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WWC 
父カルロス・コロンの団体WWCにて兄であるカーリー・コロンと共に1999年にデビュー。WWCユニバーサルヘビー級王座を6度、WWCプエルトリカンヘビー級王座を5度獲得するなど、団体のトップレスラーとして活躍した。兄カーリーとは一度だけ、共にWWCタッグ王座を獲得している。

WWE 
兄であるカーリー・コロンが2004年にカリートのリングネームでWWEデビューを果たし、その後を追うようにWWEの下部団体であるFCWと契約する。FCWではエリック・ペレスと組みFCWフロリダタッグチーム王座、初代王者となる。

2008年8月、RAWのゼネラルマネージャーであるマイク・アダムルの中途半端な紹介を受けて、初めてテレビに姿を現す(アダムルが途中でジョン・シナに駆け寄ったため、完全に紹介されず中途半端に紹介され終わった)。 翌週のRAWにて、兄カリートに扮したチャーリー・ハースを相手に正式デビュー戦を飾り、勝利を収めた(ちなみにハースの仮装はアフロのカツラにカリートの愛用Tシャツと言うもので、声もカリートに似たプエルトリコ訛りの英語で話していた。ちなみにリングネームは自身の名前にあやかってチャーリートで登場した)。 RAWではその一戦しか行わず9月12日にスマックダウンに移籍する。兄カリートと組みジ・エッジヘッズとノンタイトル戦ながら対戦し、勝利を収める。翌週のスマックダウンでは兄のカリートスカバナにて共演。ジ・エッジヘッズの保持するWWEタッグ王座に向けて宣戦布告する。 さらにその翌週のスマックダウンにおいてジ・エッジヘッズに勝利し、WWEタッグ王者となる。 その後はタッグ戦線で活動し、ザ・ブライアン・ケンドリック&エゼキエル・ジャクソン組と抗争する。

2009年2月頃から世界タッグ王者のジョン・モリソン&ザ・ミズ組と抗争する。 4月5日のレッスルマニア25にてジョン・モリソン&ザ・ミズ組とのタッグ王座統一戦に勝利し、統一タッグ王者となる。 同年の追加ドラフトにより兄のカリートと共にRAWへ移籍する。6月28日のザ・バッシュで試合直前にスマックダウンGMのセオドア・ロングによりトリプルスレット形式に変更された統一タッグ王座戦で王座を失う。その後に何度か王者組と再戦するが惜敗し責任を自分に押し付けられカリートから暴行を受ける。7月のナイト・オブ・チャンピオンズでは6パック・チャレンジ形式のUS王座戦にはビッグ・ショーの代わりに出場し、途中にコンビネーション技を決めたりし、終盤にはカリートが王座を譲るような仕草を見せたが、カバーに行く途中背中を向けた所でバックスタバーを敢行され惜しくも王座を逃した(カリートもその後脱落)。以降はジョバー的な役割での登場が多くなる。
最終更新:2010年03月01日 17:09