2000 - 2004
プエルトリコにあるプロレス団体WWCのオーナーでプエルトリコの帝王と呼ばれるカルロス・コロンの息子。同じくWWEに所属しているプリモは実弟。
2000年にWWCでデビューし、タッグ王座やユニバーサル王座を獲得。
2003年にWWEと契約し、1年間OVWで活動。2004年にWWEに昇格し、SmackDown!デビュー戦でジョン・シナを破りUS王座を獲得。その後ヘスースと組んでシナと抗争。2005年にはマット・モーガンと組んでビッグ・ショーと抗争したが、同年6月のドラフトでRAWに移籍。RAWデビュー戦でシェルトン・ベンジャミンを破りIC王座を獲得。現在のリングネームはカリートと縮められた。WWE契約後もWWEの許可を得て、WWCにも参戦している。
「自分はクールだ」と主張し、クールじゃない奴にはリンゴをかじり相手に吐きつけるというキャラで、そのためリンゴを持って登場することが多い。カリートス・カバナというスーパースターを呼んで話を聞くというコーナーを持ち司会を務めているが、結局最後にはゲストと争うことになる。
偉大なレスラーの父カルロス・コロンの影響からかレスリング技術は高く、その憎めないキャラからヒールの立場にありながらも観客から声援を浴びるという人気者であった。
2005 - 2007
2005年のサマースラム以降、クリス・マスターズと組んでショーン・マイケルズ、リック・フレアーと抗争し、2006年のレッスルマニアでマスターズと決裂し、ベビーターン。トリッシュ・ストラタスと恋愛ストーリーが始まるが、トリッシュの引退によって今度はトリー・ウィルソンと恋仲になる。この頃から中堅路線のメインレスラーとして活躍していた。
2007年になり、リック・フレアーの呼びかけによってタッグ結成。フレアーに「情熱が足りない」という指摘を受け、弟子入りする格好となるが戦績は振るわず、フレアーを裏切り再びヒールターンした。その後、約3年ぶりにジョン・シナと抗争した。
バックステージでの態度の問題でプッシュが少なくなり、退団を考えていたが、ビンス・マクマホンの説得でWWEに残留することを決めた(現在も自分の立場についてたびたび不満をもらすことが多い)。その際ビンスの提案で、RAW15周年記念大会でジェフ・ハーディーとのラダー・マッチ系式によるIC王座戦が組まれたが、敗退した。
12月にはイタリア系レスラー、サンティーノ・マレラと組み始めた(なおこのコンビは「マニート」と呼ばれている)。そして2008年のロイヤルランブルへの出場がマレラと共に決定した。
2008 - 2009
2008年3月、コーディ・ローデスとのレッスルマニアでのマネー・イン・ザ・バンク・ラダー・マッチ予選に勝利し、自身初となるマネー・イン・ザ・バンク・ラダー・マッチへの出場が決定した。6月には、追加ドラフトでSmackDown!に移籍した。
長らく欠場していたが(欠場の理由は、カリートの父の団体WWCに参戦するためプエルトリコに凱旋帰国したため。)、9月12日のスマックダウンにベビーとして復帰し、弟のプリモ・コロンと組みジ・エッジヘッズとノンタイトル戦ながら対戦、勝利を収めている。その翌週には久々のカリートス・カバナを主催し弟のプリモと共に共演。ジ・エッジヘッズの保持するWWE・タッグチーム王座の獲得に向け宣戦布告した。そして9月26日のスマックダウンにおいて弟のプリモ・コロンと組みジ・エッジヘッズの保持するWWEタッグ王座に挑戦し王座の獲得に成功した。
2009年4月5日レッスルマニア25にてジョン・モリソン&ザ・ミズとタッグ王座統一戦が行われ勝利し統一タッグ王者となった。その後追加ドラフトで弟のプリモと共にRAWへ移籍する。6月28日のザ・バッシュで試合直前にスマックダウンGMのセオドア・ロングによりトリプルスレット形式に変更された統一タッグ王座戦で王座を失う。その後王者組に何度か再戦するが敗北し敗因をパートナーのプリモのせいにして暴行、「仕事に家族は関係ない」と発して退場していった。その後もプリモと争い、プリモの顔面にかじったリンゴを吹きつけ、完全に敵対同士となってしまった。7月のナイト・オブ・チャンピオンズでは6パック・チャレンジ形式のUS王座戦にはビッグ・ショーの代わりに出場したプリモと途中でコンビネーション技を決めたりし、終盤にはカリートが王座を譲るような仕草を見せたがカバーに行く途中背中を向けた所でバックスタバーを敢行し脱落させたが、その直後に背後からコフィ・キングストンに必殺技を決められ、王座を逃した。
その後しばらく出演することがなかったが11月末頃から再びRAWに出演している。
最終更新:2010年03月01日 16:55