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活動日
2011年05月20日(金)
学習テーマ
ろう者ミニスピーチと要約筆記
あらまし
ろう者のミニスピーチを要約筆記としてまとめることに挑戦する第2回目。
今回のミニスピーチは6分30秒程。
日本手話と日本語の言語的特徴の違いとして、日本手話の同時性に対し日本語は線条性があることを指摘できる。
日本手話は手の動きだけでなく、顔のパーツや体を使って複数の「しゃべり」を同時に表出できる。
対して日本語は開始から終了に向けて直線をなぞるような「しゃべり」である。
マルチタスクとシングルタスクの違い。手は2つあるが、口はひとつ。
同時性言語の6分30秒を線条性言語で400文字に要約する。この試みが難しさの最大の原因ではないだろうか?
愚痴を吐き出したので、スピーチの内容を・・・
私は3度学校を変わった。最初は豊橋聾学校、2度目は名古屋聾学校、3度目は大阪堺聾学校です。
年3歳か4歳の幼いころ、聾学校幼稚部に入った。通園したのではなく、寄宿舎に預け入れられた。
理由は家から学校まで交通が不便だったかです。私の生まれたのは、海の近くの伊奈町。実家から学校まで通うのは大変!家から小坂井駅まで歩くと30分以上かかる。長時間を要すために寄宿舎に入れられた。
寄宿舎では小学校4,5年まで生活していた。今の寄宿舎は新しいのですが、以前の古い木造寄宿舎の中で1部屋6、7人居た。男の子だけの部屋、と女の子だけの部屋に分かれていた。
朝起きる方法はといえば、6時半に太鼓が打たれ響きで皆起きた。その後食事は7時の太鼓で集まって食べる生活でした。
小学校2年の頃だったかに新しい寄宿舎ができたので、古いのを壊し移った。新しい建物では1部屋4人での生活でした。女の子が奥側、男の子が手前。奥の突き当たりは共同洗面所、反対側は幼稚部の子の部屋。平屋建てでした。幼稚部の子の部屋、男の子の部屋、女の子の部屋と区切られ奥側にトイレ、洗面所です。
学校を3時に終えて寄宿舎に帰って友達と遊んだ。晩御飯までは遊んだ。6時半に晩御飯だったと思います。食べ終えた後は自由時間。自主学習せずに漫然と遊んでいた。
小学校4,5年の頃に両親が蒲郡に引っ越した。交通が便利だから寄宿舎生活をやめて電車通学になった。中学3年まで通い続けた。蒲郡から学校まで通うのに1時間くらいと思う。蒲郡駅から豊橋駅まで30分、豊橋駅からバスで20分。聾学校まで降りるのではなく、そのひとつ手間での豊橋工業高校前で降りて、歩いて10分くらいです。雨風に耐えてずっと通いました。
卒業して高校は名古屋聾学校に変わった。名古屋聾学校へ通うのは、電車で2時間くらいかかった。電車は昔は遅くて1時間20分、蒲郡から名古屋まで各駅停車。今は速くなった。地下鉄、バス合わせて30分。朝6時頃の電車に乗って、学校に着くのは8時頃だったと思う。
卒業した後、大阪の堺聾学校に入った時は下宿生活。3年間暮らした。下宿先から学校まで電車で1時間ですが、自転車で行けば15分。
おかしいですか?電車は1時間、自転車は15分。電車では北上して遠回り、自転車なら直行して終わり。ですから本当はいけないことなのですが、黙って自転車を拝借して2年間通った。
ところどころ、はしょったな。
数えると987文字と・・・
。要約か・・・
およそ半分にそぎ落とす。
私は3度学校を変わった。
豊橋聾学校、名古屋聾学校、大阪堺聾学校です。3,4歳のころに幼稚部に入った。通園ではなく寄宿舎に入った。
理由は生まれた場所は海の近くで交通の便が悪く、駅まで徒歩30分。このため寄宿舎生活となった。
寄宿舎では1部屋6、7人暮らし。新しく建てられた寄宿舎では4人で暮らした。寄宿舎は男女別の部屋。奥に共同洗面所、女子の部屋、男子の部屋、幼児の部屋からなる平屋建て一棟。
太鼓の響きで起床や食事の時間を管理した。学校を終え寄宿舎に帰ると遊んでばかりいた。
4、5年生の頃に両親が蒲郡に引っ越すと共に寄宿舎をでた。蒲郡から学校までは電車とバス、徒歩で1時間。
卒業後、名古屋聾学校へ変わり、電車、地下鉄、バスを乗り継ぎ2時間。鈍行列車で家を6時に出て8時に学校に着いた。
大阪聾学校では下宿生活。電車では大回りになるため、自転車を拝借して15分の道のりを通った。
パソコンの力を使って、385文字と・・・
400字要約の条件はクリア。改めて読むとひどい要約だ。
40年近く前の記憶をたどり思い出しながら、少しはにかみつつ懐かしそうに話す話者の心情がまったく伝わらない。
通学の大変さすら、交通手段と所要時間の羅列で心に響かない。
要約力が不要だとまでは切り捨てない。だが共感力だって必要なはずだ。自分の心の琴線に触れた部分を盛り込んだ要約が必要なのだろうか?そしてなおかつ400字におさめる?
全国手話通訳者統一試験の手話要約試験は受験者の何を判定したいのだろう。
自分の技量を棚に上げ、試験の存在意義、目的に疑問を持ってしまった。
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最終更新:2011年05月22日 11:38