CAUTION! この記事はガイドテキストです。
「私達は各々が自身の創り上げた世界の主役である。」これが、
運命束を
把握する上でもっとも重要であって、基礎ともなる原則・事実でありましょう。
界認識の集積・総体であります。ではその中に顕れる人々もまた、辺縁現
実の中心に立つ"貴方"の内面表出であると言えるのではないでしょうか?
卑近な例に落とし込むならば。"あなた"が幾ばくかの対価を支払い身過ぎ
世過ぎの品を手にするその時にレジスターの向こうに立つ"かれ"に"貴方"
は何らかの人格・個人性を感じ取るでしょうか?有機的な人のつながりを不
要と為す現代に於いてその種の感覚はだんだんと希薄であります。もはや
"かれ"は"貴方"にとり、「店員」という記号、「性別」という記号、また"貴方"
の感受性・観察力に応じた各種記号を纏うフラグメントの塊に過ぎないのです。
では相対する"彼"に即すればどうでしょうか?"彼"を軸とする
辺縁現実に
ついて想起する時、"彼"は記号としての"かれ"ではなく確固たる
眼差しを伴
った"彼"として世界を構築します。"彼"がレジスターを挟んで相対する"あなた"
は最早"貴方"ではなく、"彼"の世界の文脈に登場する"あなた"でしか在りえ
ない。"あなた"もまた、"彼"の眼差しによって描かれた記号の総体である事
を余儀なくされるのです。
ここで"貴方"と"かれ"のいる世界と"あなた"と"彼"に依る世界は、果たして
同一と言えるのでしょうか?運命束とそれを取り囲む諸理論はこの懐疑に
対して、一面的にはYESであるが全体としてはNOである、と回答します。
確かに「貴方」の辺縁現実と「彼」の辺縁現実は交錯する眼差しの内に結ば
れ、「かれ」と「あなた」を介して
束は一つの
幹束を築きます。
その場には一種の
片現実が生成されるのです。【編集中】
最終更新:2012年03月26日 21:51