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活動日

2010年6月11日(金)


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活動テーマ

豊川歴史散策


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あらまし

この日は、豊川市の歴史について学んだ。

ろうあ学校ではかつて職業訓練を目的とした授業が60%近くを占めていたらしい。
このため健聴の学校のような学科授業数が不足していたとことが冒頭紹介された。また聴者も年齢によっては世界史や日本史を学びはしたが、郷土史は学んでいないことも紹介された。

学んだ中心は、平安時代と戦国時代。
平安時代、豊川には国府が置かれていた。都から使わされた国司は、一宮、二宮と57箇所の社殿を参拝することが仕事であった。その労苦を軽減するために総社が建立された。
もちろん豊川にも三河総社が残っている。国府(こくふ)の名残と考えられる地名も、そのものずばり「国府(こう)」の町が存在する。
そして平安時代の宗教施策を象徴するように、国分寺跡、国分尼寺跡も見つかっている。
公家の時代の終焉と共に繁栄から衰退へと移行した。

再び豊川周辺の地が歴史に登場するのは、戦国時代。
この時代、豊川を含む東三河の地は、今川氏と松平(後の徳川)氏に挟まれた地域であり、ここを治めていたのが牧野氏である。牧野氏は讃岐の出自と考えられており、豊川市に讃岐公園が存在する由来などが紹介された。
今も東三河地域では牧野さん、今川さんと出会うことが多いのも理由あってのことなのだなと・・・

豊川地域はかつては、三河国。さらに時代をさかのぼると穂の国でよばれていたことも合わせて話されました。


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最終更新:2010年06月14日 11:16
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