当時のテレビはモノクロ、ブラウン管で、現在のようなリモコンなどなく、本体のチャンネルをガチャガチャ替えなければならなかった。大人たちがその作業を面倒くさがるので、私がそれを請合うことがしばしばあった。
 朝のNHKドラマは祖母の定番で、バタバタした朝の用事が一段落した(あるいは合間だったのかもしれない)ひとときを過ごしていた。わずか15分の祖母のほっとする瞬間だったのかもしれない。私もなんとなくいつもそばに居たのでそれらを見ていたわけで、「おはなはん」の始まる最初のテーマ曲は今でも頭の中で再生されるときがある。
 一番年の近い叔父は、「ヒットパレード」とか、「しゃぼん玉ホリデー」をよく見てた。たくさんの歌手が流行の「歌謡曲」を順番に歌い、当時それらは若者の先端をイってたんだろう。幼いながらも耳から入った当時の流行歌は、しっかりと記憶に残っている。愛だの恋だのいった意味もわからずに口ずさんでいたが、母から叱られた覚えがある。
 祖父は野球中継やレスリングをよく見ていた。掘りごたつのある居間の大きなテレビではなく、二畳の間に置いていた小さな自分専用のテレビがあった。阪神巨人をよく見ていたが、関西人なのに巨人ファンだったのは今から思えば意外で、なぜなのか理由を聞いておけばよかった。そういえば相撲もすきで、無敵だった大鵬を応援していた。もしかしたら「巨人・大鵬・卵焼き」を地でいってたのかもしれない。
夏には薄手の下着に近い格好でごろんと横になって扇風機と団扇で涼を取りながら高校野球を見ていた。
 私にチャンネル権があったのは、「鉄腕アトム」「鉄人28号」など、正義が悪を滅ぼす完全懲悪のあらすじの、どちらかと言えば男の子向けの内容だが、毎度わくわくしながら見ていた気がする。ビルの谷間から正義の味方がガォーと現れようものなら、完全にその世界に引き込まれていた。
 朝のNHKの子供向け番組や、NHKといえば「ちろりん村」「ひょっこりきょうたん島」も、もちろん楽しみにしていた。「みんなの歌」も番組と番組の間に耳に入ってきて自然に覚えてしまい、よく口ずさんでいた。母にしてみれば、幼いわが子が意味もわからず愛だの恋だのいう流行の歌謡曲を口ずさむよりも、こっちのほうが理想だったのは当然だろう。
 ちょうど東京オリンピックへ向けてカラーテレビへの移行が始まったころには、早々に大きなカラーテレビを据え置いていた。当時のものは画質も悪く、カラーと言っても今のようにキレイに本来の色調よりも褪せた感じのものだったが、それでもモノクロにしか見えなかったものに色がついて見えるのは画期的で衝撃的だった。祖母は近所でもいち早く「カラー」にしたことが誇らしげだった。




























最終更新:2009年08月13日 19:24