祖父のイメージは満面の笑顔そのものの印象しかない。言葉数は少なかったが、いつもあんなふうに天下泰平に笑っていた気がする。幼いながら同居する嫁姑のなんとなくぎこちない空気を感じていたが、長男の嫁として気をつかっていただろう母に対しても、気遣いの言葉をかけていたようだった。
麻雀が好きで休みの日には自転車に乗って商店街の麻雀屋へでかけていたようだった。玄関を半開きにして、自転車で出かけていく後姿を見送っていた気がする。
妹が生まれてからは、当時高価だったろうバナナをよく買ってきていた。
西宮の小さな病院で長らく入院していた祖父が亡くなったのは私が高校生のときだった。亡くなる日の早朝、白い着物をまとった祖父が岩間から自分の名前を呼んでいる夢を見たと父が話していた。
たぶん祖父のものだっただろう手のひらサイズの大黒様の彫り物があったのだが、他界したあとは仏壇の前に置かれていた。それはまさに祖父そのもので、満面の笑顔、恰幅のいい姿ともによく似ていた。いつだったか、手に取ったときに口元に埋め込まれていた白い歯がポロリと落ちてしまい、どうしようかと焦ったすえ、祖母に言い出せずに心の中で謝ってそのままにしてしまった。その置物は今まだ仏壇の前に鎮座している。何があっても天下泰平、そう言っているようで、永遠に私の中の祖父そのものである。
最終更新:2009年09月13日 20:19