「あのっ…、セシリア様はこの世界の女王様なんですよね……?」
東天一輝(あずま かずき)は私にそう尋ねた。
「ううん。そうじゃないんだよ」
私はやんわりと否定して返す。
時は、一輝がライラと再会せんがためにセント・アゴラを訪れていた頃のこと。ライラの呼び出しに成功した私と一輝は、ライラとの再会の願いを明日に託し、城下の宿で夜を過ごしていた。夕食も終え、夜明けにはまだまだ時間がある。だからその時間を使って、一輝や桃香から“地球”のことを聞いたり、逆に私から樹木の世界(ウッドワールド)のことを話したりしていたのだ。
「まず前提としてキミが誤解している所を解くと、私が直接統治している領域(リージョン)は、このセント・アゴラだけなんだ。他の領域は、それぞれの勢力(ミーム)の有力者たちが、固有の自治権と実効支配力をもって、それぞれの政治形態で治めてる。私から見れば“外国”ということになるね。そもそも、私は元々何の政治基盤も持たない状態でこの世界に移住して来たから、十もの領域を全て自分で治めるような力は持っていなかったんだよ」
「え…?そうなんですか…?でも、今はこのセント・アゴラを治めていますよね?」
「うん。でも、セント・アゴラにも他の領域を統率できるような力はないんだ。話は簡単なことだよ…一輝」
意外そうな表情を浮かべる一輝に私は答える。
「セント・アゴラは30万…。これに対し、たとえばオリジン領域は1000万…。それぞれの人口だ」
そう言って、私は手近な紙にいくつかの数字を書いてあげる。
| 人口 | |
| セント・アゴラ | 30万人 |
| フォーリナー領域 | 100人 |
| オリジン領域 | 1,000万人 |
| アムルタート領域 | 1万頭 |
| グレズ領域 | 10万体 |
| コラプサー領域 | 3,000柱 |
| 富嶽領域 | 300万人 |
| ネフィリム領域 | 10万人 |
| 暁帝国領域 | 1,000万人以上 |
| パンデモニウム領域 | 100万人 |
「見ての通り、人口だけでもこんなに違うんだ…。つまり、それだけ軍事力も違う。たしかに、民の数がそのまま兵の数を表す訳じゃないし、兵の数がそのまま軍の力を表す訳じゃない。我が軍は寡兵ながらも他の領域のどの軍にも負けない精強さを持つ自負もある」
それでも…、と私は続ける。
「それでも、他の領域と正面からケンカするなんて、とても出来るものじゃない。軍事力を背景に圧力をかけることすら不可能だろう。セント・アゴラの力では、樹木の世界の十の領域を全て支配下に置くことなんて、もともと出来ないんだよ…」
私の説明に、一輝は疑問の表情を浮かべる。
「でも…、それじゃあ、どうやって世界を保ってるんですか…?このセント・アゴラは、樹木の世界の平和を守っている領域なんですよね?」
「うん。だからね…、セント・アゴラは十の領域を統治する領域ではなく、十の領域の間のバランスを調整する領域なんだ。そして、領域同士が平和的な交渉を行うための話し合いの場なんだ」
そう言って私は、少し過去へと言葉を向ける。
「かつて私達が住んでいた孤界(スフィア)オリジンでは、アムルタートも富嶽も、全ての勢力(ミーム)が互いに戦争していた。戦争に至る理由は勢力(ミーム)によって様々だったけど、その多くはオリジンにおける生存権をかけて争っていたんだ」
かいつまんで語るオリジン戦役の記憶。一輝はそれに黙って聞き入る。
「そんな情勢の中、ギンと私がこの樹木の世界を創世した。争わなくても生きていける世界が、それによって生まれたんだ…。だから私は、この世界に移り住んでセント・アゴラの玉座に納まったときに、「折角移り住んだこの世界では、戦争は止めよう。話し合いによって物事を解決しよう」という呼びかけをしたんだ」
その呼びかけの先に今のこの世界がある。
「そしてその呼びかけは、この世界の創造主である私の権威と、交通の要所を抑えているという地理的条件、それに、他の領域との外交力によって守られているんだよ」
一輝が「難しくてよく分からない」という表情を浮かべていたので、私は柔らかく微笑(わら)い、噛み砕いて説明してあげる。
「この世界は、私とギンがマーキュリー『願いの種』を使って創り出した…。だから、この世界に居を構える如何なる国家や組織も、その功績を無視することが出来ないんだ。争うことなく居住地を得ることができる…それも充実した資源をもった世界を創りだしたわけだからね」
一輝は、「たしかに」といった顔つきで、こくこくと頷く。
「そして、その権威は、セント・アゴラが交通の要所にあるという地理的条件によって保たれている…。樹木の世界の各領域は、このセント・アゴラを経由する形で、混沌の海流によって結ばれている。セント・アゴラを通らなければ、領域を跨いだ如何なる軍事活動も経済活動も行えないんだ。だから世界はセント・アゴラを無視できないんだよ」
先程よりさらに理解を深めた表情で、一輝はこっくりと頷く。
「そうやって交通の要所を抑えておけば、活発な交易を行いたい勢力(ミーム)は、積極的にセント・アゴラと仲良くなろうと接してくる。ネフィリム社なんかは、正にこれだね。そして、そういう勢力(ミーム)は、ある程度セント・アゴラの“お願い”を聞いてくれるようになる。港が使えなければ、交易はできないわけだからね」
真剣に聞き入る一輝。真摯な眼差しが続きを促す。
「そして、どこかの勢力(ミーム)がセント・アゴラと仲良くなれば、他の勢力(ミーム)もそれに負けないようにセント・アゴラと仲良くなろうと接近してくる。交易勝負に負ければ、自分の所が不利になってしまうからね…。だから、世界の全ての勢力(ミーム)と上手に“おつきあい”していけば、セント・アゴラは世界のどこにでも“お願い”を聞いてもらえるようになるんだ…」
私の言葉に得心行った表情を浮かべる一輝。新しいことを知った時の、子供のこういう顔は、見ていてとても可愛らしい。思わず私は、くすりと微笑(わら)う。
「そしてセント・アゴラは、そうして高めた発言力を使って、領域と領域の間に揉め事が起きた時に、その解決のための話し合いの場を提供するんだ」
一輝の瞳を覗き込みながら、私はさらに言葉を続ける。
「領域間で何か揉め事が起きた時、領域の代表者たちがこのセント・アゴラに集まって、蒼天城内の会議場で話し合いを行う。話し合いの場には、私や九界士も同席する。私達が立ち会う以上、国力の差に任せた一方的な交渉は行えない。私達の役割は、巨大な政治力の横暴を抑え込むための、監視役にあるんだ」
「セシリア様たちは、話し合いに参加しないんですか?」
「うん。あくまでも立会人だからね。私達が自分から話し合いに口を挟むことはない。けど、話し合いの当事者側から求められれば、一度の話し合いにつき3回まで“お言葉”を挟める決まりになっているんだ」
「“お言葉”…ですか……?」
「そう、“お言葉”。この“お言葉”というのは、セント・アゴラでの話し合いの場における隠語のようなもので、そこまでの交渉に対する私の感想をオフレコで述べるものなんだ。あくまでも私は立会人だから、話し合いの内容について具体的な口出しはしない。でも、その場にいるのだから、私的な感想くらいは言える。たとえば、そこまでの交渉が政治力の差に任せた不平等なものだと私が感じたら、「それは不平等ではないか?」とその感想を述べるんだ…」
「そうすると、どうなるんですか…??」
「実際のところ“お言葉”は、不平等な交渉を行おうとする国や組織への牽制の役割を持っているんだ。私の“お言葉”を無視した国や組織に対し、港の封鎖を行うという措置と合わせてね…。たとえば、国家Aが国家Bに対し自分たちにのみ一方的に有利な交渉を推し進めたとして、そのA国が私の“お言葉”を無視してその交渉を押し通したのなら、後日にB国からの要請さえあれば、私はA国の領域船(リージョンシップ)をセント・アゴラの港から締め出すことになっている。だから、“お言葉”を受けた側は、それを無視できないんだ。そうやって、私達は領域と領域の間のバランスを調整しているんだよ」
「なるほど…」
一輝は、何か思うところがあるようにしながらも、私の言葉に納得したように頷く。
「そして、セント・アゴラのそうした役割を支えてくれているのが、私の同志である九界士たちなんだ。彼等は、いずれも九つの勢力(ミーム)で名の通った者達で、各々の出身勢力(ミーム)の文化や政治情勢に通じているし、領域の有力者とのパイプも強い。九界士は、言ってみればセント・アゴラと各領域を結ぶ外交官なんだよ。彼らが皆優秀だから、交渉下手な私でも、こんな難しい立場をなんとか切り盛りしていられるんだ」
私はそう言って一度言葉を切る。すると、一輝が再び疑問を述べる。
「でも…」
「でも…?」
「それでも、セシリア様の言葉が世界に影響を与えられるなら、それはやっぱりこの世界を統治していると言えるんじゃないですか?」
「なるほどね……」
私は感心したようにそう漏らす。そして答える。
「確かに、私の発言力は小さくない。私の意志が、樹木の世界全体の意志としての意味を持つのも確かなことだ。言葉が世界を動かせるなら、それは治めていると言えるのかもしれないね。でも、実際にはそうではないんだよ…。何故なら、私のその言葉自体が、他の領域からの政治的介入の影響を受けたものだからね……」
「どういうことです…?」
「セント・アゴラは見ての通り小さな領域だ。海はないから海産物は獲れないし、城塞都市として“元から存在していた”から僅かな土地も痩せていて農耕に向かない。無論、鉱山や油田の類もない。つまり…、資源がないんだ…。だから、生物資源も、地下資源も、魔法的な資源も、全てを他領域からの輸入に頼っている……」
私の言葉に、一輝は黙って耳を傾ける。
「そして、その輸入を行うための財源を、セント・アゴラでは全て港からの収入で賄っている。だから、他領域からの領域船の行き来がなければ、セント・アゴラの財布は底を尽きる…。つまり、セント・アゴラの財源は、他領域とセント・アゴラの交易や、他領域同士の交易に依存しているんだ……」
「そうするとどうなるんです…?」
「資源も財源も他領域任せということはね…、他領域からの政治的影響も免れ得ないということなんだ…。たとえば、ネフィリム社からは食料から機械まで多くの品物を買っているし、セント・アゴラの港を最も多く利用してもらってもいる。ネフィリム社にとってセント・アゴラは最大の顧客だけど、同時にセント・アゴラにとってもネフィリム社は最大の顧客なんだ。だから、ネフィリム社は基本的に私の言葉に逆らわないけど、私もまたネフィリム社の意向を無視した言葉は容易に口に出来ないんだ……」
心底意外そうな表情を向けたまま、続く私の言葉を一輝は待つ。
「同様のことは、他の領域との関係においても言える。たとえば、新暁帝国からは、 茶葉や香辛料や絹などを輸入しているばかりでなく、有事の際には軍を派遣してもらう約束も取り付けてある。新暁帝国は、グレズ領域を例外とすれば樹木の世界で最大の兵数を保有する国家だ。その後ろ盾があることは大きい。その上、暁帝国領域代表の九界士は新暁帝国の皇后なんだ。だから、新暁帝国の意向もまた私は容易に無視できない…。これだけで、私は二つの領域の板挟みになることになる…。そして…、私が発言を無視できない相手は、他にもたくさんいる……」
正面の少年の瞳を、私は正面から覗き込む。
「樹木の世界の政治情勢に詳しくない人から見れば、私は、樹木の世界の全てを統括する絶対的な発言力を持った女王のように映るのだろう…。だが実際は、他領域の有力者との間で利害の調停を図りながら自領域の運営を行っている、相対的な発言力しか持たない一領主に過ぎないんだよ…。私の発言を他の有力者は無視できないけど、私もまた他の有力者の発言を無視できないんだ……」
少年の瞳の奥に己が移る。
「詰まる所、私もまた、他の多くの人々と同じく、自分以外の何者かの意志に翻弄されながら何とか己の意地を通そうと足掻いている小さな存在に過ぎないということさ。『孤界産み母』の権威とやらですら、有力者たちが自分の発言を正当化し交渉を有利に進めるための体の良い偶像に過ぎない…。女神の統治する完成された平和の世界なんて、世の在り方を知らぬ人々の空虚な妄想に過ぎないんだよ……」
「セシリア様……」
心配そうに覗き込む一輝に、私は頭を振って答える。
「でもね…、有力者の都合で担ぎ出されているだけの“女神”であっても、それが樹木の世界の平和に繋がるのなら、私はそれで十分なんだよ…」
瞳に微笑(わら)いかけて、私は続ける。
「今の世界情勢は、私の“お言葉”を如何に利用するかというゲームに成っている。私は各領域の有力者たちに良いように利用されているわけだけど、彼らがそのゲームに従事することで武力行使に踏み切ることなく世界を動かしていけるのなら、それはこの世界の平和を保とうとする私の目的に適うものだ…。ならば私は、喜んで彼らに利用されるさ……」
私の微笑(えがお)に、一輝もまた微笑(えがお)で応じてくれる。どうやら、私の意志をきちんと汲んでくれたらしい。
その一輝が朗らかに微笑(わら)ったまま言う。
「なるほど…。それならやっぱり、セシリア様は樹木の世界の女王様なんですね」
「だから違うよ…!?」
案外一輝は頑固らしい。やれやれという感じで諦めて、私は別の話題を探すこととする。
「それじゃあ、退屈な政治情勢のお話はこのくらいにして、次は別の話をしようか。そうだね……今度はまた、地球の話をしてくれないかな…?」
「はい。いいですよ」
ニコニコと微笑(わら)って答える一輝。その彼にワイングラスを突き出して私は言う。
「さあ、呑もう!まだまだ夜はこれからだよ」
「だからセシリア様…、僕は未成年なのでお酒はちょっと……」
「良いじゃないか、これも経験だよ…?さあ……!」
嫌がりながらも手にしたグラスに赤い液体を注いで、私は自分のグラスと打ち合わせる。
カチンという高い音が宿に響いた。
-end-