アットウィキロゴ

 ――私はドアノブに手を掛け、ゆっくりと回し、扉を引く。

 開かれた扉から廊下の灯りが差し込む薄暗い室内。神の眼で気配を探っても、魂持つ者の放つ感情の昂ぶりは感じられない…。つまり、灯りを消してこっそり逢引き中の先客も居ないということだ。

 ゴクリ、と思わず喉を鳴らす。

 あとは、主を部屋内に誘い入れ、この扉を閉めてしまえば、最早邪魔をする者は誰も居ない…。

 高鳴る鼓動に全身が紅潮し、身体が芯から熱くなる。

 あと少し…あと少しだ……。この扉さえ閉じれば……!

 はやる気持ちを抑え、私は無言で主の入室を促し、後ろ手にドアノブを掴み、ゆっくりと引く――

「あら、ご天主様、このような所で何をしていらっしゃるのですか…?」

 不意に言葉を割り入れてきたのは、金髪ウェーブの美天使。

 正確には、貞淑を司る女神だ。彼女はこちらに近づいてくると、空気も読まずにあれこれと主に話しかける。

 私はコイツが大っ嫌いだ。

「ちょっと退きなさい…!主上は私と用があるの…!!」

 思わず荒げた声。その声に、美天使は目聡く反応する。

「なぁにアナタ?うわずった声して怪しいわねぇ…?んー…そうかぁ、なるほどねぇ……」

 慌てがちな私の挙動と、傍らの主、そして人気のない部屋を見て、美天使は私の思惑を見抜いたようだ。さすがは貞淑の女神。この手のことにかけて勘が鋭い。
 垂れ目を鋭く細めて彼女は言う。

「アナタ…、ちょっと来なさい…!」

 さっきまでの間延びした口調が一転、有無を言わさぬ厳しいものに変わって、私の手を引っ張り廊下を奥へと入っていく。その力は清楚な顔に似合わず強いもので、私は逆らい得ず引きずられていく…。

 ああっ…!折角あと少しだったのにっ……!!!

 人気のない部屋まで私を連れ込み、扉を閉めて外に声が漏れないようにすると、金髪女神は大声を張り上げて言う。

「アナタね、ご天主様を襲おうなんて良い度胸じゃない!淫乱の女神は畏れも慎みも知らないのかしら…?」

 整った眉根を釣り上げ、怒気を顕わにする美天使。おっとりした見た目に反し、その語気には凄みがある。

 だが、私だって簡単には退かない。あと少しというところで邪魔されて腹が立っているし、何より相手の物言いにカチンときた。

「淫乱の女神…ですって…!?ふざけるんじゃないわっ…!!この私を姦淫を弄び人を堕落させる淫魔風情と一緒にするんじゃないわよっ…!!!」

「誰彼かまわず目合うことを勧める淫売が姦淫を弄んでないとでも言うわけ?アナタのような汚らわしい売女が、なぜこの神聖なる蒼天城に出入りできるのかしら。その上、畏れ多くも創造主を己の欲望の牙にかけようなど、言語道断よ…!!」

「私の誘惑は慈悲よっ!人を邪淫に耽らせ堕落させる悪魔の誘惑とは違う。男と女から理性の衣を脱がし、愛欲の一夜を享受させるための誘惑なの…!オトコとオンナには、理性を捨て本能に身を任せねば辿り着けない一体感(しあわせ)がある。主上は衣(りせい)の帯がきつ過ぎて、お一人では脱げなくなっていたから、私はそれを脱がす手伝いをして差し上げようと思ったのよ…!」

 私はコイツが大っ嫌いだ。なぜなら…、根本的に合わないから……。だから退くことなく、更に言葉を続ける。

「そもそも、アンタの司る“貞淑”で主上を幸せにできた…?次元の彼方に去った男を変わることなく想い続け、永遠に操を捧げ続ける。それは目眩のするほど美しいことだわ…!でも、その結果主上を待っていたのは、独りで過ごす寂しい夜だけだったじゃない……!貞淑はオンナを乾涸びさせる…。主上を救えるのは、肌を重ね合う“愛欲”の熱情だけなのよ……!!」

「だからといって、誰彼かまわず肌を重ねろと言うの…?それでご天主様が幸せになれると本気で思っているの…?女の幸福(しあわせ)は最愛の男性(ひと)に抱かれる温もりの中にある。それが決して替わりの利かぬものだということを、アナタだって知っているでしょう…!」

「そんなことくらい、私だって解ってるわ…!愛欲を享受することは、邪淫を貪ることとは違う。真に愛するオトコに抱かれなければ、真のオンナの絶頂は得られない。でも、それでもカラダは渇くのだもの…。替えなど利かなくても、渇きを潤さねば辛くてならないじゃない…!」

「それが無用のことだというの…!この淫売…!!愛してもいない相手と肌を重ねてカラダだけ満たしても、それで心から満たされることはないわ…!でも、愛する男性(ひと)を想うことは、ただ想い続けるだけで幸せになれるものなのよ…!届いても、届かなくても、想うことの幸せが色褪せることは決してないわ…!仮初の享楽で真実の愛を穢し、最愛の男性(ひと)を想えなくなるほどなら、届かぬ男性(ひと)を想ったまま操を守り通して死んだ方がずっと幸せだわ……!!!」

「その考えが極端過ぎだっていうの…!この気取り屋…!!そんな幸せはただの陶酔じゃない…!確かに誰かを愛し想うことは、それだけで幸せになれることよ…?でも、それでも独りの夜は寂しいし、一度オトコを知ったオンナのカラダは渇くのを止めないのよ…!それなら、たとえ一時の誤魔化しに過ぎなくても、それを満たしてくれる人が必要だわ…!最愛のオトコには敵わなくても、それだってひとつの愛の形じゃない……!!!」

 完全に頭に血が上り、語気荒く怒鳴りつける私。相手も絶対に譲らないから、ますます此方も熱くなる…。
 だからコイツは大っ嫌いだ。コイツにだけは絶対に譲れない。

 けれども詰まる所…無意味だ……。

 外野がいくら幸福論をわめき立てたところで、最終的に何が幸福かを決められるのは主上ご自身のご意志だけ…。私とコイツが決して交わらぬ平行線の幸福論を戦わせても、主上の幸福に何一つ役立ちはしない…。

 でも…それでも……、私には……

「――二人とも、そこまでだよ」

 扉が開かれ、口論の間に割って入ったのは、敬愛する我が主上。地上全ての者を包み込む柔らかな微笑(えがお)がそこにあった。

「ありがとう…、ふたりとも…。私のことでそんなに激しく論じ合ってくれたなんて…。それほど想ってくれる支持者を持てて、私は幸せだよ……」

 本人そっちのけでヒートアップしていた私達に、怒るでも呆れるでもなく、ただ感謝の言葉(フレア)を笑顔に乗せて放つ主上。その微笑みに、二人とも言葉をなくし押し黙る。

「でもね…、今の私はギンの居ない寂しさに満足しているんだ…。今も私は、彼を愛しているから……。だから、心配は要らないんだよ……」

 強がるのでなく、心から微笑(わら)って語る主上。その真っ直ぐな微笑(え)みが私の心を揺さぶる。

「そんなの…、間違っています……!!寂しくても愛し続ければ満足だなんて、そんなの詭弁だわ…!肌の温もりが冷めれば、また温もりを求めるのがオンナの性だもの…!!貴女があの方を想って独り寂しく歌うのを私は聞いていたのだから……!だから…、だから私は…、それを埋めたくてっ……!!それで…、それでっ……!!!」

 昂ぶる心に思わず涙がこぼれる。感情が高まり過ぎて訳が分からなくなる。

 そんな私を、主上は優しく胸に抱いた。

「そうじゃない…、そうじゃないんだよ……。寂しくても愛し続ければ満足だというんじゃない…、愛し続けても寂しいから満足なんだよ……。寂しさは、埋めるべきものじゃない…。ずっと苛まれるべきものなんだ…。だって…、ギンが居なくて寂しいのなら、それだけ彼を求めている証拠じゃないか……?だから寂しくて良いんだよ……」

 主上の温もりが私の身体を包み込む。ゆっくりとした鼓動が私の心を落ち着かせる。

「それは耐え難いほど辛いことだけど…、辛いからこそ良いことなんだ…。私が本当に怖いのは、その辛さが消えること…。彼が居ないことが寂しくなくなることなんだ……。だから私は、この寂しさに感謝しているんだよ……」 

 主上の腕から伝わってくるのは、揺るぎなき意志と変わることなき愛…。その先には、彼だけでなく私もいる……。
 本当に強く孤高な女性(ひと)……。

 でも…、その強さが、私に貴女を放っておけなくさせていると気付かないの…?

 でも…、今は何も言わないでおこう…。今はただ、この温もりに愛されていたい……。

「でも…、その寂しさのために、キミにこれほど心配を掛けしまったのは私の不徳だ…。キミが言う通り、想いはカラダの渇きを埋めない。愛人の一人も作って適度にそれを埋められるほどの器用さが私にあれば、キミにこんな心配をかけずにすんだのだけど……。ごめんね……」

 重ねられた言葉が、私の心をとろけさせる…。
 同時に、主上の心が私に開いているのも感じる…。

 重ね合う肌と肌。重なり合う心と心。

 今誘えば、きっと主上を落とせるのだけど、なんだかそれはとても卑劣な行いに感じられて気が引ける…。
 だから、今は主上のなされるが儘に任せておこう…。こんなチャンスを逃すのは一度だけですけど…?

 たっぷり1分も抱き合って、主上は私から離れる。

「さあ、そろそろ私は失礼するよ。早く伯爵との交渉の結果を伝えないと…。みんなが評定で待っている…」

 主上は再び私に微笑(わら)いかけ、爽やかな薔薇の香りを残して去る。

 私はホワホワとした気持ちのまま、その場に二人取り残される。

 釣りのがした魚は大きかったけれど、なんだかそれ以上に得した気分だ…。その気分を自慢してやろうと、傍らの美天使に役得の嘲笑(えみ)を向けてやる。

 

 アイツがそれに何かを返そうとしたその時だ。

 

「「――――っ!!?」」

 私と美天使の脳裏に、近い未来の予知視(ヴィジョン)が浮かぶ。

「そん…なっ……!?今のはっ…!!」
「お、桜花様……!!!」

 瞼に浮かんだのは、この城の姫君・桜花さまの亡骸と、それに縋り付き涙する主上の姿……。

「主上…!!」
「天主様…!!」

 私達二人は、薄暗い部屋を玉座の間へと駆けだす……。

 

-end-

最終更新:2012年01月03日 15:49