深い夜の闇の中、金銀の樹木が水晶の花と宝石の実を枝先につけるアムルタートの首都を、怪しい影が三つ歩いていた。影の向かう先にあるものは一つ。月明かりを浴びて金色に輝く、大きな泉であった…。
夜空に輝く月と星。その光を、一面に広がる水面が照り返し、金色の煌めきを放つ。泉には揺らめきひとつなく、磨き上げられた鏡のように暗き天を映し出していた。
泉の畔には、燃えるような赤い色の髪を長く棚引かせた美しい女性が佇んでいた。その目は夜空より深き藤色で、その耳は被膜を張って大きく広がり、その背からは紫の鱗を持つ長い尾が伸びていた。その外形は女性が龍族であることを顕し、そこから漂う気品は女性が高貴なる身分にあることを顕していた。
女性の顔に浮かぶのは憂いの色。悲しげな瞳でジッと泉を見つめていた…。
「よもや、この豫(よ)が囚われの辱めにあい、聖なる泉を賊ごときに踏みにじられようとは……。こんな醜態、冥龍皇様がご覧になれば何と言われようか……?」
語る瞳が怒りと自己侮蔑に揺れる。
うなだれる首で黒紫の輝きを放つのは虜囚の証。龍のフレアを封じる力を持った棘付きの首輪。それが、新龍皇を檻に繋ぎとめていた…。
逃れられない恥辱に晴れぬ心を眼下の泉に落す。
その新龍皇の視線の先で、聖なる泉の輝きが突如として曇った。
先程まで天を照らしていた月と星々が、一瞬にして厚い黒雲に覆われたのだ。
訝しんで天を仰ぐ新龍皇。
その背後から、野卑た声が三つ掛けられる。
「これはこれは新龍皇様。お初にお目にかかります…」
「いけませんなぁ…?貴女のように美しいお方が、夜にお一人でおられるなど……」
「そのように無防備にお身を晒されては、邪な心を持った輩が、貴女様に何をするか分かりませんぞ…?そう… “邪な心” を持った “悪い男” が……!!!」
振り返った先に現れたのは、龍に人に魔族…姿も種族も異なる三体の夕闇であった…。
「…!!馬鹿な…!?貴様等、どこから入ってきおった…!!?」
そう…。それはあり得ない筈のこと。
政権を覆すつもりはあっても、世界を滅ぼすつもりはないセイバーは、新龍皇を捕え聖なる泉を抑えた後も、新龍皇を殺すことはせず、監視と護衛を兼ねた腕利きのカオスフレア達を新龍皇の周りに配備した。新龍皇の力を、プロミネンスの力を借りて作り上げた魔具で入念に封じた上で…。
だが、いま現に三体もの夕闇が新龍皇の寝屋に侵入してきている。
あらためてフレアを探れば、先程まで泉の周囲に建てられた陣幕の外に居たはずの衛視の気配も感じられない。その上、泉の周囲をプロミネンスの力による結界が覆っているようであった。
「誰も居ないんじゃ仕様がないなぁっ…!!」
「独りじゃ寂しい新龍皇様に、俺達が夜のエスコートだぁぁぁっ…!!!」
「三対一…!タップリと愉しみましょうぜぇぇぇぇぇ…!!!!」
夕闇達が邪悪な本性をむき出しにして、新龍皇に襲い掛かる。
ダスクフレアとは言え、彼等は何れも小者ばかり。平時の新龍皇ならば追い払うに造作もない。
だが、今は封龍の首輪が新龍皇のコロナを完全に抑え込んでいた。
「おのれっ、下郎め…!身の程を弁えぬかっ……!!」
威厳をもって威嚇する新龍皇に、しかし夕闇達は怯まない。
「ヒィヤッハー…!これから、その下郎に中も外も隅々までドロドロにされるんだぜぇ…?」
「俺は前から、アンタにブチ込んでみたかったんだよぉぉぉっ……!!」
「そのお高く留まった面に俺のミルクをブチ撒けてやるぜぇぇぇ……!!!!」
後ろに下がり、泉に逃げ込もうとする新龍皇の腕を一体の夕闇が引っ掴み、乱暴に水の中に引き倒す。
別の一体が、新龍皇の上着に手を掛けて力任せに引きちぎり、もう一方の手で音を立ててスカートを引き裂く。
露わにされる白い肌。
その肌を、罪に汚れた手で乱雑にまさぐる。
「やめろっ…!やめぬかっ…、この下郎っ……!!おのれっ…、このような下種にこの身体をっ……!!!」
新龍皇の視界が恥辱の涙に歪む。
その時…。
突如として吹き抜けた一陣の風が、夕闇の一体を正中線の上から真っ二つに斬り裂いた。
それは、一太刀の剣風であった。
「!!ば、馬鹿なぁ…!!?此処には誰も入れねぇはずっ…!??」
「何者だぁ…!!?」
夕闇の振り返る先に立っていたもの…。それは、白金に輝く鎧を身に纏った、美しき一人の女神であった……。
「我が名は、セシリア=ベルモント…。お前達を殺す女の名だ……!」
それよりも少し前の時間。セシリアはセント・アゴラの蒼天城で、仲間達を相手に熱弁を振るっていた。
「とにかく、新龍皇様だけは今すぐにでも救出する…!たとえセイバーが新龍皇様を生かしておくつもりであっても、新龍皇様を囚われの儘にはしておけないっ……!!」

セシリアの意志は堅く、周囲の者の反対を寄せ付けない。『護る者』である彼女にとって、理不尽なる暴力で囚われの身となった者をそのまま危機の中に置いておくことは、決して耐え難いことなのだ…。
だが、仲間達も簡単には意見を譲らない。それを行うことは、例え最強の光翼騎士にとっても無謀に等しい危険を伴うことなのだから…。
「無茶を言うんじゃないよ、セシリア!『端末樹』さえ落としたナグルファルの戦力は分かっておいでだろう…?それに、今は あの連中の放った多重のプロミネンス結界のせいで、領域(リージョン)間の通常移動が行えないんだ。助けになんて行けるわけないじゃないのさ……!」
親友の無謀に友情の諫言を返すクリスタルレディ。
彼女の指摘する通り、現在、世界は多重の《パンデモニウム》に包まれており、十二聖石(セイクリッド・ジェム)を持つ者による空間転移の力以外では、領域と領域の間を行き来することが出来なくなっている。
だが、女神はその言葉にも怯まない。
「なら、空間転移の力を持ったコラプサーの方々に十二聖石を持っていただいて、私を運んでもらうだけだ…!」
「アンタねぇ……!!!」
まったく聞く耳を持たない親友に水晶の淑女が怒りを爆発させそうになったとき――
空間を裂いて、一体の青鬼が突如その場に現れる。
蒼天城の空間凍結も多重プロミネンスの結界も ものともせずに転移してこられる存在…となれば、正体は夕闇に決まっている。
緊張感を漲らせた口調でセシリアは言う。
「ドウチュウ鬼…だな……?」
問われた鬼は、飄々とした口調でそれに答える。
「よう、麗しの女神様。会いたかったぜぇ…?ひどく歓迎してくれてるようで、嬉しい限りだ」
言って大仰な仕草で女神に一礼する。
それに対し、女神は厳しく詰問する。
「何をしに来た…?」
「そう怖い顔すんなよ…。せっかくの綺麗な顔が台無しだぜ…?俺様はなぁ、アンタの願いを叶えに来てやったんだ…!」
「私の願い…だと……?」
「ああ。そうだ…。それから…、領域を隔てる結界(パンデモニウム)のことなら心配ないぜ?八体の愚図な仲間達が風穴を開けてくれたからな。コイツは、俺様からの信頼の証だ……!」
「八体の仲間…?まさか…!!?」
そこに、エンジェルの伝令係が駆けこんで来て、緊急の報せを伝える。
「申し上げます!各領域を覆っていたプロミネンス結果に巨大な穴が空き、領域間の交通網が復活致しました…!!」
見計らったかのような報告に、青鬼はニヤリと嘲笑(わら)う。
「どうだ…?俺様を信頼する気になったか……?」
青鬼の嘲笑(わら)いに、女神は歯噛みして返す。
「……用件を聞こう」
忌々しげな女神の促しに、青鬼は愉快そうに語り始める。
「新龍皇の救出…、俺様が手を貸してやる。ナグルファル配下のダスクフレアやカオスフレアを裏切らせ、アムルタート領域を制圧する連中を内側から崩してやろう。アンタはその隙を突けばいい……」
「――!!そんなことが可能なのか…!?」
「ダスクフレアは飼い慣らせねぇ。ソイツは解るだろ…?今は力で抑えられてセイバーの野郎に従っちゃいるが、腹の底にある欲望を衝いてやりゃあ、夕闇はいつでも牙を剥く…。俺様やアンタになら、よぉく解るハズのことだ……」
「しかし、その程度のことはセイバーとて……」
「その上で、カオスフレアの連中を裏切らせる手も俺様には有るんだよ…。良い子ちゃんのアンタ等には決して真似出来ねえ、悪~い手がなぁ……!連中にプロミネンスは通じねえが、代わりに大抵の場合、連中は自分の命以外に大切なモンを持ってる。そういうヤツを言いなりにさせるなんざ、俺様にとっちゃ朝飯前なんだよっ……!」
邪悪な嘲笑(え)みに顔を歪ませる青鬼。その顔の表す意味に、女神が激高の声を上げる。
「貴様ぁ……!!」
だが、女神の怒気にも、嘲笑(わら)う青鬼は全く怯まない。
「おいおい、俺様なんぞに切っ先を向けてる場合か…?アンタの願いは何だ…?新龍皇の救出だろう……?俺様がどんな手を使おうが、何を目的としてようが、そんなことはアンタの願いに関係ないハズだ…。アンタにとって今いちばん大切なのは、囚われの女王様を救い出すこと。そうじゃねぇのか…?なら…、やるべきことは分かっているハズだ……」
「くっ………」
「言っておくが、俺様が焚き付けた連中は、もう動きを始めてる頃だろうぜ…?新龍皇と泉を手に入れる…その欲望のためにな……。アンタが乗ろうが乗るまいが、連中は新龍皇と泉を襲う。それを護れるのは、アンタだけだ……」
実質上の人質宣告…。夕闇の突き付ける言葉に選択の余地など無い……。
「分かった…。その罠、掛かってやろう……!」
「セ…、セシリア=ベルモントだとぉ…!?」
「ば、馬鹿な…!何故ここにいる……!??」
「人の道を踏み外した者は人を得ない…。それだけのことさ……」
狼狽する夕闇に、不敵に笑って光翼騎士は答える。
「ふっふざけやがって……!」
「かっ…、構わねぇ…!この女も一緒に犯っ……」

怯みながら凄もうとする夕闇を、セシリアが鋭くにらみつける。
「「……!!!!!!!」」
気圧され、押し黙る夕闇。
気迫をフレアに顕しながら、セシリアは夕闇に背を向け、新龍皇に向き直る。
気圧された夕闇は、一見無防備ながら その実隙のない背中に、一歩も動くことが出来ない。
夕闇を背中で圧倒しながら、セシリアは自らの肩に掛けたマントを外して、それを新龍皇の白い肩に着せる。
そして、柔らかく微笑んで言う。
「お救いに上がりました…、新龍皇様。御怪我はございませんか…?」
華やぐ笑顔が宵闇に輝く。
騎士の身に着けた香水が風に乗り そよぐ…。
蒼天の騎士は薔薇の香りがする……。
「ああ…。大事ない。セシリア様の御蔭での……」
新龍皇は平静を取り戻し、礼を述べる。
その礼に再び笑顔を見せて返し、そしてセシリアは解呪の呪文を唱える…。
セシリアが右手の指先を空中で動かすと、軌跡が文字と成って宙に浮かびあがり、幾文字もの光の列が新龍皇の首に嵌められた禍々しい棘首輪を取り囲む。
が……
光の文字列は、首輪から発せられるプロミネンスに弾き飛ばされ、乾いた音を立てて砕け散る。
セシリアは軽くため息をついて言う。
「どうやら、この拘束具は本格的な儀式呪文の備えでもなければ解除致しかねるようです…。申し訳ございませんが、首輪は一度このままにして、先にここから脱出することに致しましょう」
封龍の首輪はプロミネンスの力により創られたもの。解除の困難さを新龍皇も速やかに理解し、首を縦に振って承諾の意を示す。
それにセシリアも頷いて返し、そして言う。
「それでは…、貴女ほどの武辺の女王に申し上げるのは畏れ多くございますが、今宵、この時に限り、私に貴女を護ることをお許し下さい……。私は、今夜一晩、貴女の騎士に成りとうございます……」
薔薇の騎士は、龍の女皇の前に跪き、嘆願する。
龍の女皇は応える。
「よかろう…。許す……!今宵、今夜限り、豫は汝の姫じゃ……!豫を…護って賜れ……」
姫は騎士に顔を寄せ、そっと頬に口づけする。
姫の唇を受けた騎士は、そっと離れて立ち上がり、それから破顔して言う。
「ならば、ご覧じあれ…。一太刀舞えば血の華の咲く、汝が騎士の剣を……!」
恭しく姫に一礼し、そして大地を蹴る。
すべるように夜闇を駆け抜け、騎士が剣を閃かせる。
手にする剣は、月下に赤く輝く『夜を狩る刃(ヴァンパイア・キラー)』。
一太刀舞えば華が咲き…、二太刀舞えば玉が散る…。
およそ三太刀を仕舞うとき、血の華は咲き尽くし、命の玉は散り去った……。
刃を鞘に納めて騎士は言う。
「さあ、脱出いたしましょう…。彼等の死によりプロミネンスの結界が消え、直ぐに此処にも敵の援軍が参りましょう……」
騎士は姫を腕に抱きかかえる。
姫は騎士の首に腕を回し、潤む瞳で見上げて言う。
「億の寄せ手も恐くはないわ…。今宵の豫には頼もしい騎士がおる……。万一敵わぬとて、そなたの腕の中でなら、死んでみるのも悪くない……」
腕の力で顔を起こし、薔薇の唇を重ねる。
「さあ、参りましょう……!」
青き翼で姫を包み、騎士は百機の群れに突撃する……。