エルフ

人口
タヴェリア 不明
ナホトカ国 不明


・エルフとは?

 エルフとは旧人より分化した種族であり*1、身体特徴はとがった耳*2であり、骨格は非常に頑丈で骨格筋も発達している、また脳容積は人間よりも小さいが、高次の認知に関する部分の大きさは、現代人と変わらず、寿命も100年~150年くらいある。

適当な系統?

【ホモ・エレクトス】__【ホモ・ハイデルベルゲンシス】__【ホモ・サピエンス・イダルトゥ】__【ホモ・サピエンス・サピエンス】
          |                 |__【ホモ・ソーラネウス】
          |                 |__【ホモ・エルフ】
          |___________________【野人】

・歴史


・黄金時代(約18万年前から約7万年前)

 ヤーディシアで最初のエルフ文明が繁栄していた時代、最終氷期以前の約18万年前から約7万年前の期間であり、エルフソーラネス人シンファナ等の大陸へ進出((勿論タヴェリアに残った者も多かった。)していたが、ホモ・サピエンスタヴェリアで少数が生息しているに過ぎなかった。
 この時期は敵対勢力が殆どおらず平和で、エルフは開放的な都市で生活し、クロムメッキされた青銅器の道具や線文字が用いられ、現在では絶滅した穀物家畜が生産されていたとされており、ミノタウロス帝国ポリス同盟諸国という国が存在した。

・ミノタウロス帝国

専制君主制領域国家であり、線文字Mが用いられ、貯蔵庫を兼ねた巨大宮殿の遺跡が残っており、ろくろを利用した抽象的文様の陶器が特産品であった。

・ポリス同盟諸国

君主制小諸邦の連合であり、線文字Pが用いられ、度々ポリス間で戦争をしていたたとされる(但し当時の戦争は王侯貴族の一騎打ちが普通であり、小規模で庶民が見物するレベルであった。)。

 しかし7万年前の最終氷期到来と、タヴェリアの乾燥化・海水準の低下に伴うホモ・サピエンスの出タヴェリアによってミノタウロス帝国は内紛が頻発し崩壊、小諸邦も多くが消滅して数を減らし、エルフの生息域と人口も減少した。

・白銀時代(約1万年前~1980年)

 最終氷期の終了後、生き残った小諸国が息を吹き返し、神殿が再建され再び繁栄した時代、アルファベットが発明され、また重装歩兵の発展に伴い、都市国家コクバイヤ王政から財産制、さらに軍事民主制が発展し、交易*3陶器&オリーブ油生産産業・文化・技術・学問等が発展した。
 一方、都市国家クリアコスでは侵入してきたホモ・サピエンスを逆に奴隷化し、土地の均等配分、長老会設置、民会設置、教育制度、常備軍の創設、装飾品の禁止、共同食事制を特徴とした政治を行っており、両者は仲が悪く度々衝突したが、最終的にクリアコスが斜線陣等の画期的な戦術等によってコクバイヤを破り、覇権国となるも長期化した戦役と格差の拡大によって弱体化していった。

・エラステース朝クッコロセウス王国(英雄時代)(~1980年)

 南部[(現カノミス王国))のポリスが衰退していく中、北部では君主制領域国家が形成されおり、また同地では馬産が盛んで強大な騎兵を有していた、1910年に時の国王ラーイオス1世は美少年ハーレムの要員を確保するためコクバイヤへ遠征を開始、多くの青少年を拉致し辱め飽きた者を殺した。
 その後王はクリアコスの美少年も手に入れたいと思い、遠征したが、当時のクリアコスは未だ強大な軍事力を有していたため敗北、降伏の証として部下の子で王族の縁者でもあるピリッポスを人質として送った。
 また王は「他国の罪なき子供を殺した咎により、自らの子である男に殺される。」と予言されていたため、部下に生まれた自身の男児を殺すよう命じた、しかし哀れに思った部下によって子供は山に捨てられ生き延び、オイディプースと名付けられ羊飼いの夫婦に拾われ育てられた。
 しかしオイディプースは「将来実の父親を殺す」という神託を受けていたため、実親と思っていた羊飼い夫婦のもとを去った、途中で彼は美少年狩りを行うラーイオスと遭遇したが、ラーイオスがオイディプースの容姿を罵り、馬車で轢き殺そうとしたため、彼は自らの杖を投げ王を転落させ殺害した。
 一方、王国ではライオン亜人の王スピンクス率いる軍勢の侵攻により危機を迎えていた、スピンクスは「知恵者を有する町は襲わない」として、侵攻先に100日の猶予を与え、その間彼女が下したなぞなぞに正解できれば撤退すると宣言しており、王国の賢人たちが数多く挑戦したが失敗しその場で殺された。
 その様な中で、王国に来訪したオイディプースはスピンクスのなぞなぞに挑戦しようと考え、ライオン亜人軍の陣幕へ訪れた、彼女はオイディプースに「一つの声をもちながら、朝には四つ足、昼には二本足、夜には三つ足で歩くものは何か。その生き物は全ての生き物の中で最も姿を変える」と質問した。
 それに対して彼が「答えは人間である。何となれば人間は幼年期には四つ足で歩き、青年期には二本足で歩き、老いては杖をついて三つ足で歩くからである」と答えるとスピンクスは「そうだ!、それがお前だ罪深く哀れな者よ!!お前はなんと聡明で幸福で無知で不幸なのだろうが!!」と叫び、軍と共に撤退した。
 その後、オイディプースはラーイオスの妻で寡婦となった王妃と結婚、国王となってさらにコクバイヤやクリアコスと友好関係を構築し*4、市民のため病院初等学校を整備して成文法を策定し、またコクバイヤから職人を呼び、製陶オリーブ産業を振興させた。
 しかし、即位から10年後に飢饉と疫病が王国を襲い、また神殿より「不作と疫病はラーイオス殺害の穢れの為であるので殺害者を捕らえ、クッコロセウスから追放せよ」という神託が下され、その後、誰がラーイオスを殺害したか調査したところ、その犯人がオイディプース自身であり、さらに実の母親を犯して子供を儲けていたことが分かった、その結果王妃は自殺し、オイディプースは自ら目を潰して王国を去った。
 オイディプースの退位後、親戚であり勇将と名高かったピリッポスが即位、彼は人質時代にクリアコスの先進的な戦闘教義を学び、さらに「サリッサ」という長槍を導入して軍事力を強化、コクバイヤ・クリアコスを傘下に収めた。
 また彼は暴れ馬を大人しくさせた事より、自身の子であるヘファイスティオンの才能を見抜き、哲学者として名高いアキスを招聘し、「学園」を設けて王子と後にヘファイスティオンの幕僚となる貴族の子弟を学ばせた。

・ヘファイスティオン

 18歳となったヘファイスティオンは一軍の将として父のコクバイヤ・クリアコス遠征へ従軍、この時彼は騎兵隊を自ら率いて敵軍を混乱させ、戦の勝利に貢献した、一方で父王と母である王妃の関係が冷め始め、王はクリアコスの姫と浮気し、また王妃は蜥蜴亜人の神殿神官と不義密通を行っていた、その様な中で王妃は自身の浮気がばれ、その地位を追い出されるのではないかと思うようになったため、愛人と共謀し王を暗殺、しかしその後陰謀が発覚したためヘファイスティオンは実母を処刑させた。
 ヘファイスティオンはその後即位し、父王の暗殺によって動揺した国を鎮め、またその混乱に乗じてクッコロセウスから離反しようとした北方民族とコクバイヤ・クリアコス連合軍の反乱を鎮圧し、更に領土を広げ、1939年に現在のロードレスランドを統一した。
 しかし彼の心は満ち足りず鬱屈とした日々を送ってきた、その様な中で大弁浮屠教の布教僧が来訪、彼と討論する内に、「自身を含めすべての生命が不幸な原因は、生きていること自体であり、生きることを止め完全に消滅する事こそが全生命の救済であり、周囲の生命は全て救済として抹殺すべきである。」という教えを受け入れ、手始めに妹婿を、それから自身の子供たちを、それから妹を、それから妹の嫡子を、それから皇后を、さらに彼の所業を諫めようとした元王オイディプースとアキスを救済し、また自身の領土に生ある物が生じないよう町・村・畑・森・草原を焼かせ跡地に塩を撒き*5、水源に毒を流して、終いには自国内の女子供老人を救済させた。
 一方で当時、シンガにはという人類種の中央集権的王朝が存在し、*6殺人や自殺を推奨する大弁浮屠教を危険思想と見なして、信徒と僧侶を生き埋めにして、経典を焼いて処分して弾圧しており(焚書坑浮屠)、その事を聞いた王は生きることは良いことであるという迷信に囚われたシンガの生命を抹殺し救済する事を決断、遠征を開始した。(第一次シンガ救済遠征)
 ヘファイスティオン軍の侵攻に対して、当時の覇皇帝である聖明帝は大将軍である李槙将軍に10万の兵を預け、夷荻討伐を命じた、偵察の結果敵軍に騎兵が多いと知った将軍は騎兵を集めさせ、さらに歩兵には騎兵対策としてを数多く装備させた。
 一方ヘファイスティオン軍は兵数は5万と敵に劣るものの、兵種はホプリテス(重装歩兵)ヘタイロイ (重騎兵)プロドロモス(軽騎兵)ペルタスト(軽歩兵)と多種多様であり、臨機応変な戦い方ができた。
 覇軍は騎兵の突撃力を少なくするため河川の向こう側に陣取ったが、それに対してヘファイスティオン軍は射程の長い投石器・バリスタ を投入し、アウトレンジで敵部隊を攻撃、たまらず敵軍が後退した隙に渡河し、ヘファイスティオンは自らが陣頭で指揮を執り敵左翼部隊へ突撃、撃破した後残り部隊の後方に回り、鉄床戦術により挟み撃ちにして敵軍を殲滅した。
 その後、ヘファイスティオン軍は戦場周辺の生物を殺して回り、女は直ぐに救済し、男は兵に犯させた後救済しつつ、森を焼き泉に毒を投げ込んだが、*7遠征途中で自軍兵士がイクファターナ人の女を囲い、やましい事をしていたと知り、その兵士と女、更に兵士が属する部隊の指揮官である学友を処刑し、自身の兵士と生殖しようとしたイクファターナ人への復讐を行うと決意、シンガから撤退して代わりにイクファターナ救済遠征を開始した。
 奇跡的に亡国の危機を逃れた覇王朝は対ヘファイスティオン軍の為、東方に20万の軍を常駐させることを決意、さらに長城を築くため人民に重税と賦役を課した、しかしその結果各地で反乱が頻発し、各地の群雄が滅びた旧王国の君主を擁立し、反旗を翻した(譲韓戦争)
 一方、南進を開始したヘファイスティオン軍はイクファターナの生きとし生けるものを殺して回り、女は直ぐに救済し、男は兵に犯させた後救済しつつ水源に死体や毒を投げ込み、多くの部族・都市国家を滅ぼした*8
 この救済戦争は40年近く続き、飢饉や疫病を除くと老若男女問わず5000万人が殺されたとされており、粗方、生命を救済したと判断した大王は1979年に再びシンガ遠征を再開した。(第二次シンガ救済遠征)
 この時期、覇王朝は既に滅亡して韓王朝が成立していたが、時の皇帝である王玲は部下となっていた李槙将軍に20万の兵を預け、侵略者殲滅を命じた、しかし李槙将軍はヘファイスティオン軍が強大且つ精強である事を知っていたため、覇時代の長城に引きこもり、小部隊に敵の補給部隊を襲わせて物資を枯渇させ撤退させようとした。
 それに対してヘファイスティオンは早急に編成した大軍の装備が軽装であることを見抜き、長城の中で兵の配置が少ない所を、攻城兵器を用いて突破、自身が率いる騎兵部隊で敵将の陣へ突入し李槙を打ち取った(順安の戦い)。
 指揮官を失った韓軍は混乱しており、その隙に残存勢力を殲滅し、近隣の大都市である順安の住民を男は犯してから救済し、女子供は即座に救済して殲滅した。

・帝国の崩壊と内戦(青銅時代)(1980年~2000年)

 順安の戦いの後、王玲は子供と妻を残して西方の奉都へ逃れ、韓王朝の滅亡は時間の問題であり、ヘファイスティオンはもはやヤーディシアに残る勢力は弱小なもののみであり、もう優秀な「学友」がいなくても全生命を抹殺できると判断し、宴会の席で将軍たちを殺害、この時大王の暗殺を何度も救った近衛部隊(ヒュパスピスタイ)の大将も粛清した為、大王の身辺警護は手薄となっていた。
 これを好機と見た兵卒メロンは過去に妹を救済され、親友セリヌンと妹婿が眼前で犯された後処刑された恨みから大王の暗殺を決意し、彼は王とのレスリングにおいて韓兵からもらった暗器(針)を用い王を刺した、王は直ぐに反撃し、メロンの首をへし折り刺された傷を「蚊に刺されたようなものである。」として放置したが、針には毒が塗ってあったため王はそのまま落命した。
 王の死後、王家は(ヘファイスティオンのせいで)断絶した為エラステース朝は滅亡、粛清を恐れ嫌々参加していた異民族の兵士も勝手に撤退し、仕方がないのでエルフたちはアーナエル・レスボスを指導者とし故郷へ帰還した。
 しかしクッコロセウス王国の主要地区は(ヘファイスティオンのせいで)塩害に侵された荒れ地となっており、さらに(ヘファイスティオンの命令で)女子供が抹殺され、その最たる被害者が王国の主流民族であるエルフであったたため、エルフの男女比は9.9:0.1となっており人口は急速に激減、さらに離反した異民族が(ヘファイスティオンに殺された)女子供の復讐として侵攻し、2000年にアーナエル・レスボスはオーク族との戦いで討ち死に、クッコロセウス王国は滅亡、生き残ったエルフもジェノサイドの加害者として迫害され続けた。

・現在(鉄の時代)(2000年~現在)

 シンファナ大陸のエルフが(ヘファイスティオンのせいで)勢力を減退させ、その殆どが殺されたか奴隷となった一方、タヴェリアのエルフ(ダークエルフ)はシンファナの勢力とは違う文化を育み生活していたが、レオネッサ王国の植民地政策によって絶滅しようとしている。

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最終更新:2020年01月15日 16:52

*1 地位的にはネアンデールタール人に近い

*2 繁栄していた時代は温暖であったため、アレンの法則に基づき耳は大きく、手足はある程度長かった。

*3 元々コクバイヤは山がちな土地であり、耕作地が少なかった上、ホモ・サピエンスから逃れた避難民によって人口が増加していたため、交易で生計を立てようとする人が多かった。

*4 その結果、虜となっていたピリッポスは開放される。

*5 その結果王国の中心地は砂漠となった。

*6 当たり前のことだが

*7 なおこの時死体を放置したために軍内で疫病が蔓延したが、大王は「この事こそ神が死による生命の救済を望んでいる証拠である。」と宣言した。

*8 なおこの時、現レジーナであるヤードは湿地帯の中に七つの丘があるだけで、羊飼いの住む小村があるのみだったため奇跡的に無視され、各地の避難民が集まり、その中にいた灌漑技術者が湿地帯を整地し、その後発展した。