斐のある返事をなさっておられたので、お気付きになっていたのは、その後ろでくすくすと、――失礼ながら嫌な笑い方を為されていたジョン様だけだったでしょうか。
「当家のハウスキーパーとレディメイドを兼ねております、わたくし……ああいえ。それより……申し訳在りませんが、」
「はいっ」
「なに?、悪いけど、スリーサイズは秘密ね」
「ご安心くださいよ、行動で信頼は勝ち取るモンです。早速賊の入りそうな所にゃ対人地雷をですね……は、何でしょうかッ」
「…何方様、でいらっしゃいますか。」
……その問いに、三者は疑問符を浮かべた後…お互いに顔を見合わせ、こそこそと何か話し出されたのです。
「もうっ、ジョンさんが「生メイドさんだよほら」、だなんて急かすから、私あせっちゃっれッ、あいらッ」
「お、お嬢!…また舌ですか…この部分は腐るかもしれやせん。速めに斬りやしょ…」
沈痛な面持ちでアーミーナイフの刃を手慣れた様子で出すジョン様に、少々焦られたように、ノア様は声を高くされ、
「シモンさんは極端れふっっ」
「まあまあ、そういう、特徴も、いいんじゃない?、キャラ、濃くなるし」
「キャラってなんですかぁっ! あいたたた……」
かくしておられるつもりなのやもしれませんが、丸聞こえで御座いました。
終りが見えぬご雑談に、不躾では御座いますが咳を一つ…。
「当家とは、どのようなご関係で――」
その問いに。
ぐい、と、まるで人形のようにそれぞれが同じタイミングで顔を私に向けられ、
同じタイミングで、
「クロエお姉さまの」
「クロエちゃんの」
「クロエ様の」
「「「お友達」」」「です」「だよ」「ですナ」
そう仰られたとき。 私は軽い恐怖が先んじ、少しよろめいた後――そのまま酷い眩暈を感じました。
…クロエ様の。…ご友人?わたくしの存じ上げない?……思わず壁に手をついてしまったものの、持ち応えて。
「お友達ですっ、はい。 お見舞いにお伺いしたんです…ちょっと迷ってしまいまして。廊下をうろうろと…」
ノア様は、わたくしの怪訝な視線にも気遅れることなく、微笑みながら何かを差し出されました。
警戒をしながら、薄いそれを手にとり…そこにあったものに、わたくしはただただ、驚愕したのです。
「――? ……!…馬鹿な、何なのですかっ、これは……」
「馬なも、鹿なも、ねえ?、」
「はいっ。」
「お久しぶりですね、給仕長。『また』お叱りを受けることになるとは」
…信じられませんでした。だって、これは……!
「「「あなたともお友達だった」」」
揃う声。
ぐらりと視界が揺れる感覚――。
「じゃないですかっ」「忘れちゃった?、哀しいなあ、」「んですよ。あんな、素晴らしいトラップを仕掛けられるなんて、メイドにしとくにゃァ勿体無いですな、あなたは」
言葉を皮切りに、私が懐の銃に手を伸ばしたときには、もう、既に意識は遠のきかけておりました。廊下の絨毯にへたり込んでしまい……
「どうか武器なんて必要のない、優しい世界になりますように…ですね」
子を慈しむような、柔らかな、そんな少女の声を最後に――わたくしの意思は途切れました。
* * *
「お嬢。あの家も…」
「はいっ、そうします。 うんっ、冷たいっ…おいしいです」
一路、賑やかな街を、でこぼこなトリオが往く。
ぺろぺろとご機嫌な様子で氷菓子(――屋台で売っていた割高なものを買い、軍人らしき男が買い渋るという一幕)を舐める少女に、青年はくすくすと空虚な笑みを向け、、
「そんなに酷いかな、あれ。ぼくは、あんなの、甘えかな?、って、おもったけど、」
「ジョンさんは手厳しすぎますよう。それに……」
さくっ。氷菓子にやすっちいスプーンが突き刺さる。
「困っている人がいたら、どんな方でも、助けてあげないとっ」
少女は表情を引き締め、決意したように呟く。
青年は確かにそれを見止め、魅止めて。口端に笑みを刷きながら
「君、可愛い事、言うよね。惚れ直しちゃった」
「えへへっ、からかわないでくださいよう」
「ハッハッハァ!愉快な冗句ですなァ。さてとお嬢の半径10km以内から離れるか女の子になって俺を安心させるか、で選んで下さいや」
「君も、大概、過保護、だねえ」
頭にコルトM1911A1をごりごりと埋め込むもの、頭にコルトM1911A1をごりごりと埋め込まれるもの。
どちらも笑顔には変わらず、平和な街に違和感を与えぬ平和な光景である。それに少女――ノアと呼ばれた少女は、無邪気な笑みを浮かべたままは、気付かないような様子のまま、先を往く。話は続けられる。
「準備が出来たらまた伺いやしょう。暗示は終わりましたからね」
「はい。では……救済劇をはじめましょうかっ。まずは、あのお姉さまから。――………」
「お嬢?」
青褪めた顔色の少女は……。
「……あああああ、頭にきーんって!……あいたたたたた」
「ああああァァァアアアお嬢ォォオオオオ!」
「いけない!、体温が、こんなに、割りと、下がっている…、あっためて、あげるんだ!肌と肌の、ぬくもりでね!、」
半分ほど平らげられた氷菓子のカップがころりと地面に転がり、無残な様を呈している横で、しゃがみ込んで頭を抱える少女のポケットからひらりと、一枚の写真が零れ舞い踊る。
そこに写っていたのは、ハイゼンシュタット家の幼い姉弟、仏頂面の父、まだ若かった給仕長。数少ないセピアの思い出。
そこに、本来ある筈のない三つの影が写りこんでいた。
最終更新:2011年10月09日 03:20