クロエは夢を見ていた…。それは、夕闇に苛まれる弟の心の声の夢……。
暗い虚ろな空間で、父が与える苛烈なしごきに耐えながら、少年は歯を食いしばって立ち上がる。
「負けない・・・!僕は・・・僕は・・・、僕はアベル……アベル・E・ハイゼンシュタットなのだから・・・!!」
一瞬言い留まった言葉は、名乗ることを禁じられたもうひとつの姓。
彼が背負って生まれた、彼の生家のもの…。
胸の奥にしまい込んだそれが、少年の瞳に暗い炎を灯す。
「僕は・・・、ハイゼンシュタットの当主と成る・・・!そして、ハイゼンシュタットの『責務』を果たし、『聖皇』と成る・・・!!」
「そうなれば、ハイゼンシュタットの家を・・・!一族を・・・!!“妾の子”が従えることができる・・・・・・!!!忌々しい、一族の老人たちを、僕に従わせることができる・・・・・・!!!」
「そうなればもう、誰も僕の『願い』に異を唱える者は無い・・・・・・!!!!」
「そして僕は・・・、母さんを取り戻す・・・・・・!!!!!」
それは、当主を目指し、『責務』を背負うことを余儀なくされた少年の、精一杯の復讐。
従順という名の反逆…。
父と母を引き裂いた一族に、それでも従う以外の道を与えられなかったから…、だから服従の中で背くのだ……。
「だから僕は、当主と成る・・・」
「成らなければ・・・いけないんだ・・・・・・!!」
「それなのに僕は・・・、それなのに僕は、どうしてこんなにも弱いんだ・・・・・・!?」
「剣も、魔法も、商才も…、何一つハイゼンシュタットの当主の器に・・・父さんの求める望みに届かない・・・・・・!!!」
少年はうなだれ、嘆く。
姉と比べて劣った才能。常に厳しく当たる父。
それ故に少年は、自らの力に自信を持てないのだ。
自信の無さは自らを過小評価させ、同時に萎縮させて伸びる芽を摘んでしまう。
その悪循環に、頑張り屋で、けれども気弱な弟は気付けない…。
一度動き出した循環は、循環の中にいる者には容易に止め得ない…。そういった時に流れを変えられるのは、むしろその外にいる人間なのだ…。
だから、一人である彼にはそれが止められない……。
「ああっ・・・!!?」
うなだれた頭を上げて、少年は突如として泣き出しそうな悲鳴をあげる。
少年の視線の先では、父が少年に背を向けて、その場を立ち去ろうとしていた。
眼の端に涙を浮かべながら、少年は精一杯に父の背を追う。
「待ってよ父さん・・・。僕を見てよ・・・・・・!」
「父さんと母さんの願いが叶うように頑張るから・・・・・・、だからもう一度、あの優しい笑顔で微笑(わら)ってよ・・・・・・!」
願いを求めて虚空の床を駆ける。
だが、父の姿はどんどんと遠ざかり、暗い宙に溶けるように姿を消す…。
「行かないでよっ・・・!!父さんっ・・・・・・!!!」
「父さんの言う通りの“強い”当主に成るから・・・、だから行かないで・・・・・・!!!」
虚空に手を伸ばし、虚しく宙をつかんでうなだれる。
暗い虚空の床に手をついたまま、少年は静かに口を開く。
「成らなければ・・・いけないんだ・・・・・・」
「僕はハイゼンシュタットの当主に成らなければいけない・・・・・・」
「僕に求められているものは・・・、それしか無いのだから・・・・・・」
「僕に与えられた道は・・・、それ以外に無いのだから・・・・・・」
虚空の床を爪で掴み、少年は再び狂気と純粋の入り混じった目で宙を見上げて言う。
「ハイゼンシュタット当主、アベル・E・ハイゼンシュタット・・・。それだけが、僕に与えられた、僕の在り方だ・・・・・・!」
悲痛の声はクロエの夢より遠ざかる。
それは、復讐者の声のようでもあった。
それは、 幼子の声のようでもあった。
地位を渇望する声は遠く、小さな帰還指令を出して届く。
その声が6つの炎を揺らすのは、まだ先のこと……。