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「こんばんは。あなたが私を呼んでくれたのかしら?」

 月無き空、小さな家。暗い中、星だけが私を照らす。

「はじめまして。私が、あなたを呼んだのです」

 そこに居るのは一人の少女。ベッドから夜空を見上げるその姿は、儚さという言葉を表現しているかのように。

「月無き夜空、見ているのは儚さをも覚える小さな星のみ。そこで、何が起こるのかわかっていて?」

 窓に私は腰かけ、私は彼女に瞳を向ける。
 ベッドから身体を起こし、彼女はす、と白い首筋を私に曝した。

「ええ。さあ悪魔よ、汚れ無きこの身体をその穢れた爪で切り裂いて」

「わかったわ。あなたの汚れ無き身体、この私が……え?」

 予想とは違う答えが返ってきて、私は思わず素っ頓狂な声をあげてしまった。
「あら……どうしたの、悪魔さん。私は自身を贄と捧げ、自身の欲を果たすために」
「あー、ちょっと待った待った!! 殺すとかなし! 死ぬとかなし!」
 やばい。何か勘違いしている。
 私は格好つけるのをやめ、彼女に顔をずいと近付ける。うわ、めっちゃかわいい。
「えーっと、まず私はちょっと夜中に徘徊するのが趣味な普通の女の人でー」
「……普通の女の人は2階の窓からあんな問いかけして入ってこないけど」
「あーっと、それは私が少々少女趣味というか、そういうことをやるというかー」
「あら、じゃあ私の呼びだした悪魔さんでいいのでしょう?」
「違う違う、そこが違うの! 私は悪魔でも悪い者でもないわ! 人々に幸せを届けるのが趣味なちょっとお節介な人なの!」
「なにいってるのこのひと」
 すっごいジト目で見てくる。うひ、ぞくぞくする。
「とにかく、魔の者に変わりはないのでしょう? あなたからは、聖の気は感じられません。邪なる力に手を染め、それを知らしめるための存在。それが、あなたから嗅ぎとれます」
 そう言って、今度は肩を出すように、衣服をはだく。陶器のように白く滑らかな肌が、私の心を大きく乱す。
「あなたが何者でも構いません。欲望のままに蹂躙されるのもまた運命。さぁ」
 彼女の目には期待と羨望の光。殺してくれと頼む姿に似つかわしくないその瞳。
 ならば。彼女がそれを望むなら。欲望のまま蹂躙してもいいって言うのなら。

   ならば、頂かせてもらうわ 

 その言葉を強く飲み込む。ダメだ、やっちゃいけない。
「どうしたの? さぁ、早く」
 待ちきれなくなった彼女はしなだれるように私に寄りかかる。これ以上、無理だった。
「ご、ごめんなさいッ!」
 彼女を突き飛ばし、私は逃げるように空へと飛んだ。


 これが、彼女との始まり。


 次の夜、再び私は同じ家にやってきた。
 彼女のことが気になってしょうがない。何故悪魔に殺されようと思ったのか。何故あんなにかわいいのか。色々ヤっちゃっていいのか。望んでないかな。
 魔の者らしい低俗な妄想がポンポン浮かぶが、まあ元々だ、問題ない。

 同じ時刻、少し月が出た程度の変化。同じように、私は窓に向かっていく。
「こんばんは。あなたが」
「あら、昨日のダメ悪魔さん。今度は何をしに来たのかしら」
 私の言葉を遮って、鈴のような声が辺りに渡る。ついでに私の胸に刺さる。
「い、いえね。前回の続きやら釈明やら」
「続きって。あなたは私に何をしようとしていたの?」
 くすりと、私を嘲るように笑う。悔しい……!! でも負けないもん!
「まだ若いというのに、そんなに死に急ぐ理由を聞いてみたくてね」
負けずに何とか話を進める。それに、死に急ぐ理由は非常に気になった。
「まだ齢10程度の、しかもこんなに美しいのに何故死にたがるのか。それも、ただ死ぬだけでなく悪魔に身を売ろうなどと何故考えたのか。……食べる前に、聞いてみたいわ」
「そう。……じゃあ、約束して欲しい。話したら、私のお願いを聞いてもらうことを」
 お願い。十中八九『殺してほしい』だろう。この流れからして。
 それは構わない。だって、聞くだけ聞いてそのまま逃げてしまえばいいのだから。彼女の狂行に付き合う必要はないし、そんなことをさせる必要もない。
「いいわ。約束してあげる。誓うわよ、お願いを聞いてあげることを」
「そう、ありがとう」
 そう言って彼女は笑った。私に対して、初めての笑みを。

 やっぱり可愛い。



「禁断の魔筆、というものを知っている? その魔筆で書かれた願いは、どのような願いでも叶うと言われる魔道具」
「どんな願いでも? そんな夢物語みたいなものがあるというの? もしそんな物があったとするなら、この世界は存在しないわ」
「そう、でしょうね。私もそう思うの。けど、その魔筆には恐るべき罠があった。悪意のある者には使いこなせない、でもよく考えれば当然とも思える。そんな、げふっ」
 突然、彼女は口を押さえ咳き込む。掌からつぅ、と赤い液体が流れた。芳醇な香りが辺りに広がり、私を刺激する。
「ちょ、ちょちょ、大丈夫!?」
「ごふ、うあ……げほっ」
 咳き込みながらも、サイドボードにある小さな瓶を指す。私は彼女を越えてそれに近づき、中にあった小さな薬を取り出した。たぶん合っている、よね。
 薬を彼女に渡すと、彼女は辛そうにその薬を飲み込む。しばらくすると、咳き込みは治まり、息は荒いながらも状態を取り戻したようだ。
「はぁ、はぁ……ん、ありがとう」
「様子がおかしいと思ったけど……今のあなたが、その『罠』の末なの?」
「大体そんな感じ。魔筆を使った者の願いは叶うが、それ以上の代償を望まずとも払うこととなる。……こんな逸話もあるわ」

(禁断の魔筆を使い、永遠の命を願った王がいる。その王は永遠に尽きる命を得た。尽きぬ、ではない。永遠に尽きる命。王は今もどこかで死を繰り返し続けているそうな。
 禁断の魔筆を使い、全知全能を願った魔術師がいる。全知全能を得た彼はすぐに自分の身体をこの世から消した。弟子に話したことによれば、『肉体など捨て去ったほうがより効率的だ』とだけ。何をどうしたかったかは彼以外知らないし、その後彼がどうなったかもわからない。
 禁断の魔筆を使い、世界の平和を願った姫がいる。願った瞬間、彼女の心臓は鼓動を止めた。世界は姫を巡って争いでも起きていたのか? それは不明だが、少なくとも彼女の『世界』は平和になった)

「……魔筆を使おうなら、その者に災い降り注がん。故に、禁断の魔筆は表舞台にあがることなく伝承と消えていった……」
「……にわかには信じがたいけど……これを話すってこと、は」
 彼女は胸を押さえながら、唇を釣り上げる。
「ええ。その魔筆は今も存在し、人々を闇へ引きずり込んでいる。そして、魔筆は自ら人の手を渡る。今は、私の手の中に」
 そう言って、彼女は枕の下に手を入れ、一つのペンを取り出した。見た目には古ぼけたただの万年筆。
「家の中に、まるで昔から使われていたかのように自然とありました。最初は気にも留めなかったけど、その存在を知って、その逸話を知って。……そして、私は」
「そのペンで、願いを?」
「もちろん、私は自分に何が起こるかを理解していました。その魔筆の災いを。しかし、それでも魔筆は願いを叶えてくれることに変わりはない」
「けど、あなたはすでに身体が……」
「少し違います。私は小さいころから、身体を病に冒されているのです」
 そう言った私を手で制し、首を振って間違いを正す。
「生まれてこの方、ほとんど外も出ていない。太陽を浴びるのも私の身体には負担がかかるから、外の明るさを私は知らない。私の世界は、この狭い家の中だけ。両親は本や写真、お話で世界を教えてくれたけど、それでも目で見える物は変わらない」
「私にとって外の世界は、この窓から見える景色くらい……」
 そう言って、再び空を見上げる。しばしの静寂。暗い星空を見上げる彼女が、相変わらず綺麗に見えた。
「外の世界は、それはそれは美しいという。それを私は知ることができたのなら、その美しさを世界に広めたい。けれど、私にはそれはできない」
「だから、あなたにやってもらおうと思う。私の代わりに」

 ……え。
「……え」

 突然の発言に、私は言葉を失う。この子は何を言っているんだ、何を急に。
 私の気持ちを察したか、彼女はにまりと笑って続ける。
「魔筆の効果は説明したでしょう? 書いた願いは必ず叶うが、叶えた本人は死んでしまう。ならば、誰かにやってもらった結果を、私が知るようにできればいい。もちろん、知り合いに任せたいけど私には知り合いはほとんどいません。ならば、契約さえ結べば裏切らず、人間より成功率の高い者に任せてしまえばいい。……あなたのような、悪魔さんにね」
 理解が追いつきづらいが、結構トンでも理論で私にやらせたいのはわかった。
「で、でも私が本当にそれをやると思って!?」
「やります。それは絶対。魔筆なんか、無くても」
「――ッ!!」
 瞬間、彼女が私の唇を塞ぐ。私は過去に何度も行ったはずの行為だというのに、初めて行ったような感覚。
「初めて見た時から、あなたは私に好意を持っていた。私があなたに好意を持ったように」
「……」
「だから、あなたにお願いします。私の代わりに、世界を」
 そう言って、彼女は布団をめくる。彼女の太ももには、ある一文が書かれていた。
『私のココロを他者に預け、その者に世界を巡らせ、その美しさを記し』
 そして魔筆を手に取ると、その一文を完成させた。
『私のココロを他者に預け、その者に世界を巡らせ、その美しさを記したい』
「ま、待っ――」






 いろいろ、不可解な所はあるし、納得行かない点があるけど。歯車は動き始めてしまった。
 その後すぐに彼女は倒れ、心の臓は鼓動を止めた。
 でも、彼女の顔は安らかで苦しみを感じたものでは無く、全てを私に託した、そんな顔をしていた。
「……どうしてこうなる、かなぁ」
 月明りが私を照らす。その手の中には忌まわしき魔筆。私にはただの万年筆にしか見えないが、彼女が二回しか会っていない私にそこまでの想いをこめたこと。それだけで、何だかやってあげようと思う気になった。
 それに、確かに私は彼女を好きになっていた。眼と眼があったその瞬間に。

 ……私はただ、世界をたゆたっていて、ただ単に話し相手を求めていただけだった。
 私を縛ることのない、あの世界から抜け出して。だけど、こちらに来てもまだ何かに縛られている人はいた。
 そんな現状に、柄にもなく手を差し伸べたくなった。
 あと、彼女の眼と太ももに。

「樹木の世界、今は何が見えるのかしら」
 今は昔と違う。私の眼は暗闇さえも見通せる。
 けれども、人の心はこの眼でも見えない。それでも、私の心はあの眼にすぐに見抜かれた。
 そんな彼女の見たかった世界。彼女の眼に、なりたいと思った。
最終更新:2011年11月27日 22:21