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近況

よその国でどうかは知らないが、少なくとも我が日本のネット上では定期的に「政治家は無給にしろ」とい
う話題が出てくる。「国家に奉仕する仕事だから金を求めるな」とか、「高額な歳費目当てでない人間だけ
政治家につけろ」という理屈だ。政治家と金とを切り離したいという発想なわけだが、一方19世紀のイギリ
スではその真逆、「政治家に給料を払え」という運動がチャーティズム運動の一環として普通選挙導入と共
に主張されていた。どういうことか? つまり、政治家に給料が払われなければ十分な財産を相続した人間
や事業で成功した金持ちしか議員になれないのである。それは結局、議会が社会の特定の階級に牛耳られる
ことを意味する。それだけではない。貧乏な人間が何らかの幸運に恵まれて議員になったらどうなるか。
「無給で議員をやるのは大変でしょう。私が衣食住のお手伝いをしますよ。その代わり…」というパトロン
からの買収・依存も十分起きうる。相当の歳費が支払われている現在だってあれやこれやの団体と結びつい
ているのである。無給ならば今以上に腐敗することは避けられない。国に奉仕し国民を想う心のある理想上
の政治家でさえ今日の晩ご飯を確保するために怪しい人物の袖の下に頼らないといけない議会が、国民のた
めの仕事をするとは思えない。あるいはそのような「薄汚い」行為を拒否した廉潔の士が山口良忠のように
餓死したとき、彼を自分たちの代表として議会に送り込んだ有権者は責任をどう取るのか。まさか「お前が
好き好んで政治家になったんだろう」と足蹴にするのか?普通選挙で誰でも政治家になれる道を開くのなら、
誰でも生活に困らないだけの金は保証するのがまともな国なのだ。

政治家は無給にしろ、とまでは言わない人たちでも「金を支払う必要があるのは分かった。しかし高額な金
銭を支払う必要はない。普通のサラリーマン程度でいいだろ」と言う人はいる。これに関しては日本に実例
がある。地方議員、その中でも報酬の低い町村議だ。「全国町村議会議長会の調べでは、町村議の報酬額
(一般議員、23年7月時点)は月額で平均21万8218円」だという。下を見ればなお安い。山梨県の町村議に
至っては平均15万9千円だそうだ。それでは、このような地方の町村議会からは金目当ての悪徳議員は排除
され鴻鵠の志を持つ有徳の人物ばかり集まっているかといえば、全くそんなことはない。

長野県の喬木村では2017年の村議選が無投票だった。2021年6月の村議選では定数12に対し立候補者が10人
と定数割れを起こし、2022年1月の再選挙でも立候補者が1人にとどまった。議会改革を行っても状況は改善
せず、2023年には議員定数を10人へ引き下げた。それでもなり手不足が深刻なためか、2024年度には、2027
年後半からの議員報酬額を月額15万円から17万2千円に引き上げた。安い給料では誰も来ない、という議会
の外では当たり前の理屈が議会の中では突然無効になるわけではないのだ。「喬木村なんて人口5500人の小
さい村だから例外だ」とは言えない。人口約7万人の岡山県総社市では、選挙ドットコムのデータによると2
013年の市議選では定数24に対し候補者25、2017年は定数22(削減されたようだ)に対し候補者23、2021年
は定数22に対し候補者24、2025年は定数22に対し候補者25と、定数割れこそ起こしていないがギリギリのラ
インになっている。2022年に議員報酬を2万円アップして月額42万円にしてなおこれなのである。40万貰っ
てりゃ十分だろうと言いたくなるが、記事によると「ただ、『実際の手取りは額面の7割ほど。そこから次
の選挙のために4年間で数百万円の貯金をしないといけない』。パンフレットの作成や後援会だよりの印刷
と郵送など、政治家としての出費もあるという。」とのことだ

そんなこんなで、総務省によると「令和5年の統一地方選挙では、無投票当選者の割合が増加し、特に、町
村議会議員選挙では、3割の議員が無投票で当選しており、20 町村では定数割れが生じている。」状況に
なっている。もちろん、各自治体それぞれになり手不足の原因があり、全部が全部低報酬だけが原因ではな
い。給料を高くすればするほど良い議員が生まれるという簡単な話でもないだろう。国会議員と地方議員を
どこまで同じ理論で語れるかの限界もある。しかしそれでも「無給にすればやる気のある高潔な人間だけが
集まるはず」などといううまい話がないことは推測できる。もっと話を単純にして、「全国のお好きな議会
の議員、あるいは国会議員になれます。ただし完全無給です」と言われてあなたは手を上げるだろうか。手
を上げた後どうやって食っていき、しかも善人でいられるだろうか。よくよく考えて欲しい。

「社会的身分の高い職業に就く人間は無給でやれ」とか、「慈善団体をやるなら自前で持ち出せ」みたいな
無意味な自己犠牲を求める日本人のメンタリティはどこから来たのだろうか。中国由来ではないように思え
る。向こうは「三顧の礼」「隗より始めよ」の国だ。偉い人が頭を下げて能力のある者を厚遇して迎え入れ
るのを惜しみはしないだろう。アメリカ由来でもないように思える。あちらの国では大金を払ってヘッドハ
ンティングだとか、引き抜いた人材のために家から車から全部揃える、などというのは珍しい話ではあるま
い。「プロフェッショナリズムの軽視」では正確な表現でないだろう。「高い能力に高い給料を払うことへ
の軽蔑」でもない。「優秀な人材というのはどだい希少資源なのだから、彼らを集めるために『はずれ』が
出てくることを覚悟で高い俸禄を払う」ことへの拒絶感のあまり、その逆、「滅私奉公的自己犠牲を払い苦
しんでいる姿こそ忠誠心であり、それを見せるなら能力の無い人間でも許してやる」を選好しているように
思える。(もっとも、このような文化論にはさしたる根拠もないし、「政治家なんて無給でいいだろ」とい
う主張にも色々種類があるだろうから、この部分については別に語る必要があるだろう)

適切な議員報酬の水準はどれくらいかの議論は無論あってしかるべきだ。少子化を見据えて議員定数を減ら
すのか、それとも維持するのかの討議も不可避だろう。供託金の引き下げや兼業の許可などで議員になりや
すい環境を目指すことも出来る。パー券を売りさばくことにだけ情熱を燃やす一方、議会の最中に居眠りす
る議員に腹が立つというのは自然な反応だ。だがそいつを議会から放り出したところでシステムに手を入れ
なければ第二第三の腐敗議員が出てくるだけだ。「あるべき議会の姿」「あるべき議員の集め方」を抜きに
していきなり「政治家は無給にしろ」などというのは暴論であり、主権者の知的誠実さの敗北なのである。
「政治家にいくら払うべきか」は「この社会のどんな人が政治家になれるべきなのか」に直結している重要
な問題だ。「自分たちを代表して仕事をして欲しい。ただし代表になりたい奴は無給で働け」と叫ぶ主権者
がどれだけみっともないか、冷静に考えたい。

(2026/10/24)



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最終更新:2026年10月24日 12:28