4 保育園
3歳だったか4歳だったか、その頃から保育園に通い始めた。4年間の通園。たいていは父の通勤の自転車の後ろにまたがって国道二号線を渡ってまもなく到着した。帰りは祖母がお迎えに来てくれていた。
保育園では、行事で満面の笑みでこいのぼりを振りかざしていたり、真剣に何か作っていたりする写真が残っている。体格がよく大きいほうだったし、4年も通ったわけだから、結構な親分肌を発揮していたらしい。
自分で考えてもあんまり子供らしくない子供だったんじゃないかと恥ずかしいばかりである。
同じ保育園には、父母と同じ職場で働く公務員の子供や、商店街の商売人の子供たちが集っていた。
山口先生や、三好先生は今でもそ笑顔を思い出せる。大人になって阪急電車の中で、かなり年を取った三好先生を見つけて声をかけたことがあり、三好先生も驚いてそして大変喜んだおられた。
セメントで囲われた浅い5メートル四方くらいの夏にはプール代わりになった場所は、冬場はコケで覆われ、記憶が定かではないが、そこには金魚が泳いでいたように思う。その淵を歩いていて足を滑らせて濁って冷たい水の中に落ちてしまった記憶がある。母が新調してくれたばかりのお気に入りのオーバーを着ていった初日だったか、日も浅かったか、どちらかだったと思う。なんせ、そのオーバーがコケ色に染まり、またその汚濁した水の匂いが沁みこんでしまった。その時の母の落胆はどんなものだったろう。溺れるほどの深さでもなく、命に関わる話でもなかったから、新調したばかりのオーバーの悲惨さは嘆かわしいものだったのだろう。
最終更新:2007年03月11日 23:46