ナラム・アジャリバジ

ナラム・アジャリバジ(ダハーカ語:Nhalam Aggjali-Baghi、7595年10月1日 - )は、ハダカンボ王国の政治家。現在王国総執政とドゥーエ主宰(議会議長に相当)を務めている(7612年6月10日 - )。

ナラム・アジャリバジ

7615年10月11日撮影
ハダカンボ王国初代総執政
就任
7612年6月10日
皇王 ハダカンボ11世
出生 7595年10月1日(21歳)
リンディスヴァート領南西タヴェリア植民地



来歴

7595年、天領キムチャ村の平民の家庭に生まれる。母親は生まれた直後に産褥熱で死亡。父親であるラララに男手一つで育てられる。しかしその後すぐにザルバチ人の人間狩りツアーで父ラララは死亡。王府に肉を貢納していた関係で後宮給仕マミと知り合っており、マミに引き取られて育てられる。このマミには皇王ハダカンボ10世との子ヌギ(後のハダカンボ11世)がおり、兄弟同然に育てられる。
7607年、ヌギ王子の王府追放に従いともにイマラ族領に移る。
7610年、ヌギ王子のフルヌゥド帰還に従いフルヌゥドへ移る。
7611年、16歳のときラータイ=ティガソの乱が勃発。各部族に対する工作を行い、貴族層をヌギ支持で固めることに成功する。
7612年、勲功第一であったことから総執政に任命され、ジルガにてヌギ王子即位を提唱しこれを承認させる。このとき総執政命令としてティガソの処刑とイマラ族殲滅を実行。
7613年、影でイマラ族を支援してきた隣国ザルバチ海岸共和国がザルバチ人宣教師殺害を口実に侵攻。王国建国以来最大の対外戦争となる第3次ハダカンボ=ザルバチ戦争が勃発する。各国のハダカンボ王国支持を取り付けるなど外交面で大いに活躍し、戦争を有利に終結させることに成功する。
7614年に、ネイ王子の留学を上奏。留学先にはレオネッサを予定していたが、ハダカンボ11世によりスルガ留学に切り替えられる。
7616年、ハダカンボ11世に従いイクファターナ周遊へ出発。

政治思考

大執政ナラム
民主主義 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◆ 専制主義 近代化には迅速な判断を要する。議論など不要。
政治的左派 ◇◇◇◇◇◇◆◇◇◇ 政治的右派 今は発展の時。多少の痛みは必要だ。
解放社会 ◇◇◇◇◇◇◆◇◇◇ 閉鎖社会 最近は外国人が入りすぎている。多少の制限は必要だ。
自由経済 ◇◇◆◇◇◇◇◇◇◇ 中央計画経済 まず経済成長が先決。先に富める者が貧しいものを救えばよい。
志願制 ◇◆◇◇◇◇◇◇◇◇ 徴兵制 士族兵制は反対だが、軍事は職業的な武人がやるべきだ。
タカ派 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◆ ハト派 戦争など愚の骨頂。
介入主義 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◆ 孤立主義 他国に介入している場合ではない。

人物

ハダカンボ11世ヌギの幼馴染であり義兄弟であるため、最も信の置かれた家臣として国内外でも有名である。
遊び人のハダカンボ11世とは正反対に生真面目で勤勉、しかし融通の効かないところがある。また、感情の起伏の激しいハダカンボ11世のなだめ役であり、常に冷静沈着で冷徹な判断を下すことから「氷の剣(アジャリバジ)」の異名を取る。
武芸が不得手な一方で、文盲の多いハダカンボ人の中できわめて学識が高く、リンディス語の書物から国際政治を学習して世界情勢に精通している。


逸話

  • ハダカンボ11世とはお互いを兄弟と呼び合う仲であり、王を呼び捨てで呼ぶ数少ない人物。
  • ただし互いに自分が兄だと思っているらしく、弟扱いされると不機嫌になる。
  • レオネッサ訪問中に風呂上がりにそのまま服を着ずに外に出てしまい警察に逮捕されたことがある。この事件は新聞に大きく報道された。このとき「ハダカンボ人の民族衣装」と強硬に言い張って釈放された。

特性

カテゴリ その1 その2
教育 緻密な策略家
Intricate Webweaver
不世出の戦略家
Brilliant Strategist
健康 負傷
Wounded
病弱
Infirm
先天性 端麗
Attractive
虚弱
Weak
ライフスタイル 学者
Scholar
陰謀の達人
Master Schemer
個性 勤勉
Diligent
冷笑的
Cynical
リーダーシップ オーガナイザー
Organizer
実験者
Experimenter
その他

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最終更新:2019年05月21日 20:06
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