10.お正月
子供のころのお正月は年の近い従兄弟たちが集まり、大変にぎやかだった。もともと祖父母や叔父や叔母との同居だったから日ごろからにぎやかだったといえばそうなのだが、またちがった空気だった。
一年に何度かしか顔を合わせない従兄弟たちがやってきて、皆が掘りごたつに足を入れて座り、それぞれにもらったお年玉を手に笑っている光景。そのうちトランプやカルタが始まる。
こういった晴れやかな日の親族の集まりには必ず祖父が「神戸牛」を大量に買っていて、「すき焼き」をするのが定番だった。5kgだか、10kgだか、とにかく大量を買い込んでニコニコして振舞っていた。
お正月の御餅はといえば、年末になると納屋から登場する石臼と杵があり、祖父や父、叔父たちが交代でついた。水取りをたまに手伝った覚えがあるが、小さな手では何の役にも立っていなかったんだろう。
熱々の出来立ての餅を丸めるのは女性の仕事で、餅粉で真っ白になった手で冷めないうちに丸くした。途中で手を止めて、醤油をたらした大根おろしに摘んだもちをつけて食すのは子供ながらに絶妙だった。いくつもいくつもできる丸餅、餡餅、それから伸餅、最後にお鏡を作った。ひび、割れができないように何度も何度も表面を手のひらで撫でて滑らかにした。いくつもの木箱に出来上がった丸餅を一列に並べたら終わり。
廊下の一番先にある台所からは、次々と蒸されるもち米のいい匂いと湯気が立ち込めていた。何度も何度も黒い廊下を往復して祖母は蒸したもち米を運んでいた。
餅でいっぱいになったいくつもの木箱が積み上げられ、結婚して家を出た叔父や叔母たちがそれぞれの必要な量を持ち帰る。
朝から米を蒸して終わるのは午後だったから、祖母にしてみれば年に一度のこの行事は、一日仕事だった。
みんなの顔はほくほく笑っていた。
あの石臼と杵は阪神大震災のあとに取り壊された家の庭の片隅にあった納屋で久しぶりに目にしたが、損傷はなかった。しかしながら、土地を駐車場として資産運用するということで納屋を取り壊す際に、残念なことに中にあったものは全て処分してしまった。
最終更新:2009年08月12日 22:11